学園編・1
「ここが、天宿学園……か」
とある一人の少年が、学園の校門前に佇んでいた。
彼の名前は、由綺。
その容姿はまるで美少年を絵に描いたような美しさだった。
女性のように長い睫。二重で大きな両の瞳。雪のように白い肌。そして、一つに纏め上げた腰まで届く艶のある黒髪。
しかし、その表情にはどこか翳りが垣間見える。だが、それも絵になってしまうのが美少年というものである。
「大きな建物だな……」
そんな美少年――由綺は、目の前にそびえる学園を見上げてポツリと呟いた。
天宿学園。全寮制の男子校である。エリート校とまでは言わないが、なかなか高い偏差値を誇っており、古い歴史のある学園だ。建物もそれなりに古くはなっているのだが、それがまたこの学園の荘厳さを際立たせていた。知名度も人気も高いので相当な学生数なのだが、由綺の言う通り、それに見合ったとても大きな学園だった。ちなみに寮は学園のすぐ隣に建っている。
由綺は見上げていた顔を下ろし、学園へと向かってゆく生徒達に視線を移す。
時刻は朝の八時を少し過ぎた頃。登校中の生徒達である。
全寮制であり、その寮は校門の向こう側に建てられているので、もちろん由綺がいる校門から学園へと向かう生徒は一人もいない――はずなのだが。
「やっべーよ、おい、やっべーよ!」
妙に焦ったテンションの高い声が、背後から聞こえてきた。
由綺はその声に驚いて、勢いよく後ろを振り向く。
「ぶへっ」
すると間の抜けた声が足元から発せられた。
見れば、由綺と同じ天宿学園の制服を着た赤毛の少年が一人、物の見事にズッコケていた。顔から思いきり転んだらしい。
しかしすぐに少年はその体を起こし、かと思えばそのまま俯いてしゃがみ込んでしまう。
打ちどころが悪かったのだろうかと心配して、少年の顔を覗き込もうとすると、
「……ああああ! 俺の、俺のメガネがああああ!」
突如、少年が叫び出す。彼の手には、ぐにゃりと変形した黒縁眼鏡が握られていた。
「…………あ、あの……大丈夫?」
戸惑いながらも少年に声を掛けると、彼は「へ?」と涙目で由綺を見上げてきた。
「……………………」
暫しの沈黙。
少年の頬がぽっと、ピンク色に染まった気がした。
「う、美しい…………」
「…………………………はい?」
少年の言葉に、思わず目を点にする。
瞬間、ガバリと立ち上がった少年は物凄い勢いで手を掴み取ってきた。
「あの!! 俺は朔って言うんだけど君の名前は何だろう!?」
由綺は彼――朔の若干おかしな言語とテンションに、「あの」とか「その」としか返せない。
熱い眼差しで見つめられて困り果てていたその時、朔の背後から人影が現れる。
「こんのアホ朔がー!」
大きな声と共に、スパーンと景気のいい音が響き渡る。
「あだっ!?」
朔が頭を押さえて、再びしゃがみ込んだ。
その後ろには栗色の髪の、これまた天宿学園の制服を着た少年が佇んでいた。何やら教科書のようなものを丸めて手に持っている。それで朔を殴ったことは一目瞭然だった。
「ったく。僕を囮にするとは、お前もだいぶ賢くなったじゃないか」
「な、奈津雄……」
朔は相変わらず涙目で、いや、すでに涙を流しながら少年の名を呼んだ。
少年――奈津雄は、はあっと怠そうに溜息を吐くと、不意に由綺に視線を移す。
「……ん? あんた誰」
元々キツイ目つきなのか、奈津雄の射るような視線に少し畏縮する。
「えっと……おれは由綺。ここの……転校生なんだ」
由綺は人と話すのがあまり得意な性格ではない。しかし嫌いというわけではなく、寧ろ友人を欲していた。自分の容姿のこともあって周りから敬遠されがちだったという理由もあるのだが、とある事情によって友人が一人もいなくなってしまったのだ。
