学園編・2
花瓶が落とされるという事件が起きてから二週間、天宿学園では不穏な事件が立て続けに起きていた。
教室の窓が突然割られたり、階段で生徒が突き飛ばされたり、体育館倉庫に閉じ込められた生徒もいた。どの事件も偶発的に起きたとは考え難いものばかりだったのだが、犯人は未だ見つかっていない。どれも大事に至っていないことだけが唯一の救いだった。
「最近、不況だよなー」
朔がベッドの上で、まさに不景気な顔をしながら呟いた。
「不況って、お前。そりゃあ神様のおかげで不況の嵐だけど、学園の今の事態は不況とは言わんだろ」
何か難しそうな本を読みながら、奈津雄が突っ込む。由綺はその二人のやり取りを複雑な心境で見ていた。
場所は寮内の朔の部屋である。
天宿学園の寮は基本、二人部屋なのだが、朔と奈津雄は実力行使でそれぞれ一人部屋を持っていた。当然、朔は『俺と一緒に愛の巣を作ろう!』と由綺を誘ったのだが、身の危険を感じた由綺はそれを拒否し、助け船を出してくれた奈津雄の部屋に世話になることにした。今は暇な時間を持て余し、朔の部屋へ遊びに来たというわけだ。
転校してきてから二週間経ち、由綺はかなり学園に慣れてきていた。今ではすっかり朔と奈津雄と三人組を形成している。問題児だと思っていた二人は確かに問題児ではあったのだが、クラスの中では中心になることが多く、他の生徒から相談を持ち掛けられることもよくあった。由綺はまだ短い期間ではあるが、二人が非常に友達思いで頼りになる存在だということを知ったのだ。
そんな二人と仲良くなれて由綺は光栄に思う。
ただ、朔には未だ辟易することがあるのだが。
「どうでもいいよ。それよりも由綺! 気分を盛り上げるために、俺とデートしない?」
こういうところに辟易するのだ。
「遠慮するよ」
しかし二週間も経てば、さすがに由綺も手慣れてくるというものである。朔の誘いをキッパリハッキリ断った。
思いきりわかりやすく落ち込んで、枕に突っ伏す朔。
補足しておくと、朔は別に男色家ではない。とにかく綺麗な人に弱いのである。男でも女でも、気に入るとすぐに告白してしまうらしい。しかし奈津雄によれば、その告白が成功した試しはないそうである。そして、朔がこれ程までに執着した人間は由綺だけだとも付け足した。
由綺はそれを光栄に思っていいのかどうか判断に困ったが、朔のことは友人として、あくまでも友人として好きなので、あまり深く考えないことにした。
「だけど、このまま現状を放ってはおけないよな」
奈津雄の呟きに、由綺は長い睫を伏せる。
彼の言うことは尤もだと思う。このままいけば、もっとエスカレートしていくことを由綺は知っている。クラスの生徒達も、朔と奈津雄に相談を持ち掛けていた。犯人を捜し出してくれと。
しかしそれでも、由綺は言えなかった。言いたくなかった。今の楽しい生活を壊したくなかった。
突然、朔がむくりと顔を上げる。
「よし、犯人を捜そう!」
由綺はその言葉に身を震わせ、奈津雄に視線を投げ掛けられる。その視線に耐えられなくなった由綺は、何か言おうとする奈津雄を遮るように、
「嫌だ」
と、言い放った。
朔と奈津雄が驚いたように由綺を見つめる。
「だって、危険だよ」
由綺に真っ直ぐ視線を向けられた朔は、そうかもね――と戸惑いながら弱弱しく答えた。
「……まあ確かに。それに僕達がやらなくても、先生達が必死に目を光らせてるみたいだしね。おかげで寮を抜け出して遊べなくなっちゃったけど」
奈津雄はそう言って犯人探しに興味を示すことなく、再び本に目を通す。
「そうなんだよなー、由綺をゲーセンに連れてってやりたいのに。いつか絶対、連れてってやるからな!」
朔もいつもの調子を取り戻し、犯人探しの件については特にそれ以上触れてこなかった。だから由綺は、ほっと胸を撫で下ろした。罪悪感だけを心に残して。
しかし翌日。事態は急変する。
「お前ら、何バカなこと言ってんだよ!」
朔の怒鳴り声が教室中に響き渡る。
「……本当のことなんだから仕方ないだろ」
生徒の一人がそう言って、由綺を睨み付けていた。他にも数人の生徒が同じように由綺に視線を送っている。
