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アシュリーが斬られるところなんて、見たくない。
最悪だ。
自分のせいで。
アシュリーが。
一瞬目の前が真っ暗になった。が、次いで聞こえた悲鳴に我に返った。
「うわあぁあああぁ!あ?」
「うるさいっ!」
怒鳴るアシュリーの声が聞こえにくい。それ以上の大きな音が耳に容赦なく入ってきていた。風だ。
(お……落ちてる…!?)
二人は、もの凄い勢いで落ちていた。アシュリーは逃げる事も、手を離す事もせず、自ら飛び降りたのだ。正確にはしがみついている。結果、斬られるのは避けられたものの、今だ命の危機には変わりない。
「な、何やってるんですか!」
「う、うるさい」
心無しかアシュリーの声が弱々しくなっている気がする。
(もしかして…)
「アシュリー様!?」
「なに…」
「気を失っちゃ駄目です!起きて!」
「うるさ…」
「起きて!」
必死にアシュリーに叫びまくる。アシュリーの掴む手が弱くなってきたので、逆にフィフィが抱え込んだ。
(どうすんだよこれ!あたしじゃ何も出来ねぇよ!)
なんとか出来るかも知れないのはアシュリーだ。そのアシュリーは今、意識を保つのに精一杯。
「アシュリー様しっかり!死にますよこのままじゃ!」
「うるさ…い」
「アシュリー様ぁああ!」
「っ……」
落ちている。もの凄い勢いで頭から落ちている。城は天まで届く高さ…ではない。地面がみるみる近づいてくる。死ぬ。確実に。
「誰かーっ!アシュリー様ー!」
「う…さ…」
『誰かってなんなのよ!』
「へっ?」
(誰だ?なんだ?)
思わず落ちながら空を見つめる。
『貴女ねぇ!この私がついてるのにさっぱり忘れてるってどういう事よ!』
「あ。」
(忘れてた。完全に。)
「怒るくらいなら助けてくれよ!アシュリー様気絶しそうなんだけど!」
『情けないわね…。助けてあげてもいいけど。』
「早く!死ぬから!」
『せっかちねぇ…』
その言葉が聞こえた途端、急激に落下が止まった。ぴたりと止まったわけではないが、風の抵抗を感じない程、のんびり話しが出来る程に、ゆっくりとなった。
(すげぇ…最初からエウェラに頼れば良かった…!)
思わず涙ぐみそうになった。
『私のありがたさ、分かった?』
「分かった!もの凄く分かった!あんたは神だ!」
嬉しいついでにしっかりとアシュリーを抱え直した。
『神じゃなくて大精霊よ。頭悪いの?貴女。』
「可愛くねぇ…」
『なんですって?』
「なんでもありません……アシュリー様!もう死ななくて済みましたよ!」
「うるさい。ほんとに。」
落下が止まり、アシュリーは徐々に意識がしっかりしてきたようだ。言葉がしっかりしてきた。
「大精霊エウェラ…お救い下さり、感謝する。」
(え、エウェラって偉いんだ…)
『今聞こえた助手の声は聞かなかった事にしてあげる。アス。強くなる事ね。護りたければ。』
「…肝に銘じます。」
苦笑しながらそう答えたアシュリーは、フィフィが今まで見た事がない表情だった。
『じゃあね。後はあなたがなんとかしなさい。』
「言われなくても。」
(っていうかこの声、アシュリー様も聞こえてたんだ…)
もぞり、とアシュリーが身じろぎした。何かと思って顔を合わせると、ぎくりと身を強ばらせた後、さっと視線を外してアシュリーが言った。
「…ちょっと腕緩めてくれる?」
「あ。すいません。」
落ちないように少し緩めると、ほっと息を漏らしてアシュリーは詠唱を始めた。
「——汝は我を護る翼。大地に降り立つその時まで、我らを護り給え——」
ふわり、と足下が軽くなった。と同時に抵抗を感じ、ともすれば空に立てそうな気配がする。
「これ…」
「立って。」
言われて、ゆっくりと態勢を変えてみる。ぶよぶよしたマットに立つように不安定だったが、それでもなんとか立ってみると、意外にもしっかり立てた。
「すげぇ…」
「ほら、もう地面に着く。」
「あ、ほんとですね!良かった…今回ばかりは駄目かと思いました。」
「ほんとに…」
それから少しして、二人は無事に地面に降り立った。
その後、アシュリーとフィフィはもう一度城の最上階へ転移し、サージェス達と挟み撃ちにしてハークヴェルの兵を叩きのめした。しかし残った数人の魔術師が骸ごと転移して逃げてしまったのだ。おそらくはハークヴェルへ逃げ帰ったのだろう。
「………………」
「どうしたんですか?」
アシュリーが消え失せた転移陣を睨みつけていた。訊くと、顔をしかめて言った。