だから、全てをやり直すつもりでここに来た。
勇気を出して発した言葉の反応を緊張しながら待っていると、奈津雄はその細い目を見開いて、由綺をまじまじと見つめてきた。
「へえ、転校生? 随分とまあ……顔の整った奴だな」
由綺はその言葉に曖昧に笑い、よろしく――と言い掛けて、
「マジで!? 転校生!? あ、あ、あ、あの! 君って恋人いる!? よかったら俺と……!」
ズバンッと先程よりも大きく重い音が響き渡る。
「がはっ!?」
朔の頭を奈津雄の鞄が直撃していた。地面に倒れ込む朔。
「こいつアホなんだ。放っておいていいよ。職員室、案内しようか?」
由綺は、そんな二人のやり取りにどう反応していいかわからず、
「あ、ああ……じゃあ、お願いしようかな……」
奈津雄の言葉に素直に頷くしかなかった。
気絶した朔を放っておき、由綺は奈津雄に連れられて学園内へと足を踏み入れた。
学園の中は、かなり年季の入った雰囲気だった。壁が煤けているのが大きな要因である。
由綺は奈津雄の案内で、職員室へと向かっていた。すれ違う生徒から受ける物珍しいものを見るような視線を少しでも紛らわせるため、由綺は奈津雄と話そうと向き直る。
「えっと……奈津雄達って、寮生じゃないの?」
「は? 寮生だよ。だってここ全寮制だし」
当然のように返される。
「いや……朝、校門から来てたから」
由綺の言葉に奈津雄は、ああ、それもそうだよな――と納得したように頷いた。
「まあ何だ。昨日、ちょっと夜遊びが過ぎちゃって。気付いたら朝だったんだ」
一体、どんな夜遊びをしていたというのだろうか。
由綺はどちらかというと真面目な気質なので、夜遊びというのはしたことがなかった。
「あいつ――朔に付き合うといつもこうなるんだよ。その癖、今朝は僕を囮にしやがった」
「囮?」
不貞腐れたように話す奈津雄に、首を傾げる。そういえばさっき、そんなことを言っていたような気もする。
「ちょっと強面のオジサン達に絡まれちゃってさ。朔の奴、『遅刻する~』とかほざきながら、僕を置いてさっさと一人で逃げやがったんだ」
「へ、へえ……奈津雄もそれでよく無事に逃げられたね……」
唖然としながらそう言うと、まあね――と少し自慢気な顔で奈津雄が返事した。
まさかこの学園は彼らのような学生ばかりなのだろうかと、少し不安になってくる。
すると、少し前を歩いていた奈津雄の足が止まった。
「ここが職員室」
まさに〈職員室〉というプレートが掲げられている扉を、奈津雄は人差し指で指し示す。
「あ、ありがとう」
少しどもりながら礼を言うと、
「同じクラスだといいな。んじゃ」
そう言って、彼は由綺に背を向け去って行く。その何気ない一言が嬉しかった。
そして由綺は、緊張しながら職員室へと入っていった。
「これはもう! 運命でしかない! そうに決まってる!」
昼休みの時間になり、ご飯を買いに行こうと由綺が席を立つと、突然目の前に今朝出会った朔が現れた。彼のテンションは、すでにどこかにイッている。
由綺のクラスは、奈津雄が望んだ通りのものになった。担任に連れられて教室に入るとすぐに奈津雄と目が合い、軽く笑ってアイコンタクトをしてくれた。そのおかげで、転校初日で不安だった由綺の心もだいぶ軽くなった。だが授業の合間の休み時間中、由綺はクラスの生徒達から多大な質問攻めに遭い、やはり目を引く容姿だからか、男子の中でも注目の的になってしまった。そのため、席が離れていた奈津雄とは一言も話せていなかった。
また朔の姿は教室では見当たらなかったので、違うクラスだったのかと思っていたのだが。
