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組織編・2

「蒼生君、今日の仕事は『ストーカー男の撃退』だよ」

 起きて早々、にこやかな笑顔で壮一に告げられた。

「何でそう……面倒な仕事ばかりなんですか」

 眠い目をこすりながら、うんざりした様子で壮一を見る。

「じゃあ蒼生君はどんな仕事がいいんだい?」

「今まで通りでお願いしますよ」

 すぐさま切り返す蒼生。

『今まで通り』の仕事とは、用心棒だの運び屋だののことである。蒼生は全般的にそういう仕事しか請け負ってこなかった。ご婦人の夜の相手やストーカー退治などという男女関係に関する仕事は蒼生の中では論外である。それならば、違法な仕事に手を染めたほうが何千倍も心が軽い。蒼生は至って硬派な性格だった。

「こういう仕事のほうが割合、報酬が高かったりするものなんだよ、蒼生君」

 結局はそういうことか――蒼生は深い溜息を吐く。

 目の前の壮一という男は一見、優しげで上品な物腰に見えるのだが、腹の中では真っ黒いものがゴポゴポと沸騰するぐらい煮えたぎっている人間なのだ。しかも頭の中には常に〈金〉のことしかない。組織内の家計簿も壮一に委ねられていた。

 そして基本的に仕事を引き受けてくるのは壮一の役目なのである。報酬と仕事内容が理に適っているか判断するのだ。割に合わない仕事というのは山ほど見受けられるので、それを判断することも彼の仕事の内だった。征哉は絶対にそんな面倒臭い見分けなどする性格でもないし、蒼生もあまりしっかりとした判断ができない。そうなると、壮一がその役目にはピッタリだったのである。聞けば昔、どこぞの企業の財務会計の仕事をしていたらしい。現在の仕事に役立っているのかどうかはよくわからないが。

 そして、その仕事を蒼生と征哉に投げるというサイクルで、組織は成り立っていた。

「勘弁して下さい。自分、そういう仕事は向いてないです」

 壮一はやれやれと言って、呆れたような顔をした。

「でもねえ、蒼生君。昨日の失敗の元は取ってもらわないと」

 うっと呻く蒼生。

「蒼生君の給料から差っ引いてもいいけど、そうすると蒼生君、野垂れ死にしちゃうし。私もそんな蒼生君を見るのは忍びないからなあ」

「どんだけ高額な依頼だったんですか!?」

 壮一はクスリと笑って、秘密だよ――と答えた。

「さあ、どうするんだい?」

 どうすると言われても。蒼生だって野垂れ死にしたくはなかった。

「……わかりました。やりますよ、やればいいんでしょ」

 半ば自棄になって、そう答えたのだった。



「ちぇー。まあ期待はしてなかったけど、やっぱ征哉じゃないんだー」

 会って早々、蒼生は自分より年下の女にそう告げられた。

 年は二十歳前後だろう。日に焼けた黒い顔が印象的な、耳や口やヘソにピアスを付けた派手な女だった。

 彼女こそ『ストーカー男の撃退』の依頼主である。

 別に彼女は征哉と関わりがあるわけではない。征哉はこの界隈ではかなり有名な人物なのである。初めて神様に対抗する組織を立ち上げたことでも有名なのだが、傍若無人な性格も巷で話題になり、女性からは色男として人気が高かった。蒼生が引き受けない男女関係の仕事もバンバンこなしていることが大きな要因だろう。

「悪かったな、自分で。そんなことより、『ストーカー男の撃退』って一体どんなことをすればいいんだ?」

 草臥れた雰囲気の喫茶店で蒼生と女は向かい合って座っていた。

「まあまあ。とりあえずアタシの名前はミナってんだけど、あんたは?」

 オレンジジュースを口に含み、女――ミナが問い掛ける。

「……蒼生」

「ふーん、名前はかっこいいのにね」

 放っておけっ――心の中でそう叫ぶ。

「いや別に不細工じゃないけどさあ、征哉と比べちゃうと……ねえ?」

「征哉さんと比べるなっ」

 ドンッとテーブルを叩くと、目の前に置かれたコーヒーカップがカタカタと揺れる。

 やはり引き受けるんじゃなかった――

 こめかみに手を当て、今さらのように後悔する。

「ごめんごめん。それでさあ、依頼のことなんだけど……」

 ようやく本題に入ってくれるのかと、蒼生はげんなりした様子でミナを見た。

 彼女の話によれば先日、三年ほど付き合っていた彼氏に別れ話を切り出したらしい。原因は『ウザいから』の一言でまとめられた。しかし男は『はい、そうですか』と引き下がらなかったそうである。ことあるごとにミナを待ち伏せしては、復縁を迫ってくるのであった。時にはじっと、ミナの家の前で佇んでいることもあるとか。

