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件の知り合いがいる酒場は、イイェル国の中でも中くらいの広さを持つ酒場だった。
まあ、広くもなければ狭くもない。そんな大きさの酒場を何軒か渡り歩いて、ようやくそこを見つけたのだった。
賑やかな酒場の扉を開けると、中の視線が一瞬集まる。それを無視して目的の人物の所までずんずん歩くフィフィの後ろを、ジルキスが楽しそうについていく。小さいフィフィの後ろを優男が歩いていくものだから、誰もが興味津々でその姿を目で追った。その姿すら楽しんでいるジルキスも軽く無視して、フィフィは“知り合い”の前に立った。
「よぉ!ルセ!」
「よう。相変わらず無駄に元気そうだな。」
「お前は相変わらずちいせぇな!」
ぐしゃぐしゃと頭を掻き回されて、フィフィは面倒くさそうに目を細めた。
「で、後ろの優男は?」
「私はフィアニス様の護衛です。」
にこりと笑ってジルキスが言うと、“知り合い”はぽかんと間の抜けた顔をした。
「フィアニス様の護衛ぃ?」
「俺の護衛だ。」
「お前の護衛ぃ?」
フィフィは大概、ルセとしか名乗らないので、フィアニスと言われても誰の事か分からないのだろう。ちなみに一人称が“あたし”から“俺”になってはいるが、あまり会わない為か気付いていないようだ。
フィフィは断りもなくそいつの横に座った。ついでに店員に酒も頼む。
「こいつと同じやつ。こいつのおごりで。」
「おい、あほな事抜かすな。てめぇで払え。」
「けちんな。お前の今回の稼ぎは知ってるぞ?」
「へぇ、さすがに耳が早いな」
にやりと笑うそいつを見て、ジルキスが僅かに目を細めた。
「で、次の仕事は?」
いきなり訊いてきたフィフィに嫌な顔一つせず、楽しそうに話す。
「なんだよ、誰かと分け前を折半する気はないぜ?」
「そうじゃない。てめぇとなんざ組みたくないしな。俺の仕事に関係ないか調べてんだよ。」
「へえぇ…」
途端に眼光が鋭くなった。脇に立つジルキスの気配がやや固くなる。
(気付いたか…やっぱ城仕えの兵でも知ってるんだな…)
そんな事を思いつつ、フィフィはじっと相手の目を見据える。
「…お前、ハークヴェルから仕事請け負ったか?」
「………」
遠回しな表現は一切せず、フィフィは単刀直入にそう訊いた。それに、相手の顔から笑みが消える。代わりに浮かんだのは、鋭い、猛獣のような気配。
「なんだぁ?お前は権力絡みの仕事は請けないんじゃなかったか?」
「事情が変わった。…って事は、請けたんだな。」
「…どうするつもりで来た?」
にやり、と今度は獲物を見つけたような獰猛な笑みが浮かぶ。
(本性でたな…)
ふっ、とフィフィも笑い返した。
「お前が仕事出来ないように、潰しに来た。」
珍客に聞き耳を立てていたのだろう。しん、と辺りが静まり返った。
「……なるほどな。」
ガタッ、と音を立てて立ち上がる。ジルキスより背の高いことが分かった。ついでに、風格で言えばサージェスと並ぶか…もっと熟練された戦士のような威圧感があった。
「それなら受けて立とうじゃねぇか。覚悟は出来てんだろうな?ルセ。」
「そっちこそ。無名の弓術師に負けたとあっちゃ、剛虎の名が廃るぜ?ドルーグ。」
フィフィがそう言った途端、ざわりと酒場がさざめきたった。
「ドルーグ…?」
誰かがぽつりと繰り返した。
「剛虎のドルーグ…!?」
ざわざわと声が大きくなっていく。
「権力絡みの仕事しか請けないっていう、あの?」
「報酬ぼったくろうとした貴族をぼこぼこにしたっていう、あの?」
「なめた奴は悪夢を見るまでぼこられるっていう、あの!?」
良い噂は一つもない。だが、その腕だけは確かだ。そんな剛虎に間近で見下ろされても、フィフィはしっかりと目を合わせて対峙していた。
そんなフィフィに、ジルキスがこっそり耳打ちする。
「こんな方と知り合いでしたか。なかなか顔が広いのですね、フィアニス様は。」
「嬉しかねーよ。あほの知り合いが多いなんてな。」
フィフィの知り合いと言えば、いずれもギルドで知り合った奴らばかりだ。誰も彼も己の都合しか考えない。己の欲望に忠実で、隣の人間なんぞほんの少しの情もかけない。そんな奴らばっかりだ。
「でしたら、私も知り合いにさせて下さい。」
「は?」
変な事を言われて隣を見上げると、ジルキスがにっこり微笑んでいた。
「お前…あほになりたいのか?」
「剛虎の実力がどれほどのものか、私のこの目で見たいのです。」
そう言ったジルキスの目には、眩いほど剣呑な光りが輝いていた。
(こいつ…やばい?)
