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ハークヴェルの、あの重々しい雰囲気からやっと解放され、フィフィは国境を越えるなり大きく伸びをした。
「んー…!身体が軽くなった気がする…」
馬上で伸びをする、という危険極まりない事を平気でやってのけ、ついでに感想まで呟くフィフィに、サージェスが苦笑した。
「あの雰囲気は独特ですからね。師団員も慣れない者は、辟易しております。」
言われて後ろを振り返ってみると、何人かはうんざりしたように振り返っていた。これには苦笑した。重苦しくて敵わない。
「こっからはラナス国だな。」
確認すると、サージェスが前方を見据えて言った。
「ええ。見通しが良いとは言えませんが、クライスト、ハークヴェル間の渓谷よりは良いでしょう。」
「…へ?」
なんだか嫌な物言いに、フィフィが前方へ目を向けると…。
「げ。」
子供がすっぽり隠れてしまうくらいの背丈の低木が、所狭しと育っていた。
「フィアニス様…思うのですが、ギルドの依頼で国を出る事もあったのですよね?」
怪訝そうに訊ねられて、フィフィはなんとか笑い返した。
「……俺さ、いっつもばか騒ぎする奴ばっかと組んでたから、途中の道ってあんま覚えてないんだよな。どこに何があるとか。」
「……それでは毎回大変でしたでしょう。」
「うん。けど、地形によっての戦い方は覚えてるから、そこは大丈夫だけどな。」
「そ、そうなのですか…」
そんな曖昧な情報で、よく今まで無事にこれたものだ。サージェスにそんな風に思われているとはつゆ知らず、フィフィは上機嫌で馬の手綱を取っていた。
(道に迷ったりしないのだろうか…)
馬車の中で会話を聞いていたアシュリーも、同じように思っていた。
(けど…フィフィなら迷ってる事に気付かなさそうだな。)
なんて、失礼な事を。
鬱蒼とした視界は腰辺りまでで、その上は見晴らしがとても良い。
しかしそれに油断は出来ない。ようするに見えない高さでかがんでいれば、いくらでも潜んでいられるのだ。
だが心配したような襲撃はなく、のどかな時間が過ぎ去って、日暮れ頃にはラナス国の門をくぐった。
しかし、ここがおかしかった。
「誰もいない…?」
そう、本来なら門番がいる筈なのだ。これはどこの国でも同じ事。それなのに誰もいないとは。
「アシュリー様、フィアニス様。少々お待ち下さい。」
そう言って、師団員の何人かが門周辺を調べにいった。
そう待たずして戻ってきて、一様に首を傾げる。
「……一人もいません。兵だけでなく、街人も…」
「街人も?」
サージェスにそう訊ねられ、師団員は一斉に頷いた。
(こりゃあ、なんかあったな…)
思わずフィフィの口元がにやりと笑みの形を取る。
「どうする?」
「そうですね…近くに怪しい気配はありません。ともかく街まで進んでみては如何かと。フィアニス様はどう思われますか?」
「俺も、賛成!」
頷いてから、フィフィは馬車を覗き込んだ。アシュリーと目が合う。
「いいですか?」
「……いいけど…」
歯切れが悪い。首を傾げるフィフィに、アシュリーは不機嫌そうに言った。
「何か、変。嫌な予感がする。」
「そりゃあいるべき所に一人もいないのはおかしいですよ。何かあったに決まってます。」
「分かってる。それだけじゃなくて…」
はあ、と大きな溜息を吐かれた。
「なんですか?」
「…君、俺が大魔術師だって、わかってないの?」
「……………」
つまり。目に見える状況ではなく、何か魔術絡みで怪しい動きを感じる、と。
「分かってますよ?」
「だから、その間はなに。」
えへへと笑うフィフィに、ぎろりと睨むアシュリー。そんな二人を遠巻きに見て、師団員達は、ちょっと不安になった。
「…それでは参りましょうか。」
見兼ねたサージェスの一声で、一団はラナス国の大きな街へと足を踏み入れる。そうして、一団が門を通り過ぎた。
瞬間だった。
誰もがはっと感じる事が出来る程の魔力が動いた。
「!?」
振り返ると、門を境に、まるで空間を断ち切るように不可視の壁が広がった。地面から空へと、虹色に色彩を変えて広がっていく。
肌が、ざわりと総毛立った。それほどまでに大きな魔力が、この壁を瞬時に創り出したのだった。
「………これ、は…」
