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町に着いて、アシュリーに馬を貰って(魔術で移動させたらしいが、フィフィは見れなかった)、一泊して、さあ朝だ出発というところまできて、フィフィはようやく気付いた事があった。
「アシュリー様」
馬車に乗り込もうとしていたアシュリーに声をかけるが、アシュリーはやはり見向きもせずに答えた。
「なに。」
フィフィは馬に騎乗して続けた。
「今思ったんですが、クライストからフェルウェイルまで、どうして魔術で移動しないんですか?」
その質問に、師団全員の視線を集めた気がした。
「……………」
言葉を失ったのはアシュリーだけではなく、師団全員が、驚きに硬直していた。
「……………………いや………すいません……政治には疎いもんで……………」
あまりの緊迫感に、思わず肩を竦めて謝った。アシュリーは大仰に溜め息を吐いた。かなり呆れているようだ。
「……ちょっと乗れる?」
馬車へ入れ、という意味だ。フィフィは馬を騎士に預け、しばし馬車で移動する事になった。
「どうして魔術を使わないか、考えてみて。」
「……………」
説明するのが面倒臭い、と顔に描いてある。が、サファイアでの一件と同じように、話さなければいけないと思っているようだ。
(こりゃあ、国同士の関係に関わることか?)
そう判断して、フィフィはよくよく考えてみた。しかし、魔術でぱっと移動する事に、そうそう問題はないように思える。便利じゃないか。ぱぱっと伝達出来るし。
「……………まずいんですか?」
そう言うと、アシュリーは頭が痛そうに顔をしかめた。
「……相当信頼しあっている国同士でなければ、魔術で転移するのは宣戦布告に値する。」
「えっ……移動しただけで?」
「攻撃とみなされる。それくらい、国同士の間で転移移動は重要視されている。しないのが常識だ。万一魔術で相手の許可なく移動すれば、移動先以外の国からも非難されるだろうな。」
「なんで…いや、何故ですか?……あっ!国境が関係なくなるから?つまり、関所を通り抜けられるからですか?」
「そう。不法侵入になるけれど、それ以上に、魔術での移動は内容を細かく把握出来ないから、国際的に禁止されている。」
「行かれちゃまずいところに入れちゃったり…って事ですね?」
「そう。………ギルドに魔術師はいなかったの?」
「あー、いましたけど…ギルドの魔術師って変態ばっかでしたから、関わりませんでした。」
遠い目でそう言われると、アシュリーは何かいけない事を聞いた様な気がして、ほんの少し罪悪感を感じた。
「…まあ、国際的禁止事項を平気で破っている者もいるけど。」
「は!?」
「聞いた事ない?ウォルス=イセリア=ダイン。」
「………あ————っ!!神出鬼没の魔人ウォルスだ!!」
フィフィが突如大声を出したので、アシュリーはその煩さに思いっきり耳を塞いだ。
「あ、すいません」
「煩い。無駄に煩い。」
「…………」
かなり耳に響いたのか、アシュリーはしばらくしてから、ようやく手を耳から外した。
「…ウォルスは国際指名手配。けどまあ、捕まらないだろうな。」
「………そんな事言ってていいんですか?」
「クライストに仇成さない限りは。…それに、あいつは特別だから。」
あの子は稀なの、と言ったエウェラの言葉が被さった。魔人の存在も稀、という事だろうか。
「…特別、ですか?」
「そう、特別。古代の一族の末裔だから……………」
「へー………」
よく分からないが、そうなのか。と、思い込んだフィフィの態度が気に喰わなかったのか、アシュリーは、もういいよ、と言ってフィフィを馬車から追い出した。再び馬に騎乗したフィフィは、うきうきと旅を再会した。
クライスト帝国を北東へ進んでいくと、やがてはフェルウェイル王国につくのだが、その間には、クライストから順に、レシテ国、ハークヴェル帝国、ラナス国、ピオティス・オス共和国、イイェル国がある。
嵐は海沿いにやってきたから、その痕跡を調べながら辿るのだ。
最短距離で隣接する国々を通るのなら、ハークヴェル帝国にピオティス・オス共和国、そしてイイェル国だけで済む。そうフィフィが言うと、呆れた様子でこう返ってきた。
「それじゃあ調査にも解決にもならない。」と。
そんなわけで一行は今、レシテ国にいた。
レシテはクライストに比べると、随分小さな国だ。それもその筈、クライストとハークヴェルという帝国に挟まれている形になる。両帝国に海へ押しやられ、肩身の狭そうな国だ。
実際、アシュリー達が到着するなり、国王の使いが慌ててやってきて礼を尽くした。事情を説明して、後にハークヴェルへ渡ると伝えると、それならばと伝令役を買って出たのだ。アシュリーはそれを断ったが、あまりに恐縮した態度に、側で見ていたフィフィは可哀相に思えてしまった。
「なんか……可哀相なくらい縮こまった態度ですね。」
国王の使いが去ると、フィフィはぽつりと呟いた。それにアシュリーが淡々と答える。
「帝国に挟まれているから仕方がない。それに、両国の仲はあまり良くないから、余計に敏感になってるんだろう。」
「あー……噂には聞いてましたが、そんなに仲悪いんですか?」
アシュリーは面倒くさそうに顔を上げる。今は宿の一室の中。外には見張りの騎士もいる。それを確
認して、アシュリーは答えた。
「両陛下のものの考え方が違うし、意見の通し方も違う。仲が良いとは、とても言えない。」
「……間にあるレシテとしては、穏便に毎日を送りたいわけですね。」
