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砦のような城の螺旋階段を、軽快に駆け上がっていく。後ろに続くヴィーグとジルキスが追手を斬り捨て、フィフィが後方を打ち崩す。
「俺たち良いコンビですよねぇ」
ヴィーグが呑気にそんな事を言って、ジルキスがにやついた。
「ほんとに。これでフィアニス様が女だったら、恋でも出来るのに。」
フィフィの矢があらぬ方向へ飛んでいった。
「「…………」」
無言でそれを見やって、ヴィーグとジルキスは真面目に言った。
「大丈夫ですよ。いくら飢えても同性には手ぇ出しませんから。」
「そうですよ。いくらなんでもそれはないです。」
「………ははは…」
(こいつらだけには女だってばれない方が良い気がする…)
フィフィは頭を振って、目の前に集中した。
螺旋階段を昇りきると、今度は迷路のように通路が別れていた。躊躇わず走りながらも、驚く程思考の似通った三人は三手に別れた。敵の方が戸惑ったようだ。
(ざまぁみやがれ!絶対に巻いてやる!)
フィフィは目についた扉に体当たりして入り込んだ。そこにはただ、上下階へ通じる階段だけがあった。
(どっちへ…)
一瞬戸惑い、下の階へと駆け出す。後ろから追い立てる足音は、もしかしたらフィフィの姿が見えなかったかも知れない。
(だといいけどな。いくらなんでも多勢に無勢だからな…)
なるべく足音を立てないよう、なるべく階段をすっ飛ばして駆ける。だんだんと光が入らなくなる階段は、足下さえはっきり見えなくなってきた。
(まずいな…)
灯りが欲しい。そう思った瞬間、耳元から光が飛び出して、フィフィの足下を照らし始めた。
「ウィスペル!」
忘れていた。
最近、あまりに大人しかったから。なんて言ったら即座に耳飾りに戻ってしまうだろうから言わないが。クライストにいた時はちょくちょく出て来ていたのに。
「助かる。ありがとな。」
声をかければ、相変わらずの可愛らしい鈴の音が返ってくる。それにちょっとほっとして、フィフィは暗い階段を駆け下りた。
駆け上がっていた螺旋階段は、砦の内壁に沿って造られていた。そして、今駆け下りているのは、螺旋階段の内側に造られた階段だった。こちらは螺旋ではなく、直線だ。
何度か角を曲がっては降りる。残念ながら追手は完全には巻かれず、人数は分からないが、追いつかれたら厄介だ。
「!?」
しかし、通路は無情にも、唐突に終わりを告げた。
「なんで…」
壁、だった。道が途切れている。耳を澄ますと、幸いにも追手がここへ辿り着くにはまだ少しかかりそうだ。
(どうする…?ウィスペルに手伝ってもらえば追手を突破出来るか…?)
後ろを振り返るが、駆け下りて来た階段以外のものは見当たらなかった。
(…やるしかないよな…)
まあ、こんな狭い所だ。狭い所には狭い所なりの戦い方がある。
(あ、そういやエウェラもいたっけ。)
おまけに大精霊を思い出して、よし、行くか。と気合いを入れたのだが。
「?」
ウィスペルが、行き止まりの壁の前に浮いていた。じぃっと、壁を見ているような気がする。
「ウィスペル?」
そっと声をかけるが、微動だにしない。
(一体どうしたんだ…?)
耳を澄ますと、足音が近づいてきている。
「ウィス…!?」
光が、呼吸しているように見えた。ひと呼吸ごとにウィスペルの光が強くなっていく。それと同時に、ちりん、ちりん、と音も響く。
(何してるんだ……?)
訝しんで、その壁を見た。すると、わずかに文様が現れていた。
(え……)
文様は、ウィスペルの呼吸に反応するように、徐々に深く溝を刻み、はっきりとしてきている。やがて全ての文様がくっきり現れると、壁が揺らいで、消えてしまった。
「………これ…」
(アシュリー様の回廊にあるのと、同じようなやつか…?)
驚いてしまって動かないフィフィを、ウィスペルが少し先に進んで呼んでいる。
(ウィスペルの話しかけてきてる事…いつの間にこんなに分かるようになったんだろ?)
