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大魔術師と助手  作者: 沢凪イッキ
第三章 嵐の後
14/43

-13-



 その日の夕方には城へ戻った二人だったが、アシュリーはすぐに国王に呼ばれていった。フィフィは取り合えず状況を整理し確かめる為に、クルスティーユかニルを探す事にした。


 城を彷徨っていると(まだ城の構造がよく分かっていない為、回廊とクルスの私室と鍛錬場以外の場所では彷徨う形となる)、どうやらニルも国王に呼ばれたらしいと分かった。ならばクルスティーユを探すしかない。


 ぼんやり覚えているような廊下を彷徨い彷徨い歩いていたら、いつの間にか周りに誰も歩いていない事に気付き、いつの間にか物音さえしない廊下にいる事に気付いた。


(なんで…)


 なんとなく、廊下に灯されている灯りさえ、音を立てないようにしている気がする。

(これ…やばい所に入っちまったんじゃねーよな…)


「いっ!?」


 突然、右手を強く引っ張られた。驚くよりも焦りを感じたのは、それが、前方に引っ張られたからだ。もちろん、この廊下にフィフィ以外の人間はいない。それは見れば分かる事なのだ。


「うわっ」


 なおも前に引っ張られている。誰もいない。誰も見えないのに、フィフィは右手は掴まれ、引っ張られている。

「くっ…!」

 言いようの無い不気味さを感じて、足に全神経を集中させて踏ん張る。すると若干右手を引っ張る力は弱くなったものの、ぐいぐいと前へ引きずられる。


「なんなんだよ!」

 左手で右手の周りをはたいても何も感触はない。そうこうしている間に、周りの様子が変わっている事に気付いた。


(どこだ!?)


 円形の、高い壁に囲まれた部屋にいる事に気付いた時、唐突に右手を引っ張る力は消えた。その反動でフィフィは床に尻餅をつく形になった。


(なんなんだ…!?)


 辺りを見回しながらさっと立ち上がる。そこは漆黒の床、漆黒の壁で、柱は白く高い。柱には灯りが灯してあるのだが、数回見回しても出入り口が見つからなかった。

(なんで……今ここに入ってきた筈だよな?)

 どこからか日の光が注ぎ込んでいるが、天井は確かにあるのに窓はどこにも見当たらないのだった。


『びっくりした?』


(!?)


 軽やかな、笑いを含んだ声が聞こえた。

(どこから……あたしに言ってんのか?)


『すっごい焦ってたわよね』


 くすくすと楽しそうな笑い声が聞こえる。腕を引っ張っていたのは声の主だと察し、フィフィは腹立たしさにまかせて怒鳴った。


「俺と話しがしたいなら目の前に出て来い!」


 これで姿を現さなければ、フィフィは一切言葉を発しないと決めていた。それに、魔術師ならばウィスペルに頼んでアシュリーやニルに知らせて貰えばいい。


『ああ、それもそうね。』


 そう聞こえたかと思うと、目の前に一人の女性が現れた。


「悪戯、大好きなのよ。」


 そう言って笑う女性は、美しかった。が、同時に可愛らしさもあった。淡い白灰色の髪は長く、緩く編まれて膝下辺りまで伸びている。胸元の開いた白いドレスは繊細で柔らかい印象で、綺麗であり可愛らしい。華奢な体つきなのだが、悪戯が好きだと言って無邪気に笑う様はふてぶてしくもあった。


(…なんだこの人……)

 半分睨みつける様なフィフィの視線に気付かないのか、女性は興味深々にフィフィの顔を覗き込んで訊ねた。

「ね、フィフィ=ルセよね?」

「………………あんた、誰?」

「あ、それを問題にしたかったのよ!私は誰だと思う?」


 心底楽しいらしく、彼女はうきうきとフィフィの前を行ったり来たりし出す。

 が、フィフィは事も無げに言った。


「興味ない。元の場所に返せ。」


 ぴく、と彼女は動きを止め、大仰に溜め息をついた。


「駄目。楽しくないわねぇ…人生楽しんでる?」


(は?)


「最近めっきり減っちゃったのよねぇ、私と関わりを持つ人。だからちょっと悪戯と意地悪しただけなのに、あなた、冷たいわよ。」


 冷たい、と流し目で言われても、フィフィはこの美しい女性を悲しませてはいけない!などとは思わない。


「悪戯と意地悪で不愉快な思いをしない程の仲じゃないからな。俺とあんたは。」

「……………誰かに似てる台詞ね。」

「は?」

「私が言ったのか…」


 ぼそりと言って床を睨む女性。フィフィはこの女性に頼るの止めて、ウィスペルに頼む事にした。


「誰か助けを呼んでくれよ。」


 ちりりん、と可愛らしい鈴の音が聞こえると、女性は面白そうに視線をフィフィに戻した。


「駄目よ。光の眷属だろうと私には関係ないことだもの。」

「あんたは何者?」

「ああ、ねぇ…睨むのやめなさい。せっかく正式に力を貸してあげようとしてるんじゃないの。睨むのはゼルヴァで充分!」

「正式に力を貸す?」


 正式も何も、力を借りた覚えはない。

 フィフィには。


「…俺はあんたを頼った事ないけど?」


 すると、彼女は大仰に溜め息をつき、首を振る。


「ちょっと。それはひどいわよ。いくら鈍感で能天気だからって。」

「喧嘩売ってんのかあんたは!」

「売られてるのはこっちよ?全く。クビにならなかったの、誰のおかげだと思ってるの?ひどいわね。」


(クビ…?)


