ヴィーグとジルキスの暇つぶし。 前編
争いが治まった後、お休みをもらった王師団員、ヴィーグとジルキスのはた迷惑な暇つぶし。
「フィアニス様。もう何度目になりますか?」
「うっ…すみませ」
「何度目になりますか?」
謝罪も受けつけず、にっこりと、恐ろしくも愛らしい笑顔を浮かべるのはクルスティーユだ。戦争後はぐったりとしていた彼女も、一ヶ月も経てばしゃきっと復活している。そんなクルスに何ヶ月かぶりに礼儀作法の指導を受けているフィフィは、すっかり疲弊していた。
(だって…あの闘いよりクルス嬢の授業の方が疲れるし怖いだなんて…な。)
こわごわ下から伺うと、綺麗な瞳がすっと細められた。
「昼食は没収致します。」
「そんな!」
いつもならしぶしぶ頷くフィフィだったが、今回ばかりは噛み付いた。
「何を言われようと、没収は没収です。わたくしはニルヴァーナ様より指導を仰せつかっておりますから。」
「でも!今日はごちそうじゃないですか!」
そう。フィフィとクルスの目の前に置かれていたのは、どれもが涎が出る程のごちそうなのだ。
「なんで没収なんですか!?っていうかなんの為に用意させたんですか!?」
「フィアニス様。その調子ですと、アシュリー様にお頼みして、夕食も無しとさせて頂きますよ?」
「うぐっ……ど、どうして用意させたのですか…?」
言葉遣いを直すとクルスは満足そうに笑った。
「それはもう、フィアニス様の、この度の苦労を労って…」
「じゃあ俺が食べなきゃ意味ないじゃないですか!」
「フィアニス様?」
真顔で小首を傾げられると、目力が半端ない。
「うぅっ…!わ、私の為に用意して下さったのなら、私が…」
「確かにフィアニス様のためにご用意致しました。ですが、今は授業中です。」
「…クルス嬢…!」
縋るように見つめるが、クルスはにこりと微笑んで言った。
「ですから、いつも通り…言葉遣いを間違われたフィアニス様の昼食を、没収致します。」
「………!」
フィフィの視界は真っ暗になった。
(はあ〜………)
お腹を抱えて廊下をとぼとぼ歩く。俯いた視線が上げられない。
(あんなに美味しそうだったのに…)
閉じた瞼の裏に浮かぶのは、きらきら輝くごちそう達だ。香り立つ匂いまで覚えている。
(クルス嬢……容赦ねぇ…)
恐ろしい人だ。あの綺麗な笑顔は悪魔だ。ニルは冷え冷えするが、クルスの笑顔はこちらの意見は聞いて貰えないという絶望感がある。
(うう…ごちそう…)
「フィアニス様!」
じめじめした空気を纏ったフィフィに声をかけたのは、すでに見知った顔だ。周りを行き交う人々がぎょっとしてフィフィを避ける中、声をかけたのと、もう一人、フィフィに駆け寄ってきた。
「よう、ヴィーグ。ジルキス。」
力無くフィフィが声をかけると、二人は顔を見合わせて訊ねた。
「どうされました?」
「具合でも悪いのですか?」
「………具合じゃねぇよ…ごちそうが…」
「「ごちそう?」」
不思議そうに首を捻る二人に、さっきの出来事を話すと笑われた。
「あははっ、恐ろしい方ですねぇ、そのお嬢様は!」
「フィアニス様をここまで弱らせるとは…面白い方ですね!」
「お前ら……」
怒る気力もない。
「そういやお前ら、なんでここに?」
王師であるヴィーグとジルキスが主に過ごすのは城の二階。アシュリーやニルの回廊があるここ、五階までくる事は滅多にない。不思議そうにするフィフィに、二人は顔を見合わせてにやりと笑った。
「魔術師の友人がいるもので。ちょっと面白い魔薬を。」
「面白い魔薬?」
魔薬。魔術効果のある薬。
(…そんなの、何に使うんだ?)