思わず苦笑しながらも、フィフィはウィスペルについて奥へと足を進めた。壁があった所を通り過ぎた途端、消えていた壁が元に戻った。
「おぉ…」
こんな時でもちょっと感動してしまう。前を向くと、ウィスペルは行くべき道が分かっているらしく、ふわり、ふわり、と進んでいく。暗い石造りの通路を、仄青い光が漂う様は、少しだけ不気味で、神秘的だ。自分の足音と息づかいしか聞こえない。通路もどこまで続いていくしか分からない。
(そういやエウェラに拉致された時も…こんな風に不気味な空間が続いてたな…)
なんて考えていたら、急にウィスペルが耳飾りへ突っ込んで来た。
「えっ!?なに、どうしたんだよ…」
突っ込んだきり沈黙してしまった。光は灯してくれているが、耳飾りから動かない。
「ウィスペル…?」
そっと耳飾りを指先で撫でてやる。するとほんの小さな音で、返事をしてくれた。
「いいよ。そこにいれば。」
そう言って、ともかく歩き出そうとした。
通路の先に、いつの間にか人が立っていた。
(いつ……?)
今も、気配が薄い。
(何者……)
そいつを見据えて、進んでいく。怯んでなんかいられない。後ろにはハークヴェルの刺客がいるし、別れたヴィーグとジルキス、アシュリー達もいる。そしてここ、ラナス国の人達も。
勇んで進んでくるフィフィを見つめて、その人は微笑んだ。とはいっても顔は目元までフードで隠れているし、足下までマントで覆われていて、正体が見えない。十分に距離を詰めて、フィフィは誰何した。
「お前、誰だ?ラナス国の国民か?」
友好的ではないフィフィの態度にも、何故だか嬉しそうに微笑む。そして、ゆっくりと口を開いた。
「また会えて嬉しいよ。」
「……?」
聞いた事がある。少し低めの、心地良い声音。唖然と見つめるフィフィの前で、男は俯きがちだった顔を少しだけ上げた。
「あ、お前…!」
レシテからハークヴェルへ抜ける渓谷で出会った旅人だった。深い紫色の瞳はそういない。見知った人物だったが、フィフィはさっと緊張した。それを見て男は、警戒する子犬を見るように笑った。
「そう警戒しなくていい。俺は今、ラナス国と侵入者の仲介をしてるんだ。」
「仲介だと?」
思いっきり眉を顰めた。
「お前は何者だ。」
くすり、と男は笑った。今までとは違い、問われた事を楽しむような。
(あれ…?なんかこういう笑い方見た事ある…?)
既視感に囚われたフィフィに、男は一歩近づいた。気配が薄く、どんなに近づいても危機感が沸かない。男は、そっとフィフィの顔を覗き込んだ。綺麗で、不思議な魅力を持った瞳が、フィフィの視線を捉えて瞬いた。
「俺はウォルスという。お前は?」
静かで、心地良い声音。不思議と落ち着く瞳。一瞬、今が大変な状況だというのを忘れそうになった。
「ウォルス…?」
はっと我に返って、聞いた名前を繰り返した。
「魔人!?」
自分で叫んだ言葉に驚き、一歩後ずさった。ウォルスが楽しそうに笑う。
「まあ、そう呼ばれているな。」
「な、なんで…これも“手伝い”か?」
するとウォルスの瞳が煌めいた。
「よく知ってるな。さてはアシュリーに聞いたか?」
「………それで、仲介ってのは?」
ウォルスといると調子が狂う。ここだけ空間が違うみたいだ。
「言った通りの意味だ。ここへ入れたのは光の精のおかげだろうが、ここから先はそうはいかない。」
「光の精…ってウィスペルか。で?」
今頃あの二人はどうしてるだろう。アシュリー達は。そう考えたら急に焦ってくる。
「ラナス国を救う事が出来ると誓約するのなら、案内しよう。」
「俺が勝手に約束していい事じゃない。」
即座に答えたフィフィに、ウォルスは楽しそうに笑った。
「そうか。それなら戻るか?」
「戻れるか!さっさと案内してくれよ!」
いきり立ったフィフィに胸ぐらを掴まれても、子犬のじゃれつき程度にしか思わない様子でウォルスは笑う。