「おい…」
少し唖然としながら声をかけると、ジルキスはすでにドルーグへ真っ直ぐな目を向けていた。ドルーグとジルキス。二人とも通じるものがあるのか、同じ様な獰猛な笑みを浮かべていた。
(同類かっ!)
嫌な組み合わせになってしまった。これはまずい。
「ウィスペル…どうしよっか。」
囁きかけてみるものの、困った様な弱々しい音しか聞こえなかった。
(そりゃあ訊かれても困るよなぁ…)
「ちょっと待てよ。ふっかけたのは俺だぞ?」
背の高い二人の間に入ってもあまり効果のないフィフィだが、ともかく二人を押しのけて距離を作った。
「ルセ。お前より先にこいつの方がふっかけていやがったぜ。」
「何!?」
「ええ。僭越ながら、フィアニス様の護衛ですので。」
「護衛が喧嘩吹っかけてどーする!」
つまり。背の小さいフィフィの後ろでジルキスが睨んでいたわけか。
「本人がやる気なんだ。いいじゃねぇか。」
「そうですよフィアニス様。私にお譲り下さい。」
「いや……」
ドルーグは強い。だがフィフィは一度その腕を見た事があるから、そこを考慮すればなんとかなるかな、と思っていたのだ。だが、ジルキスは今日が初対面な筈だ。
「勝機、あんのか?」
あるとは思えないが。
「やってみない事には分かりません。」
「おいっ」
「ですがこれでも隊長の部下。負けては示しがつきません。」
(それ以前に国家の危機だろ!)
不安気なフィフィを横目に、二人は睨み合ったまま、開けた場所を求めて酒場の出口へ歩き始めてしまった。
「もう俺は無視か…」
こうなったら黙ってついていくしかない。
決闘場所は酒場の前の、ちょっとした広場のような場所だった。
「さあて、覚悟は出来てんだろうな、優男。」
「ジルキスですよ。剛虎とお手合わせ願えるとは、光栄です。」
そうなれば当然、周りは野次馬ばかりだ。二人のやりとりに、酔っぱらいが異常な盛り上がりを見せた。
「帝国の子犬が俺につっかかるとはな?」
ぼそりと言われた言葉に、ジルキスが不敵に笑んだ。
「帝国の子犬を甘く見ていると、思わぬ怪我を負いますよ。」
その目を見て、ドルーグはぞくりとした。思わず笑いが漏れる。
「…楽しめそうだな。」
それを受けてジルキスはにこりと微笑んだ。
(うわー…まさかの同類か。厄介だなぁ…)
周りは酔っぱらいで、非人道的な声援が飛び交っている。
(まあ、もしジルキスが勝てなくても、あいつがしばらく動けなきゃいいわけだからな。)
くす、とフィフィは小さく笑った。
(ドルーグ…あたしたちに卑怯なんて言葉はねぇよな?)