「……確かにそれは、怖いというか何というか……」

 蒼生の呆れた言葉にミナは、キモイっていうんだよ!――と心底嫌そうな表情で吐き捨てた。

 とはいえ、その男にも少し同情する。

「それほど君のことを想ってるってことじゃないのか?」

「それにしたって、しつこ過ぎない? ああいうところが本当にウザいんだよね」

 まあそこまで言うのならばと、それ以上口を出さなかった。所詮は他人事だし、アドバイスできるほどの経験もない。

 黙った蒼生を、ミナは上目遣いで見つめてきた。

「でさあ、あんた……アタシの彼氏の振りしてよ」

 予想通りと言えば予想通りの言葉に、蒼生は唸る。

「回りくどいやり方だな」

「だってこれが一番じゃん? あの名高い征哉の組織にいるくらいだし、あんた強いんでしょ? だったらあの男も軽く蹴散らしちゃってよ、可愛い彼女を守るために!」

 誰が可愛い彼女だ――

「成功したら、本当の彼女になってあげてもいいよ?」

 悪戯っぽく微笑むミナに、蒼生は真顔で、

「結構だ!」

 と、力強く断った。



 そんなこんなでとりあえず、蒼生達二人は恋人同士を装いながら、ミナの家へと向かうことにした。彼女によれば、百発百中ストーカー男に鉢合わせできるらしい。

「ねえ、ダーリン! 今日のお夕飯、何食べたい? ミナ、蒼生のためなら何でも作っちゃう!」

 この女、ノリノリである。

「ははは……そうだなー……お前が作ったものなら何でもいいよ……」

 対して蒼生は、目にまるで生気がない。

 ミナが小声で、この大根役者っ――と罵る。

 そう言われても、こんな猿芝居をやってストーカー男と出会えなければ、ただの馬鹿である。そう思った蒼生は、どうしても棒読みの演技しかできない。いや、そうでなくとも演技自体が苦手だった。だから嘘も簡単に見破られてしまうのだ。

 さっさと終わらせたい――そう思っていると、

「ミナ!?」

 早速、背後から野太い男の声が掛かる。

 振り向けば、ガタイのいい男が一人、憤怒した様子で蒼生達を睨み付けていた。

「ほら、あんたの出番よ!」

 ミナに背中を押され、蒼生は立ち竦む。

「てめえ、俺の女に何してんだ!?」

「いや、えっと……」

「だーれがあんたの女よ! アタシはねえ、この蒼生って人と付き合ってんの! あんたなんかお呼びじゃないのよ!」

「蒼生……って、まさか征哉んとこの!?」

 どうやら、この男は蒼生のことを知っているようである。蒼生も何となく彼には見覚えがあった。もしかしすると、どこかの組織のメンバーかもしれない。

「えーっと……とにかく! もう彼女には近付くな! どうしてもストーカー行為を止めないと言うならば、自分が相手をしてやる!」

 早く終わらせたいと思ってはいたものの、あまり段取りを考えていなかった蒼生は勢いで言葉を並べ立てる。

 それを聞いた男は、ああん?――と見るも不穏な空気を醸し出していた。

「今日はな……無理矢理にでもミナを連れて行こうと思ってたんだよ……」

 そう言う男の目は、若干虚ろになっている。

「おう、お前らっ!!」

 男の呼び掛けと同時に蒼生とミナの周辺を取り巻いて、十数人の男達が姿を現す。

「ま、まさか、あんた! 組織のメンバー引き連れてきたわけ!?」

 驚くミナの声に、蒼生はええっ――と裏返った声を上げた。

「ミナ! 〈チーム・RYU〉のリーダーの俺様とそう簡単に別れられると思うなよ!?」

 〈チーム・RYU〉。蒼生は瞬時に思い出す。どこかで見た顔だと思えば、成程、組織のリーダー、りゅう本人だったのである。というか、そういうことは最初から教えておけ――と蒼生はジト目でミナを睨む。

 しかし、彼らの噂を聞く限りでは、弱小チームと馬鹿にされている組織のはずだ。二十四という若さでチームリーダーをしている人望の高さは尊敬に値するが、そこまで焦る相手でもないだろう。実際、女一人に振られただけで組織のメンバーを引き連れてくるほどの奴である。本物の馬鹿としか言いようがない。蒼生はそう思いながら、彼らを見渡す。

 竜を入れて十五人。この人数で襲い掛かられると、ミナを守りながら戦うというのは少々厳しい。恐らく彼女に危害を加えることはないのだろうが、攫われでもしたら厄介である。

 ならば。

「こんな人数で、自分に勝てるとでも思っているのか?」

 蒼生は見下すように男達に言葉を投げ掛けた。

 挑発して、ここにいる全ての奴らの意識を自分に集中させるしかない。そう判断してのことだった。

 案の定、男達はざわついて敵意を剥き出しにしてくる。

「チッ、余裕ぶっこきやがって! お前ら! 全員であいつに掛かれ!」

 竜の単純な考えなしの命令に、〈チーム・RYU〉のメンバー全員が蒼生に向かって駆け出した。

「ちょ、ちょっと大丈夫なの!?」

「あんたは下がってろ!」

 ミナの叫びに蒼生は見向きもしないでそう告げて、懐から短い棍棒を取り出した。鉄製のシンプルなものだが、一振りすると地面から腰くらいの長さへ瞬時に伸びる。これが蒼生の得物である。