「誓約するなら。」
「そういうのはアシュリー様にしろ!」
「お前は絶対にしないんだな?」
「だから!俺が勝手に決めていい事じゃねぇんだよ!」
ゆさゆさ揺すられても動じない。
「ああもう!」
突き放して叫んだ。もどかしい。
「俺はただの弓術師で助手で護衛だ!国を救う力なんてないんだよ!」
叫んで睨みつける。動じない瞳が憎らしい。
「だけど助けようとしてんだろ!さっさと案内しやがれ暇人め!」
「暇人……」
くっくっく、とウォルスは笑った。肩で息をするフィフィは、それを見てぐっと拳を握る。ウォルスはますます可笑しくなったようで、腹を抱えて笑い出した。
「もういい、どけ!」
たまらず、腰に忍ばせていた短剣を手にして斬り掛かった。魔人なら多少斬りつけても死なないだろう。それに、怪我を気遣っていられる程の余裕もないのだ。
ひとっ飛びで斬りつけた。避けたり、怪我を負えばそれで良かった。それで道が空く。奥へ進める。だが。
「!?」
キィン、と甲高い音が辺りに響いた。厚い氷を割った様な感触が手に伝わった。
「……っ!」
フィフィの短剣の先には僅かな隙間があり、その下にはウォルスの手があった。ほんの少し短剣が下がるだけで触れてしまうのに、まるで刃を合わせているように短剣が動かない。ぐっと力を入れても、びくともしなかった。
(どういう事だ……!?)
くすり、とウォルスが笑った。ぱっと身を翻して飛び退く。ゆっくりと手を下ろしたのを見て、フィフィは声を絞り出した。
「…どういう…事だ…」
「お前は魔術に疎いんだな。」
「今のが魔術だってのか!?詠唱もなしに!」
怒鳴るフィフィに、ウォルスはどこまでも静かに笑う。
「詠唱のない魔術も見て来た筈だが?ラナス国へ入った時に。」
「…あれは、発動条件が…陣が引いてあった筈だ。」
するとウォルスは、面白そうに首を傾げた。
「陣についての知識は多少あるのか。」
「俺が無知だって言うのは分かってんだよ!」
「まあそう怒るな。案内してやる。」
「だから!……へ?」
予想外の言葉が聞こえて、思わず肩の力が抜けた。拳だけは握りしめたままだ。
「お前の気持ちが弱いものではないというのは分かった。だから、案内してやろう。」
「…………そりゃ、どうも…」
勢い込んだ気持ちが収まりきらず、もやもやしたまま一応礼を言った。
「素直だな。やはり、お前は良い女だ。」
「…………」
変な台詞に眉根を寄せる。こいつは本当に調子が狂う。
「じゃあさっさと案内しろ。」
「仰せのままに。お嬢さん。」
「やめろ気持ち悪い。」
心底嫌がるフィフィを見て、ウォルスはくすくす笑いながらも歩き出した。げんなりしながらも後を追う。その耳元で、ウィスペルが不安気に揺れた。
フィフィと別れて刺客を惹き付けつつ走り回っていたヴィーグとジルキスは、分かれ道を走っているうちに合流してしまった。
「あっ、何やってんだよ!」
「お前こそ!纏めてどうすんだよ!」
罵り合いながらもぐんぐん走り、時折振り向き様に刺客を切り伏せる。
「まずいな……」
「言うなよ。嫌になるだろ。」
ちらりと振り返ると、長い刺客の列が廊下の果てまで見える。
「フィアニス様…無事だろうな…」
「無事だろ。ヴィルジウス殿下が認めた腕前だぞ?」
「それもそうか。」
にやりと笑い合って前を見据えた瞬間、二人の顔から余裕が消えた。
「「……まずいな。」」
目の前は通路の終わり。外へ誘うアーチの先は、半円の露台が見える。当然、それより先は翼でもなければいけない。
「俺ここで終わりか!?」
「逃げただけで!?」
嘆き叫ぶ二人には、命の危機だというのに緊張感がない。そんな二人がアーチをくぐろうとした時。露台の床に陣が浮かび、待ち望んだ人が現れた。
「「―————アシュリー様!!」」