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翌朝、宿を出たところでセシリアが待ち構えていた。どうやら昨夜の騒ぎを聞きつけたらしい。宿の主人とわずかな客以外は眠っていたから気付いていない筈だが、それを聞きつけるところはさすがハークヴェルの皇従と言えるだろう。クライストの動向には少しも目を逸らさない、というところか。
探るようなセシリアに、アシュリーは淡々と答えた。
術を解いたのはウォルスだという事。フィフィとサージェス達が追い払った事。宿の客にも、誰にも怪我ひとつなかった事。
逆にアシュリーを狙う者に心当たりはないか、と聞いた所、ぴくりとセシリアの眉が動いた。心当たりがあるのか。それとも不当な疑いをかけられたと憤ったのか。それこそ溢れんばかりの怒気を目に宿し、アシュリーと、その真後ろで睨み返していたフィフィを睨みつけた。
「どうぞお気をつけて。」
と、かなり棒読みな言葉を送り、アシュリー一行の後ろ姿を睨みつけて送り出してくれた。
「アシュリー様…」
珍しくアシュリーにくっついて馬車に乗り込んだフィフィは、戸惑い気味にアシュリーに声をかけた。そして、それに対してアシュリーも珍しくフィフィに目を向けた。
「ハークヴェルが差し向けたと思ってるんですか?」
ずばりと聞いたフィフィに、アシュリーはすぐに視線を外した。
「…言ったと思うけど、両帝国はあまり仲が良いとは言えない。」
「あ、はい。」
「そしてクライストを落とす機会を狙ってる。」
「……はい。」
フィフィはアシュリーを見つめていた。窓から光が差し込んで、アシュリーの深い群青色の瞳が透き通り、きらめいて見えた。それが綺麗で、思わず魅入ってしまう。
「となれば俺が今ここにいる状況は、良い機会だろう。加えてあの植物だ。」
「………けど、あんなしょぼい奴差し向けるなんて甘過ぎませんか?」
見蕩れていて、慌てて言葉を返した。アシュリーは気付いていないようだ。
(そりゃそうか。人に興味ないもんな…。)
「相手もそんなに馬鹿じゃない。こっちの程度を調べたんだろう。」
(魔術と武術の程度か…。あっちはウォルスが手伝うんなら、あとはあたしとサージェス達の腕によるわけだ。)
相変わらずアシュリーの瞳を見つめていると、さすがにアシュリーが気付いてぎょっとしていた。
「なっ…何?」
近くでまじまじと見つめられるなんて事はないのだろう。びびっている。
「いやー……目ぇきれいだなーって。言われません?」
「……………は?」
アシュリーは思いっきり怪訝そうにこちらを見て、続いてずばりと突っ込んだ。
「真面目に聞いてるんじゃなかったわけ。」
「え?やだなぁ聞いてましたよ?小手調べだったわけでしょ?」
あはは、と笑いながら言うと、怪訝そうにしながらも信じたようだ。
「あの植物と嵐を発生させたのがハークヴェルだとは言いきれない。けど、あの植物を利用する事は考えられる。」
クライストを護る大魔術師の一人が国を離れた。それでクライストの護りが崩れるわけではないが、大きな力が離れた事には変わりない。落とす機会としては、十分だ。
「だとしたらこれから先、クライストへ戻るまでの間に何度襲撃があるか分からない。」
また窓の外を見ていたアシュリーは、つと視線をフィフィへ向けた。油断して、またアシュリーの目を見ていたから、どきりとした。
「君は護衛の仕事に専念して。サージェス達としっかり連携取れるように。」
「………」
頷きそうになって、フィフィは口を結んだ。
(頷けるかよ。)
ちょっと不機嫌になったフィフィを見て、アシュリーは首を傾げる。
「どうかした?」
「…あの、アシュリー様。俺って助手兼護衛ですよね?」
両足に両肘を乗せ、前屈みの姿勢でアシュリーを睨み上げる。
「……今更なに?」
