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光を纏わせたその姿は、神々しさすら感じさせた。閉じられていた瞼が開くと深い群青色の瞳が現れ、それと同時に纏っていた光が砕け散った。そして、幻想的だった大魔術師は、一気に現実へと降臨したのだった。
「——穿て、雷光!」
普段詠唱する時とは違い、歌う様な旋律ではなく、言葉が力を持って空間を震わせた。それに応えるように、突如たくさんの稲妻がアシュリーから刺客達へと走った。ほとんどが衝撃で倒れていくなか、かろうじて避けた、または堪えた者達が容赦なくヴィーグとジルキスへ襲いかかる。
だが、アシュリーという救世主を得た二人は、先程の弱気はどこへやら、猛然と反撃を開始していた。雷撃を避けた敵をすかさず斬り倒し、隙をついてくる敵を斬り伏せ、とてつもない勢いで押し返していく。その勢いに刺客は怯み、たじろいで後退する者すら出始めた。
アシュリーが転移してきて数分も経っていない。が、その影響力は凄まじいものがあった。
「アシュリー様!フィアニス様は中に!」
ヴィーグが叫ぶと、アシュリーが目を見開いた。
「一緒じゃないのか!?」
(今気付いたのか…)
とは言えない。ヴィーグは頷いた。
「ここはもう大丈夫です!フィアニス様の元へ!」
ジルキスが叫ぶと、アシュリーは頷きもせずに駆け出した。魔術で敵をなぎ倒していく様は圧巻だった。しかし、見送る二人は呟いた。
「「アシュリー様が全力で走ってる……」」
それはかなり貴重な姿だった。
「この先に国王もいる。」
ウォルスは振り返り、一歩横へずれて道を示した。訝しみながらもウォルスの隣に立ち、指し示された道へ向く。ウォルスへ背を向ける形になった。そして、一歩進んで立ち止まった。
「!」
壁が、目の前にあった。
(計ったな!)
振り返るとすぐそばにウォルスの柔らかい眼差しがあった。見下ろされて、どこにも逃げ場がない事を悟る。
「てめぇ…!」
睨み上げるフィフィを楽しそうに眺め、ウォルスは口を開いた。
「名前を聞いていなかった。」
しれっとそんな事を言ってくる。
「誰がてめぇに!」
「それなら、外へ送ってやろうか?」
「!」
(こいつ…!脅しやがって…!)
「…フィアニスだ。」
「それは男名だろ?」
「………」
(こいつに言うのがすげぇむかつく!)
「……ルセ。」
「俺は名前を聞いているんだが?」
すっ、と首の横に手を置かれ、フィフィはぐっと奥歯を噛み締めた。
「…………フィフィ。」
すぐにウォルスは一歩離れた。
「フィフィ。そうか。」
嬉しそうに笑う。その面を殴りたくなったが、それで城の外へ追い出されては堪らない。
「さっさと出しやがれ!」
「人は物じゃないだろうに…」
ウォルスは笑いながら壁に手を当てた。ふわり、と一瞬空気が軽くなったかと思うと、行き止まりだと思っていた壁に文様が浮かび上がった。
(ウィスペルが開けてくれた時と同じだ…)
文様は異なるが、同じ魔術が使われているのだろう。全ての文様が輝くと、水面のように波打って壁が消えた。
そこには、かなり広い広間のような部屋があった。奥に縮こまるのはラナス国の国民だろう。そして、中央に立っているのが国王だろうか。
「ラナス王。クライストが手を貸してくれるようだ。」
「なに…?」
やはり、返事を返したのは中央に立つ人物だった。背を向けていたその人はゆっくりと振り返る。初老の、鋭い目をした人だった。
「その者は?」
「アシュリー=ウィルレイユの助手で、ルセと言う。」
(あれ…)
てっきりフィフィだと言うのかと思った。女名を隠しておきたいというのを考慮してくれたんだろうか。
「あの大魔術師が、ここへ来ているというのか?」
驚くラナス王へフィフィは声を上げた。
「あんた達はあの植物に追いやられて、こんなところにいるんだろ?あれにはハークヴェルが一枚噛んでる事が分かった。アシュリー様はその調査で来た。そしたら国境が魔術で閉ざされたんだ。」
「やはりまだ閉ざされておるか…。」
「ついでにこの城へ入った途端にハークヴェルの兵士がわんさか襲って来た。今も皆が襲われてる。協力してくれないか?こっちは二十人くらいしかいないんだ。いくらなんでも分が悪い。」
「………」
ラナス王は射る様な目でフィフィを見つめた。小国の王といえども、その目はとても力強かった。ごくり、と唾を飲む。
「……クライストはまことに我らを助ける為だけに動いておるのか?」
「は?」
不愉快さに眉をしかめるフィフィを見て尚、ラナス王は続けた。
「先程も転移魔術を使ったようだが……この意味が分からぬ訳ではあるまい。」
息を、吸い込んだ。
「あんたは馬鹿か!」
「なっ……」
ざわりと全員がいきり立つ。だが、フィフィは止めなかった。
「自分たちがどういう状況にいるのか分かってんだろうな!孤立無援なんだぞ!?アシュリー様だってすぐには境界壁が壊せないって言ってんだ!それなのにハークヴェルの兵士がたくさんいる。……これでもぐだぐだ言う暇があんのかよ!」
フィフィの態度に腰を浮かせた彼らだったが、ウォルスの静かな言葉にははっとした。
「…ここを見つけるのも時間の問題だろう。今まで大人しくこの城を囲っていたのは、アシュリーを待っていたからだ。今はもうその必要がない。」
「ウィルレイユ様を…?」
思案するラナス王を見て、フィフィは我慢出来ずに叫んだ。
「だから!クライストが狙われてんだよ!さっさと奴らを追い払いたいんだ!」
「帝国の争いに、我らは巻き込まれたというのか!ふざけるな!」
(このクソジジィっ!)