フィフィがそう言うと、アシュリーは深く頷いた。
「もしも両帝国が戦争でも始めれば、レシテは火の粉を被るどころか、真っ先に戦場にされるのは分かりきってるから。」
「……実際、戦争になりそうなんでしょうか?」
そう聞くと、アシュリーは沈黙した。フィフィも言葉を失う。あまり仲が良いとは言えない。というのは噂で知っていた。それは、クライストの国民の間では当たり前に流れている噂だったが、それを真剣に考えているものはいないだろう。それこそ、城に仕える者以外には。
「………そんな状況で、ハークヴェルに入って大丈夫なんでしょうか?」
アシュリーは溜め息とともに答えた。
「……今のところは。」
「どういう事ですか?」
問いかけるフィフィに、アシュリーは呆れた様子だ。
「………君は、本当に質問が多い。」
「今説明して下さると、後々面倒が少なくなりますよ。」
にっこり笑ってそう言うと、アシュリーは観念したように視線を逸らした。
「………ハークヴェルはクライストを落とす機会を虎視眈々と狙っている。表立っては同盟を申し込んだり、不可侵をうたってはいるが本心は違う。」
アシュリーは淡々と続ける。
「我らがウルセデイ陛下は争う気はないと暗に伝えてはいるが、だからと言って侵略を許すわけにもいかないから、ある程度はこちらの力を誇示する必要がある。」
アシュリーは暗くなってきた室内を照らすために、燭台に火を灯した。とはいっても、実際はウィスペルが飛び回って灯を灯す。
蝋燭の光に照らされていると、アシュリーの神秘さがいっそう際立つ。
「それが、ゼルヌ陛下には忌々しいようだ。」
そう言ってアシュリーはしばらく窓の外を眺めた。ひょっとしたら色々と思いを馳せていたのかも知れない。
ふとフィフィに向き直ると、なんでもない事のように言った。
「まあ、すぐにどうこうなるような対立じゃない。今のところは。」
「………それにこした事はありませんね。」
「もう寝るから、出てって。」
眠た気に目を向けるアシュリーに言われてフィフィは一礼し、部屋を出た。
翌朝、フィフィはウィスペルに起こされ、心地良い朝の空気をいっぱい吸い込んで身を起こした。今日明日はハークヴェルを通過するのだ。少し警戒しておいた方がいいかも知れないと、フィフィは少し気合いを入れた。
朝食を摂ると一行はすぐに旅立つ。その時もレシテ国王の使いがわざわざやって来て見送ってくれた。その様はまさに帝国の僕だ。なんとも言えない気持ちでフィフィはレシテを後にした。
レシテ国とハークヴェル帝国の間には、短いが渓谷がある。道があるとはいえ、大きな岩が多く見通しがかなり悪い。そのせいか、師団全体が僅かに緊張しているように見えた。渓谷を抜けて行く人々もいるのだが、その人たちも僅かに警戒しながら通り抜けているように見える。
(見通しは確かに悪いけどな…。こういう場所で襲撃にでもあったら、この大所帯じゃ身動き摂りづらいったらないな。)
少し馬の足を止める。両側にそそり立った大岩を見上げると、その上に逞しく生い茂っている緑が見えた。
(……ほんと、見えない……)
前を見ると、少し止まっていただけなのに師団の姿が見えなくなりそうだった。
(道なりも急で、はぐれはしないけど見えなくなるのは簡単だな。)
そう焦らずに馬に前進を促し、師団を追う。すると、道を曲がってすぐのところ、師団とフィフィの間辺りに座り込んでいる旅人が目に留まった。通り過ぎようと近づくと、その旅人の顔色が悪い事に気づいた。マントを羽織り、フードも被っている為分かりづらいが、顔色が悪い。
フィフィは馬を止め、その旅人の側に降りた。気づいた旅人が顔を上げる。その両目がとても珍しいものだと気づく。
(深い紫色……見た事ないな…)
思わず魅入ってしまっていると、旅人が微笑んだ。
「どうかしたか?」
少し低めの、心地よい声音。その目も、その声音も、どこか常人とは違う気がして、フィフィは僅かに警戒した。
「……顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか?」
男は驚き、また微笑んだ。
「俺を案じてくれてるわけか。」
純粋に嬉しそうに微笑まれると、警戒している自分に少し罪悪感を感じるが、ここは気を引き締める。
「レシテなら近いぞ。もう少し頑張れば着く。」
「あいにく、レシテには用が無い。だが心配無用だ。すぐに良くなる。」
「薬でも置いてってやろうか?」
「……お人好しだな。」
「別に、分けられる時は分けたらいいだろう。で、要るのか?」
「いや…お前の気持ちは貰っておこう。薬は不要だ。」
「そうか……まあ、気をつけろよ。」
そう言って騎乗するフィフィに、男は嬉しそうに微笑んだ。フィフィは少し離れてしまった師団と合流する為、馬の横腹を軽く蹴った。
「お前、いい女だな。」
(……!)
声が耳に届いたのは馬が走り出してからで、フィフィはそう言った男の姿を確認する事が出来なかった。この格好で、少し話したくらいで、こうも確実に女だと判断された事に驚いた。
(あいつ、一体…?)
振り返ってももう岩に阻まれて男は見えない。何か厄介な相手に絡んでしまった気がして、フィフィはじわじわと不安になっていった。
——アシュリー一行はレシテの短い渓谷を無事に越え、もう一つの帝国、ハークヴェルへようやく足を踏み入れた。
渓谷を越えた所はなだらかな下り斜面で、ハークヴェルの城下町を一望出来る。
「うわぁ……」
その壮大な景色と共に、伺い知れない予感がフィフィの胸をざわつかせた。
この国には何かがある—そんな予感が。