「ちゃんと分かってくれてるんですよね?」
少し考えてからアシュリーは頷いた。
「うん。」
「その間はなんなんですか。」
さらに不機嫌に睨みつけられ、ちょっと焦る。取りあえずフィフィの両手が握られていないのを確認した。
「だから、何。」
「俺は貴方の為にいるんですよ?」
言われた台詞がさらりと心を撫でて、もう一度頭の中で反芻する。
「俺は軍人じゃない。サージェス達と一括りにしないで下さい。俺は国の為には動かない。貴方の側にいるのが仕事です。貴方を護る事が。」
「…なに……」
真っ直ぐに睨みつけられて、ぞわりとした。
強く、強く、光を受けて瞳の奥が輝く。
琥珀の色が射抜く。
「いざという時、サージェス達は捨て置いていいとルキにも言われました。そうじゃなくても俺は貴方の側にいる事を優先します。」
ごくり、と我知らず息を呑む。もはや言葉が出なかった。
「だからアシュリー様。ここから先は何を言われようと、絶対に離れませんから。」
言われたまま、アシュリーは動けなかった。言葉が出て来ないし、身体も動かない。
フィフィはそんなアシュリーをしばらく睨むと、すっと立ち上がって馬車を出て行った。
途端に身体が動いて、思わず溜息を吐く。
(………何…)
おかしい。フィフィに警戒するよう促しただけなのに。何故自分が圧倒されているんだろう。
(やっぱり、変だ……)
それがフィフィの事なのか、自分の事なのか。思いがぐちゃぐちゃになって自分でもよく分からなくなっていた。
クライスト城——ニルヴァーナの回廊。
日の当たる半屋内の廊下でひなたぼっこをしていると、風の精霊が飛んでくるのが見えた。ユンファはあっと声を上げて立ち上がった。両手を差し伸べて導く。
迷わず小さなユンファの手にふわりと降り立ち、精霊は形を変えた。鳥の姿から、光り風を纏う精石に。それをそっと両手で包み込んで、ユンファは回廊の屋内へ続く扉を開けた。
造りはアシュリーの回廊と左右対称になっており、やはりニルの自室は地下にある。が、そこへ行くには絵画の婦人に導いて貰わなければならないのだ。
「“しるべ”よ。主の元へしもべをいざなえ」
幼い声に促され、婦人は手を差し伸べる。とは言っても絵画の中で手を動かすだけで、その手が現実に触れる事はない。その絵画の婦人の指先に触れようとすると、ニルの部屋へと導かれるのだ。
「ニル様!アス様から伝言ですよ!」
机に向かって書類を片付けている主へ走り寄ると、立ち上がって抱きしめてくれた。
「ありがとう、ユン。……あら、光の加護を付けたのね…何か分かったみたい。」
「あのお花ですか?」
「ええ。」
そっとユンファの髪を撫でながら、ニルは椅子に座って、精石に封じられていた魔力を解き放つ。すると精石から水平に陣が広がり、光と風がニルを包み込んだ。目を閉じて、集中する。
と、アシュリーの声が聞こえた。ニルの側にいたユンファも陣に包み込まれ、ユンファにも声が聞こえる。初めて体験する伝言の魔術に驚いた。
『——ニル。あの植物は魔力を喰らうように手を加えられてる。出来るなら書術を施して食い止めておいて。
ついでに喰らった魔力を溜めて、新たな嵐を生み出すように仕組まれてる。すぐに嵐が向かう先の国へ警告して。
周りには常に注意して。多分ハークヴェルはこの機会に何かしらすると思うけど、今回の件とは別かも知れないし、策の一つかも知れない。俺はこのままフェルウェイルへ行って片付ける。
……君が暴走しない事を祈る――』
声が消えると同時に精石が輝きを失った。風も光も止み、ユンファは息を吐いた。
(すごい…声が頭にひびいてた…)
見上げると、ニルが苦笑していた。
「…好き勝手言うわね…」
「…ニル様?」
心配そうに見上げるユンファの髪を撫で、ニルは立ち上がった。ぐずぐずしてはいられない。
「出かけます。ユン、手伝ってね。」