もどかしくて悔しくて、爪が食い込む程きつく拳を握りしめた。
「ヴァグル陛下…」
はっとして振り返った。
「……え?」
そこには、荒い息のアシュリーがいた。汗までかいている。
静まり返った部屋の中央へ、アシュリーが足を進める。皆黙ってそれを見守っていた。アシュリーはラナス王の前へ行くと、躊躇いなく膝を折って頭を垂れた。
「何を…!」
帝国の大魔術師の行動に、不安気なさざめきが広がる。
「ハークヴェルはクライストを落とす為に、嵐と植物を利用しました。我が国は今、危機に晒されています。」
「そなたが帰還する為に我らを欲するのか。」
「いいえ。ここで帰っても嵐と植物は消えません。元を絶つ為には、まだ嵐を辿らなければなりません。」
その発言に、ラナス王は息を呑んだ。
「そなたが戻らずして、クライストは…」
「分かりませんが、植物を放置すればクライストのみならず、植物に侵された国全てがハークヴェルに支配されるでしょう。」
「なんと…まことか。」
「まことです。ですからヴァグル陛下。ここにいるハークヴェルの兵士を蹴散らす為、お力をお貸し願えませんか?」
ラナス王はしばしアシュリーを見つめた。その目に戸惑いが見えた気がして、フィフィは息を詰める。アシュリーの言葉は、ちゃんと届いている筈だ。
細く、息が吐かれた。見守る全員に届く声で、ラナス王は言った。
「我々を捨て置く事も出来ただろう。……そなたの…クライストの温情に感謝する。それに応えよう。」
喜んだ次には驚いた。ラナス王に応えて国民が血気づいたのだ。
思わずアシュリーに駆け寄った。
「アシュリー様!」
駆け寄ったフィフィをじっと見て、それから小さく息を吐いた。そして、睨んだ。
「偵察に行ったのになんで戻らずに突っ込んでいくわけ?」
「へ?」
良かったですね、という言葉が吹っ飛んだ。ついでに無事で良かったという気持ちも。
「それものこのこウォルスについて行くってどういう事?」
「え、なんでその事…」
(そういえばウォルスは?)
きょろきょろと辺りを見回すが、目立つ男の姿は見えなかった。
「聞いてる?」
「え?ああ、はい。もうついて行きませんから。必要もないですし。」
「………もういい。」
素直に謝ったのに呆れられた。溜息一つついて、アシュリーはフィフィを押しどけてラナス国の住人に言う。
「我々は城の中を。貴方がたは外をお任せしてよろしいですか?」
すると、ラナス王が大きく頷いた。
「任せておけ。」
「…それでは、ご武運を。」
「そなた達もな。」
言葉を交わし、すぐにアシュリーは踵を返した。フィフィも慌ててついて行く。
「あの二人には会いました?」
「だれ?」
言うと思った。フィフィは苦笑するしかない。
「えーっと…ヴィーグ…と…あ、ジルキス!です。」
「ああ…会った。無事だ。」
「サージェス達も?」
「君は自分の心配をしろ。多勢に無勢だろ。」
「それは…確かにそうですね…運が良かったです。」
「……………」
ウィスペルが開いてくれた通路まで戻ると、階段の上から駆け下りてくる音がした。
「下がってください。俺が出ます。」
すっと一歩フィフィが前に出ると、アシュリーは小声で詠唱を始めた。ふわりと身体が軽くなった。
(なんかしてくれたのかな…)
なんだか嬉しくなる。そして、闘志がざわざわと沸いて来た。体中の感覚がぴりりと鋭くなり、空気が冴える。
壁にぴたりと身体をつけて身を隠すと、足音が迫るのを待つ。
気配を探る。敵が迫る。気配が、迫る。
「ぐあっ!?」
敵の姿がようやく見えるかという時に、フィフィは矢を相手の肩目掛けて突き刺した。そのままその横腹を渾身の力で蹴飛ばす。
「うらぁっ!」
蹴飛ばされた男はよろめき、すぐ後ろに来ていた仲間を道連れに、向いの壁へ倒れ込んだ。すると、壁と床に亀裂が入り、音を立てて彼らを半分呑み込んだ。
「げっ!これ…」
振り返るとアシュリーが涼しい顔をしていた。
(こ、こえぇ…)
「上まで行く。さっさと片をつける。」
「あ、はい…」
早く行け、と目で促され、フィフィは気合いも新たに階段を駆け上り始めた。
「後ろ!」
「分かってんだよ!」
相変わらずぎゃあぎゃあと言い合いながら敵を斬り伏せる二人は、さすがに息が上がってきていた。
「右!」
「後ろ!」
何故だかお互いのフォローをする二人には、余裕があるのかないのか分からない。そんな二人に喝を入れるかのように、頭程の大きさの炎の弾が二人の隙間を通り抜けた。
「あっつ!焦げたぞ!」
「肉が焦げなくて良かったな…」
言いながらジルキスは、炎の弾を放り込んだ魔術師を倒した。
「うじゃうじゃ来るな〜」
「これでクライストも同時攻撃されてんのかな…」
「……………」
それっきり、二人は黙って敵をなぎ倒しにかかった。
階段を駆け上がりながら敵を倒していく。フィフィが弓と短剣で攻撃していくのを、アシュリーが的確に援護する。
(魔術師と組んで戦う事なんて無かったけど……すっげぇやりやすい!)
