組織編・1
蒼生は疲れていた。
別に運動して疲れたとか人生に疲れたとか、そういうことではない。
精神的な疲労である。
彼の目の前には、少々恰幅のよい女性が一人。年齢は三十代後半から四十代前半といったところだろうか。厚化粧で羽振りのいい豪奢な服装に身を包んでいる。
どうしてこうなったのか、蒼生はこの女性宅で、彼女と二人っきりでお茶を飲んでいた。
「あなた、顔は中の上……いえ、中の中ってとこだけど、いい体してるわねえ。あとはもう少し髪の色を明るくしたら、よくなると思うわよ? そんな暗いブラウンより、そうねぇ……」
蒼生は乾いた笑いで、彼女の話を聞き流す。
騙しやがったな、あの人達――
顔には辛うじて出さないが、心の中で目一杯、悪態をつく蒼生。しかしそれは目の前の女性に対するものではなく、別の人物に対するものだ。もちろん好き放題、自分のことをとやかく言っている女性にも苛立っているのは事実。もうかれこれ数時間以上、目の前の女性と話をしているのだ。
このままでは切りがない――
「あの……ご婦人。自分はそろそろ、帰らせていただこうかと……」
この現状についに耐え兼ねた蒼生は、できるだけ腰を低くしながら女性にそう切り出した。しかし彼女は蒼生の腕に掴まって、
「あら、やだ。今夜はずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
「ええ!?」
上目遣いで見つめられ、顔が真っ青になる。
「だぁって、そういう依頼だったでしょう?」
彼女は甘い声で詰め寄ってきて、人差し指で蒼生の体をなぞるように触れていく。
「ふふ、本当にいいカ・ラ・ダ。鍛えてるのねぇ。あなたいくつ?」
魔性の女さながらの笑み。背筋に悪寒が走った。
「……に、二十三……です」
若干、目に涙を浮かべながら、蒼生はか細い声を出す。
女性は、若いっていいわあ――と恍惚とした表情になると、彼女の人差し指が徐々に下方に進められ、蒼生の服の端をそっと捲り上げ始める。
瞬間、蒼生は立ち上がり、
「しっ、失礼しましたあ!!」
「え……ちょっと!?」
言うが早いか、裏返った声を出しながらその場を後にした。
女性宅をダッシュで離れ、蒼生が向かったその場所は。
廃墟と化した古めかしい建物だった。幽霊でも出そうな雰囲気である。
その周辺は閑散としており、他にも多数の廃墟が立ち並んでいた。人といえば、廃人らしき人間がチラホラと見受けられる程度のみ。
蒼生は躊躇うことなくその廃墟に足を踏み入れ、ずかずかと奥へ進んで行く。
中はぼやけた色の電灯で照らされていた。どうやら電気は通っているようである。
奥に進むと、広いリビングに出た。
そこには大きなソファとテーブルが置いてあり、そのソファには長髪の男が一人座っていた。テーブルの上には何やら大量の資料が乱雑に並べられている。
気配を感じ取ったのか、その長髪の男がこちらを振り返った。
「おや、蒼生君じゃないか。お帰り」
三十代半ばに見えるその男は、爽やかな笑顔で迎え入れてくれた。しかし、その笑顔の裏にはいつも計算が含まれていることを蒼生は知っている。
「『お帰り』じゃないですよっ、壮一さん!」
男――壮一は蒼生の怒声に、はて、と首を傾げた。そして、ああ――と言って何かを思い出したように手を叩く。
「帰りは確か、明日の予定だったよね。どうして帰ってきたんだい?」
「どうしても何もないでしょうがっ!」
「ははは。嫌だなぁ、蒼生君ってば。少し落ち着きたまえよ」
青筋立てて怒る蒼生にも、壮一は全く怯む様子を見せない。
「あれ、蒼生くんだ! お帰りなさい!」
突如、背後から掛かったその声に振り向き見てみると、十二、三歳くらいだろう少年が廊下からひょっこりと顔を出していた。
金髪がよく似合っている色白の非常に可愛いらしい少年だ。
「ああ、美影君。聞いてくれるかい? よくわからないんだけど、蒼生君が怖いんだよ」
壮一は心にもないことを少年――美影に言った。
「ええ? 何があったの、蒼生くん!」
美影は驚いた表情で傍に駆け寄ってくる。
それを見た蒼生はがっくりしながら深い溜息を吐いた。美影が本当に純粋な瞳で見つめてくるから、何だか怒っている自分が馬鹿らしく思えてしまったのだ。
もちろん、壮一はそれを見越して美影に話を振ったに違いない。とんだ策略家である。
「……征哉さんはどこですか?」
蒼生は問い詰めることを諦め、不満気な顔をしたまま辺りを見回す。
「征哉君は仕事で出掛けているよ」
まあ予想通りの返答だった。
征哉とは、蒼生、壮一、美影の三人が所属する組織〈チーム・SEIYA〉のリーダーのことである。
今回の件に関して蒼生は、壮一とその征哉という男が仕組んだことだろうと予想している。しかしどうせ征哉がいたところで、壮一以上に問い詰めることが厄介な人間だということも嫌というほど理解しているので、大人しく自分の部屋へと引っ込むことを決断した。
「自分、部屋に戻るんで……」
そう言って退出しようとすると、壮一から待ったが掛けられる。
「蒼生君。仕事、きちんと終わらせたんだろうね?」
ぎくりとして口籠る。