「はいっ!」
元気よく答えたユンファに微笑みかけ、回廊を出る為、歩き出す。前を向いてユンファから顔が見えないようにすると、ニルは虚空を睨みつけた。
(触れると魔力を喰われるのに、書術を施せですって?あの馬鹿、無茶しか言わないのね…)
帰ってきたら苛めてやろうと、にやりと笑ったのだった。
回廊を出て、国内専用の転移魔術陣のある部屋へと歩いていると、その部屋の前に見知った姿を見つけた。
「あら、ルキ様。どうされました?」
ルキセオードは声をかけられて微笑した。そして、軽く礼をする。
「護衛をするよう言われましたので。お供致します。」
「そう…ではお願いします。」
従騎であるルキセオードが供をしてくれるのなら、万が一魔力を喰われ過ぎて倒れても安心というものだ。ユンファでは運べないから、天魔を呼ぶ事になっただろう。
(…兵器だと言いながらも、陛下もユンファの事を案じてくれるようになったのね…)
振り返るとユンファが真っ直ぐに見つめ返してくれる。ユンファに頷いて、ニルは転移陣へと足を踏み入れた。
「ルキ様も陣の中へお入りください。」
「はい、では。」
陣はそうそう大きくはない。三人も入ればいっぱいだ。
「では、移動します。
——汝は“移ろい”。我はニルヴァーナ=ハディエス。誓約に従い、その力を示せ——」
言い終わると同時に光と闇の粒子が三人を呑み込んでいく。圧力を感じた次には一気に解放され、目を開けるとそこはもう、辺り一面に花が咲き乱れていた。
「これは……」
見渡して、ルキセオードは唖然とした。サファイアの浜辺を侵していた植物は、今やサファイア自体に侵入しつつあった。
「……ユン、分かる?」
植物が水を纏い、アシュリーが張った結界の中で、精霊達を喰らおうとあがき、精霊達が逃げ惑っている。ユンファはじっと結界を見つめたあと、小さく頷いた。
「……見えます。」
逃げ惑う精霊が苦しげに喘いでいる。その声はか細く、まるで風を切る様な小さな声だ。
ニルはゆっくりと植物へと足を進めた。アシュリーが結界を張っていなければ、今頃サファイアは呑み込まれ、町にまで到達していたかも知れない。
「一体、何が起こっているのですか?」
ルキセオードは状況が読めず、控えているユンファにそう問うた。ユンファは、ニルを見つめたまま答える。
「このお花は、せいれい達を食べてしまうんです。」
「精霊を…食べる?」
魔術の扱いすら知らないルキセオードには、不可解な言葉に聞こえた。目に見えないものを食べるというのが、よく分からない。
「えっと…人間で言えば……血を抜かれていくような感じです。」
「血を…」
呟くルキセオードに、ユンファは頷いた。
「でもせいれいに血はありませんから、血を抜かれたぶんだけ、消えていってしまいます。」
もう姿がよく分からないほど、存在が消失しつつある精霊も見える。アシュリーが原因を突き止めて解決するまで、保たないだろう。
「ルキ様。」
結界の際まで近づいたニルが振り返った。静かにこちらを見つめ、強く言葉を発する。
「私が倒れたら、お願いします。」
「ニル様…」
ユンファでは倒れたニルを運べない。運ぶとするなら天魔を喚ばなければならない。そうさせたくないから、ニルはルキセオードに頼んだのだ。
「お任せください。」
力強くルキセオードが頷くと、ニルはユンファに笑いかけた。
「ユン。アシュリーの魔術を助けてくれる?」
頼られて、ユンファは、しっかりと頷いた。
「はい!“停止”と“しゃだん”ですね!」
「そうよ。頼んだわね。」
力の入るユンファを愛おしげに眺め、ニルは呼吸を一つして、植物へ触れる。
触れた途端、その指先から力を持つ水が這い上り、ニルの魔力をまさぐり、貪った。
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