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出発の日は快晴だった。
嵐は大きな爪痕を残したものの、夢ではなかったのかと思える程、後の天候は恵まれ、クライスト本来の穏やかな天候が続いている。
城門と城とを繋ぐ庭には、フェルウェイル王国へ向かうアシュリー一行と、見送りの人達がいる。見送りは、ヴィルジウス王子の名代でリディオス、同僚であるニルと助手のユンファ、そしてルキセオードだけだ。
クルスには出立前に、しばらく授業は受けられないと言っておいた。では旅先でも礼儀作法には気をつけるようにと念を押された。そして、見送りには行けないから、気をつけて、と。どうしてか訊ねると、苦笑しながら身分が低いから、と答えられた。小さく謝ると、その必要はないと言ってくれた。
それにしても、少し寂しい見送りなんじゃないかとフィフィは思った。けれど、フィフィは元々、見送る、見送られるという習慣がない。少し寂しい見送りも、当事者達が平然としていれば、見送りってこんなものかと思うに留まる。
「では、クライストの調査団という形で、フェルウェイルへ向かいます。」
アシュリーがことさら、じゃあ行ってきます、という風に別れの挨拶をすると、フィフィも今回の旅がなんでもない事のように思えてきた。
「ウルセデイ陛下から、無事に、と託かってきた。我が主からは、早々に解決するようにと。」
リディオスが表情を一ミリも動かさずにそう言うと、アシュリーはげんなりと肩を落とした。
「……ようするに事態を完全に解決するまで帰ってくるな、でもさっさとやれ。ってことだな…」
ぼそりと言うアシュリーに、ニルが言葉をかける。
「道中気を付けて。あの時みたいにならないようにね。」
「余計なお世話。本当に。」
「フィアニス、貴方がしっかり護衛するのよ。その為にいるんですからね?」
突然矛先が自分にむいて、フィフィは若干動揺した。
「はい。きっちりお守りいたします。」
「…いい態度ね。言葉遣いも改善されたし……いい感じよ。」
「…………肝に命じます。」
言葉の端々から圧力を感じてそう返すと、ニルはにやりと笑った。悪魔の笑みだ。しっぽが揺らめいて見える。
「アシュリー様、フィアニス、どうかお気を付けて…」
ユンファだけが心底心配そうにそう言うので、フィフィは思わず笑顔になった。
「心配なさらず。アシュリー様を守るのが仕事ですから。」
ユンファがほっとしたように笑うと、アシュリーは用が済んだとばかりに城門へ足を向ける。フィフィは若干先を思いやりながら、その後に続く。
「第一師団長サージェス。アシュリー様、フィアニス様を無事フェルウェイルへ送り届け、お二人の任に助力し、また無事にクライストへ帰還する。以上が今回の任である。命を賭して任務を遂行せよ。」
ルキセオードにそう言い渡されると、サージェスと呼ばれた師団長他、第一師団が一斉に敬礼した。
「はっ!!」
その様は実に壮快だった。思わず振り返ったフィフィに対し、アシュリーはもうすでに馬車に乗り込んでいた。
(はやっ!自分の見送りだってのに…)
「フィース。」
呼ばれて振り返ると、ルキセオードが側に立っていた。
「ルキ…」
若干緊張を含んだ姿勢に、フィフィも緊張する。
「クライストの大魔術師は、常に命を狙われています。フィースも気を抜かないよう。アシュリー様を狙うに当たって、まずフィースから、と考える事もありえます。」
そんなに危険なのか、という思いが顔に出たのだろうか。ルキセオードは微かに頷いた。
「…了解。自分とアシュリー様の身くらいはなんとか守れる。」
心配するな、とは言えなかった。ギルドで危険な目にはあっているが、これから起こりうる危険がその比に及ばない事だってあるだろう。
「…それは良い知らせです。いざという時、師団は捨て置いて構いません。俺の師団です。簡単にはやられませんから。」
ルキセオードはそう言って微笑んだ。それで、フィフィも緊張が解れた。しっかりと手を握って別れをすますと、急いで馬車へ乗り込む。
と、アシュリーと目が合った。
「……なんですか?」
「……………………」
何も言わずに視線を逸らす。わけが分からない。が、それはいつもの事なので。
(アシュリー様って目の付けどころもちょっと変わってるしな)
くらいにしか思わなかった。
「第一師団、出立!」
サージェスの号令で、一行は動き出す。見送りの四人は、ルキセオードとユンファを残し、すぐにその場を去って行った。しばらくその場を動かなかった二人だが、ユンファが口を開いた。
