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ハークヴェルの城下町へと足を踏み入れる。
渓谷から伸びる斜面には長く石畳が敷かれ、城下町に近い所は鉄で作られたアーチで飾られていた。細工は美しいが、重々しい雰囲気だ。門兵もアーチに沿って並んでおり、入るのも出るのも妙に緊張感を誘う。
そのアーチが終わると、一際大きく荘厳な鉄門が開かれており、いかにも“入れてもらう”という印象を受ける。
入ってすぐにアシュリーは馬車を降り、待機していたハークヴェルの兵によって、一足先に城へと運ばれていった。レシテとは違い、さすがに帝国はただでは通してくれないらしい。
「アシュリー様、馬に乗りますか?」
「いい。」
その方が楽なのに、とフィフィは目で訴えてみたが、アシュリーは見向きもしないで歩き出した。一応護衛でもある為、フィフィも仕方なく馬を降りた。馬はサージェスへお願いした。
「なんか、重々しい所ですね。」
そうフィフィが呟くと、アシュリーは淡々と言葉を返した。
「ハークヴェルは鉄がよく採れる。だから城はもちろん、そこらの住居だってクライストよりよっぽど丈夫だろう。」
「ああ、クライストは木造ですよね。」
頷いてから、ふと疑問に思ってアシュリーに問う。
「もし火事なんか起こったら、クライストってまずいですよね?」
「は?なんで?」
アシュリーは心底不可解そうにフィフィを振り返った。
「だって木造じゃないですか。ここと比べたら断然危ないですよね?」
「………君は、馬鹿?」
「……はぁっ?」
毎度の事なのだが、よくよく考えればまだ三ヶ月と経っていない。だから、そう。まだまだ言われ慣れないのだ。青筋が浮くのも仕方ない。
「ば、馬鹿なのはよぉく分かってますから、分かるように説明してくれませんか?」
怒りすぎて笑顔しか出ないフィフィに、アシュリーはつんと前を向いたまま答えた。
「君は人に答えを求めすぎだ。少しは自分で考えなよ。」
(あんたが説明しなさすぎなんだろーがっ!)
「…アシュリー様。俺が無知なの分かってますよね?」
怒りが爆発しそうなのを堪え、フィフィはアシュリーの行く手を遮って仁王立ちした。
「……邪魔。」
心底煩わしそうに顔をしかめられ………キレた。
元来売られた喧嘩は買う性分だ。
うん。よく我慢してきたと思う。
「あれ、分かってないんですか?求人の書類も見てたのにそんな事も頭に入らないんですかねぇ、アシュリー様は。魔術の事しか分かんないぼんくらなんですかねぇ?」
「なっ……!?」
さすがのアシュリーもぼんくら呼ばわりされて癪に障ったようだ。さっと強ばった表情を見て、フィフィは胸がすっとした。思わずにんまりしてしまう。
「ニル様が色々教えてくださるわけですよね。ついでにアシュリー様もニル様にとやかく言われるわけですねー?」
ふふふと笑って首を傾けると、アシュリーはわなわなと震えていた。信じられないものを見る様な目でフィフィを見つめている。
一応、衆目を考えて声は控えめだ。が、側でサージェスと師団が硬直していた。皆、フィフィを恐ろしげに凝視している。
(ん……?なんで怖がってんだ?)
そう思ったのもつかの間、アシュリーが動いた。
ぎっ、とフィフィを睨みつけ、どん、と思いっ切り押しのけられた。
「っ!?」
アシュリーにとって全力でも、鍛えてあるフィフィには弱い衝撃だったが、それよりもアシュリーの強い視線に驚いた。
「うるさいっ!」
「へ…?」
一言叫ぶとずんずん歩いて行ってしまう。
「………へ?」
フィフィの挑発に呆れるか怒るかと思っていたが、あの怒り方は予想と違った。何か、嫌な事でも思い出させてしまったのだろうか。
(………あれ…なんかあたし…古傷抉った……?)
恐る恐る第一師団を振り返ると………。
「…………………」
全員が全員、気まずそうにフィフィをちら見していた。
(うわっ!直視出来ない程まずかったのか…!?)
青ざめて慌ててサージェスの元へ駆け寄る。
「さ、サージェス!俺、まずい事言った?」
「はい。フィアニス様。あれはかなりまずいと思われます。」
「即答!?即答なのか!?」
今度は黙って、全員が頷いた。もはや、言葉が出ない。
「………………」
これは、まずい。
(あたし…今度こそクビ?)
