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片付け(とは言っても散乱していた本を、本棚に沿って積んだだけ)が終わったフィフィは地下の部屋にいるのも飽きて、ここへ来た時に降りてきた階段を、今度は上がる。
消えていた階段の灯りは、フィフィが一段目に足をかけると再び灯った。
「この仕組みすげーよなぁ…」
昇りきり扉を開けると、背後で一瞬にして灯りが消えた。
「すげー…」
感動しつつも地下を出る。そして、来た時に見かけた通路の扉を、一つ一つ開けてみる事にした。念の為にあの書類は持っている。
一つ目の扉を開ける。
「………本棚?」
本棚が並ぶ部屋だった。
二つ目の扉を開ける。
「…台所?…埃だらけじゃねーか…」
もう何年も使っていない感じの台所だった。
三つ目の扉を開ける。
「…あいつ地下しか使ってないのか?」
またも埃だらけの部屋。小さな机と、椅子が数個置いてあった。
四つ目。
「わあ、廊下かよ…」
取り合えず閉める。
五つ目。
「……ただのだだっ広い部屋か?」
かなり大きな部屋だ。しかし調度品は何もない。ここも埃が積もっていた。
その次はもう、回廊を出る扉だったので、先程の廊下へ続く扉へ戻る。興味本位で廊下を進んでみる事にしたが、若干不安に思って扉は大きく開け放っておく。
廊下は必要性を疑うくらい短く、すぐに突き当たりの扉に行き当たった。
「また扉…」
ちらりと入ってきた扉を確認する。開いているのをしっかり見ると、目の前の扉の取っ手に手をかけた。
「っ!?」
まるで触れたのが分かったかの様に扉がひとりでに開いた。音もなく。開ききるとぴたりと止まった。扉から見える部屋は、いたって普通に見える。
「…………」
もう一度、最初の扉を確認した。
「………どうするかな…」
ここを止めたとして、あの地下へ戻ってもする事がない。かと言って先程の道筋にある部屋は埃だらけ。もう日も暮れるだろうから、回廊の外へ出ても兵士に不審がられるだろう。よって。
「行くか。暇だし。」
フィフィは未知の扉からの誘いを受け入れた。
部屋は大きめで、壁には大きな絵が沢山飾られていた。どれも風景画のようだが、あいにくフィフィは芸術に興味はない。部屋を見回すと、奥へ続くアーチがあった。扉はついておらず、閉じ込められる心配も無さそうだ。アーチから覗くと、そこはこぢんまりとした部屋であり、大きな扉の様な窓と、大きめの寝台が置かれていた。他には何もない。
窓へ寄って扉を開けた。
「……へぇ…」
視界いっぱいに広がるのは宵の空。藍色の空の下、地平線の際は暁色と水色の空がまだ残っている。そこだけ見ているとまだ明るさを感じるが、天を見上げればもう星が瞬いている。フィフィはこの、不思議な宵の空が大好きだった。
「良い場所だな…」
思わず頬が緩む。窓の外は充分な広さに張り出しており、フィフィはそこから下の様子を確認した。この部屋の外はどうやら中庭になっているようだ。今も見周りの兵士が見えた。
「…気に入った!文句言われる迄はここに居座ってやる!」
満面の笑みで一人頷き、良く整えられた寝台へ倒れ込む。寝台はフィフィを優しく受け止め、やがてその重さを受け入れる。
「あー…すっげぇ良い気持ち…」
目を閉じれば仄かに…植物だろうか。良い香りがする。手探りで自身の装備を確認した後、フィフィは速やかに睡魔に身を委ねたのだった。
その頃、またも城内を小さな子供が走っていた。しかしこの時のユンファの表情はとても慌てていた。行き交う大人達も少し心配そうだ。ユンファとすれ違ったリディオスは、たった今自分の主から聞いた事を思い出し、密かに溜め息をついた。
「まったく…我が主は物好きだな…」
「“しるべ”よ!主のもとへしもべをいざなえ!」