今、目の前に彼がいるのである。由綺の隣の席に鞄を置いて。確かにその席は朝から空席ではあったが、教師達が出欠を取っても欠席は一人もいなかったし、朔の名前も呼ばれることはなかったはずである。
「そこって……朔の席、なの?」
「ああ! 愛しの君が俺の名を呼ぶその声が! 俺のハートを鷲掴……!」
バフッと突如、白い粉が朔の頭上を舞う。彼の赤毛が白く染まった。
「アホ」
朔の後ろには、黒板消しを持った奈津雄が突っ立っていた。
「うおおおお! 奈津雄、お前なに人の頭に黒板消し叩きつけてんだ!」
「いや、アホだから」
憮然と言い放つ奈津雄に朔は、アホアホ言うな!――と髪をはたきながら文句を言う。
ふと由綺は、朔が掛けている黒縁眼鏡を凝視した。
「あれ、その眼鏡壊れたんじゃ……」
今更の質問に、朔はすぐさま満面の笑みに切り替わり、
「いやあ、ちょっと弄ったら直っちゃって!」
そんなものなのか――由綺は呆気に取られる。というよりも、レンズのほうは大丈夫だったのだろうかと思っていると、
「どうせ伊達だから」
「まあ伊達だけど」
「ええっ、伊達なの!?」
奈津雄と朔の言葉に、思わず大声で突っ込んでしまった。
「男だって、着飾ることは必要さ。まあでも君の美しさの前では、これもただのガラクタでしか……」
バフンッと二度目の奈津雄の黒板消し攻撃が、朔の頭に直撃する。
「うおおおお! だからお前! やめろっつの!」
「それよりさ、昼飯食べようよ」
頭をはたく朔に見向きもしないで、奈津雄は由綺に声を掛ける。
「あ……うん!」
「おお! じゃあ、俺達の最高のスポットをご案内しようじゃないか!」
頷いた瞬間、朔は由綺の手を引いてダッシュで教室を飛び出した。
「ええ!? ちょ、ちょっと!?」
あまりに素早い行動に足が縺れそうになる。
しかし朔はそのまま物凄いスピードで廊下を走り出し、いくつもの階段を駆け上る。由綺は息を切らしながらも懸命にそのスピードについて行く。というよりも手を引かれているので、ついて行かざるを得ないのだ。
そしてようやく辿り着いたその場所は。
雲一つない青空が広がっていた。
何のことはない。ただの無人の屋上だった。
「ここ、俺と奈津雄専用の場所なんだ」
朔がニッと笑みを浮かべて言った。
「せ、専用?」
「そ! すっげー性格悪い上級生が占領してたから、奪い取ってやったんだ!」
由綺は何となく朔と奈津雄の学校での立場を理解しつつあった。
結構とんでもない二人に関わってしまったのかもしれない――由綺は思う。
「いや、しっかし! まさか同じクラスで席まで隣だなんて! 俺、思わず鳥肌立っちゃったよ!」
由綺の手を握りしめたまま、朔が興奮したように話し出す。
どうやら本当に由綺と同じクラスで、あの空席が朔の席らしい。あとは何故朝、彼と出会ったにも関わらずクラスにいなかったのか、また出欠を取られていなかったのかなどの疑問が浮かび上がるわけだが、由綺はそれよりもまず先に彼に言いたいことがあった。
「あの、手離してくれない?」
「イヤだ」
即答される。
「わかってると思うけど……おれ、男だから」
至極尤もなことを口にする由綺。
朔はその言葉に目をキョトンとさせる。
「それが?」
その反応に由綺は戸惑った。今の言葉で全てを察してほしい。それとも今までのは、ほんの冗談だったのだろうか。確かに本気で言ってるようには見えなかったかもしれない。
しかしそんな淡い期待も、次に発せられる彼の言葉で完璧に打ち砕かれた。
「人を好きになるのに、性別って関係あるの?」
真顔だった。
由綺は悟る。彼は本気だ――と。
「言ったろ、そいつアホなんだよ。放っておけって」
その時、背後から声が掛かった。振り向くと、大量の菓子パンを両手に抱えた奈津雄が突っ立っていた。
