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フィフィはレイフィスの援護の為、走り回って魔物の動きの邪魔をする事にした。その為にはいつも通りの足の速さでは到底遅い。だから、エウェラの力を借りる事にした。
(えっと…足が軽くなるように…)
想像して、魔物へと矢をつがえて走り出した。足がとても軽い。それでいて自分の想像内の感覚だから勢いがつき過ぎるという事もない。
(よっし!ほんと、エウェラには後でお礼しないとな!)
斬り掛かるレイフィスを避けて、魔物が跳躍する。それ目掛けて矢を放つ。矢は三本の光の矢となってその身体へ向かうが、魔物が尾を一振りすると弾かれてしまう。しかしそれでいいのだ。止めを刺すのはフィフィの役目ではない。
「――穿て、雷光!」
レイフィスから魔物が離れるや否や、アシュリーが魔術で攻撃する。レイフィスへ攻撃する魔物の動きをフィフィが邪魔をする。それでも、魔物はなかなか倒れず、致命的な一撃は与えられずにいた。
(早くしないとレイフィス陛下が…)
魔物が遠ざかる度に堪えきれず腕を降ろしている姿が辛い。
(どうしたらいい…?どうしたら…)
『仕方ないわね。』
「エウェラ!?」
走り回るフィフィの頭に大精霊の声が響いた。呆れているようにも聞こえる。
『貴女は頭が悪いし鈍感だから、今回は特別に力の使い方を一つ、指南してあげる。』
「色々余分だけど、頼む!」
しっかりと不平を言うフィフィに、エウェラが笑った気配がした。
『弓を引き絞ったら、鏃に力を溜めるようになさい。彼の身体の自由を奪う様を想像するのよ。』
「よし!」
『それから』
さっそく矢を弓に添えたフィフィに、エウェラが付け足す。
『アシュリーの魔術で上へ飛び跳ねた時を狙うのよ。いい?』
「上だな!任せろ!」
走りながら機を伺う。そんなフィフィを感じながら、エウェラはこっそり思っていた。
(私の加護を受けているっていうのに…それに頼らないところが、やっぱりいいわね。)
そう笑って、満足そうに頷いた。
フィフィは機を待たず、わざと魔物をレイフィスから遠ざけるように矢を放った。時折魔物が飛びかかってくるのをエウェラの力を借りて避け、アシュリーが狙えるように誘導する。始めは怪訝そうにしていたアシュリーもすぐに意図に気付いてくれたようだった。
(頼みます、アシュリー様!)
矢継ぎ早に射ると、魔物は鬱陶しそうにしながらも徐々に動きが制限されてくる。
(よし!)
アシュリーが事を起こす前に、フィフィは弦を引き絞った。
「――噴き上がれ、烈風!」
詠唱に合わせ、魔物の辺り一帯の床から、鋭い音をたてて風が噴き上がった。皮膚を切り裂くその風に堪えきれず、魔物が高く飛び上がる。
「フィフィ!」
アシュリーが叫んだ。それに答えて鏃を魔物へぴたりと合わせた。
「これでもくらえ!!」
限界まで引き絞った弦を解放する。飛び出した矢は鮮烈な輝きを放ちながら魔物へと一直線に向かった。
「レイフィス!」
思わず叫んだフィフィに答え、レイフィスが剣の柄を握り直し、魔物へと走り寄っていく。
『グアアァッ―――!!』
矢は、魔物の身体に突き刺さった瞬間、大きな衝撃音とともに爆破した。瘴気が噴き上がる背を庇いながらなんとか立とうとする。だが、必死に凝らした目に映ったのは――。
「黄泉へ落ちろ」
レイフィスが間近で、“拒絶”の霊剣を突き刺していた。
『アアァ――ッ…ぐっ、あ…』
霊剣は魔物の心臓に深く突き刺さっていた。そこから溢れ出る瘴気が徐々に治まってくると同時に、瘴気は血へ、魔物は男へと姿を変えていく。その様に、フィフィは思わず顔をしかめた。
(……もう、死んでる…)
レイフィスが剣を引き抜いた。男は恨み言の一つも言わず、モノのように、どさりと石の床へ崩れ落ちた。倒れたところから次第に血が、床に広がっていく。
「…………」
しばし無言で男の骸を見つめ、やがてアシュリーがレイフィスへ囁きかけた。
「陛下、霊剣を眠らせては?」
言われてレイフィスははっと我に返り、じっとりと汗の滲む額を拭った。
「ああ、そうだな…」
