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ラナス王が呆然とユンファを見つめていた。ユンファは、恐ろしげにラナス王と国民を見ていた。思わず後ずさっている。そして、震える声で呼んだ。
「アス様…?」
怖くて目の前の人々から目が逸らせないようだった。とっさに側へ駆け寄ると、青ざめた顔がフィフィの目を見た。
「ユン、俺がついてる。」
安心させる為に出来るだけ柔らかく微笑むと、ようやくユンファの口元が和らいだ。それを見てほっとした。
「ユンファ。ラナス王と国民がピスティル・オス共和国へ避難している間、誰にも占拠されないように天魔を貸して欲しい。」
びくり、とユンファが震えた。
「天魔を……?」
瞳が不安気に揺れている。それを、アシュリーは揺るがず見つめる。
「ラナス国の領土を護って欲しい。」
「……まもる…」
「失礼だがウィルレイユ殿。この幼子が?」
今だ唖然とした様子のラナス王が訊ねると、アシュリーがきっぱりと言った。
「彼女が天の落とし子。天魔を従える唯一無二の存在です。」
「なんと…このような子供が…」
「彼女の力量を疑っておられるのだろうが、あなたも天魔の強大さはご存知の筈です。」
「………」
ラナス王はしばしユンファを見つめた。対するユンファは、怯えを必死に抑えてラナス王の目を見返していた。
「……我が国の為に、天魔をお貸し願えるか?」
「………ウルセデイへいかより、許可はいただいてきました。」
いつも子供らしさのあるユンファが、今は周りの大人に負けないくらいの覇気があった。目も鋭く、表情も大人びていた。
「それでは、天魔をここへ喚び出します。危険ですので下がってください。」
ユンファの指示で、全員がかなり遠巻きに距離を取った。フィフィはアシュリーの側へ立って見守る。
「…アシュリー様。天魔ってなんなんですか?エウェラもニル様もユンファは“稀”だっていってましたけど、それと関係あるんですか?」
「………」
アシュリーはちらりとフィフィを見て、少し間を開けた後、口を開いた。
「天魔は、親しい者の亡骸から生まれる魔物だ。」
「………え……なに…」
「生まれ出た時から絆が強く結ばれ、生み出した者には絶対に逆らわず、深い情でもって守り抜く。」
「生み出す……って…」
「ユンファの天魔は、ユンファの家族の亡骸から生まれた。」
「………」
「強盗に襲われて、ユンファの家族はユンファを守って死んだ。けど、強盗はユンファも殺そうとしていた。抵抗する術もないユンファを守ったのは、家族の亡骸から生まれた天魔だった。」
(………ユンファにそんな事が…)
「生み出したのは魔術師の才があったユンファだ。助けを求めたユンファの想いと、助けたかった家族の想いと、ユンファの魔力によって天魔は生まれた。」
「そんな風に…魔物が生まれるんですか…」
「亡骸から生まれた魔物は、生み出した者を溺愛している。それ故に、守る為には一欠片の容赦もしない。危険を遠ざけるためなら犠牲も厭わない。」
(犠牲も厭わない?)