「俺はアホじゃないし、当然のことを言ったまでだ」
朔は踏ん反り返って威張るように言った。
「それは一般常識じゃないっての。……よっ、と」
両手の菓子パンを地面に置いて、好きなの食べなよ――と由綺に促す奈津雄。
「え、それどうしたのっ?」
「クラスの連中から奪ってきた」
「へえ……って、ええ!?」
「なかなかいい反応だな、由綺!」
驚く由綺の背中を叩いて、朔が笑い出す。奈津雄もつられて笑い出した。
「まあ、半分冗談だよ。転校祝いってことで貰ってきただけだから、気にすんなって」
半分冗談ならば、それは脅迫してきたということなのではないだろうか。
由綺は困惑するが、奈津雄から有無を言わせずパンを手渡されたので、ありがたく頂くことにする。朔もようやっと手を離してくれた。
「そういや朔。お前、また保健室にでもいたのか?」
あんぱんを頬張りながら、奈津雄が切り出す。
「ああ、うん。だって昨日、徹夜だったじゃん? ベッドで思いっきり寝てきた」
メロンパンを頬張りながら、それに答える朔。
「ふ、二人とも、徹夜したの?」
チョココロネを頬張りながら、二人の会話に呆れる由綺。
「あ、今度由綺も連れてってやるよ! いいゲーセン知ってんだ! しかもタダで遊べるんだぜ!」
成程、夜遊びとはゲーセンのことだったのかと納得する反面、その『タダで』という言葉には、きっとまた何か裏があるに違いないと由綺は確信していた。
「奈津雄は寝なくて平気なの? っていうか、朔は何で出欠取られてなかったの?」
朔の言葉を聞き流し、由綺は続けざまに疑問を口にする。
奈津雄はそれを聞いて、僕は元々不眠症なんだよ――とあくびをしながら答えた。
「そんでもって、朔はいつものことだから。席も先生達はわかってるし、いなければサボりだと決めつけてるんだよ」
奈津雄の言葉に、朔はへへっと何故か照れ笑いを浮かべる。
由綺はこの二人の関係性をどこか羨ましく感じていた。確実に学園の問題児だろうとは思うのだが、そこは問題ではない。お互いをよくわかり合い、遠慮することのない間柄に魅力を感じたのだ。
「二人は仲良いんだね」
由綺は自然と笑みが零れた。
朔は頬を赤くさせる。それは由綺の言葉に照れたというよりは、由綺の笑顔に見惚れたという感じである。奈津雄は呆れたように溜息を吐き、不本意ながらね――と呟いた。
「ところでさ、散々された質問だろうとは思うんだけど、由綺は何で引っ越してきたんだ?」
奈津雄の質問に、由綺はどきりとして表情を暗くする。彼の言う通り、クラスでもその質問をされ、『家庭の事情』という理由で適当に答えておいたのだが、何だか目の前の二人にはきちんと自分の事情を話したい、そう思ってしまう自分がいた。だけど話したら、二人も自分から離れてしまうかもしれないという不安もある。
以前の学園の友人達と同じように。
「由綺?」
朔が由綺の様子に疑問を持って、顔を覗き込む。
その時。
校庭のほうから生徒達の騒がしい声が聞こえてきた。
「な、なんだ?」
朔が振り返って、校庭を見下ろす。
人が集まっているのは、校庭ではなく学園の真下だった。由綺と奈津雄も朔に続いて見下ろした。
どうやらどこかの教室の花瓶が落下したらしい。はっきりとは見えないが、それらしき破片や花が散らばっている。近くには生徒が一人うずくまって、大勢の生徒が駆け寄っていた。どこか怪我をしたのかもしれない。
まさか、あいつが来たのか――
由綺は焦りながらその周辺を見回す。
違う、きっとただの偶然だ――
不安を抱きながらも、必死に自分に言い聞かせる。
「あ……」
――だが、見つけてしまった。
校庭の隅にある大きな木の下で。
由綺と同じ、黒髪の少年を。