魔薬と言われて思い浮かべるのは、身体能力を一時的に上げるものだ。あとは、特定の魔術に一時的に耐性をつけるとか。
「そんなの何に使うんだ?」
お腹を抱えて弱っているフィフィに、二人の口元がもっとにやりと吊り上がった。
「是非フィアニス様に試して頂きたいと思いまして!」
元気よく言ったのはヴィーグだ。
「俺に?」
「ええ!是非!」
「………」
眩しい二人の笑顔が、うさんくさい。ものすごくうさんくさい。
「要らねぇよ。エウェラがいるし。」
「まあまあフィアニス様…」
宥めるようなジルキスの声音が魅惑的な響きを持った。
「ごちそう、奢りますよ?」
「!」
はっと見開かれたフィフィの目には、ヴィーグとジルキスが天使に見えた。
(はっ、駄目だ!こいつら絶対ろくでもない事企んでるな…)
慌てて気持ちを切り替えた。
「い、いい。食堂行くからな。じゃ。」
そそくさと歩き出したフィフィの両脇を二人が固める。
「いいんですか?俺たち料理人の友人もいるから、そのお嬢さんが用意させたのと同じものを用意出来ますよ?」
「…………」
ヴィーグの囁きをフィフィは無視する。
「滅多に食べられないごちそうですよね?好きなだけ食べられるようにしますよ?」
「…………っ」
ジルキスの囁きもフィフィは無視する。
「「…………」」
もっとぐだぐだ言ってくるかと思いきや黙り込んだ二人に、フィフィは思わず顔を上げた。
「少しくらい協力してくれてもいいじゃないですか。」
つまらなそうに二人に睨まれ、フィフィは瞬きした。
「なんの話しだよ。」
「俺たち今日は休みなんです。陛下が戦争の苦労を労って、下さったんですよ。」
「はあ…で、それとこれとなんの関係が?」
首を傾げるフィフィに、ヴィーグが楽しそうに笑う。
「暇だから、賭けをしようと言う事になりまして。」
「…賭け?」
それと自分と魔薬と、なんの関係があるのだろうか。不思議そうなフィフィにジルキスが言った。
「ええ。フィアニス様が女になったらそそられるかどうか、です。」
「…………」
瞬きして、フィフィはふっと笑った。
(しょうもねぇな…。)
第一、今。フィフィは女体であるのだが。
(ここって怒るところか?)
だが、この二人に気付かれていないのには正直ほっとする。
「あ、そ。」
それだけ言って足を速めるフィフィに、二人は同じく足を速めてついていく。
「だから、飲んでみて下さいませんか?」
「女の身体ですよ〜?自分じゃ触り放題ですよ〜?」
(あほだ…こいつらあほだ。)
自分で自分の身体触って何が楽しいんだ。
「それってつまり。その魔薬は性別変えるって事だろ?」
「「その通りです!試作品ですが!」」
にっこり笑顔で今、怖い事を言ったような。
「………試作品?」
性別変わるだけなら飲んでやってもいいか、とちょっと考えていたフィフィは、危険な台詞にぴくりと反応した。
「はい。性転換の魔薬は調整がなかなか難しいらしく、成功品が出来るのは稀だそうです。」
至極真面目にジルキスが言うと、ヴィーグも真面目な顔で言う。
「でも飲んでみないと成功しているかどうか分からないそうですよ。」
「…………」
それは、つまり。
「それが安全かどうか分かんねぇって事じゃねぇか!」
「「まったくもってその通りです。」」
「そんな危ないもん飲めるか!」
叫んで二人から逃れようと小走りになったフィフィを、当然二人が追う。
「大丈夫ですよ!失敗していても数日寝込むとか、ちょっとオカマっぽくなるくらいだそうですから!」
叫ぶジルキスにフィフィも叫び返す。
「絶対飲まねぇ!寝込むならまだしも中途半端は嫌だ!」
「フィアニス様なら可愛いですって!今も中性的じゃないですか!」
叫ぶヴィーグに叫び返しながら、フィフィは全力で走り出した。
「ふざけんな——————ッ!!」
もはや、食事どころではない。
その頃。
アシュリーは争い以来籠っていた自室から久しぶりに外へ出て、リディオスの部屋でのんびりお茶を飲んでいた。
「……————————ッ!」
「……?」
よく聞き慣れた声が聞こえた気がして視線を窓へ移す。
「どうした?」
問いかけたリディオスに返事をしようとして、窓の向こう、五階の廊下を全力疾走するフィフィが一瞬、見えた。
(…何やってるんだ?)
