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闇が辺りを包み込み、宿の宿泊客も皆眠りを貪っている頃。
月明かりが僅かな窓掛けの隙間から室内に入り込む。その光の先には、ぐっすりと眠る姿が見えた。
音も無く窓掛けが揺れた。
じっくりと時間をかけて窓が開かれる。人一人通れる程に開くと、するりと男が忍び込んだ。窓を開けたのとは対照的に素早く寝台へ近づくと、そのままの勢いで腕を振りかぶり、一気に振り下ろした。
「させるか!」
「!?」
ガキンッ!と刃がぶつかった。男は即座に飛び退いて乱入者を確認する。
寝台に寝そべる人物を跨ぐように立ち、短剣をこちらへ向けて威嚇しているのは小柄な人物だった。月明かりを受けた瞳が爛々とこちらを狙っている。一体どこに潜んでいたのか。全く気配を感じさせなかった。
「何…?」
狙われた人物はようやく目が覚めたようだ。男はさっと身を翻して窓から飛び出した。
「サージェス!下!」
叫び声はしたものの、幸い、対峙した人物は追って来ないようだった。
ひやりと空気が冷えた気がして、意識が戻った。しかし瞼が重かったためにそのまま放っておいたら、いきなり寝台が大きく沈んで真上で叫ばれた。
「させるか!」
と。
かなり聞き慣れた声だ。という事は、さっき寝台が沈んだのはフィフィが乗ったからか。そう言えば金属音が聞こえたような。一体なんだ。何がどうなってフィフィが部屋にいる。そして寝台に乗っている。
「何…?」
不機嫌も露に瞼を開けると、フィフィが短剣を持って自分の上に跨ぐように仁王立ちしているのが見えた。その目が鋭く光っている。
「一体、何…」
身体を起こして、寝台の頭の方へ移動してフィフィの下から抜け出す。
かたん、と窓から音がした。
「サージェス!下!」
再び怒鳴り声が降って来る。音がした窓を振り向くと、何故か窓が開いていた。
「……?」
(何これ。どういう状況?)
アシュリーは瞬いた。
「大丈夫ですか?アシュリー様。」
相手が去ったのを確認して、フィフィはすぐに窓を閉めてアシュリーを伺った。とうのアシュリーはまだ眠そうだ。ぐさりとやられそうになったというのに、呑気なものだ。思わず頬が緩む。
「無事みたいですね。」
「……で、一体何事?鍵かけてあったと思うけど?」
心底不思議そうに言われ、フィフィは得意そうに笑った。
「アシュリー様。ギルド出身者を舐めちゃあいけませんよ?こんな鍵、開けられるに決まってるじゃないですか!」
もの凄く得意そうだ。満面の笑みが眩しい程に。
(………そこは自慢する所じゃないだろ。)
眠気も手伝ってか、普段ならすぐに切る所を心の中で留めた。代わりに溜息が出た。
「で?何してるの?」
「呑気ですね…。たった今殺されそうでしたよ?」
「………!?」
目を丸くしてフィフィを見つめた。
(アシュリー様……危機感なさ過ぎじゃねぇ?)
先が思いやられる。と思った矢先、アシュリーは表情を一変させて窓を睨んだ。
「………どうしたんですか?」
(今更あいつに怒りが湧いた、とか?)
なんて思って首を捻っていると、アシュリーが声を絞り出した。
「……この部屋には術がかけてあった。」
「へ?」
「君と、サージェス達しか入れないように。」
「え、でも…」
あの男は入ってきた。という事は。
「誰かが術を解いたんだ。」
「き、気付かないもんなんですか?それって…」
途端にアシュリーに睨まれた。
「俺を誰だと思ってるの?」
(うわあ!俺様な台詞!)
「………こんな事出来るのは一人しか思い当たらない。」
「え。思い当たるんですか。」
あっさり分かってしまって、ちょっと拍子抜けだ。するとまた呆れ顔をされる。
「分からない?」
「分かりませんよ。大体そいつがそんなにすごいってんなら、そいつがここへ来て狙えば良いじゃないですか。なんでそいつはあの男にやらせたんですか?…まさかあの男が術を解いたなんて言いませんよね?」
「……君って、馬鹿?」
(うあぁっ!殴りてぇ!)