「いや…こんなんで…?」
フィフィは数秒考えて、師団を振り返る事なくそそくさとアシュリーの後を追った。
追いかけて、近づいて。フィフィはかける言葉に迷ってただ後ろを歩いた。
(いや…どうしようか。)
アシュリーは怒っていた。それと同時に、何かを耐えているように見えた。
(どこだろ…?ぼんくら?…いや、魔術しか分かんないってとこか?)
考えて、きっとそうなんじゃないかと思った。
アシュリーは魔術以外の事が苦手だと、誰もが少なからず分かっている。だからこそニルも、兼護衛という職務をフィフィにやらせたがったのだろうし、アシュリーをからかうのだろう。
(アシュリー様…結構気にしてんのかな…)
いつもいつも傲岸不遜なものだから、何事にも疎いのかと、勝手に思い込んでいた。
それに、さっきのは傷つけるつもりはなかったのだ。
ちょっとだけ、いつもの腹いせのつもりだった。
「……ぁーぁ…」
小さく零す。こうやって零れた言葉は、なかった事には出来ないんだと、今更思った。
どんなに傲岸不遜に見えても、アシュリーだって人なのだ。
そこは、軽んじてはいけないところだった。
「アシュリー様…」
声をかけてみるものの、反応は期待出来そうにない。
(今は無理か…)
前方からハークヴェルのものだろう、重厚そうな馬車がくる。それが着く前に、とフィフィは思い切ってアシュリーの横へ駆けた。
「俺、言いすぎました。すみません。」
一言だけ、アシュリーの目を捉えて言った。
アシュリーはふいと視線を逸らす。それで、フィフィは一歩後ろへ下がった。
馬車でアシュリー達を迎えに来たのは、妙齢の女性だった。いかにも賢そうで、ニルと似た雰囲気があるものの、なんだか無機質な感じがして、フィフィの目にはちょっと不気味に写った。
「ようこそ、ハークヴェルへ。わたくしは皇従のセシリア=ヴェルフェイアと申します。ウィルレイユ様は馬車へどうぞ。師団の方々は恐れ入りますが、後へ続いて下さいませ。」
(なんだこいつ…)
フィフィは眉根を寄せた。丁寧と思いきや強引だ。
一つ頷いてアシュリーが馬車へ向かうと、当然の如くフィフィも後へ続いた。
「失礼ですが、こちらは?」
セシリアはすっとアシュリーとフィフィの間へ入る。その所作がいやに静かで、フィフィはざわつきを感じた。
(なんだ、こいつは…?)
間に入られて不快だと思う以前に、何かがおかしいと感じた。何かが異様だ。
「俺はアシュリー様の助手で、護衛も兼ねています。お側にいるのが仕事です。」
不快感を押さえ込み、教えられた態度を絞り出す。セシリアは怪訝そうにした後、アシュリーへ視線を向けた。
「ウィルレイユ様。この者が必要ですか?」
(!?)
ざわり、とうなじがざわつく。しかしそれを一瞬で押さえつけ、フィフィは主の許しを待った。アシュリーはすでに馬車へ乗り込んでいて、その表情は伺えない。
「………御者席へ。」
普段となんら変わらない口調。しかし、拒絶されているのが分かった。
セシリアがフィフィへ視線を戻し、淡々と言い渡す。
「こう仰っています。よろしいですね。」
「………はい。承知しました。」
ぐっと拳を握りしめ、馬車の脇を通り過ぎて御者席へ乗り込む。隣に座るハークヴェルの兵士は、鉄仮面で表情さえ見えなかった。
(…胸くそ悪ぃ国。)
そう心の中で呟いて、フィフィは大人しく馬車に揺られた。
ハークヴェルの城は荘厳だった。加えてやはり重厚で、一番息苦しく感じる。馬車は城の中まで入る事が出来て、円形に開けたところで止まった。
セシリアが先に馬車から降りると、アシュリーも出て来る。意識してフィフィを視界に収めないようにしているのが分かる。それには構わず、フィフィは御者席から降りてアシュリーの後へ続いた。
師団は城内正門前に居るようだ。
「陛下にお会いになられた後、すぐに例の植物を見に行かれますか?」
セシリアにそう問いかけられると、アシュリーは軽く頷いた。
「そうさせて頂きます。」
「承知致しました。案内をご用意致します。」
「それには及びません。」
きっぱりと案内を断ったアシュリーに、セシリアが僅かに顔をしかめた。それを見て尚、アシュリーは言った。
「お手数をかけて頂く程の事ではありません。ここからでも十分に場所が分かります。」
セシリアは怒気の籠った目でアシュリーを見据える。
「…失礼ですが、ウィルレイユ様。ここから植物の魔力を、感知出来ると?」
「もちろんです。……こんなに濃い気配がするではないですか。」
くすり、とアシュリーが笑った。
(えっ!?)