唖然としたサージェスの声が空しく空気に消える。
「……境界壁だ。」
アシュリーが馬車からゆっくりと降り立った。
「境界壁?」
フィフィの問いには耳を貸さず、アシュリーはサージェスへ向いて言った。
「馬車は置いていく。」
「…畏まりました。」
「取りあえず人を捜す事にする。」
「はっ。」
サージェスがそう返事を返すと、師団が一斉に礼をとる。それを見やってアシュリーは踵を返して歩き出した。置いていかれそうな雰囲気に、フィフィは慌てて後を追った。
「アシュリー様!」
並んでそう声をかけると、アシュリーは視線すら動かさずに答えた。
「急がないとまずい。」
「えっと、なんで…」
「ラナス国よりハークヴェル側へは道が断たれた。」
「断たれた?…って、事は戻れないんですか!?クライストに!」
思わずアシュリーの前に出て道を塞いでしまった。アシュリーは呆れた視線を流してきたが、フィフィは気にならない。
「境界壁をどうにかしないと無理だ。」
「どうにか出来ないんですか?」
アシュリーはフィフィを押しのけて再び歩き始めた。その勢いにちょっと押されたものの、フィフィはぴったりついていく。
「考えろ。この境界壁はハークヴェルの仕業だ。なら、狙いはクライストの陥落だ。」
「だったら!すぐに戻った方が——」
「ハークヴェルの魔力の源はあの植物だ!」
珍しく怒鳴ったアシュリーに、驚いて怯んでしまった。
「源を断たなければ、クライストどころか植物に浸食された国全てがハークヴェルに下る。」
「…………っ!」
アシュリーは苛立っていた。すぐにでも戻って護りたいのと、すぐに根源へ辿り着いて植物を消滅させたいのと、二つの衝動に駆られて、葛藤しているのだ。
それが分かって、フィフィは考えを巡らせて、今一度アシュリーに声をかけた。
「…サージェス達だけ送り出す事は出来ませんか?」
先程とは声音が違う。それに気付いて、アシュリーがフィフィと目を合わせた。しばらく見つめ合って、アシュリーが頷く。
「…出来ると思う。けど、人を捜すのが先だ。」
どうして人を捜す事が優先されるのか、フィフィには分からない。だが。
「はい、分かりました。」
言われた言葉に即座に頷ける程に、アシュリーを信頼していた。アシュリーの言葉は、信じられる。絶対になんとかしてくれる。
そう、思えるのだ。
門から十分程行くと街があった。がらんとしていて、人の気配が感じられない。
試しに家々を訊ねて回ってみるが、人っ子一人見当たらなかった。
「アシュリー様……」
フィフィが見つめる先には、見覚えのある色彩が見えた。あの、花だ。花には風が纏わりついており、アシュリーとニルの術が作用しているのが確認出来た。
「……ラナス国は半分が海に面してる。……そのせいだろうな。」
ハークヴェルからの門は、ちょうど海側、陸側の間にあった。その延長線にあるこの街までも、すでに浸食されていたのだ。
「……これより海側へ行っても誰もいないだろう。陸側を探す。」
「はい。」
アシュリーを筆頭に、一団はピスティル・オス共和国への道沿いにある、ラナス国の城へと足を進めた。
これだけ浸食されているのだ。危機感を覚えた国民が城へ逃げ込んだり、他国へ逃れようとしている筈だ。そして王も。並の魔術師ではあの植物を食い止めるどころか、魔力を喰われて使い物にならなくなってしまうだろう。
「アシュリー様!前方に城が見えます。」
城を見据えたアシュリーを見て、フィフィが一歩先へ踏み出した。
「俺、先に偵察に行ってきます。」
「は?」
目を丸くしたアシュリーに、フィフィはにんまり笑ってみせた。
「俺は貴方の護衛ってだけじゃないんですよ?助手でもあるんですから。」
「ちょっ…」
引き止める間もなくフィフィは走り去って行く。思わず手が伸びてフィフィを掴もうとしていたが、まあ、届く筈もない。そんなアシュリーを見兼ねたサージェスが、後ろから控えめに声をかけた。
「…我々師団を信頼して下さっているのでしょう。」
意外そうに振り返るアシュリーに苦笑して、サージェスは師団員二人を先へやった。
「……犬みたいだ…」
紐でもつけておきたい、とアシュリーは切実に思った。
(だいたい助手の仕事じゃないだろ…)
はあ、と溜息を吐く。面倒さえ起こさなければ放っておきたい。フィフィは、色々と騒がしいのだ。
