甦る記憶
「一体ここは、どこなんだ!?」
パシンッと景気のいい音が、城内に響き渡る。
毎度お馴染みの奈津雄の突っ込み攻撃だ。今回はシンプルに手のひらで、朔の頭を叩いていた。
「お前のせいだろうが」
ジト目で睨む奈津雄にも、朔は怯えることなく頬を膨らまして、
「いやいやだってさ! 人間として当然の生理現象じゃん!? 仕方ないじゃん!」
大声で主張した。
そんな堂々と言うことでもないと思うんだけど――
由綺は呆れながら二人のやり取りを見守っていた。
広間で征哉達と出会った後、由綺達三人は急いでその後を追い掛けたはいいものの、朔が途中でトイレを発見したのだった。
『マジごめん! 我慢できない!』そう言って、トイレへ駆け込んで行った朔。彼が戻ってくる頃には、征哉達の姿は跡形もなく消えてしまっていた。
つまり、見失ったのである。
しかも二手に分かれた道があり、話し合いの結果、何となく右への道を進んだのだが、一向に征哉達に出会える気配はなかった。それどころか、敵の一人にも出会わなかったのである。
「道、間違えたのかもね……」
由綺がポツリとそう漏らす。
全く無関係な道に紛れ込んでしまった可能性は高い。
「そうだな、一旦戻るか」
「ええ~、今さら?」
朔はあからさまに不満気な表情になる。とはいえ奈津雄の言う通り戻らなければ、きっとどこにも辿り着けない気がする。
「おれも戻ったほうがいいと――」
由綺が言い掛けたその時。
視界の隅で、ふわりと浮かぶ光を見つけた。それはこの城内を照らしている白い光の球ではなく、薄い水色の白い羽をつけた天使だった。ふわふわと廊下の奥へと進んでは止まって、由綺を見つめてくる。
ついて来い――そう言われている気がした。
「……ごめん、おれについて来てもらえる?」
由綺は二人にそう告げた。
「え、何か見つけたの?」
朔が興味津々に聞いてくる。
「天使があそこにいるんだ。多分だけど、ついて来いって言ってる気がして」
「じゃあ、そうしよう。うまくすれば神様のところに連れ行ってもらえるかもしれない」
「よっしゃ、道が開けたぜ!」
二人は本当に前向きだな――由綺は感心しながら苦笑した。
下手をすれば、神様に嫌われている由綺を嵌めるための罠かもしれないというのに。というか百パーセントそうではないだろうか。
由綺は今になって、少し恐怖を感じてしまった。このまま突き進んで、何が待ち構えているというのだろう。それに対し、何ができると言うのだろう。
『由綺は理由を知りたくないのか?』
奈津雄の言葉が甦る。
その理由だけでも知ることができれば、何かが変わるかもしれない。
「由綺、俺達を案内してよ!」
朔と奈津雄が背中を押してきた。
そうだ、おれは一人じゃない――
このまま誰かに迷惑を掛けて生きるくらいなら、今に賭けよう。
「わかった」
由綺は頷き、天使の後を追った。
行き着いたその場所は、石の壁だった。
「行き止まりじゃん!」
がっくり肩を落として朔は項垂れた。
目の前の天使は、ふわふわとその場に留まっていた。
何がしたかったのだろうか――
というか、別について来いとか直接言われたわけでもなかったので、もしかしてただの早とちりかと由綺も項垂れる。
「あ」
すると、天使は壁の向こう側へと消えてしまった。
ますます項垂れる由綺。
「もしかして、天使がいなくなったのか?」
無言で奈津雄に頷いた。
その時。
轟音を立てて、目の前の壁が動き出す。
「な、何だ!?」
驚く朔の声も、壁から発せられる音でよく聞こえない。
石の壁が横へと移動しているのだ。
「隠し通路か……」
奈津雄が唖然と呟く。
開かれた通路のその奥に、一際輝く光があった。
由綺達は導かれるようにその通路へと足を踏み入れる。