「……彼らは無事でいられるのかと思って。」
「彼ら?」
無事を祈る相手と言えば、クライストだろうか。
「ニル様達なら…」
「違う。ここにいたハークヴェルの兵だ。」
「は?」
敵を案じるなんて、アシュリーはこんなにお人好しだったのか。そう思って思い切り見つめてしまった。
「…嫌な予感がする…」
(……またか…)
アシュリーの予感はとんでもなく当たっていそうで、怖い。
「じゃあ早く戻りましょう。」
「は?」
軽い言葉にアシュリーが睨んできた。
「だから、早くなんとかして、さっさと帰りましょう。」
フィフィだってクライストの国民だ。自国が侵略されようというのに放ったらかしに出来るわけがない。自分が生まれ育った国は、やっぱり好きだ。フォルクローゼだっている。絶対に、助けたい。
「……………」
二人は目を合わせて、小さく頷いた。
「ウィルレイユ殿。」
振り返ると、ラナス国の王に続き、兵、国民、とおそらくは全員が集まっていた。こうしてみると本当に小国なのだと思う。クライストでは全員がこの場に集まるなんて事は出来ないだろう。何せ、人口が多過ぎる。
「ウィルレイユ殿…そなたには…いや、クライストには、力をお貸し頂き感謝する。そなたらの力がなければどうなっていたか…情けない事ではあるが、本当に救われた。」
アシュリーは一歩前へ出て、躊躇いなく跪いた。それにまたさざめきが広がる。いつの間にかアシュリーとフィフィの後ろにはサージェス達が戻ってきていた。ヴィーグとジルキスも無事なようだ。フィフィと目が合うと軽く手を振った。
(軽いやつら…)
だが、それが緊張を和らげているから助かる。
「ヴァグル陛下。こちらこそ、お力をお貸し頂き感謝する。おかげで一人も欠ける事なくすみました。」
「……ウィルレイユ殿…」
ラナス王は何か言おうとしてしばらく悩み、結局は首を振って諦めた。
「…さて、では我々は…」
「今はここに留まっていては危険です。」
心を見透かしたようにアシュリーが言うと、ラナス王はため息を吐いた。
「正直なところ、我らではこの植物は手に負えん。そなたには策があるのだな?」
「あります。ですから今は避難して頂きたい。」
「国を出ろと申すか…」
ざわざわと、不安と不満が入り交じった囁きが交わされる。アシュリーはただじっと待った。
「我らが国を出れば、その隙に国土を奪われるやも知れぬな?」
「その可能性はあります。が、植物に浸食されているのはここだけではない。それに今この土地を占拠しても、植物に侵されるだけで、得るものはない。あまり心配されずともよろしいかと。」
「……万一、という事はある。」
王は国民の住む場所を確保する義務がある。故にラナス王はしぶっていた。そんなラナス王に、アシュリーはしばし考えを巡らせて、あまり気の進まない顔で言った。
「ご心配であれば、ここへ天魔を置きましょう。」
「何?」
(天魔ってなんだ?)
ラナス王の顔色が変わった。怒っているようにも見える。
「一匹いれば十分でしょう。この植物が消え去るまでの間です。如何ですか。」
「天魔だと……!」
まるで、おぞましい物を見るかのようだった。恐れているのが分かった。
(そんなに怖いもんなのか…?)
ラナス王は苦悩していた。アシュリーはただ静かに答えを待つ。そして、大きな溜息は吐かれた。
「………契約は我が言葉で行わせて頂こう。それで良いか。」
「構いません。」
言うと、アシュリーが立ち上がった。フィフィは黙って様子を見る。
「ここへ転移陣を開いてもよろしいか。」
「…致し方あるまい。」
許可を得て、アシュリーは詠唱を始めた。するとウィスペルが耳飾りから飛び出し、アシュリーの正面へ飛んでいった。
(なんだなんだ?)
戸惑うフィフィは、見守るしかない。
「——汝は“うつろい”。我はアシュリー=ウィルレイユ。我と誓約を同じくする者へ道を繋げ。彼の者はユンファソルシア=ミット。天が産み落とした命である——」
「ユンファ…?」
思わず声に出して呟いていた。何故今ユンファをここへ喚び出すのだろう。戸惑う間にも陣は光り輝き、ウィスペルが陣の上をひらひらと飛び回っていた。
(あ…光りが…)
まただ。光りが呼吸しているかのように強弱を繰り返す。陣の輝きが増していく。溢れる光りの中に、突如、人影が浮かび上がった。
(ユン!)
フィフィがユンファの姿を確認した途端、光りは砕け散って消え失せた。そしてそこには、まだ幼い魔術師が、緊張した面持ちで立っていた。