すっと刃へ指を滑らせ、その刃へ自身の血を塗り付ける。
「…我が血でもって深き眠りへ落ちよ…現を拒絶せよ。」
その言葉で、剣が纏っていた気配は消え去った。言葉の通り、深い眠りへ落ちたのだろう。レイフィスもほっと息を吐いた。
「大丈夫ですか?陛下。」
駆け寄って声をかけると、僅かに口元が緩められた。
「さっきは呼び捨てたろう。それで、いい。」
「えっ、あ、いや…だ、大丈夫ですか?」
なんと答えていいか迷って、結局触れない事にした。レイフィスは剣を鞘へ納めるとアシュリーへ視線を移す。アシュリーは側へ来ると、レイフィスの前に片膝をついた。
「……ご無事で、何よりです。」
言われてレイフィスは息を吐いた。
「…止めてくれ。皆無事で良かった。そうだろう?」
アシュリーとフィフィを眺め見て、レイフィスが歩き出した。二人は顔を見合わせて、小さく頷いてその後を追う。
「あとは女王ですね。」
フィフィが話しかけるとレイフィスは前方を見据えて頷いた。
「場所は、分かる。」
「え?」
驚くフィフィの隣でアシュリーが瞬いた。
「…それも血縁だからでしょうか。」
「…そうかも知れないな…それとも、“拒絶”のせいで些細な事も感じているだけかも知れん。」
男に誘われて進んできた道はもう消え失せていた。そこにあるのは明るい日が差し込む幅の広い廊下だ。今さっきまでの戦闘が嘘のように綺麗な景色だった。
『お母様…どうか泣き止んで下さい。この国が正常な形に戻ろうとしているのです。どうか、それをお認めになって…』
姫はそっと女王の肩へ手を伸ばす。だが、自分の夢に囚われているその身体には触れる事が出来ない。すり抜けた自身の手を見つめ、姫の目尻に涙が浮かんだ。
(お母様…)
顔を覆って嘆く姫の側で、女神が二人の様子を悲しげに見つめていた。
「姫!」
突然、玉座の間に元気の良い声が響き渡った。
「あそこだ。」
城の三階へ上がり進んでいくと、レイフィスが大きな扉を指差した。霊剣で心身ともに消耗しているレイフィスを見ると、何も言わず頷かれた。それで、フィフィは走り出す。その扉を力任せに押し開け、目に飛び込んできた人物に声をかける。
「姫!」
はっと上げた顔には、涙が光っていた。駆け寄ってその手をそっと取る。
「姫。もう大丈夫だよ。あいつはもういなくなったから…」
『…フィアニス様…』
遅れて玉座の間に入ってきたレイフィスとアシュリーを見て、姫はフィフィへ視線を戻した。
『本当に……?』
「本当。もう大丈夫だ。後は…」
フィフィの視線は女王へと向かう。
『お母様……』
姫は女王を見つめた後、フィフィの手を強く握り返した。
『まだ私の声は届かないのです。あの男はもういないのに…母は、夢から覚めてはくれないのです!』
「姫……」
大粒の涙が零れ落ちるのを見て、フィフィはアシュリーとレイフィスを振り返った。静かに歩み寄ったアシュリーが姫の側に膝をつく。
「レイシア王女。後は、レイフィス陛下にお任せしましょう。」
『あの方に……?』
「ええ。」
その視線がレイフィスへ向かう。女王の側へ膝をついて、レイフィスはそっと語りかけていた。
「あの方には、この国の血が流れています。」
『え…?』
驚いて見つめる姫に、アシュリーは微笑んで頷いた。
「ですから王女。…きっと、アーヴィ女王の目を覚まさせて下さいます。」
微笑んだアシュリーを見て、フィフィはつられて微笑んだ。
『…………』
姫は、どこか落ち着いた様子でレイフィスの後ろ姿を見ていた。
「アーヴィ女王?」
どこか懐かしいような声をかけられ、女王はゆっくりと振り返った。
「エイシャント国女王、アーヴィ様でいらっしゃいますか?」
その人は、穏やかで強い光を宿す目をしていた。
『……ウィリス王子?』
違うと分かっていた。娘の婚約者であったウィリス王子は、こんなに凛々しい面立ちではなく、もっと穏やかで、少し幼さの残る面立ちだった。それに目だ。彼の目は、若葉のように明るい緑だった。この青年の瞳は青と緑、どちらにも見える不思議な色合いだった。
青年は、違うとは言わずに柔らかく微笑んだ。それを見た途端、頑なだった心が解けていくのが分かった。