ぐっと拳を握りしめたのにアシュリーが気付き、慌てて寝台の上を移動する。
「ちょ、ちょっと、まさか殴る気?」
うっすらと笑ってにじり寄る。
「どうかなぁ…?馬鹿にされたままって事がないんで、手が動いちゃいそうなんですよねぇ…」
「……!」
真っ青になったアシュリーを見て、楽しそうにフィフィは笑う。
「ねえ、アシュリー様。誰に術解かれたんですか?」
教えるよな?という威圧をかけて軽く首を傾げた。
「…………!ウォ、ウォルスだ!」
拳を警戒しながらも、睨みだけは利かせてアシュリーが叫んだ。
「ウォルス?」
「だから、ウォルス=イセリア=ダイン!分かったら離れて!」
(……………)
「魔人か!」
フィフィは拳を解いて一歩離れた。それをしっかり確認してから、アシュリーはほっと息を吐いて元の場所へ戻る。
「……くそ…暴力主義者め……」
ぼそりと零れた悪態は、しっかりフィフィの耳に届いていた。
「なんですかー?アシュリー様?」
「別に……それよりもう寝かせてくれる…」
もはやさっき怯えただけで体力を使い果たしたようだ。ぐったりしながらそう言われて、フィフィはほくそ笑んだ。
「まだウォルスが術を解いた理由を聞いていませんよ。」
アシュリーはしばしフィフィを睨んだ後、根負けして盛大な溜息を吐いた。
「……………座れば…」
「ありがとうございます。」
にっこり笑ってフィフィは椅子を引き寄せた。
「……ギルドでウォルスの噂は聞かなかったの…」
堂々と寝台で横になりながら、ついでに目を閉じながらそう話しを進めるアシュリーは、どうやら憔悴して嫌がる事すら止めたようだ。
(体力も忍耐力もないって…ますますこの人が有事に役立つのか心配だよな。)
なんて思いながらもフィフィは答えた。
「ギルドでは特にないですよ。男だとか、もの凄い魔力だとか、実は神とか精霊の子なんだとか。神出鬼没ででかい事には力は貸さないで、どうでもいいような小さい事しか手を貸さないんだとか?」
(結構あるじゃないか……)
思いつつも疲れていたので突っ込まずにおいた。突っ込んだらうるさいに決まっている。
「けど回復役としてウォルスと組んだ事あるやつは、やっぱりとんでもない魔術師だって言ってましたけどね。」
「もういい…」
アシュリーは溜息を吐いた。
「噂にあるように、あいつは“ちょっとした手伝い”をよくしてる。今回もそれだ。」
「今回も…?アシュリー様の術を解くのが?」
「そう。」
「でも…それをやるんだったらついでに他の奴は眠らせる、とかはしないんですか?もしくはやってくれって言われそうですけど…」
「それはやらない。“ちょっと”手伝うだけだから。」
「……アシュリー様、ウォルスと仲良いんですか?」
「……………………は?」
あまりに分かったように言うものだから、ついそんな事を訊いてしまった。が、アシュリーがとんでもなく嫌そうな顔をしているから、違うのだろう。
「違うんですね。」
「どうしたらそうなる訳?」
「よくご存知のようなので。」
「………」
ぐっと詰まったところを見ると、よく知ってはいるらしい。
「なんでちょっとだけなんでしょう?」
「退屈してるから。」
「ちょっとしか出番ない方が退屈じゃないですか?」
「…ほぼどんな事でも出来るから、全てをやるのは退屈なんだよ。」
つまりは優秀過ぎて打ち込めるものがない、という感じだろうか。
「もういい?」
珍しくちょっと弱った声音を出されて、なんだか胸がむずむずした。
「…はい。分かりました。ありがとうございます。」
ごまかすように立ち上がり、ぺこりと一礼して踵を返す。しかし部屋の扉を開けて振り返った。
「じゃあアシュリー様、良い夢を。」
ぱたん、と扉が閉まる。
「…………」
(刺客に襲われた後に言う事?)
と毒づきつつも、アシュリーは胸がもやもやしてしばらく扉を見つめていた。
「サージェス、どうだった?」
宿の一階に部屋をとったサージェス達を訊ねた。さすがは第一師団。起き抜けに侵入者を追って全力で走ったにも関わらず、全員がしっかり目を醒ましているし、状況も把握しているようだ。
「闇に溶け込むように消えてしまいました。申し訳ございません…。」
「それは俺も一緒だ。追いかけなかったしな。」
深々と頭を下げるサージェスにそう言うと、僅かに緊張が解れたようだ。
「というか俺ってサージェスにこんな態度取ってもいいのか?」
「もちろんです。アシュリー様の助手なのですから。」
即答されるとなんだか居心地が悪い。
「えっと、それで…」
事態の説明を求めると、小さく頷いて教えてくれた。
「どこの者かは分かりませんでしたが、アシュリー様と知って狙ったのは確実でしょう。他にこの宿に要人はおりません。」
「アシュリー様の話じゃ、手伝ったのはウォルスらしいぞ。」
そういうとサージェスは渋い顔をした。
「さようですか…また厄介な…」
「…俺は今日は寝ないから、昼間は頼むな。」
「はい、畏まりました。ご無理なさいませんよう。」
「おう。サージェス達もな。」
笑って別れようとすると、サージェスがもの言いたげにこちらを見ている。
「…どうした?」
「いえ…」
問われて苦笑する。
「フィアニス様は…護衛という職が板についていらっしゃる。」
「ああ…そりゃあ、伊達に賞金稼ぎやってないからな。正直、助手より護衛の方が向いてるよ。」
「……なれば…何故この職へ志願されたのですか?」
他の団員を返しながら、サージェスは不思議そうにフィフィを見つめた。と、フィフィが苦笑する。
「…フォンが過保護だからさ。」
「フォン、とは?」
「ほら、サファイアの支配人だよ。あいつがうるさいんだ。金に困るならサファイアへくればいい。だから賞金稼ぎは止めろって。だから、黙らせてやろうと思ってさ。」
フィフィは言われた時を思い出したのか、不機嫌そうに虚空を睨む。
「別に金の為に賞金稼ぎやってんじゃなかったんだけどな…性に合ってるってだけで。でもサファイアなんて絶対性に合わないから、城の仕事ならこういう仕事もあるかもって思って探したんだ。」
そう言って明るく笑うので、つい厳しい口調になってしまった。
「しかしフィアニス様。城へ仕える身では、命じられれば受け入れるしかありません。その覚悟はおありなのですか?」
すると、フィフィは不敵に微笑んだ。その目は鋭く、爛々と輝く。
「アシュリー様の命令なら、聞いてやるつもりだ。」
それは、不敬だ。本来ならば国王陛下へ絶対の忠誠がなくてはならないのだから。
(だが…この目は強い。)
フィフィならばアシュリーを裏切らず、確実にその全てで護るだろうと思われた。
「さようですか…。ではこれからも、アシュリー様をお願い申し上げます。」
深々と頭を下げられて、フィフィは慌てて胸を張った。
「あ、ああ!任せとけって。」
そうしてそそくさと部屋へ戻っていく。
その背を見送りながら、サージェスは微笑んだ。あのアシュリーに、良い相手が付いたものだと。