穢れる神
「誰が由綺だ、馬鹿」
思いきり蔑むように罵倒する征哉。
由綺はただ唖然とその姿を見つめていた。
彼は神様のほうへゆっくりと歩み寄っていき、途中、倒れた蒼生に顔を向ける。
「ったく、一人で勢い込んで突入してこのざまかよ」
鼻で笑って蒼生を見下ろす。
蒼生は低い呻き声を出しながら、その視線と目を合わす。
「征哉さん……」
立とうとするが、力が入らず立つことができない。
蒼生が何か続きを口にしようとしたその時、
「い、今のってどういうこと!? ……いて!」
向かい側に倒れていた朔によって遮られた。壁に打ち付けられた体に痛みが走り、蒼生と同様、立ち上がることができない。
「つまり、由綺は元天使で……さっきの〈由綺〉って奴は、由綺に似てるけど……」
奈津雄も同様に痛む体を抑えながら、混乱している頭を整理しているようだった。
征哉は盛大に溜息を吐いた。
「面倒臭えなあ。お前、全員に記憶見られたのかよ」
呆れるように言う彼の視線の先には、白く光輝く神様がただじっと立ち尽くしていた。
征哉の言う通り由綺だけでなく、蒼生と朔、奈津雄の三人にも神様の記憶が流れ込んでいた。
神様が独裁者となる元凶の記憶を。
彼女はただ無言のまま、感情のない瞳を征哉に向けている。
「待って由綺! 神様に何を――」
「お前、それ以上オレをその名で呼んだら、ぶん殴るぞ」
征哉の一睨みに、由綺は言葉を呑み込む。
「しかもさっき言ったろ? 『殺しに来た』ってな」
その言葉に、無言だった神様がクスリと笑みを零した。
「本当に、私を殺せるのですか?」
瞬間、天使が一斉に神様の周りに集い出す。由綺の姿を模した天使も、元の光の球体へと戻っていた。
そして赤、青、黄と、様々な光を放ったそれは、瞬時に姿を変えていく。
〈由綺〉の姿へと。――子供の頃の征哉の姿である。
「……そんなにオレが好きなのか?」
「ふざけるな!」
神様の怒声に、征哉は片眉をピクリと吊り上げる。
彼女は一人の天使を自身の胸元へと引き寄せて、
「私が愛した人間は〈由綺〉なのです。他の誰でもない、ただ一人の〈由綺〉」
天使の頬を撫でながら、恍惚とした表情を浮かべる神様。
その姿は、見る者を圧倒させる美しさがあった。
「……何か、すごい逆ハーの上、その神様も綺麗って反則すぎる……」
「……この状況でお前、本当にアホだな……さすがの僕も、尊敬するよ……」
朔と奈津雄が痛みに苦しみながらも、場違いな軽口を叩き合う。
征哉は再び盛大に溜息を吐き、
「気持ち悪い」
神様に向けて、はっきりそう口にした。
「確かにオレは、その〈由綺〉とは別人として生きてる。だがな、そいつはオレの一部だ。勝手に量産して弄ばれるのはいい気がしねえな」
「弄んでなどいません」
「そこだけ拾うな」
二人は見えない火花を散らしながら睨み合う。
蒼生はそのやり取りに、口を挟まずにはいられなかった。
「……美影はっ、お前にとって……何だったんだ!?」
できる限り声を張って、神様を睨み据える。
しかし彼女は、蒼生を一瞥しただけで答えようとしない。
征哉がニヤリと笑う。
「やっぱ、ただの面食いのショタコンか」
彼女はギロリと征哉をねめつける。
「じゃなきゃ、オレとダブらせたんだな」
「お前は〈由綺〉じゃない……!」
征哉は一歩、前へ出る。彼女は無意識に後ろへと後退する。
「美影も〈由綺〉じゃねえんだよ」
「っ!」
怒りを湛えた征哉の表情に、彼女の表情が大きく歪む。
その時、騒がしい声と共に大勢の足音がこちらへと近づいてきた。
「精鋭部隊か……!?」
蒼生が唇を噛んで呟くと、
「な!? お前ら!?」
先頭にいたのは竜だった。精鋭部隊を粗方片づけて来たのだろう、後から続々と組織のメンバー達が神様のいる広間へとやって来る。
「丁度いい」
呟いた征哉は彼らに手のひらをかざすと、そこから白い光線が発せられる。
その光線を受けた彼らは、何だ何だと慌て出す。
「お前ら、そこのうじゃうじゃいる天使を倒せ」
ざわつく彼らだったが、それ以上に神様が驚きの声を上げた。
「あの人数に〈天使〉を屠る力を……!?」
「お前も、もっと頭を使ったほうがいいぜ?」
頭を人差し指でコツンと叩き、征哉は得意気に言ってみせる。
焦燥した様子の彼女は、行きなさい!――と、天使に向かって号令する。状況を察した組織の面々は、野太い声を発しながら天使と相対する。
「ゆ――征哉!」
由綺がはっとして征哉を振り向き、騒ぎに紛れるように彼のもとへ駆け寄った。
「神様を、殺すのっ?」
見上げるその瞳には、未だ涙を浮かべている。
「……神様は、心の奥底では後悔してる! あの人は、本当はとても優しくて、温かくて……!」
「それで?」
冷徹に言葉を紡ぐその声の主は、由綺に顔すら向けなかった。
「だ、だから……!」
「ああなった神を、お前が元に戻せるとでも?」
由綺は俯く。元凶の一端である彼に答えられるわけがない。
「お前もわかってるんだろ? あいつとずっと一緒にいたんだからな。もう戻れないとこまで来てるんだよ、あいつは」