「階段で突き飛ばされた事件が起きた時も、倉庫に閉じ込められた事件が起きた時も、そのすぐ傍で、皆そいつを見かけてるんだ!」
大袈裟にそう言って、由綺を指差す生徒。
「偶然だろ!? だいたい階段での事件が起きた時、由綺は俺達と一緒にいたんだ! そうだよな、奈津雄!」
「ああ、そうだよ」
奈津雄が由綺を庇うように前へ出てくる。由綺はただ黙って、他人事のように事の成り行きを見守っていた。
今朝、三人はいつものように登校し教室に入ったのだが、そこにはクラスメイトの数人が待ち構えたように佇んでいたのだ。
由綺はこれまでの事件の犯人だと疑われていた。事件が起きた所々で、由綺の姿が目撃されているらしいのだ。
「そんな目立つ容姿なんだから、見間違えるはずないだろ」
小馬鹿にしたように由綺を見る生徒達。
結局、こうなってしまうのだ。転校したからって何が変わるわけでもない。ただ自分の家族と、以前の学園の生徒に危害が及ばなくなっただけなのだ。いずれは朔と奈津雄にだって危害が及ぶかもしれない。
自分にはどこにも居場所がない。いてはいけない存在なのだ。
そう思うと、途端に由綺は自分が恥ずかしくなった。
周りの皆を危険に晒すことがわかっているのに、いつまでも朔と奈津雄に甘えて、自分の居場所を守ることに必死になって。
――自分のことしか考えられない愚かな人間。
「おれ……!」
由綺は最後まで告げず、教室を飛び出す。
朔の呼び止める声が聞こえたが、由綺は構わず走り出していた。
「最低だな……自分」
曇天の中、由綺は一人公園のベンチに座っていた。
寮に戻る気もしなかったので、学園の外の一番近い公園まで無我夢中で走ってきたのだ。
まだ朝も早いせいか、もしくはこの天気のせいか、誰一人この公園にはいなかった。
これからどうしよう――
由綺は空を見上げて憂鬱になる。今にも雨が降り出しそうだった。
泣きたい。
そう思った瞬間、寒気が由綺を襲った。嫌な気配を感じたのだ。
恐る恐る公園の入り口に顔を向ける。
そこには、一人佇む少年がいた。
由綺と全く同じ姿の少年が。
「……く、来るな!」
怯えながら大声で叫んで、ベンチから立ち上がった。
〈もう一人の由綺〉は、ただ無表情で由綺を見つめ、佇んでいる。
「もう、おれから……離れてくれ……!」
一筋の涙が、頬を伝う。
〈もう一人の由綺〉は一向に動く気配がない。
由綺は涙を拭い去り、彼に背を向けて逆方向に走り出そうとする。
「由綺!」
その時、朔の声がした。
振り返ると、公園の入り口にはすでに、〈もう一人の由綺〉の姿はなかった。
代わりに朔が姿を現す。由綺は反射的に逃げようと走り出すが、朔の足には敵わなかった。
問答無用で腕を掴まれ、抱きしめられる。
「って、ちょっと朔!?」
驚く由綺の声と同時に、バシッと重い音が響いた。
「あだ!?」
朔が頭を抱えて、しゃがみ込む。
「お前はこんな時まで何をしてるんだ、アホ朔!」
どうやら奈津雄の運動靴の片方が朔の頭を直撃したようである。
「ふ、二人とも……何で……」
茫然と呟く由綺に奈津雄はふう、と思いきり溜息を吐いて、
「何でも何も、普通追いかけるだろ」
と眉間に皺を寄せながら言った。
「そうだよ、由綺! あんなに思いつめた顔して急に走り出すんだから、驚いたぜ!?」
すっくと立ち上がって詰め寄る朔。
由綺は大きな瞳をますます大きく見開いて、ごめん――と茫然としながら呟いた。
「だいたい由綺にはアリバイがある。先生だって証人になれる事件もあるんだから、クラスの奴らの言うことは気にするな。皆も事件続きで苛立ってるだけなんだ」
奈津雄も近くに歩み寄り、地面に落ちた運動靴を履いて、由綺の肩をポンと叩く。
「奈津雄の言う通りだ! 由綺が気にすることじゃないって!」
由綺は嬉しかった。本当に嬉しかった。
こんなに必死になって二人が自分を追いかけて来てくれたことが。
でも。
由綺は、違うんだ――と首を振った。
それを聞いて困惑する朔と奈津雄。
このまま隠し通すのは無理だ――由綺は覚悟を決めて、二人を真っ直ぐに見据える。
そして、言った。
「今までの事件は全部――おれの責任なんだ」