『おりゃあああ!』

 先頭の数人が蒼生の周辺を囲むように襲い掛かってくる。彼らの手には鉄パイプやら短刀やらが握られている。

 蒼生はまず、前方から迫ってくる男の腹に棍棒を素早く突き出した。

 大して鍛えていないブヨブヨな肉の感触が棍棒から伝わってくる。男は低い呻き声を上げ、その場に倒れ伏す。

 そして突き刺した勢いを反動に、左へそのまま棍棒をスイングさせる。

「があ!?」

 それは蒼生を取り囲むもう一人の男の腹にヒットする。そのまま男は吹っ飛ばされ、三人の男に体当たりをしながら、彼ら諸共倒れ込む。

 瞬間、背後に殺気。

 すぐに体を捻りながら、振り切った棍棒を後ろへと突き出した。

「どほおぅ!?」

 予想外にもその棍棒は、鉄パイプを振り上げている男の股間を直撃していた。蒼生は苦々しく舌打ちをする。

「後で殺菌しないと!」

 結構、潔癖症だったりするのだ。

 それを見た〈チーム・RYU〉の男達は一瞬怯むが、すぐさま蒼生に立ち向かっていき、蒼生はドッタバッタと大乱闘を繰り広げ、次々にその男達を倒していく。

 気付けば、残るはあと二人――というところで、

「いい気になるなよ、てめえ!」

 先程まで傍観していた竜がナイフを振り上げ、蒼生に向かって駆け出してきた。

 蒼生は体勢を整えて、竜を迎え撃とうとする。

 が、しかし。

「どわあ!?」

 竜は驚き慌てた声を出し、思いきり前へと倒れ込む。

 躓いたのだ。間抜けにも程がある。

 その拍子に、竜の握っていたナイフが思わぬ方向へと物凄いスピードで放たれた。

 蒼生達の乱闘を茫然と眺めていたミナの顔面に向けて――

「きゃあ!?」

 まずい!――

 振り返って、ミナへと駆け寄る。

 間に合わない――蒼生が思ったその瞬間。

 ミナの前に黒い影が現れた。ナイフがミナに届く直前、そのナイフが影に囚われる。

 影の正体は蒼生がよく知る人物だった。

「よお、蒼生。お前もとうとう、女のために戦うようになったか」

 よく通る低い声が、辺りに響き渡る。

「せ、征哉さん……」

 蒼生は驚きながら、その名を呼ぶ。

 黒髪短髪の、長身の男だった。切れ長の目を細め、口の端を歪めながら面白そうに蒼生を見据えている。

 蒼生が所属する〈チーム・SEIYA〉のリーダーである。

 彼の手には竜のナイフが握られていた。

「ほ、本物の征哉……!? やば、超カッコイイ……!」

 ミナは興奮したように征哉を見つめる。

「い、言っときますけど自分、仕事ですから! しかもその女はこの竜の恋人で……!」

 蒼生は大声で、征哉の言葉を言い訳がましく否定する。それを聞いたミナが、元よ、元!――と付け足した。

 クックッと笑って、征哉は蒼生に歩み寄る。

「何だ、つまんねえ。昨日の仕事で女に目覚めたんじゃないのか?」

 やはりこの男も共犯か――蒼生は忌々しそうに視線を送る。

 すると、竜が倒れたままの体勢でガバッと顔だけ持ち上げた。

「お、おい、お前ら! 俺を無視してんじゃ……」

 瞬間、彼の頬を掠めてナイフが地面に突き刺さる。

 征哉が持っていた、竜のナイフだ。

 ひいい!――と、彼は情けない悲鳴を上げる。

「悪いな、竜。とりあえずストーカーはもう止めとけ。これ以上続けんなら、オレが相手してやるぜ?」

「ぐっ……わ、わかった」

 あっさりしすぎだろ――自分の時との竜の反応の違いに、蒼生は心の中で突っ込んだ。

「というか征哉さん。依頼の内容、知ってるんじゃないですか」

 蒼生の言葉に、征哉はただニヤリと笑って返すのみ。

 そして彼は後ろを振り返り、ミナに顔を向けた。

「どうだ、ミナ? お前もこれでいいか?」

 いきなり征哉に名前を呼ばれ、ミナは緊張したように背筋を伸ばす。

「は、はいっ! もう全然っ! ばっちり!」

 どうして征哉と自分とでは、相手の態度にこれ程までの違いが出るのか。

 蒼生はこめかみに手を当て、溜息を吐く。

「んじゃ、これでお前の依頼は終了ってことで。竜、少しオレに付き合え」

『ええ!?』

 蒼生と竜の声が重なった。

「こいつに何の用があるんですかっ?」

「それはこれから説明するさ」

 征哉はそう言って、不敵な笑みを浮かべたのだった。

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