「……天魔の一匹でもおつけするべきでしょうか…」
その言葉に、ルキセオードはやや緊張した。ユンファがどんな能力を持っているのか、よく知っている。
「……ユンファ様。貴方がそうしたいのなら、おつけになればいいと思いますよ。」
今度はユンファが、緊張した面持ちでルキセオードを見上げた。ルキセオードの目は静かで、温かだった。
「けれど、本当にそうしたいと思ってらっしゃいますか?」
「っ………」
とたんに目を落とすユンファ。こんな子供に頼りな気にされると、大体の者はついつい甘やかしたくなるが、ルキセオードは先程と変わらず、しっかりと姿勢を正したまま言った。
「ユンファ様。貴女は確かに強大な力をお持ちで、それを頼りにされる事も多い。ですが、貴女はニルヴァ—ナ様の助手であり、その前に、貴女という人間です。それを忘れてはいけません。」
「…え……?」
ユンファは驚いてルキセオードを見上げた。
「力を使う事はお好きではないのでしょう?なら、必要に迫られた時以外は、無理に使う事はありません。」
「………」
ありがとうございます、と言わなければと分かっている。が、言葉が出なかった。
ユンファの力は特別に稀で、忌み嫌われる場合がほとんどだ。それでもこの城で働く事になったのは、ひとえに、力の強大さだ。“兵器として”この城に迎えられたのだ。本当は働きたくなかったが、ユンファには居場所が何処にもなかった。だから、生き存える為に招致を受け入れた。その時、心は死んでいた。それを救ったのがニルで、ニル以外にユンファを“人”として扱ってくれる人は存在しないと思っていた。
だから、ルキセオードの態度、そして言葉には驚いた。ユンファを小さな、頼りない子供としてではなく、忌み嫌われる化け物ではなく、同じ城で働くものとして、見てくれていると感じたのだ。これは、ユンファには大発見だった。幸せな出来事だ。
「……わたし…怖くないんですか?気味悪く…ありませんか?」
おそるおそる聞いた質問には、明るい笑みが返ってきた。
「私は何も怖くなどありませんよ。むしろ頼りになりますし、天魔は大切なものなのでしょう?」
「……………でも、わたしは……」
ルキセオードはそっと肩に手を置いた。人の手の温度が、ユンファに伝わってくる。
「ユンファ様。貴女はその力を、気味が悪いとお思いですか?怖いと?」
ユンファは大きく首を横に振った。
「なんの為に振るわれるべきだとお思いですか?」
これには、少し考えた。戸惑いながら答える。
「………へいかには、国の安全を守るために使えと言われました。そのためには血を流すこともひつようで、じゅうような事だと……」
「ニルヴァ—ナ様は如何です?」
「…ニル様には、自分と、守りたいものがきずつかないために使いなさいと言われました。」
逡巡するユンファを見て、ルキセオードは微笑んだ。
「では、ユンファ様。貴女の力は、貴女が使い方を決めればいい。貴女が陛下の意を汲みたいと思うならば、その為に使えばいい。ニルヴァ—ナ様の意を汲みたいと思うならば、その為に使えばいい。」
「……………わたしは……」
「どちらを取ってもいいし、どちらも取らなくてもいい。全ては貴女の力で、貴女が決める事なのですから。」
不安気に彷徨っていた視線は、少し経つと彷徨うのを止め、しっかりとルキセオードを見上げた。
「はい。わたしは、わたしの考えで力を使います。」
馬車の中は静かなものだった。アシュリーは出発後すぐに眠ってしまっている。フィフィはすることもなく、しばらくは城下の景色を眺めていた。
「…………」
賑やかな様子を見ていると、助手になる前を思い出す。親しい知り合いも、仲の良かった仲間もいた。しかし、以前の生活では、いくら親しい仲であっても、別れは唐突で、当たり前の事だ。今こうして町を眺め、知り合いを見つけたところで別れを言いにわざわざ馬車を降りる事もない。そんな事をするのは不自然であったし、可笑しい事だ。
そしてまた、再会も出会いも唐突で、自然な事。フィフィにとってそれが常識だ。別れも、出会いも、大きな出来事ではない。
しかしそういう事をしないと後でうるさいのが一人だけいる。その人物の顔と、何を言われるかを想像して、フィフィは若干目つきが悪くなった。
「具合でも悪い?」
思いもかけない言葉を聞いてかなり仰天した。アシュリーがいつの間にか起きて、フィフィを不思議そうに見ていた。
「ああ、いや。…馬車の中って慣れてないんで、馬に乗せてもらっていいですかね?」
そう聞き返すと、アシュリーは頷いた。
「サージェスは良いって言うと思う。」
「じゃあ、聞いてみます。」