ぱちくりと瞬きするアシュリーに、リディオスがケーキを差し出す。
「食べるか?」
「…うん。ありがと。」
アシュリーにケーキを差し出しておきながら、リディオスが食べるのはキッシュだ。
「相変わらず甘いの駄目か?」
「美味いと思わん。」
それだけの会話を済ませ、二人はのんびりお茶を楽しむ。すでにフィフィの事はアシュリーの頭から消えていた。
「はあっ……、はあっ……」
フィフィは物陰に隠れていた。全力で五階から一階に逃げたフィフィは、追い縋る二人を巻くため、鍛錬場をちょこまか走り回って協力を求めた。
ルキセオードを信頼尊敬している兵士達は快くフィフィを匿ってくれているが、ヴィーグとジルキスはあまりに暇なのか、全力でフィフィを追いかけている。
(りょ、猟犬みたいだな…!このままじゃやばい…)
「フィアニス様———!」
「っ!」
どきっ、と心臓が飛び出そうになるが、必死に気配を押し殺す。
「逃がしませんよ!」
(こえぇっ!)
二人が遠ざかるのを確認して、フィフィは再び逃げ始めた。
(ルキ…!ルキに匿ってもらおう…!)
空腹と恐怖で涙目だ。この状況でなんとか手を貸してくれそうなのはルキセオードだけだった。アシュリーは興味ないし嫌がるだろうし、ニルは面白そうだと放置されそうだし、クルスはこんな三人に目を吊り上げて怒りそうだ。
(ルキ!鍛錬場にいなかったから部屋か!?)
二人に見つからないよう、こっそり素早く移動する。時々遠くに二人の声を聞きながら、フィフィはなんとかルキセオードの部屋へと辿りついた。
「ルキ……!ルキ!」
なるべく小声で、辺りを警戒しながら扉の中へ声をかける。すると、まさしく救世主の声が耳に届いた。
「フィース?」
(良かった!いた!)
今度は喜びに涙目になりながら、フィフィは扉に縋り付いた。
「頼む、助けてくれ!中にいれてくれ!」
「?…今、開けます。」
がちゃりと扉を開かれ、フィフィは扉につられて部屋の中へと倒れ込んだ。
「フィース!?」
「し——っ」
「っ…」
声をかけたルキセオードに慌てて顔を上げ、さっさと勝手に扉を閉めた。ついでに勝手に鍵も閉めた。
「フィース?一体どうしたんですか?」
鍵をかけた事を不思議に思いつつも、ルキセオードはそれを許してくれたらしい。
「ちょっと面倒な…」
いいかけて、フィフィの視線はテーブルの上で釘付けになった。
「…フィース?」
そこには、美味しそうな食事が。
「……食べますか?」
困惑気味にルキセオードが訊ねると、フィフィの目が涙を零しそうなくらい潤んだ。
「食べていいのか!?」
「…え、ええ。あ、俺の食べかけですから新しいものを」
「いや、いい!そのままで!」
今あるものを食べられるだけで幸せだし、新しく用意してもらってあの二人に嗅ぎ付けられるのも厄介だ。
「しかし…」
「食べていいんだろ!?」
もうちゃっかり席について、ナイフとフォークを持っている。そのきらきらした目を見て、ルキセオードは思わず笑った。
「フィースがそれでいいのなら、どうぞ。」
「いただきますっ!」
ぱくっと頬張る。と、幸せの肉汁が口の中いっぱいに広がった。
(ん―——っ幸せ!)
食べ物ってなんて素晴らしいものだろう。とフィフィは食べ物達に感謝した。