フィフィの目的は厄介者の足止め、もしくは潰す事だ。手段は選んでいられない。
「さあ、始めようじゃねぇか。」
「合図など要りませんよね?」
「!」
言った瞬間、ジルキスは駆け出していた。唐突に。
(あいつ…ほんとに兵士なのか!?反則技が身に付いてる気がする…)
クライスト帝国の兵は、朝から晩まで、下っ端から将軍にいたるまで、全員が型を教え込まれ、技を教え込まれ、それを駆使して戦う。が、ジルキスの戦い方はいささか乱雑で、フィフィ達のような荒くれ者に近い。
ジルキスはそのまま真っ直ぐドルーグに斬り掛かって、いとも簡単に止められた。が、にやりとお互いに笑う。
「おいおい、小手調べか?」
「お分かり頂けますか。こんな安い挑発に乗って下さるとは、お優しいですね。」
ぎりぎりと力比べをしているものの、口調は極めて軽い。
「安い挑発ねぇ…脅しの間違いじゃねぇのか?」
分かり易い仕掛け方は、逃げるなよ、という脅しにも取れる。
「おや、怯えているのですか?」
「……がたがた言わせてやろうか。」
どん、と弾かれてジルキスが飛び退くと、間合いを開けないようにドルーグが飛び込んで来た。心臓目掛けて突き出された剣先をからくも弾いて、ぐっと足に力を入れて身を反転させ、背後に回る。そのまま斬り掛かると思いきや、ジルキスは間髪入れずに体当たりした。
「!?」
途端に野次馬から喚声が上がる。優男の奮闘ぶりに、異様な程盛り上がっている。
ドルーグはというと、まさか帝国の兵が、剣技に頼らず体当たりなどという暴挙に出るとは思わなかったのだろう。表情がわずかに動いた。が、こういう戦術には慣れているのだ。態勢を立て直しながら足を振り上げ、迫ってきたジルキスの胸を、潰さんばかりの力で蹴り飛ばした。
「ぐっ…!」
呻きよろめくジルキスの頭を目掛け、ドルーグの重い剣が振りかぶられた。ごう、と風を切り裂く音がする。とっさにしゃんで地面の上を転がりそれを避けるが、ドルーグは重たい剣をいとも容易く操って、再びジルキスの…今度は首を目掛けて剣を振り下ろしていた。
(あの方に似ているな…)
思わず笑みが漏れる。地面に這いつくばるようにして剣をさけ、空いたドルーグの懐へ飛び込む。両手で柄を握り、渾身の力を込めて心臓へ突き下ろす。
が、そう簡単にやられるわけはない。ドルーグは無理な体勢でありながらも一足飛びでジルキスの剣を避けた。
「…むちゃくちゃですね、貴方は。」
「それが強さの神髄だろ?」
重量のある剣とその身体を操り、ドルーグは軽快にジルキスに仕掛けていく。
(強さの神髄、か…)
その台詞が人間らしい。ジルキスはにこりと笑った。
「ですが同じ人間なら、負けるわけにはいきませんね…」
「あ?」
ぽつりと呟いた言葉が耳に届いたらしい。怪訝そうにするものの、その剣は躊躇いなく、少しの無駄もなくジルキスに襲いかかる。
(戦神ヴィルジウス殿下と同類の相手…)
唸りを上げる剣をかわし、弾き、ドルーグに喰らいつく。
(思わぬ幸運だな。)
ぞわぞわと闘争心が噴き出してきたジルキスは、にやりと口の端を上げた。
ドルーグとジルキスの“喧嘩”は、いまや大騒ぎになっていた。野次馬もどんどん増えている。
(こりゃあ後で酒場の店主やらアシュリー様やらに怒られそうだなー…)
もう野次馬というよりは観客で、これだけ大勢いると闘技場のような雰囲気がある。
(ここであたしが入っていったら…野次馬どもに袋だたきに遭いそうで怖ぇな…)
とは思いつつも、フィフィの口は弧を描く。
足払いをかけたジルキス目掛け、態勢を崩しながらもドルーグが剣を振り下ろす。ジルキスはさっと飛び退いてすぐにまた飛び込み、心臓目掛けて剣先を突き出す。ドルーグはそれを弾いて、一歩後退したその腹を振り薙ぐ。が、しゃがんで避けられた。わずかに浮いたジルキスの髪が数本切られて舞った。しゃがんだジルキスが立ち上がろうと思った瞬間、真上からドルーグの剣が振りかぶられていた。
「っ!?」
ガキン、とかなりの音と衝撃が襲った。
(……っ!重い…)
先程の衝撃を逃さぬように、ドルーグが腕力と体重をかけてきて、立ち上がるどころではない。わずかでも潰れないように踏ん張る事で精一杯だ。
(……………)
ぎりぎりと闘気と力がせめぎあう。
(押し返す…!)
ぐっとジルキスが目に力を込めた瞬間、ドルーグがさっと剣を引いた。
(なに…!?)
引っかかりつつも機を逃すまいと、一気に飛び上がった。
——が。
(しまった!)
ドルーグは引いた剣をくるりと手首で返し、迫るジルキスの身体を、下から貫こうと構えていたのだ。
にやり、とドルーグの笑みが深くなる。ジルキスはぐっと身体を固くした。
おおぉ!と割れんばかりの喚声が上がる中、フィフィはひょいとしゃがみ込んだ。瞬く間に弓をつがえてドルーグの肩を狙いつつ、引き絞った弦を弾くように離した。
まさに、一瞬の出来事だった。
もてる全神経と体中の力を使って、ジルキスは必死に身を捩る。しかしドルーグの剣先はすぐそこにあった。
(まずい…!)
