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植物のある浜辺までは、城から遠く離れていた。浜辺へ着いた時はもう陽が暮れかかっていて、空は赤く、不気味に光っていた。
「あ、あそこですかね?」
見た事のある色彩がちらつき、フィフィはアシュリーの前を行こうとした。
が。
「ちょっと!何してるの。」
「え、何って、先に行って見て来ようかと…」
がしっ、とアシュリーに腕を掴まれた。ついでに思いっきり睨まれている。
「君、サファイアでの話、聞いてなかったの?」
「サファイアでの………?」
言われて思い返してみる。
(そういやフォンとなんか話してたっけ?それに帰り際に触るなとかなんとか…でもあれってアシュリー様がなんとかした後だよな?)
うーん、と考え始めたフィフィを見つめ、がっくりと肩を落とした。
「……何も頭に残ってないのか…」
ごまかして笑うと、睨まれた。
「“命が惜しくば、自然の摂理から外れているものに触れるな”って言ったんだ。君も、無闇に近づくんじゃない。」
その目は、とても静かで、深くて。
「……はい。」
あんまりにも神秘的で、見蕩れてしまって。やっぱり耳に残らなかった。
「………後ろにいて。あれには触らないで。」
「はい。」
素直に頷いて、ちゃんと後ろへ回った。
ハークヴェルに辿り着いていた植物は異様な程増殖していた。完全に浜から上がり、花畑と化した植物の中に、浸食された民家が見えた。ちょっとした密林だ。
「…すごいですね…この辺りに住んでいた人は、非難したんだろうな…」
アシュリーは黙ってじっくりと植物を検分する。
(結構力が喰われてる…。確かにすごい有様だ。けど……何かおかしいな…)
ふと足下の幹を見て、息を呑んだ。
(……水を纏わりつかせてる…?)
植物の根元にたゆたう水は、液体である筈なのに砂に馴染まず、生き物のように揺らめきながら植物に纏わりついていた。
魔力を少しだけそこへ零してみる。と、途端に貪るようにアシュリーへ向かってきた。
(!?)
「アシュリー様!」
ぞわりと総毛立つような、這う様な感触が身体に絡んでくる。と同時に力を大量に吸われている感覚があり、ぐらりと目眩も感じた。
だが、それは一瞬だった。どん、と衝撃を感じたかと思うと、不快な感覚は消え失せた。おまけに、何か温かい感触がアシュリーを包んでいた。
(なんだ…?)
状況が呑み込めず瞬きするアシュリーの耳に、ほっと息吐く音と、心配そうな声が聞こえた。
「…大丈夫ですか?アシュリー様。」
「………」
聞き慣れた声に視線を動かすと、フィフィが心配そうに覗き込んでいた。
(いつの間に…?それに、これは…?)
状況を把握して、一気に驚きが増した。
「俺を助けたの?」
「は?」
助けた本人としては、そんな質問はあんまりだと思う。今度はフィフィががっくりと肩を落とした。
「この状況でそれ言います?なんか、やばかったじゃないですか。」
あの水に襲われた時に襲った衝撃は、フィフィがアシュリーに激突する形でその場から退いたかららしい。その勢いに当然ついていけなかったアシュリーは尻餅をつき、フィフィは抱えたままだったのでつられた。
状況をしっかり把握したアシュリーが慌てるより先に、フィフィが抱きしめた腕を解いた。
「まあ無事そうですよね?」
そう確認の為に覗き込まれて、アシュリーは頷いた。そして、目を合わせずに言う。
「助かった。」
するとにんまり笑われた。
「それは褒め言葉ですよねぇ。」
「褒めてない。」
調子づくフィフィにしっかり言い返して立ち上がる。
「君はなんともない?」
「はい。なんとも。あれはなんだったんですか?」
フィフィは本当になんともないようで、密かに胸を撫で下ろす。そして、あの水を眺めた末、踵を返した。
「…宿で話す。」
思わずアシュリーを凝視してしまったフィフィだが、本人はさっさと師団の元へ戻ろうとしていた。
その背を、まじまじと眺める。
(あ、アシュリー様が…面倒くさがらずに話すって…話すって言った…!)
そして、思う。
(うっかり“へ!?”って口に出さなくて良かった!)
言っていれば間違いなく、じゃあいい。とか言われそうだ。
ゼルヌ陛下から、好きな宿へ泊まれるように計らわれていた為、一行は浜辺から少し離れたところで宿をとった。師団を含めて二十名程になる為、大きな宿となった。
「入って。話すから。」
着くなりそう言い、アシュリーは部屋へフィフィを招き入れた。そして、扉を背に立ち、すぐに詠唱する。
「——汝、静寂を統べるもの。此の空間に響く音を固く封じ給え——」
突然の詠唱に驚いたものの、歌う様な、囁くような柔らかい声音に聞き惚れてしまった。
(きれーな声……)
普段の仏頂面からは想像出来ない声音だ。なんて思っていると、アシュリーはさっさと椅子に座っていた。
「今のは………?」
「この部屋の音が漏れないようにした。」
視線で来いと言われて、はいはい、と声を出さずに返事をする。
「あ、で…あれ、なんだったんですか?」
側へ寄って訊ねてみると、珍しく邪険にされなかった。かわりに難しい顔をしており、僅かに怖いと感じる程だ。
(だけど…)
不覚にも、どきりとしてしまった。
(いやいやいや。物珍しいだけだって。)
そう呟いて一人で頷いた。
「今回の事だけど」
「はいっ!?」
思いっきり考え耽っていた為に飛び上がってしまった。
「………なに?」
怪訝そうに首を傾げるアシュリーに笑ってごまかし、先を促す。
「いえ、何か分かったんですか?」
「…………あの植物は海の加護を受けてる。それは間違いない。」
フィフィの様子を訝しみながらも話しを続ける。
「海の加護…ですか?」
「そう。……君の為に説明しておくと、海の加護を受けていれば火を受け付けなくなる。魔力が高くなれば海の力も多少は操れるようになる。」
(すげぇ…!アシュリー様があたしの事気遣ったよ!)