態度は軽々しいものの、隠密よろしく、静かに走り行くフィフィの後ろに、師団員二人が追い縋る。
「お供致します、ルセ様!」
そんな二人をぎょっとしながらフィフィは振り返った。
「な、なに!?」
「ですから、お供致しますと…」
「そんな畏まった態度とらなくても!」
慌てたフィフィに、二人も慌てる。
「そういう訳には参りません!」
「そうですよ、ルセ様!アシュリー様の側仕えなのですから!」
「や・め・ろ!せめて俺らしかいない時は!」
「「…………」」
二人はかなり困った様子で顔を見合わせた。
「しかし…」
「じゃあ畏まったら罰な。」
「「ええっ!」」
仰天した二人を見て、面白くて笑ってしまった。
城は、クライストやハークヴェルと比べるのが間違いの様な気もするが、とても小さかった。砦のようにも見える。しかしこれが小国の城なのだと、師団員二人に教わった。
「……なんか、静かだな…」
見上げる城は、寒々しい空の色と相まって、生き物を拒んでいるかのような雰囲気があった。
「よし。入る。」
「「お待ちを!」」
一歩踏み出したところで二人に肩を掴まれた。
「なんだよ。」
「もう少し危機感は持てませんか?」
呆れた様子で言われ、フィフィは不満げに口を尖らす。
「元賞金稼ぎが、命を落とす様な真似するわけないだろ?」
「今は違いますから。」
苦笑された。ぱしりと肩を掴まれた手を叩き落として睨みつけた。
「なめんなよ。お前らもサージェスの部下なら、びくびくすんなよ。行くぞ。」
「「あっ…」」
城の門扉をくぐってすたすた進むフィフィの後ろに、二人は仕方なしにくっついて行くしかなかった。
(アシュリー様と似たり寄ったりの自分中心っぷりだな…)
呟いた二人の背後で、殺意が揺らめいた。
「「!?」」
振り返りざま、剣を引き抜いて振りかぶった。間一髪で避けた暗殺者は、二人の追撃を受けてあっけなく命を落とした。
「なんだ!?」
先へ行ったフィフィが矢をつがえて門扉の外に狙いをつけていた。一人目を始末した師団二人の後ろには、どこに隠れていたのか、ぞくぞくと殺意をみなぎらせた奴らが来る。
「刺客ですね。」
「落ち着いてんな…」
飄々と言ってのけた師団員に乾いた笑いが浮かぶ。引き絞った手を離すと、フィフィの矢は真っ直ぐに迫っていた刺客へ飛んでいく。
「俺は上へ行って人を捜す。あんた達は…」
「ヴィーグです。」
「は?」
「俺はジルキスです。」
「は?」
二人はにやりと笑ってフィフィを見やった。
「俺たちは貴方の応援に来たわけですから、お供しますよ。」
「いやでも」
「アシュリー様は大丈夫です。サージェス師団長がいらっしゃいますからね。」
「……………」
ぽかんとするフィフィが可笑しかったのか、大勢の刺客が迫っているにも関わらず、二人は楽しそうに笑い出した。それを見て、フィフィも思わず口が笑みの形を取る。
「……じゃあさっさと行くぞ!」
「そうこなくちゃ!」
「行きますか!」
駆け出したフィフィを追って、ヴィーグとジルキスも走り出した。その三人を追い立てるのは、無数の殺気。上まで上り詰めてしまったからどうなるかなんて、今は考えない事にした。
必ず、アシュリーや王師第一師団が辿り着く筈だ。
「アシュリー様、あれを。」
険しくなったサージェスの声音に、アシュリーは眉をひそめた。
「……愚かだな…ゼルヌ陛下は…」
アシュリー達を滅ぼす為なら、ラナス国など取るに足らないという事か。はたまた周辺国から非難されようとも、それを潰すだけの何かがあるのか。
そのような考えも力も、愚かなだけだ。
「サージェス、手加減は無用だ。」
「心得ております。」
サージェスが一歩踏み出した。師団がそれに応えて剣を抜き、構える。
「アシュリー様とフィアニス様を、命を賭してお護りせよ!」
空気を震わす声が響き渡る。それを見て、アシュリーが目を閉じた。
「一部隊、行け!」
サージェスの命に呼応して、五人が前方へ突っ込んでいった。アシュリーの詠唱がそれを援護する。斬り込んでいく彼らの周辺に不可視の壁を創り出し、彼らの身体を重力から解放する。
道を開ける役目を果たす為に一部隊が激烈に動けば、その後を二部隊が進んでいく。そこには、当然アシュリーもいる。その背後を護る三部隊も苛烈だった。
クライストに仇なす者には、誰一人容赦しない。