慌てて人物画に叫ぶと、絵の人物も少し心配そうに手を差し出し、道を通した。ユンファは道から走り出て主を探す。
「ニルさま!たいへんです!」
さっと見渡すが主の姿は見えない。とっくに主の就寝時間だと気付き、それでもたった今聞いた事を伝えなければと思い、ユンファは寝室の扉に駆け寄ってそっと叩く。
「ニルさま…おやすみしてるのにごめんなさい。どうかおきてください…」
縋る様な声に反応したのか、又はまだ眠りが浅かったのか、ニルはすぐに扉を開けてくれた。昼間は結わえている髪を下ろしていて、そうするとまるで女神のように見えた。
「…ユン…どうかしたの?転ばなかった?」
ふわりと顔を包まれて思わずうっとりしそうになるが、ユンファは一生懸命気を引き締めた。
「はい!大丈夫でした。それよりニルさま、たいへんです!」
幼い助手の切迫ぶりに、ニルは微笑みそうになるのを我慢する。
「一体何?落ち着いて話してごらんなさい?」
「は、はい…」
言われた通り、ユンファは落ち着きを取り戻す為に深く呼吸をした。
「…たった今へいかからの使いが来て…明日のごご、アスさまのじょしゅをしんさする“ごぜんじあい”をするそうなんです!」
(…そうきたのね…)
ニルは思わず舌打ちする。
(即刻解雇出来ないからって、もっともらしい理由を付けたのだわ…)
驚きと同時に怒りも湧いてくる。
(アシュリーの我が侭に悪のりしてるんだわ、あの方は…!)
「ニルさま…」
はっと我に返るとユンファが怯えた顔で見ている。
「あ…ごめんね…ユン。貴女に怒っているんじゃないのよ?」
そう言って抱きしめると、幼い手が縋り付いてくる。
「ちょっと…アシュリーにお仕置きしてやらないとね…」
物騒な言葉にユンファは慌てて主を見上げる。
「お、おしおきですか?」
「ええ、そうよ。あの馬鹿にはお仕置きというものが必要なのよ。誰もが甘やかすものだから、ああいうひねくれた性格になるのだわ…」
言いながら小さな頭を抱しめる。その時のニルの目がちっとも笑っていなかったのを、ユンファは見る事が出来なかった。
そんな事も知らず、フィフィは朝の眩しい光に目を覚ました。
「…まぶし……」
ぼそりと呟いて布団の中に潜り込む。そうすると完全に日の光が入らないので、安眠出来ると言うものだ。実に心地良い眠り。フィフィは満足そうに溜め息を吐くと、再び睡魔の誘いに応じた。
そんなフィフィが見当たらない事を、アシュリーは喜んでいた。
(宣告は必須だけど…御前試合までに見つかれば問題無し。慌てふためいてボロ負けしてくれれば文句無しだ!)
上出来、と呟いてうきうきと書類を進める。大魔術師といえど、仕事は魔術での応戦だけではない。国中の魔術に関わる問題と向き合わなくてはならないのだ。ペンを持つ手元にはウェスペルがいて、楽しそうに書類と主を見比べていた。が。
「!?」
急に部屋の温度が下がったような気がして、アシュリーは慌てて部屋を見渡した。
「あっ…」
あるものを見つけ、途端に青ざめるアシュリー。ウェスペルまでもがさっと耳飾りに逃げ込み、震えている。
「な…なに…?」
必死に平静を装おうとするアシュリー。だがそれも氷の女神には通用しない。
「一体どういうつもりなの?」
腕組みをして冷気を発するのはニル。穏やかな口調がさらに冷気を呼んでいる。そんな威圧感に、アシュリーの虚勢はあっと言う間にひびが入った。
「ど、どういうって、何が?」
目を見れず、しかしかろうじて椅子から立ち上がる。
「シラを切るつもり?貴方が彼女にしようとしている仕打ちよ。」
「仕打ちなんて…必要な事だろ?」
そんなに必要だとは思っていないのが、目を合わせず縮こまっている事でバレバレだ。