征哉は歩みを進める。
戦いへと集中する神様に向かって。
由綺は顔を上げて、その後ろ姿を真っ直ぐに見つめた。
征哉は彼女に触れた時、たくさんの神様の記憶が流れ込んだ。だから神様のことを、由綺と同じくらいよく理解しているはずだ。
あの〈美しい女の姿〉を選んだ時から。
彼女は神であることをやめたのだ。
「神様は戻れないんじゃない。――戻りたくないんだ」
由綺の言葉に、征哉は足を止めて振り向いた。
「わかってんじゃねえか」
ニヤリと笑うその表情は、由綺が恋した〈由綺〉とは似ても似つかない。でもやはり、面影くらいはあるものだ。
彼に任せよう――
由綺が征哉に微かに笑みを見せると、彼は止めた足を再び動かした。
「随分と余裕がなくなったな」
気付けば征哉が、すぐ隣に佇んでいた。
身長が高い彼は、華奢な姿をした神様を面白そうに見下ろしている。
未だ〈天使〉と組織の人間が戦っている中で、彼女は気が気でなかった。
「あれがお前の最後の駒か」
「黙れ」
できる限り虚勢を張る。征哉は、ふうん――と相変わらずな調子で、顔を覗き込んでくる。
妖艶な笑み。
目を合わせたくはなかったのに、自然と征哉の瞳とぶつかった。
こんなに間近で彼の顔を見たのは十五年振りだった。あの日以来、彼は〈天使〉を避けていたし、彼女自身も彼を見るのが恐ろしかったから。
何故、恐ろしいのだろう――
神を屠る術を、彼が知っているかもしれないから。
本当にそうだろうか――
彼女は自問自答する。
不意に征哉が笑った。まるで小馬鹿にしたように。
顔が熱くなった。
違う。違う違う違う。
彼が自分の記憶を持っているから。全ての思いを知られているから。
一人ぼっちの自分を彼に知られることが、嫌だった。彼にだけは知られたくなかった。
「お前さ、まだオレに惚れてんだろ?」
「っ!?」
彼女は言葉を失くす。
「何驚いてんだよ。こんな城まで作って最悪な世の中にして、由綺にくだらない苛めをして、美影に纏わりついて」
征哉は彼女から顔を離して、再び見下ろす体勢になる。
「何でオレに何もしない?」
何を言っているんだ――
「お前はオレが怖いんじゃない。無視されたくなかったんだよな? オレの気を引きたかっただけなんだろ?」
「違う!」
「どうだかな。昔の〈由綺〉が好きとか言っておきながら、毎日毎日、オレのことばっか考えてたんじゃねえのか?」
違う。違う違う違う……!
「お前が神? 女々しすぎて笑っちまうぜ」
「黙れっ!!」
彼女の叫びと共に、高く軽快な音が広間全体に響き渡る。
この場の全員が、二人に注目する。由綺に蒼生、朔や奈津雄だけでなく、戦っていた組織の面々に加え、〈天使〉までもが注目していた。
神様の右手が、征哉の頬を引っ叩いたのである。
「……オレにビンタを食らわしたのは、お前が初めてだぜ?」
彼女を横目で見やりながら、征哉はそれでも笑みを崩さずにそう言うと、瞬時に彼女の右手首を掴み取る。
「何を……!?」
彼の行動を理解できないまま、彼にされるがままとなり、彼女は腰を引き寄せられる。
気付けば目の前には征哉の顔。お互いの息がかかるほどに接近していた。
ごくりと唾を飲み込む音は、一体誰のものだろう。
切れ長の瞳が、彼女を捉えて離さない。何故か彼女の心が浮き立った。
このまま時が止まってほしい――
彼女は心からそう願う。しかし、それがどういう意味を示すことなのか、彼女は理解できていない。
瞬間、彼の瞳が閉じられる。
「っ!」
温かく柔らかい感触が、唇に伝わる。
口づけ――
彼女がそう認識した時にはすでに、征哉の体はすっかりと離れていた。
彼はポケットに手を突っ込んで、堂々と彼女を見下ろしている。
「本当はもっと穢してやってもいいんだが……生憎、お前はオレの趣味じゃない」
彼女はただ茫然と征哉の言葉を聞いていたが、途端に愕然とした。征哉の言葉の意味を理解したのだ。
穢された――
これが穢されるということなのだと、彼女は今初めて知った。
ならば、私がこれまで望んできたことは一体何だったのか――
その場にガクリと崩れ落ちる。
「どうだ、『かみさま』?」
征哉の言葉は耳に入っているのかいないのか、それでも彼は言葉を紡ぐ。
「このオレのキスは」
彼女は征哉を見上げる。ひどく不安定な表情で。
征哉はそれを見て、面白そうに、蔑むように、見下すように、
「死ぬほど痺れるだろう?」
そう告げた。
静寂が流れる。
それを破ったのは、神様だった。
彼女の表情は憎悪と恐怖、激高、悲嘆。全ての負の感情が混ざった恐ろしい形相へと激変する。
「……せいやあああああ!! きっさまあああああ!!」
悲鳴にも似た叫び。
「ぐっ……う、うああああああああああああああ!!!」
苦悶の声が鳴り響く。
彼女は征哉に手を伸ばす。しかしそれは意味を成さない、ただの無駄な足掻き。
白い光が彼女を呑み込み、一段と光り輝いた。
そして一瞬の内に、彼女はその光の中へと消えてゆく。
神様だった存在は、跡形もなく消滅した――