入ってみると、大きな円を描いたような広間だった。ほのかに暖かさを感じる。
眩しいくらいの光を目指し、突き進む三人。あと数メートルという距離まで近付くと、その光の中に人影を見つける。
美しい女性だった。
金色の長い髪をたなびかせ、エメラルドに輝く両の瞳。年齢は幼いのか大人なのか、判断がつかない。
「あなたも来ていたのですね」
ピンク色の唇から言葉が紡がれる。しかし感情は見えない。
神様だ――由綺は当然のようにそう思い、彼女を仰ぎ見た。
「これが噂の神様かっ? すっげー美女」
「もうそれはいいっての」
小声で囁き合う朔と奈津雄だが、由綺の耳には届かない。
神様は目を細めて由綺を見据える。
「あなたを見つけてからは、すっかりと〈天使〉に任せきりにしていたのですが」
そう言って彼女は後ろを振り向く。
その視線の先には、由綺がいた。
長年、由綺を苦しめ続けた天使の由綺。
「あなたは、おれを知っているの?」
彼女はクスリと微笑んで、
「殺したいほどに」
とてもその姿からは想像できないような言葉を吐き出され、息を呑む。
「あの男と手を組んでいるのではないのですか?」
誰のことだろう。由綺は眉をひそめる。
「……違うのですね。ならば、あなたは何をしにここへ来たのです?」
由綺の反応に、スッと表情を隠して彼女は問う。
そこに朔と奈津雄が前へと歩み出た。
「もちろん、由綺へのストーカー行為を止めて貰うためだ!」
「あと、できれば理由も知りたいんだよね。何でこんなことをしたのか」
神様の表情が一気に冷めた気がした。
「あなたの『お友達』がいたのですね。〈天使〉の苛め方が足りなかったのでしょうか」
「なっ!」
朔が怒りを露わにする。
神様の尋常ではない様子に、由綺は慌てて二人の前へと出ようとして、
「うわ!?」
「く!?」
一瞬のことだった。朔と奈津雄が、壁際へと吹き飛ばされたのだ。
神様が片手を翳したそれだけで。
「朔! 奈津雄!」
由綺が泣き叫ぶように二人の名を呼ぶ。
神様は再び片手を掲げて、二人にその手を向ける。
その時、走り来る足音が響き渡った。
由綺達とは違う道から現れたその姿は、〈チーム・SEIYA〉のメンバーである青年だった。
「蒼生……でしたね」
神様が横目で彼を見た。不満そうな表情である。
青年――蒼生は、手にした長い棍棒を構えて、神様へと走り出す。
しかしこちらに近づいてくる直前に、蒼生は彼女の手によって簡単に吹き飛ばされてしまう。
「面倒ですね。まずはあなたの『お友達』から――」
「やめて!」
彼女の手が朔と奈津雄に掲げられる前に、由綺は両手を広げて前へと立ちはだかる。
「無駄です」
ブワッと強風が巻き起こる。由綺は飛ばされそうになりながらも、踏ん張って一歩も動いてなるものかと、神様を睨み付けながらその場に留まる。
「二人はおれが……守るんだ!」
由綺が叫んだその瞬間、白い光が広間全体に放たれた。
どこからか、声が聞こえる――
とても美しく、愛らしい声が――
おれはこの声を、知っている――
遥か遠い昔から――
十五年前、私はいつものように人間達を眺めていたのです。
たくさんの〈天使〉の目を通して。
人間達は一生懸命、仕事をしたり勉強をしたり買い物をしたり、皆忙しくも楽しそうに生活を営んでいました。
その様子を羨ましく眺めていた時、ある一人の人間に目が留まりました。
腰まで届く艶のある綺麗な黒髪を一つに結い上げた、幼い少年でした。色白なのですが頬は赤く、とても可愛らしく感じられました。けれども、どこか大人びた印象も見受けられたのです。
何故か私は、彼から目が離せなくなってしまいました。私はこれまで、それは大勢の人間達を見てきたのですが、こんなことは初めだったのです。
