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組織編・4

 蒼生はベランダで一人、星が瞬く夜空を眺めていた。

 もうすぐ神様との直接対決が始まる。しかしまだ現実感が湧かなかった。何せ七年間、一生懸命に体を鍛え、全く経験のなかった仕事をこなすことに精一杯で、毎日毎日その仕事に明け暮れる日々を過ごしていたのだ。今さら神様と対決するぞと言われたところで、ピンとこない。

 もちろん、家族を殺された恨みを晴らしたい――その想いが蒼生の心から消し去られたわけではないのだが。

「本当に勝てるんだろうか……」

 勝手に口からそんな言葉が零れてしまう。

 何よりも征哉が唐突すぎるのだ。一体、二週間前に何があったというのだろう。

 その時、キイイ――とベランダの戸が錆びついているのか、嫌な音を立てて開かれた。

 振り向くと、金髪の少年がひょっこり顔を覗かせている。

 美影だった。

「蒼生くん、何か元気ないね」

 そう言って美影はとことこと歩いて、蒼生の隣に並んで夜空を見上げた。

 まあ、元気があるとは言えないな――心の中でそう呟く。

 暫く沈黙が続き、突然思い立ったように美影を見下ろした。美影がこの組織に来たのは二年前だが、相変わらず小さい奴だと蒼生は思う。

「美影、お前ってどうやって征哉さんと知り合ったんだ?」

 美影が丸い大きな瞳をパチクリさせながら、蒼生を見上げた。でもその瞳はすぐに伏せられる。

「うん……。ボクね、征哉さまに助けられたんだ」

 何となくそういう経緯だろうとは思っていたが、実際どんな事情から征哉が助け出したのか、蒼生は関心があった。自分も助けられて拾われた口ではあるのだが、征哉は美影みたいな子供の世話を引き受けるような性格ではない。

「ボクは神様に気に入られ、そして嫌われたんだ。神様を――拒んだから」

「……え?」

 蒼生は間の抜けた声を出す。

 美影はまた夜空を見上げた。蒼生はその横顔を見て、純粋に綺麗だと思ってしまった。元々、美影が他より突出した容姿だということは感じていたのだが、それはとても儚く消えてしまいそうで、何だか心を不安にさせる。