身体が軽いのは魔術のおかげだろうが、気持ち良い程軽快に進んでいける。恐ろしい程の数の敵が雪崩れ込んでくるのに、それが全然不安にならない程だ。
「アシュリー様!上まで行ってどうするんですか!?追い込まれますよ!?」
戦いながらも叫ぶと、アシュリーも叫び返した。
「下からサージェス達が来る!それで終わりだ!」
「分かりました!」
襲いくる敵をなぎ倒し、二人で駆け上がっていく。その背後からも、敵はアシュリー達を執拗に追い立てていく。
フィフィ、ヴィーグ、ジルキス三人が別れた螺旋階段の終わりまでくると、今度は外へ向かうアーチの向こうに螺旋階段があった。外壁に沿って上へと続いている。そこを走り、大勢の敵が姿を晒したところでアシュリーは一気に魔術を放った。
「——裁きを!聖炎!」
アシュリーがかざした手の平から、黄金の炎が生き物のようにうねって襲いかかっていく。後には倒れ伏した敵が残った。
(すげぇ…大魔術師っていうだけあるって事か…)
正直、こんなに頼もしい存在だったとは思ってもみなかった。今更ながら失礼だったと思い直した。
(終わったらもうちょっと敬おう。)
そう思ってちらりと後ろを振り返ると——。
「アシュリー様!大丈夫ですか!?」
「っ……」
普段運動などしない人間が、さっきから走りっぱなしなのだ。しかも、階段がほとんど。フィフィと同じ体力の筈がなかった。
つまり——体力が切れた。
「アシュリー様…」
駆け寄りつつも、まだ新手が近づけない事を確認した。肩を貸して先を急ぐ。
「とにかく今のうちに最上階に行きましょう。」
「ああ…」
返事もやっとだ。
(はあー…今思い直したばっかなのに…)
ちょっと遠くを見ながらそう思っていると、ふいに前方から影が飛び出してきた。
咄嗟にアシュリーをその場に押さえつけ、突き出された剣を避ける為に飛び退いた。剣先が喉をかすめ、外壁に足を取られてバランスを崩した。
(やばっ——)
この高さから堕ちれば、命はない。
アシュリーは押さえつけられた直後、顔を上げるとフィフィが足を取られて外壁の向こうへ消えかけているのが見えた。追い打ちをかけようとする敵を一撃で仕留め、外壁へ駆け寄って下を覗き込む。
「っ…な…」
フィフィは、外壁にしがみついていた。
「アシュリー様、さっきの奴は!?」
「大丈夫だ。それより…」
フィフィは、想像していたような焦った顔ではなかった。むしろ。
「…平気、なの?」
「ええまあ。しっかり掴めてるんで。そこどいてもらえますか?今から上がります。」
「あ、ああ…」
戸惑いながらもフィフィを見つめたアシュリーの頭上、上の階の螺旋階段を、敵が駆け下りてくるのが見えた。
「アシュリー様!上から敵が来ます!」
「!」
はっと螺旋階段を見上げた。
「!?」
上から、外壁を掴んでいるフィフィの手すれすれに矢が突き刺さった。
「「………」」
これは、まずい。
「ちょっ…何してるんですか!?」
「早く上がれ!」
アシュリーがフィフィの腕を掴む。が、所詮アシュリーの力ではフィフィを引き上げる事は不可能だった。
「いいから離して下さい!掴んでたら一緒に落ちるかも知れな」
「うるさい!」
(う、うるさいって…)
アシュリーを睨んだその時、背後に剣を振りかぶる敵が見えた。アシュリーは気付いていない。
「アシュリー様っ!」
「!?」