彼は一人、青々とした広い草原で寝転がっていました。
『ん? お前……』
私は驚きました。彼が私を見たからです。いいえ、正確には〈天使〉を見たのです。
人間に〈天使〉は見えないはずなのに。
『綺麗だな……』
彼はそう言って、〈天使〉に触れようとしました。けれども、実体がないのですから触れることなどできません。
『他の奴より、お前の光が一番いい』
私はまた驚きました。彼が言う『他の奴』とは、恐らく〈天使〉のことだと思ったからです。つまり彼には、全ての〈天使〉が見えているということなのです。そんな稀な人間が存在することを、私は知りませんでした。
誰なのだろう。名前は何というのだろう。私は知りたくて知りたくて堪りませんでした。
すると彼は、まるで私の心を読んだかのように、
『おれの名前は由綺』
そう答えてくれました。
由綺。由綺、由綺。
私は心に刻むようにその名を反復しました。
それからというもの、私は毎日毎日、由綺を目で追っていたのです。由綺を見つけた〈天使〉の目を通して。
彼はとても優しい笑顔を向けてくれました。たくさん話をしてくれました。
どうやら由綺は、家族を嫌っているらしかったのです。詳しい事情はわからなかったのですが、その家族の話をしている時の彼はとても暗く、まるで憎悪でも抱いているかのような表情をしていました。そんな由綺を見るのは、とても心苦しくて私は悲しくなりました。けれどもすぐに私を見て、彼は笑うのです。
もう由綺を見ているだけで、私は幸せでした。何故こんなにも彼に魅かれているのかわからないほどに。
でも、私はとても愚かだったのです。由綺がいつも見せてくれる優しい笑顔は、私に向けられたものではないのだと暫くしてから気付きました。彼は〈天使〉を見ていたのだと。そう思うと、もう居ても立ってもいられなくなりました。
私を見てほしい。〈天使〉ばかり見ないでほしい。
もうこの時の私は、由綺のことしか考えられなくなっていたのです。
その〈天使〉を籠の中に閉じ込めてしまいました。罪悪感はあったのです。〈天使〉の心も伝わってきました。
その〈天使〉も由綺に魅かれていたのです。
由綺に会いたい、会わせて下さい――
そんな心が、私の中に伝わってくるのです。けれども私は、由綺を独り占めにしたいという気持ちを抑えられなくなっていました。
それから暫く、私は他の〈天使〉の目を通して、遠くから由綺を眺めていました。
どうやら、籠の中に閉じ込めてしまった〈天使〉を探しているようでした。とても一生懸命に。彼の頭の中は、まるで〈天使〉のことで一杯という様子でした。
羨ましい、羨ましい。
――憎らしい。
由綺は当然、私のところを訪ねて来ました。
『神様……だよね?』
そう問われ、はい――と私は頷きました。
私の心は浮き立ちました。彼と初めて顔を合わせ、言葉を交わしたのです。
本当に美しい少年でした。
ああ、欲しい。彼が欲しい。
けれども由綺は、とても冷たい瞳を私に向けたのです。
『おれの天使、返して』
私は頭が真っ白になりました。彼の言葉が理解できなかったのです。いいえ、理解したくなかっただけなのです。だって彼が〈天使〉を探しにここまで来たということは、すでにわかっていたことなのですから。
でも『おれの天使』という由綺の言葉が気に食わなかったのです。
『あなたが好きなのです』
気付けば私は、そう口にしていました。
私は誰からも愛される存在。受け入れてくれる存在。私を拒む者など、誰一人としていないだろう。
そう思っていたのに。
『おれはあんたが嫌い』
彼の言葉は、私の心に深く深く突き刺さりました。
どうして? 何故? 私を拒むの?
こんなに好きなのに。愛しているのに。
受け入れては、くれないの?