 クビと聞いて思い浮かぶのは、半月前の御前試合。フィフィは思い出して言った。


「ニル様とユンのおかげだ。あとは、運かな…」

「運って何よ!一般国民がヴィルジウスに勝てるわけないでしょ!能天気過ぎよ!」

「……………………てめぇ…」

「私のおかげでしょ?私の!私が盾になってあげたのよ?」

「ん…?」


 あの御前試合では誰も舞台には上がっていない筈だ。それに、あの瞬間だって誰も近くにはいなかった。盾が必要だった場面は、たった一瞬。それで王子は体勢を崩した。


「…………ニル様がくれた魔術…?」

「うーん…まあ、それでも良しとするか。」

「あれはニル様がくれたんだぞ?あんたがどこに関係するんだよ。」


 女性はがっくりと肩を落とした。


「ああ…なんて鈍いの…。それとも、かなり馬鹿にされてるのか知名度が落ちたのね。やっぱりこのままじゃいけないわ。忘れられちゃったら意味ないじゃないの…」

「だから、言ってみろよ。どう関係してるのか。」


 はてながいっぱい、という感じで促すフィフィに、女性は気を取り直してにこりと笑んだ。それは、人を魅了する柔らかな笑みだ。この時初めて、この女性が人外のもののように感じた。


「私はエウェラ。大精霊よ。」


 そう言った彼女の足下には、いつの間にか大きな白い豹が寝そべっていた。


「…エウェラ…?」

「そうよ。分かったでしょう?あなたのクビを守ってあげたのは、私。」

「大精霊、エウェラ!?」

「そうそう、そうなのよ。分かった?」

「………………」


 驚愕に言葉を失うフィフィを見て、エウェラは満足そうに微笑んだ。


「私に選ばれる者は少ないのよ?感謝なさい。」

「な…なんでエウェラが……っていうかあなたはニル様と契約してるんじゃ?」

「んーまあ、助けてあげてもいいとは言ってあるけど…元々の契約者はユンファなの。ユンファがニルヴァーナも助けて欲しいっていうから、気が向いている間は力を貸してるだけよ。」

「ユンが…?」

「ユンファは時の中でも稀な子よ。すごい子だわ。」


 言いながらエウェラはしゃがんで白豹の毛並みを撫でた。白豹は気持ち良さそうに喉を鳴らす。


「……………それで、俺になんの用ですか?」


 不思議そうに首を傾げるフィフィに、エウェラは呆れた様子で言った。


「まだ分からないなんて、鈍いにも程があるわよ!もっと考えなさいよ!」

「正直関わるのめんどくさいんで。言ってくれれば済む問題じゃないんですか?」

「済むけど!…済むけど!ああもう!」


 悔しそうに頭を抱えた後、エウェラはフィフィを睨みつけて言った。


「あなたを加護してあげる。」

「………は?」

「右手を寄越しなさい。右手を。」


 フィフィが返答する間もなく、勝手に右手がエウェラに伸びた。


「え!?」


「——この生命に宿る輝きは私の糧となり、私を創り出す生命の全てはフィフィ=ルセの僕と成り得る。

 この輝きは生命の輝き。

 この言葉は生命の言葉。

 混じり合うその真実は全てに宿る意思あるものの楔となり、ここに消え去ることのない約束を刻み、戒める力となれ——」


 エウェラは差し出されたフィフィの右手に触れる事なく、両手で包み込むようにして呪文を詠った。手は日だまりにあるかのように暖かくなり、手の甲の図形が光り蠢いているのが確認出来た。息を呑むフィフィに、エウェラは笑ってこう唱えた。