なんて感動している間にもアシュリーは淡々と話す。
「それと別に…触れたものの魔力を喰らうよう、誰かが手を加えてる。」
(……アシュリー様に纏わりついてた、あれか)
「でもアシュリー様。フォンはあの植物を触ってたんですよね?だけどなんともなさそうでしたよ?」
「フォン?」
誰だそれ、と訴えられる。しっかりと話し合っていたように見えたのだが…覚えていないのか。苦笑しつつも教えてあげた。
「サファイアの支配人ですよ。」
「ああ…。彼には魔力がないから無事だったんだろう。君が俺を助けた時も少しは触れた筈だ。だけど君も無事だろ?」
「……確かに。」
「…で、あれに手を加えた誰かが、何らかの目的の為に魔力を集めてると考えられる。」
「何らかの目的ですか。」
さっぱり分からないので首を傾げた。集めてどうするというのだろう。
「…君には前に話したけど」
アシュリーはそう前置きして続ける。
「魔力がある程度溜まると、そこから“何か”が生まれる。例で言えば今回の嵐だ。」
そう言って、じっと見つめられて。数回瞬いた後に気付いた。
「え!?じゃああれですか!?あの植物は嵐で運ばれて、そこで次の嵐を生み出す魔力を蓄えてるんですか!?」
大きな声に顔をしかめるアシュリー。やべ、とフィフィは笑ってごまかした。
「あ、すいません。」
「君は騒がしい。無駄にうるさい。…いい加減に学習して。」
(うわぁ。いつもながらの棘…)
「びっくりしたもんで。」
気をつけます、とは言わなかった。何故ならうるさがっているのは今の所アシュリー一人。他に誰かから苦情が来たら気をつけよう、とこっそり決める。
「で、じゃあやっぱりその、手を加えた奴ってのはフェルウェイル国にいるって事ですかね?」
「………」
アシュリーが黙った。
「………違うんですか?」
フィフィは瞬く。
「最初はそう思った。確かにフェルウェイルで発生してるし、手を加えられたのもそこだと思う。だけど、フェルウェイルの人間がそれをやったかどうかは分からないだろ?」
言われて少し考える。確かに、人は移動する。国を移動する事だってあるわけだ。
「けどじゃあ、なんの為に?わざわざフェルウェイルに出向いてこんな事して、それでまた元の居場所に戻ったわけですよね?違う国の人間だとしたら。」
「………………」
再びアシュリーは考え込んでしまった。側でその様子を見ながら、フィフィは首を捻る。
(嵐であの植物を増やしてって、一体何になるんだ?大陸全土に広がったとして…今からでもおそよ三年はかかる。確かにやっかいな植物ではあるけど…まさか世を儚んだ誰かが道連れに——ってレベルでもないよな。それなら毒でもバラまいた方がさくっと出来るもんな。)
フィフィは早々に考えるのを放棄してアシュリーを見やる。と、アシュリーがぽつりと呟いた。
「……嫌な予感がする。」
(……嫌な予感?)
首を傾げるフィフィはすでに眼中にないようで、アシュリーは窓へ視線をやった。
(クライストを離れて良かったんだろうか…。このままフェルウェイルへ向かっても…?)
ざわざわと身の内が騒ぐ。
(不安材料には警戒すべきだ。)
そう判断して、再び詠唱した。
「——汝は我が僕。風に住まう者。我が意思、彼の者へ届け給え。汝に降る災いは、我が光が裁きを下す——」
ふわり、とアシュリーの差し出した手に鳥が舞い降りた。
「鳥………?」
またもいきなり詠唱し出したアシュリーを眺めていたのだが、鳥の出現にはさすがに度肝を抜かれた。
「違う。精霊だ。」
冷静に言われて苦笑する。そりゃあただの鳥でない事くらい、フィフィにだって分かる。
「ニルに用心するよう、伝える。」
「用心…ですか?」
訊ねるフィフィには目もくれず、アシュリーは窓を開けて鳥を外へ送り出した。そして、窓を閉めてフィフィへ向き直る。
「この話はこれで終わり。もう寝るから、出てって。」
「え?」
(アシュリー様が嫌な予感するって事しか分かってないけど?)
言葉を呑み込んで、フィフィはしぶしぶ頷いた。
「分かりました……おやすみなさい。」
くるりと踵を返し、さっさと部屋を出た。
だから気付かなかった。
おやすみと言われたアシュリーが驚いていたなんて。
今夜の宿の部屋へ行き、外套を脱いで寝台へ放り投げた。そのまま腰掛けて、ぼんやり窓の外を眺める。
(なんか、難しいなぁ…)
主人のアシュリーもさることながら、クライストを取り巻く状況もややこしい。フィフィには縁のなかった世界だ。
正直、面倒くさい。
(けど、アシュリー様があれだけ考えてるんだもんな。)
自分は考えるのも策を練るのも苦手だ。手伝える事はほんの僅かだろう。もしかしたら無いのかも知れない。
「まあ、やれる事って言ったら、やっぱり警護くらいかな。」
小さく呟いて苦笑する。
(城に戻ったらちょっとは魔術について勉強するか。)
そう考えて、灯されていた蝋燭を吹き消した。