「それって……」
「亡骸から生まれ、危険をユンファから遠ざけるためなら敵味方関係なく殺戮する。だから、天魔は厭われ、恐れられる。」
(だから…)
——“ユンのする契約は、私達とは違うの。その契約を快く思わない人の方が多いのよ”
そう言ったニルの顔が浮かんだ。
ユンファは皆が十分に離れたのを見て、足下に魔術陣を展開した。天魔を喚び出すのに詠唱は要らない。想えば、願えば、すぐに現れてくれる。
(姉さん……)
目を閉じて願えば、すぐにふわりと温かな空気に包まれた。
ユンファの前に現れた天魔は、真っ白な毛並みの大きな狼を思わせた。しかしその尾は血のように赤く、背には赤い翼が生えていた。その目も、鮮烈な赤だった。
美しさと禍々しさを併せ持つ、その性質を現したかのような、天魔の姿だった。
「あれが…天魔…」
呟いたフィフィに、アシュリーは静かに頷いた。見た目だけでは聞いた様な残忍さは感じられなかった。天魔の姿に唖然としていたのはフィフィだけではないらしく、ラナス国もしばらく動けないようだった。
ユンファがラナス王の元へ歩み寄った。
「……あれが天魔か…」
「はい。彼女がこの国を守ります。けいやくのことばはどうされますか?」
ラナス王は、天魔を見つめて複雑な表情をしていた。やはり忌み嫌っているのだろうか。ユンファは、じっとラナス王の目を見つめて待った。
「…余が再びこの地へ足を踏み入れた時、契約は解消される。それまでは、何人たりともこの地へ入れる事は許さぬ。」
ラナス王がそう宣言した途端、天魔に何かが絡み付いた。天魔は不機嫌に身を捩ったが、何かは絡み付いたまま姿を消した。
「これでけいやくは成されました。」
ユンファがそう伝えると、ラナス王は渋い顔で頷いた。それを見て、ユンファはすぐに側を離れた。天魔の元へ走り寄る。抱きついたユンファに、天魔は優しく顔を擦り付けた。
「ユン…」
フィフィはユンファの元へと小走りで向かった。天魔がちらりとこちらを見たが、すぐにユンファへと視線を戻した。
「ユン」
名前を呼ぶと振り向いた。と、ユンファはびっくりして目を丸くしていた。
「フィー!……」
名前を呼んだ後何か言おうとしたが、上手く言葉が出ないようだ。そんなユンファに、フィフィは優しく笑った。
「ありがとな。わざわざ来てくれて。」
そう言葉をかけると、ユンファはみるみる泣き顔になった。
「ユン…」
天魔からフィフィへ、ユンファは抱きついた。いや、縋り付いたといった方がいいのかも知れない。
「フィーは…怖くないんですか…?」
声も、身体も震えていた。ラナス王の前ではあんなに堂々と振る舞っていたのに。
「気味悪く…ないんですか…?」
「ユン…」
少し顔を上げると、天魔の赤い瞳がユンファを見ていた。
「……気味悪くなんてないよ。」
ぎゅっと、ユンファを抱きしめた。びくりと驚いた身体を、さらに抱きしめた。
「そりゃでかいし、ちょっと怖いけどさ。」
膝をついて、その耳によく届くように声をかける。
「俺、ユンの事大好きだから。」
ぎゅっと、小さな手がしがみつく。
「だから、ユンの事大好きなこの天魔も、好きだよ。」
「フィー…!」
ほとんど泣き声だった。それでも押し殺したように泣くから、わざと、その背をぽんぽんと叩いた。そうされるとユンファは顔をフィフィにぎゅうぎゅう押し付けて、さらに泣いた。そんなユンファに、天魔がフィフィごと顔を擦り付けてきた。
「フィアニス様は…恐ろしくないのですね。」
サージェスが感心したように言うと、アシュリーがぽつりと言った。
「……やっぱり、変わってる…」
「何かおっしゃいましたか?」
「…ユンファと一緒に君たちをクライストへ帰す。」
「…ではせめて、あの二人を置かせていただけませんか。」
「………」
指し示されて視線を向けると、ラナス城で会ったあの二人だった。
「分かった。俺たちはフェルウェイルへ向かい、速やかにこの件を処理すると伝えてくれ。」
「はっ。畏まりました。」
天魔をその場へ残し、ラナス国の一同は避難する事となった。移動先は、中立の立場を守るピスティル・オス共和国。国境にかけられていた境界壁は、壊す代わりに効力を変え、逆にラナス国への侵入を拒むものにした。境界壁の効力の変更はユンファに手伝ってもらった。
こういう時、自分って助手としての仕事が出来てないなぁとフィフィは思った。やっぱり戻ったら魔術の勉強をしよう、と。
「あの天魔は、姉なんです。」
帰り際にユンファがそう打ち明けてくれた。
「姉さんか。美人だな。」
「…そう思いますか?」
嬉しそうに顔が綻ぶので、にこりと笑い返した。
「姉に伝えておきますね!」
笑って、ユンファは転移陣の中へ走って行った。大きく手を振って、その姿が消えていく。