「助手がどうして御前試合をしなくてはいけないの?それも、負けたら即刻クビだなんて……」
「俺の助手が、ただのぼんくらじゃ困る。足手まといになるだけだし、迷惑なだけだ。そうだろ?」
「あら、じゃあ彼女が勝ったら助手は決定ってわけね?」
「そんなの、勝てるわけない。」
「……へぇ?」
しまった、とアシュリーは口を覆ったがもう遅い。ニルの目はひたとアシュリーを見据え、ちっぽけな罪悪感にぐさりと深く突き刺さった。
「勝てないって決まってるわけね。それをあの方に唆したわけ!」
そう言われ、アシュリーは必死に言い返した。
「ニルが言ったんじゃないか!体術を補うだろうって。だからそれぐらいの実力がなきゃ、絶対に認めないからな!」
意外な事にニルは反論しなかった。だが、次にした深呼吸がアシュリーの不安を煽る。
そして。
「…………分かったわ…」
低く唸る様な台詞。思わずごくりと唾を飲む。
ニルの抑えた態度に膨れ上がる不安。だが、それが分からない焦燥。
アシュリーは知らず、ニルを不安げに見つめていた。それを受け止めたニルが不敵な笑みを浮かべる。
「…今更そんな顔をしたって駄目。」
むっとして反論しようとしたが、先程とは違うニルの微笑に凍り付いた。
「節度が分からない悪い人には“お仕置き”よ。アシュリー」
——過去この言葉を聞いて、いい思い出になった試しがない。
ニルは凍り付いたアシュリーに一瞥をくれると、転移方陣を使わず、地下からの階段をずんずん昇って行った。
フィフィは心地良い微睡みの中にいた。ふかふかの寝台に、ふわふわの布団。静かな空間。
しかしそんな空間に何かが侵入してきたのを感じて、若干不機嫌になる。
(一体なんだよ?)
そう思っただけで、特に警戒はしなかった。
「起きなさい。フィアニス!」
(ん?)
凛とした強い口調。フィフィは僅かに瞼を持ち上げたものの、暗闇が現実へ向かう事を拒む。
(まあいっか。)
そんなフィフィに、女神の逆鱗が落ちたのは言う間でもない。
「起きろと言ってるのよ!」
「うわあぁっ!!?」
布団をはぎ取られただけならまだしも、身も凍るような冷気が一気に襲いかかってきたのだ。
「なっ…!?」
驚きに目を白黒させるフィフィに、ニルは容赦なく言い放った。
「午後から貴方は御前試合をしなければならないわ。そして勝たなければ駄目よ。」
「………はい?」
「返事は“はい”よ。何が何でも勝つのよ。もしくは方々に実力を認めさせなさい。いいわね。」
「待って下さい!なんの話ですか?」
「御前試合と言った筈よ?わたしが手を貸します。だから、勝ちなさい。」
「勝つって…あー、御前試合?って、俺が勝てるようなもんなんですか?」
一瞬止まった。
「…だから手を貸すと言っているのよ。」
「ほんと待って下さい。大体何の為に?」
嫌な予感がする。
「貴方の主の我が侭よ。後はそれを面白がっている方々の要求よ。」
「俺は恰好の暇つぶしですか。」
「自覚したなら良い事だわ。もう時間がないの。さっそくわたしの回廊へ来なさい。」
「いやいやいや!俺はしませんよ!?要するにたかがギルドの賞金稼ぎじゃ勝てない試合なんですよね?」
そう言ったフィフィに、ニルは真剣な面持ちで近付いた。そして、ゆっくりと言葉を発する。
「……いい?これはもう、決定事項なの。勝つ覚悟を決めなさい。勝てなければ貴方は…即刻クビよ。」
「………………は?」
「さ、行くわよ。」
「は!?」
「——アシュリー=ウィルレイユの力場において、我、ニルヴァ—ナ=ハディエスが道を紡ぐ。我は主の友なりて、誓いを共にするものなり。その誓約において我が力を許し給え——」
歌う様な魔術の声音。それに誘われて視界は揺らいでいく。
事をしっかりと噛み砕いている暇もなく、フィフィは強制的に移動させられたのだった。