『ねえ、早く。おれの天使、返して』
まるで私のことなどどうでもいいように、由綺は繰り返して言いました。
でもそう言われて、返すはずなどありません。
だいたい〈天使〉は私のものなのです。
それを自分のものだと言い張るこの少年は、なんとおこがましい人間なのか。
私を拒むなど、何様のつもりなのか。
私は神なのだ。
本来ならば、人間は私にひれ伏すべきはずなのだ。
ああ、憎らしい憎らしい憎らしい……。
そこで私は。
恐ろしいことを考えてしまったのです。
そうだ、この少年を殺してしまおう――と。
私は閉じ込めていた〈天使〉を解放しました。
そして、邪な力をその〈天使〉に注いでしまったのです。
由綺の姿を模した〈天使〉は、由綺に襲い掛かりました。私がそう仕向けたのです。
驚く由綺でしたが、何とかその〈天使〉を躱して、私のところまで駆け寄ってきたのです。彼が私に掴み掛かりました。人間に触れられたのは、初めてのことでした。
急に真っ白な光が私と由綺を包み込みました。
――駄目だ。
そう思った私は、彼を思いきり突き飛ばしました。
私は気付きました。彼――由綺に、私の記憶の一部と力を共有されてしまったのです。しかし、どんな力と記憶を共有されたのかはわかりませんでした。
私は彼を恐れました。だから由綺をもう一度〈天使〉に殺させようとしました。でも、もう遅かったのです。
彼は〈天使〉の目の前に立ちはだかりました。
『お前を、人間に生まれ変わらせてやる』
そう言った途端、由綺は〈天使〉と共に白い光に包まれました。
『おれの――由綺という名を授けて』
その光はほんの数秒で消え、〈天使〉も共に消えてしまいした。
彼は私のほうへ振り向きました。
私は彼が恐ろしくて恐ろしくて堪りませんでした。
だから、姿を消したのです。彼の目の前から。
もしも彼が、私を屠る方法を知ってしまったのなら。
逃げなくては。そして、守りを固めなくては。
彼が私に指一本、触れることのできないように。
だから私は――本当の神になることを選んだのです。
そうだ、おれは――天使だったんだ――
由綺は愕然とその場に膝を落とす。
神様の記憶が流れ込んだと同時に、由綺は全ての記憶が戻っていた。
天使だった前世の記憶を全て。
「神様……」
由綺は目の前に佇む彼女を、懐かしそうに見つめる。
「呼ぶな……!」
険しい表情で彼女は言う。
「お前はもう……私の〈天使〉ではありません!」
怒っているのに、悲しそうな声。
由綺は彼女の気持ちを知っている。彼女は孤独だった。ずっとずっと一人で孤独に生きてきたのだ。由綺達天使は神様がいるだけで心が満たされていたから、寂しいと思う気持ちなどこれっぽっちも感じなかった。
〈由綺〉を見つけた時、神様が彼に魅かれていることを、天使の由綺は知っていた。
だけど由綺も〈由綺〉という少年に魅かれていた。それは初めての感覚。神様と接する時とはまた違う温かさに、心が満たされた。〈由綺〉を見るだけで心が浮き立ち、どきどきしていた。
これが恋なんだ――
天使の由綺は気付いた。
しかしそれと同時に、神様が自分に悪意を向けていることにも気付いた。
でもこの気持ちは止められない。それは神様も同じだった。いや、神様の〈由綺〉への愛情は、とても深く強欲に満ちていた。
「ごめんなさい……神様……」
由綺の頬は涙で濡れていた。
孤独に打ち震えた彼女を、由綺も大好きだった彼女を、怒らせ悲しませてしまった。
由綺はひたすら『ごめんなさい』を繰り返す。
しかし神様の表情は由綺の言葉を聞く度に、ただただ憎悪に歪んでいくのみ。
「……何を謝罪しているのですか、お前は」
由綺の心を凍らせてしまうような冷たい冷たい声。
「〈由綺〉に恋したことですか? 〈由綺〉を奪ったことですかっ? それとも、〈由綺〉の名前を貰って呑気に人間として過ごしていたことかっ!?」
極限まで高まる彼女の感情。
由綺は人間に生まれ変わり、優しい父と母、少しわがままな可愛い弟に囲まれ過ごしていた。その時の由綺には、それが幸せかどうかなんてわからなかったけれど、傍から見れば極普通の幸せな家庭に映ったに違いない。それは神様にとっても同じだったのだろう。
つまりはそういうことなんだ――
由綺は全てを悟った。
神様が自分を恨む理由。それは当然の報い。
由綺は彼女を見上げる。
「神様……おれは、あなたに何をしたらいい? 何をしたら許してくれますか?」
嫌らしい笑みに変わる彼女を見て、全てがもう遅いのだと確信した。
それはもう遠い昔から。
いつからなのか、どこからなのか。
〈美しい女の姿〉を望んだ時から、何かが違っていたのかもしれない。
その時、由綺は背後に気配を感じた。
鼓動が高鳴り、息が上がる。
振り返ればそこに、彼がいた。
「殺しに来たぜ、『かみさま』」
タカのように鋭い視線を彼女に向け、彼は悠々と佇んでいる。
「由綺――」
涙で潤む瞳を見開き、由綺はそう呟いていた。