『ああ……』
顔を覆った女王の方に、レイフィスはそっと手を置いた。
「アーヴィ女王。私はフェルウェイル王国国王、レイフィスと申します。」
『フェルウェイルの…?』
それは、ウィリス王子の国だ。
「はい。我が国とエイシャントの歴史は、しっかりと残っておりますよ。」
『……そう…』
女王の目が、ほんのりと優しく和らいだ。
『そうなの……』
エイシャントが滅んだ事は、本当は分かっていた。絶望から夢へ逃げた自分は、目を覚ます事が怖くてずっと気付かないふりをしてきた。
『エイシャントは滅んだのね……』
ぽろ、と一粒の涙が落ちていった。そして女王は、穏やかに微笑んだ。
『もう…あの国には戻れないのだわ…』
それは、女王が夢から覚めた瞬間だった。
『お母様!』
たまらず姫が駆け寄った。その姿を初めて目に留め、女王が驚きに目を見開く。
『レイシア…!』
レイフィスがそっと道を開けると、姫は女王に縋り付いて泣き出した。
『お母様!ようやくわたくしを見て下さいましたね…!』
娘を抱きしめ、女王がその髪を愛おしそうに撫でた。
『レイシア……まさか、貴女も夢なの?』
嬉しそうに、けれど不安そうに言う女王に、姫はにこりと微笑んだ。
『いいえ、お母様。わたくしは夢ではありません。二人とも同じ…この国の亡霊です。』
亡霊、という言葉に胸を痛めたのは、現に生きる三人だった。そして、その様子を見守っている女神。
『ああ…終わったのだな…』
女神の呟きに、全員がはっと息を呑んだ。
女神は青い肌の、妙齢の女性の姿をしていた。さらりとした髪はくるぶしまで伸びており、ごく薄い青色は白にも見え、まるで水面をたゆたう綿毛のようにふんわりと揺れる。端正な顔立ち。その瞼は今は閉じられており、その身体は鱗のようにも透明な魚の尾のようにも見える不思議なもので形どられ、まるでドレスを着ているかのようだった。
(いつの間に…?)
不思議そうに見つめるフィフィをよそに、アシュリーは女神に一歩近づいた。
「海の女神…エイシャントの始めの女王を救ったのは、貴女ですか?」
アシュリーの問いかけに、女神は深く頷いた。
『貴女が…』
呟いた女王に、女神は視線を向けた。その瞳は深い海の底を思わせるが、日差しをきらきらと移す水面のようにも見えた。
『貴女様が…我らの女神なのですか?始めの女王の友…この国を守る守護神、ファルマリ?』
姫の問いに、女神が悲しげに頷いた。
『そう。我が名はファルマリ。……お前達の女王、ネイリが与えた名だ。』
「ネイリ……」
その名前をレイフィスが呟いた。
「フェルウェイルの史実にも残っている。エイシャントの始まりの女王、ネイリ。海の女神の祝福を受けた女性だと。」
女王と姫が見つめる中、女神はそっと視線を外へ動かした。
『…私はお前達を失いたくなかっただけ。ネイリの作り上げたこの国が…外界の者に奪われるのが我慢ならなかっただけ。』
「だから海を荒らし、国交を遮断させたのですか?」
アシュリーの問いに女王と姫が目を見開いた。
『女神…本当なのですか?まさか、貴女が…本当に貴女が…この国を閉ざしたのですか?他国の血を迎え入れた我らをお怒りになって……?』
青ざめる女王の肩に手を添え、姫も女神を見つめて答えを待つ。すると、女神は悲しげに瞳を閉ざした。
『お前達に怒りはない。私は……』
憂う女神の足下で、あの海の精霊が沸き上がった。
『女神。泣かないで』
その精霊を見下ろし、女神は言葉を紡ぐ。
『私は失いたくなかっただけ。ネイリの面影を…』
(そんな……)
フィフィは思わず唇を噛み締めた。
(そんな理由で、あんな事を!?)
海を荒らされ、花が枯れていき、エイシャントの人々はどんなに心を痛めただろう。
「あんたな…!」
「女神よ。」
怒鳴りそうなフィフィを遮るように、レイフィスが女神に対峙した。霊剣で消耗した心身をおして、レイフィスは敵意を向ける女神をひたと見据えて言う。
「貴女は大切な友の幸せを、ご自身で歪めたのですよ。それがお分かりになりますか?」
『!』
その言葉は、女神の怒りに触れてしまった。