そう言って、進む馬車の扉を開けると、横についていた騎士がぎょっとして慌てた。
「フィ、フィアニス様…!危ないですよ。」
「平気だよ。俺、馬に乗ってた方が楽なんだけどさ、乗っても良いかサージェス師団長に聞いてくれるか?」
「は…?はぁ…。しばしお待ちを。」
そう言うと、騎士はすぐに前方へ移動して聞いてくれた。サージェスが驚いたように振り返り、また騎士に視線を戻して何か話す。騎士も言葉を返し、しばらく考えてから、サージェスが下がってきた。
「フィアニス様。あいにく、フィアニス様の馬を用意してございませんので、騎乗なさるのは難しいかと……」
「じゃあ御者席にいたら駄目か?」
「はぁ…………。御者が恐縮してしまうと思いますが…」
「……………そーかー」
扉を開けた状態のまま悩むフィフィに、アシュリーが声をかけた。
「サージェスをそれ以上悩ませないように。馬がいいなら、リーリクに着いたらあげるから。」
「滅相もございません、アシュリー様。わたくしが至らず、フィアニス様には申し訳ありません。」
「え、いや、俺の我が侭だから……すみません。アシュリー様、お願いします。」
「…………サージェス、もういい。」
「はっ!」
大人しく扉を閉めると、フィフィはアシュリーに頭を下げた。
「すみません。お願いします。」
「…………そんなに馬がいいの?」
「馬がいいと言うよりは、じっとしてるのが性に合わないんです。だから、まだ馬に乗ってた方が楽だなーっと思いまして。」
「…………寝てれば?」
「俺、あんま長い時間寝れないんですよ。どうしても起きてしまいます。」
「…………取り合えず座って。」
言われてフィフィは対面に腰掛けた。
「リーリクに着くまでは我慢して。サージェスは俺達を守るためにあちこち気を配らないといけないから、煩わせないように。」
「…はい。」
「…………………」
数時間後、フィフィは眠っていた。規則的に起こる揺れに眠気を誘われたのか、あるいは差し込んでくる日差しの暖かさか。もしかしたら心地良い音のせいかも知れないが、うとうとしていると思ったら、意外にも早く寝入ってしまった。
腰掛ける為というよりは、安らぐ為の馬車の座席にすっかり身を委ね、肘掛けにもたれるようにして眠り込んでいるフィフィを、アシュリーは眺めていた。
人がこんな風に寝ているところに遭遇した事がないので、珍しかった。
そう言えば、フィフィが来るまでは、誰かとこんなに長く一日を一緒に過ごす事はなかったように思う。それに、ここまで人前で無防備でいられる人にもあった事がない。無防備でいる、という意味ではヴィルジウスもそうしているが、彼とはまた違う。というか、彼は違う。色々な意味で人とは違う。比較にはならないかも知れない…。
そう考えて、アシュリーは頭を振って考えを追い出した。
(さっきは何をあんな真剣に見てたんだろう…)
外を眺めていても、アシュリーの興味を惹くものは特にない。ただ人がいて、通り過ぎて行くだけだ。
フィフィの事を、不思議だと思う。月給につられて城に来たらしいが、そもそもギルドの賞金稼ぎが、どうして城で働こうと思ったのだろうか。確かに安定した収入にはなるだろうが、ギルドとは違い、どんな危険も命じられれば断る事など出来ないというのに。
軽い気持ちで来たのかも知れないと思いきや、御前試合も逃げずに、むしろ堂々と戦い、助手兼護衛という仕事をきちんと果たそうとしてるように見える。
(変……)
そう言ったら本人は怒っていたが、そう思えるのだから仕方がない。フィフィは変だ。アシュリーにはそう思える。最初の頃は城に居づらそうだったのが、一週間も経てば何喰わぬ顔で歩いているし、始めは誰もフィフィに好意的ではなかったのに、いまではよく話しかけられているのを見かける。
そもそも、ルキとあんなに親しくなっていたのには驚いた。ルキ自身は誰にでも友好的な態度を取るが、あれはもう、心を許していると言っていいだろう。それに、ユンファがかなり懐いているのにも驚いた。
(変……)
こんなにも自分をさらけ出して、周りに命を預けて、よくギルドの世界で生きて来られたと思う。それとも、本当は誰にも自分を見せていないのだろうか。
「…………よく寝てる…」
呟いても、ぴくりとも反応しない。もうとっくに町から外へ出ているが、その変化にも気付かないのだろうか。フィフィはすやすやと寝入っている。
「………これだけ寝てて、護衛なんて出来るの…?」
そんな疑問にも、気付かない。アシュリーはフィフィの観察にも飽き、自分も寝る事にした。
リーリクという、クライスト帝国最東端の町についたのは、出発から三日目の事だった。