ドルーグが上手だった。まだまだ自分が未熟だった。
憧れ、羨む人と似たタイプの男。こいつに負ける事が、何よりも腹立たしく悔しかった。
だが、突如ドルーグは剣を持つ腕を引っ込めた。驚くジルキスの頬のすぐ側を線が過ぎ、引いたドルーグの肩に、深く突き刺さったのだ。
(なに?)
思わずジルキスは攻撃の手を休めた。だがドルーグは、いつの間にか背後に回り込んだ人物によって、その首にぴたりと刃物を当てられ、動きを封じられていた。
(…フィアニス様!?)
観客からどよめきが広がる。喧嘩を見ていた誰もが、突然の事態に驚いていた。
ジルキスを下から貫こうとかがんでいたドルーグは、首に短剣を当てられ、苦しい姿勢で背後を睨みつけた。
「ルセ…」
「卑怯だとか言うつもりか?」
見えなくてもフィフィが笑っているのが分かる。それに、卑怯な手段もドルーグ達にとっては常套手段だ。今更、相手が帝国の犬だからといって卑怯だというつもりはない。が。
「くだらねぇ事言うな。だが俺の楽しみを邪魔したからには覚えてろよ。」
「俺も仕事だからな。」
くすり、とフィフィが笑うと、ドルーグは忌々しそうに舌打ちした。
「フィアニス様…!」
不服そうなジルキスの顔を見て、フィフィは言葉で遮った。
「ごちゃごちゃ言うな。お前は喧嘩しにここまで来たのかよ。」
「……っ!」
つい夢中になっていた手前、フィフィに反論すら出来なかった。
「ドルーグ。悪いが少し足止めさせてもらうぜ。」
「…絶対に邪魔してやる。」
「見物だな?」
くっ、と喉で笑って、フィフィはドルーグの鼻に布を押し付けた。ずるり、と巨体が滑り落ちて、フィフィは満足そうに立ち上がった。
——ところが。
「おいふざけんな!」
「そこのくそ坊主!邪魔してんじゃねぇぞ!」
「そんなやり方許せるわけねぇだろうが!」
観客達からぞっとする程の怒気があがる。一歩間違えば殺気だ。
「フィアニス様……」
どうするんですか、とジルキスに半目で睨まれ、フィフィは用意しておいた台詞を言った。
「こいつらに言われたんだよ。面白いからって。」
「なにっ!?」
フィフィが指差したのは、さっきまでフィフィがいた側の野次馬どもだ。途端に野次馬同士で睨み合いが始まった。
「ふざけやがって!どうオトシマエつけてくれんだ!」
「知るかそんなもん!」
「なんだとてめぇ!」
「なんだと!」
わっと動き出した野次馬達の隙間を縫って、フィフィとジルキスは気絶したドルーグを抱えてそそくさと喧噪を抜け出した。
細い裏路地へ入り込んで喧噪が遠くなると、ようやくドルーグを地面へ落とした。
「ふうっ。なんとかなったな。」
「フィアニス様…何故不意打ちなど?」
まだ不服そうなジルキスを見て、フィフィは当たり前だという顔で言った。
「こいつが半端なく強いって事は、お前も分かっただろうが。」
「ええ、それは。しかし…」
「こいつが手ぇ抜いてる隙に仕掛けた方が、分が良いからな。」
「…………」
その言葉に、ジルキスが息を呑んだ。
「手を…抜いていた?」
衝撃を受けるジルキスに、フィフィはしっかり頷いた。
「ああ。こいつは強い。相当の手練じゃなきゃあ勝てない。」
「……………」
ジルキスは、ぐっと奥歯を噛み締めた。苦しげな表情を見て、フィフィはぽん、とその肩を叩いた。
「…こいつが目を醒まして、もし俺たちの邪魔をするような事があれば…その時は、勝てよ。」
「…フィアニス様…」
少し気分の浮上したジルキスを見て、フィフィは笑いかけてやった。
「さ、こいつを適当な宿へ放り込むぞ。で、さっさと宿に戻らねぇとな。」
「…そうですね。」
まるで荷物のようにドルーグを二人で抱えて、本当に適当に近くにあった宿へ放り込み、宿代はドルーグに払わせ、二人は軽い足取りで宿へと戻っていった。
——ちなみに。
騒ぎは当然の如くアシュリーの耳にも入っており、フィフィとジルキスはこっぴどく怒られ、夕飯なしに加えて大部屋で雑魚寝を余儀なくされた。
「はあ…フィアニス様が女だったらこんなに嬉しい事ないのに…」
「うるせぇ黙って寝ろ。」
「うるせぇぞお前ら!他の客に迷惑なんだよ!」
「「…………」」
こうして、イイェル国での夜は更けたのだった。