(…天魔になっても、人間だった時の記憶はあるのかな…。)
消えていく転移陣を見つめて、フィフィはそっと目を閉じた。まだまだクライストには帰れない。
「何してるの。」
アシュリーの声に振り向くと、皆が歩き出していた。
「ああ、はい。行きます!」
ピスティル・オス共和国へは半日程で着いた。ここは常に中立の立場を崩さず、まさしく平和な国だった。逃げ込んできたラナス国の人々を見て驚いていたが、事情を話すと快く受け入れてくれた。
「もしも植物の浸食から逃れるのであれば、神々の森へ行って下さい。あそこは神が守っている。あの植物を拒むでしょう。」
アシュリーの助言にも真摯に耳を傾けてくれた。神々の森はピスティル・オス共和国のすぐ側に横たわる、大きな森だ。昔から人の侵略を受けつけず、神や精霊の住む場所だと云われていた。しかし、今この状況でアシュリーが明言したのだ。ロルには正真正銘、神がいるのだろう。
(なんでだろう…アシュリー様の言う事って…)
妙に納得出来た。深く考えずとも信じられる。
(……あたしってこんな簡単に、考えなしに人を信じる奴だっけ?命かかってんのに。)
考えて、笑ってしまった。一歩間違えば死に直結する問題なのに、不思議と不安は感じなかった。
ラナス国の人々をピスティル・オス共和国に残し、アシュリー、フィフィ、ヴィーグ、ジルキスはイイェル国へ向かった。そこを過ぎれば、やっとフェルウェイル国へ辿り着く。だが、イイェル国へ着く頃には陽が暮れてしまう為、どうにも一泊する必要があった。
「イイェル国か…」
思わず呟いた言葉に、アシュリーが驚いて振り返ってきた。
「なに?」
「あ、いえ。イイェル国って酒場が多いでしょ?だからギルドの荒くれ者も集まりやすいんですよね。で、俺の知り合いもいるかもなーって思って。」
「……知り合いって…」
「「美女ですか!?」」
アシュリーに被せてヴィーグとジルキスが割り込んできた。
「あほか。野郎だよ。」
「「なんだ…」」
一言でがっくり項垂れた二人を見て、アシュリーがため息を吐いた。
「先に宿に行ってる。」
「あ、ちょっとアシュリー様!」
「あーあ、早く終わらせたいですね。」
「フィアニス様、女性の知り合いいないんですか?」
「うるせぇな…」
うだうだとうるさい二人を丸きり無視して、フィフィはアシュリーを追いかける。
「あの、今夜ちょっと出かけていいですか?」
相変わらず見向きもせずにすたすた歩いて行く。しばらくついていくとちらりと一瞬、振り向かれた。
「なんで。」
「厄介事がないか調べてきます。」
ぱっとアシュリーが振り返った。びっくりしているようで、まじまじと見つめられる。
「何それ。」
「そのギルドの知り合いってのが、あんま良い仕事引き受けないもんで。変に俺たちに関わってこないか探ってきます。」
「………そいつが今、ここに来てるの?」
「というか…そいつここに入り浸ってるんで、ほぼここにいます。」
「………………」
黙ってしまったアシュリーを眺めていると、フィフィの後ろから二人が顔を出した。
「それじゃあ今夜は俺がアシュリー様の側におります。」
「俺はフィアニス様の護衛に。」
「「は?」」
息ぴったりに声を発すると、ヴィーグとジルキスは不敵に笑った。
「俺たちは戦闘要員でもありますが、お二人の護衛でもあるんですよ。」
「いや…アシュリー様は分かるけど、俺はそもそもアシュリー様の護衛だから、俺の護衛は要らないだろ。」
「何言ってらっしゃるんですか。フィアニス様は魔術からきしじゃないですか。」
「ぐっ…」
痛い所を突かれてフィフィは言葉につまった。それを見て、アシュリーが頷いた。
「君が一人でいるとそこはかとなく不安だから、ついて行ってもらった方がいい。」
「なんですかその言い草!」
「ジルキス、頼んだ。」
「心得ました。」
ジルキスはにこりと笑って礼をした。
「アシュリー様…」
恨みがましく睨むが、アシュリーはフィフィには目もくれずに宿へ入っていく。その後ろをついていくヴィーグが、振り向き様ににやりと笑って手を振った。
「あいつ…むかつく…」
「さあフィアニス様!そのギルドの顔見知りというのは酒場にいるのでしょう?早く行きましょう!」
ジルキスはどちらかと言うと、剣を持つのにも違和感を感じる程、優男のような風体だ。そんなジルキスが何故荒くれ者が集まる酒場に行くのを楽しみにしているのか、謎だ。
「…何浮かれてんだ?」
「何って、喧噪の匂いがするでしょう?」
「…………」
つまり、意外にも喧嘩好きらしい。
(人は見かけによらねぇよな…)
むしろジルキスを連れていく事で、厄介事が大きくなりそうな気がしたフィフィだった。