「——彼女が私を受け入れるその時だけ、私は彼女に全てを譲ろう——」


 その微笑みに魅入った瞬間、フィフィは柔らかなものに、体も、意識さえも包まれ、ようやく閉じ込められた空間から出られたのだった。




「—————うわっ」

「!」


 意識が完全に消えかけた時、急激にまた引き戻された。


——気に体の感覚と意識が戻ったのだ。それで、うまくバランスが取れず、フィフィはまたもや尻餅をついた。


「うっ、いてー……」

「フィアニス!」


 顔を上げると、そこにはニルの姿があった。驚きつつも訝しんでいるのが分かる。ニルは立ち上がるのに手を貸しつつ、不思議そうに訊ねた。


「一体どういうこと?まさか魔術の勉強でもしているの?」

「……まさか。俺はたった今、悪戯が大好きな大精霊様に意地悪されて、ようやく帰してもらっただけですよ?」


 皮肉たっぷり、明後日を見て言うフィフィに、ニルは真剣な面持ちで訊ねた。


「………エウェラに呼ばれたの?」

「…呼ばれたというか、無理矢理連れて行かれたというか……」


 立ち上がって、ありがとうございます、と礼を言ってフィフィは自分の足で立った。歩きましょう、とニルに言われ、二人並んで歩き出す。


「ところで、ここはどの辺ですか?俺、迷ってて…その間に誘拐されたみたいなんですよね。」

「それで…」


 ニルは納得した様子で頷いた。フィフィには何を納得したのか分からないが、特に聞こうとも思わなかった。

 どうでもいい。とにかく休みたい。


「…ここは城の三階。真っ直ぐ行くと古書庫があるわ。分かる?」

「ああ!ってことは右に行くと武器庫で、厨房もあるんですよね?」

「そうよ。大分覚えたみたいね。」


 お陰様で、とフィフィは笑った。


「…それで、エウェラに何かされた?」

「…………ニル様も何かされた事あるんですか?」

「え?」

「大精霊っていうから、どんなものなんだろうと思いきや…。ユンはなんで契約しようと思ったんだろう…」

「ユンがエウェラと契約しているって、エウェラ本人から聞いたの?」

「そうですよ。ニル様にも力を貸してるって言ってました。」


「そう……」


 落とした声音に気付き、フィフィは首を傾げた。


「どうかしましたか?」

「………あまり口外しないで。」

「え?」


 不安そうな目を見るのは初めてだ。ニルがこんな顔をするなんて…。フィフィは思わず足を止めそうになったが、ニルが構わず歩いて行くので、少し遅れて続いた。


「……ユンは………稀な子なの。」

「………それ、エウェラも言ってました。」


 ニルは何も言わなかった。


「どういう事ですか?何か…よくない事でも?」


 ニルはすぐには答えなかった。フィフィもすぐには言葉をかけない。小さく深呼吸をしてから、ニルは答えた。


「…ユンのする契約は、私達とは違うの。その契約を快く思わない人の方が多いのよ。だから…人に言わないで欲しいし、契約について聞かないで欲しいの。」


 いつも、しかと目線を合わせ、相手の意向を絡み取ってしまうようなニルだが、この時だけは目線を合わせようとしなかった。僅かに俯き、淡々と話していた。その様がひどく儚気で頼りなく、フィフィは頷くだけに留まった。

 ちりん、と耳元で鈴の音が聞こえた。はっと立ち止まると、気付いたニルが頷く。


「あの嵐と植物の件だと思うわ。」

「そう言えばニル様も呼ばれてたんですよね…」

「話はアシュリーから聞くといいわ。行きなさい。」

「はい。じゃあ失礼します。」


 さっと礼をしてフィフィは駆け出す。半月前と比べて、言葉遣いや礼の動作などが変わりだしたフィフィを見送り、ニルは僅かに笑顔になった。




「遅い。」


 開けた途端にそう言われ、フィフィは扉を押した手に力を込めた。


(この人は……)


「すみません。大精霊に埒されていたもので。」

「は?……エウェラに?」


 首を傾げたと思ったら、アシュリーは唐突にフィフィの右手を掴んで引っ張った。


「ちょっ…」


 その手の甲をじっと眺め、アシュリーは不思議そうにフィフィを眺めた。図形は、今や刺青のように右手全体に広がっており、そこだけ色を抜いたような白さだった。もの言いたげに見られ、さすがに口を開く。


「……何か思うなら、言ってみたらどうですか?」


 ごろつきや指名手配犯に、軟弱そうだ、女だ、という目で眺められる事はあっても、この生き物なんだろう、という目で見られた事はない。少なくとも、アシュリーに出会うまでは。なのでとっても居心地が悪くなる。

 が、アシュリーの一言は、そんな心地悪さなど一瞬で吹き飛ばした。


「君って、変だと思う。」

「あんたよりマシだ絶対に!!」


 先程から理不尽な扱いを受けていると感じていたフィフィは、アシュリーの一言で爆発した。思わず手を振り払う。クルスが見ていたらきっと激怒していただろう。振り払われて少し驚いた様子のアシュリーだったが、ことさら平然と言ってきた。


「君より俺の方が普通。絶対に。」

「んなわけあるか!どう考えたってあんたのが変人だ!」


 怒鳴るフィフィに、アシュリーはさらりと話題を変えた。


「あの嵐が始めに発生した、フェルウェイル国に行くから。」


「は?」


「明日出発。今日ニルがレイフィス国王陛下に訪問を伝達してくれる。今回は調査での訪問だ。出来るならついでに事を片付ける。」

「……レイフィスって誰ですか。調査して解決するなら、いつ戻れるか分からないって事ですか。」

「……………」


 説明するのが面倒臭い。と顔が言っている。フィフィは大仰に首を振った。


「あーもーいいです答えなくて!クルス嬢に聞きますから。明日出発ですね分かりました!」


 言うだけ言って退室する。アシュリーの返事に構わず荒々しく扉を閉めると、フィフィは怒りに任せて駆け出した。


「あ—————————————っ!!」


 行き交う兵士や官がぎょっとしているが、そんなの知ったこっちゃない。


 この城に来てから、理不尽な仕打ちばかり受けている気がした。





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