びっくりして、フィフィは先程の暗い気分が吹っ飛ぶ程にアシュリーを見つめた。
(初めて見た……アシュリー様…こんな顔出来るんだ…)
高圧的で、小馬鹿にしたような、それでいて綺麗な笑み。
セシリアの纏う雰囲気が変わった。ぐっと拳を握りしめ、羞恥と怒りに耐えている。この程度の魔力も感知出来ないのかと、そう言われたも同然なのだ。
しばし拳を握りしめて怒りを抑えると、セシリアは射る様な冷たい眼差しをアシュリーへ向けた。
「……さすがは、ウィルレイユ様。案内などと、失礼でしたね。」
「お心遣い、痛み入ります。」
わざとらしく感謝の意を伝えれば、セシリアは忌々しげにそれを見やって歩き出した。
「謁見の間はこちらでございます。」
セシリアの視線が外れた途端にいつもの表情に戻ったアシュリーの後に、フィフィも慌てて続く。そして、じっとその後ろ頭を見つめた。
(……意外とやるんだな…)
フィフィと顔を突き合わせるといつも子供っぽい喧嘩しかしないから、仕事なんか出来るんだろうか、と内心呆れていたのだ。
(でもいいのか…?ハークヴェルはクライストを狙ってるのに…喧嘩吹っかけるみたいな態度とって。)
フィフィにはよく分からない。
もう少し後でアシュリーに聞いてみよう。そう思って黙って後ろを歩いた。
謁見の間を出ると、どこにも兵士がいなかった。このままどうぞお好きに、という事らしい。城へは留まらずに先を急ぐと伝えてあるせいかも知れない。師団は城の一階で待機だ。
ハークヴェル国国王、ゼルヌへの謁見は、かなり疲れた。
何せ威圧感が半端ない。この国の雰囲気からして威圧感たっぷりだが、加えて国王だ。なんか、身体がすごーく凝った気がする。
アシュリーとの壁が、さらに居心地の悪さを生み出している。
(でも、いつまでもぐだぐだしてんのもなぁ…)
思えばこんな風に、誰かと長い時間行動を共にする、という事がなかった。
ギルドの仕事で何人かで組む事があっても、気が合わなければ解散する事が多かったし、ともすれば報酬の分け前争いで真剣に戦う事もあった。
(そう考えると……アシュリー様と助手のあたしって…“絶対裏切らない相手”?)
もしそうなら、それは、とても不思議な関係に思えた。
(……まあお互いに排除する理由がないしな。)
助手は要らないと言っているアシュリーも、単に面倒くさいだけで、特に不都合があるというわけではないのだ。そりが合わなくても、一緒にいれない事はないと思う。
(でもなぁ…)
どうしてか、このままでは嫌だった。単に居心地が悪いというだけかも知れないが、なんとなく、このままにしておきたくなかった。
「アシュリー様。このままあの植物の所に行くんですよね?」
隣へ並んでそう声をかけると、アシュリーはちらりとこちらを眺めた。すぐに視線を前へ戻すが、フィフィがずっと横に並んでいると、観念したように小さく息を吐いた。
「……君は護衛の仕事をして。」
短いけれど、それは紛れもなくフィフィを受け入れた言い方で。
「はい!喜んで!」
弾んだ声のフィフィをぎょっとしたように見つめ、何故か腹が立ったらしく、アシュリーはずんずん進んで行った。
当然、フィフィも追う。たった一言で喜ぶ自分が可笑しくて、無性に笑えた。
(アシュリー様の言う通り、あたしって変なのかもな)
皇従…言ってみれば皇族、城のお使い係です。勝手に考えた役職です。