「征哉さまはね、凄い力を持ってるんだ」

 それは精鋭部隊に匹敵する力のことだろうか。でもそんなことは蒼生も知っているし、美影の言っているものとは何か違う気がした。

「天使を屠る力があるんだよ」

 大人びた表情で蒼生を見つめる美影。

 それは一体――

「多分、何か神様と関係があると思うんだよね」

「……それは征哉さんが、ってことか?」

「ボクもよくわからないけど。とにかく征哉さまは命の恩人なんだ」

 だから――と言って、美影は金色の髪を風になびかせながら、蒼生を見つめた。

「征哉さまのためなら――ボクは死ねる」

 蒼生は言葉を失う。たかが十二の子供が何を言っているのだろうかと。いつもは明るく無邪気な姿で駆け回っている年相応の子供なのに。今の美影が信じられなかった。

「美影、お前――」

「やあ、二人とも。そんなところで何してるんだい?」

 唐突に背後から、壮一の呑気な声が掛けられた。

「あ、壮一さん!」

 美影はパッといつもの無邪気な笑顔で壮一を迎える。

「紅茶を入れたんだ。一緒に飲まないかい?」

「あ、はい……」

 壮一の柔らかな笑顔に、蒼生は一瞬、戸惑いながらも頷いた。

 リビングに戻ると、征哉がソファに座って何か雑誌を読んでいた。美影はパタパタと走って征哉の隣に座り込む。

「ボク、ミルクがいいなあ」

 そうねだる美影に壮一は、はいはい――と言って、すでに用意されていたミルクをカップに注いだ。

「美影。タバコ持って来い」

 征哉は雑誌から目を離さずに告げると、美影はハーイと言って、少し離れた小さな戸棚からタバコを一箱、取り出した。その棚には常にタバコの買い置きが補充されている。

 美影は笑顔でそれを征哉に差し出した。無言で受け取り、早速火をつけてタバコを吸い出す征哉。悔しいかな、様になっている――と蒼生はいつも思ってしまう。

 征哉が息を吐くと、白い煙が宙に舞った。

「そういや、蒼生。前回の依頼、失敗したらしいな」

 不意に蒼生に視線を送ってきた。その脇では、壮一がテーブルに紅茶を置いていき、美影もミルクを受け取って、カップに口を付けている。

「……ワザとじゃないですよ」

「当たり前だ、馬鹿」

「……そもそも征哉さん達が悪いんですよ。何も言わずに、いきなりあんな依頼をやらせるから」

 はっはっは――と壮一が笑い出す。が、笑いごとではない。

「お前な、体だけ鍛えてもテクを磨かなきゃ女は喜ばねえぞ」

 何の話をしとるんだ――蒼生は無言で紅茶を口に含む。

「せめて鞭で苛めて喜ばせるぐらいしてこいよ」

 ブッと勢いよく紅茶を吹き出す蒼生。

「げほっ……けほっ……そんなんで、喜ぶ人なんていませんよ……!」

「何言ってるんだい。征哉君はそういうマゾヒスト達の間では、〈サディストの王〉として名高いんだよ」

 相変わらず爽やかな笑顔で凄いことを言い放つ壮一。

 一体、どんな王だ。というか美影もいるのだから、そういう発言は控えてもらいたいと心底、蒼生は思う。

「まあ、まずはマゾの気持ちを知る必要があるかもな」

「ないですから、全然」

 蒼生の否定を一切聞かず、征哉はテーブルの片隅に置かれていた紙を一枚、差し出してきた。仕事の依頼内容が記されているものだ。蒼生はそれを渋々受け取り、中身に目を通してみる。

「某大富豪の御曹司の…………………………一夜限りのペット?」

 もう意味がわからなかった。その意味を理解することを脳が拒んでいるのだ。

「噂じゃ相手は、かなりのサドだ」

「征哉さんを超えますか」

「いい勝負かもな」

「……そうですか」

 どうでもいい質問をしてしまった。蒼生はもはや心ここにあらずの状態である。

「だいたい、依頼主は男性でしょうが。求めてるのは女性なんじゃ………………ということもないようですね」

『屈強な体の若い男性求む』見たくもないその文字が視界に入ってしまった。

「お前にピッタリだろ。女が嫌なら、まずは男で慣れて来い」

 ぶちり。

 蒼生の中の何かが切れる。

 突如、蒼生は立ち上がり、

「誰がやるかあああ!」

 ビリビリと紙を破きながら絶叫する。しかし征哉は特に不機嫌になることもなく、ニヤリとした表情を崩さない。完全に面白がっているようだ。

「ちょっと喘いでくればいいだけだろうが」

「ちょっとやそっとじゃ、喘げません!」

「何だよ、試してみるか?」

「何をだ!?」

 そんな二人の応酬を、壮一と美影はカップを手にしながら楽しそうに見守っていたが、

「そういえば、壮一さん。いつ神様のところに行くの?」

 ふと思いついたように、美影が壮一を見上げて訪ねた。

「ああ、それはまだ決まっていなくてね」

 彼が征哉に視線を移すと、それに気付いたのか、征哉は二人に顔を向けた。

「――そうだな。もう準備は整ってるし、いつでもいいんだが……」

 確かに組織との話し合いは全て終わってはいるらしい。蒼生はそこで、一番重要な疑問が頭に浮かぶ。

「あの、征哉さん……今さらの質問なんですけど」

 蒼生の言葉に、征哉が視線を寄越してくる。

「神様って――殺せるんですか?」

 いくら精鋭部隊に匹敵する力を得られたとしても、所詮彼らは人間だ。殺すことは可能だろう。だがしかし、神様はどうなのか。人間とは明らかに違う存在であり、何十年、何百年、下手したら何千年と生きているのだ。先程の美影の話では天使を屠ることはできるらしいが、蒼生は何となくそのことを征哉に聞くのは止めておいた。

「ふん……殺せなけりゃ、こんな作戦立てねえよ」

 つまらなそうにそう言って、またタバコを吸う征哉。

「私にも教えてくれないんだよ、その方法。とりあえず精鋭部隊は他の組織に任せて、征哉君達は神様のもとへ直行してもらう作戦だから」

 壮一が肩を竦めながら説明する。

「壮一さんは?」

「私は指揮官だから」

 にこりと笑顔で返される。まあ確かに、壮一は普段からそういう役割ではある。美影はどうするのだろうか。蒼生はミルクを飲み続ける美影にチラリと視線を移すと、

「ボクは征哉さまと蒼生くんについて行くよ!」

 口の周りを白くして、元気に主張した。

 本気か――しかし、先程の美影の言葉を思い出せば当然のことかもしれない。蒼生達にとって正念場の戦いだ。

『征哉さまのためなら――ボクは死ねる』先程の言葉が頭の中で再生される。

 征哉も壮一も特に反対はしなかったし、蒼生も美影の覚悟を感じ取ってそれを受け入れることにした。

「……じゃあ自分達は、征哉さんのサポートをすればいいわけですね?」

 征哉が何を考えているのかわからないが、彼を信じて進むしかない。それは組織に入った時から十分承知していたことだ。征哉が神様を殺せるというのなら、蒼生はそれを信じて進むだけである。

「ああ、頼むぜ」

 艶めかしい笑みを浮かべて、征哉は立ち上がる。よし、決めた――そう言って、全員の顔を眺め回し、

「明後日、〈神の城〉に乗り込む」

 そう高らかに宣言した。

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