壮一の顔は笑っているが、目は笑っていない。
「もしかして、逃げ出してきたのかな?」
「じ、自分はご婦人宅のただの護衛だと思ってたんですよ!? それがアレって、こっちが聞きたいくらいで……」
「つまり、逃げ出したんだよね?」
容赦のない壮一の一言。
その言葉に、蒼生の首が項垂れる。すみません――と覇気のない口調で謝った。
「まあ、今回はお得意様じゃなかったからよかったけど。仮にもお客様なんだから、その辺はうまくやってもらわないとね」
騙されたのはこちらだというのに、何故自分が謝らなければならないのだろうかと、蒼生は納得がいかない。
彼らはいわゆる〈何でも屋〉のような仕事を引き受けて生計を立てている。今回のような金持ちのご婦人の遊び相手は特殊な依頼で、主な内容は用心棒、または運び屋などといった裏の仕事がほとんどである。
「がんばって、蒼生くん!」
美影の無邪気な笑顔が妬ましい。
ちなみに美影には基本、仕事は請け負わせていない。まだ子供ということもあるし、あまりこういう世界に引き込みたくないと思った蒼生の独断からである。壮一とリーダーの征哉もまあ、とりあえず納得してくれた。
美影にはいずれ、明るい世界で生きてほしい。そう思ってのことだった。
本来なら蒼生自身も、このような場所にいる人間ではなかったのだ。
――あの〈神様〉が、独裁者になるまでは。
理由はわからない。気付いた時には見守るだけの神様が、いつの間にか独裁者として人間達の前に現れたのである。
十五年前、神様は忽然と姿を消した。そしてその五年後、神様は人間の精鋭部隊を作って独裁者という地位を確立していた。
それからというもの、世界は大きく変わってしまった。
神様の言うことは絶対であり、供物として多くの金品を神様へと捧げなくてはならなくなった。当然、貧富の差が大きく開き、自殺者も年々増えていた。
自分のことしか考えない、非常に浅はかで幼稚な君主なのである。いつまでもこんな横暴なやり方で、世界が続くわけもない。
その結果、それに反乱しようという人間達も出てきた。
蒼生が所属する〈チーム・SEIYA〉が、その中で最初に立ち上がった組織なのである。
それに続けて他も組織を作っていったのだが、成す術がないというのが現状だった。
神様は脅威的な軍事力を持つ精鋭部隊を形成しているのだ。その隊員は人間ではあるのだが、神様の力によって普通の人間よりも強い力を備えていたのである。
蒼生はその精鋭部隊に家族を殺されていた。父親が肩をぶつけたという、たったそれだけの理由で一家惨殺に発展してしまったのだ。
でも、蒼生は生き残った。殺される直前、征哉に助けられたのである。
彼は精鋭部隊と同じような、不思議な力を持っていた。軽くその隊員を返り討ちに遭わせてしまったのだ。
そして、誘われた。
『オレのところに来い』
切れ長の目が特徴的な黒髪短髪の青年だった。
異性であれば誰もが魅かれてしまいそうな整った顔立ちと、異質な雰囲気を放つ彼から目が離すことができなかった。
蒼生は躊躇うことなく頷いた。
その頃すでに壮一は征哉の組織に入っていて、実質上のまとめ役となっていた。美影は蒼生が組織に入った後、ある日突然、征哉が連れてきたのだ。どういった経緯があったのか、蒼生は聞かされていない。ただ美影は征哉をかなり敬慕していた。『征哉さま』とまで呼んでいる。いや、呼ばせているのかもしれない。美影をパシリと言ってもおかしくない扱いをしているし、征哉ならばやりかねないと蒼生は思う。
とにかく〈チーム・SEIYA〉は蒼生を含め、たった四人の組織なのである。他の組織は最低十人はいるところばかりなのだが、メンバーに関しては征哉に主導権があり、蒼生は社交性が薄いほうだったから正直助かっていた。
そして、彼ら組織同士の対立も結構あったりする。特に仕事上での争いだ。神様への対抗手段を持たない組織の連中は、蒼生達と同じような仕事を請け負っており、とにかく生きることだけに必死になっている状況なのである。
蒼生はベッドに寝転がって天井を見上げた。こびり付いた黒いシミ。最初は気味が悪いと思っていたそれも、七年の月日が経てばただ汚いという感想しか出てこなくなった。
いつまでこんな生活が続くのだろうか――
蒼生はいつもそんなことを考える。別に神様を倒したからと言って、今さら元の生活に戻れるとも、戻りたいとも思わないのが事実だ。きっと生活は今より楽になるとは思うのだが。
そしていつもその考えは、最終的に征哉に至る。彼には不思議な力がある。精鋭部隊をあんなにも簡単に倒してしまったのだ。その力が何なのか征哉は語らないし、彼の過去も一切聞いたことがない。
性格だけは、嫌というほど思い知らされているというのに。
そしてそんな力を持っているにも関わらず、一向に神様に対抗しようという気配が見えない。まあ、いくら不思議な力があるといえども、一人で対抗するには相手がでかすぎる。
一体、どうするつもりなんだか――
蒼生は枕に顔を埋めた。
とにかく今日は疲れた。今後は注意深く依頼を受けることにしよう。
そんなことを思いながら、蒼生は深い眠りへとついたのだった。




