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読んで頂いている皆様、ありがとうございます!
理解しにくい、分からない、矛盾点などあるかも知れません…
その場合はお教え下さい。
三日三晩続いた突然の嵐は、ゆるやかに終わっていった。去って行った、というよりは、その場で消えていった、というのが正しいだろう。起こった時と同じで、その場で現れ、その場で消えていった。人々は不思議そうに空を眺め、首を傾げた。
嵐が消えた朝、フィフィは暖かい日差しで目を覚ました。暴風雨ですっかり退屈していたフィフィは、その時間を喜んで睡眠に費やしたのだ。
まだ少し眠気が残る目をこすり、軽く頭を振って眠気を追いやる。もそもそとベッドから出て、光に向かって伸びをする。全身がほぐれると、すっかり晴れた景色を見るため、窓を開けてテラスへ出た。
「うわー…」
中庭のあちこちに大きな水溜りが出来ており、綺麗に咲いていた花々もめちゃくちゃになっていた。大木には大きな傷がついている。補修や警護の為か、兵士達が走って行くのが見えた。
「こりゃひでーな…」
言いつつ、フィフィは身を翻して部屋を出て行った。主の元へ向かう為に。
回廊を出てすぐに兵士に呼び止められた。本当に出てすぐの所で呼び止められたので飛び上がった。兵士は何喰わぬ顔で用件を伝えていったが、その背中が笑っているのをフィフィは感じた。
ともあれ、アシュリーが出かけたという事だから、急いで向かわなければ。
嵐が明けたのは朝日が昇る前で、アシュリーはすぐに城を出た。あの変化が現れているという情報を得たからだ。場所は城下から少し離れた、海に面したところだ。大きくて立派な宿泊施設が建っている。サファイアという名のこの施設はあまりに有名で、城の関係者も利用する事がある。その経営者から、変化の知らせがあったのだ。
すぐにサファイアへ向かおうとして、思い出してウィスペルに呼びかけた。しかし肝心の助手が熟睡しているらしかったので、近くにいた兵に伝令を頼んで城を出た。
サファイアのある大きな町に着くと、従業員が待っていた。周りの住人達も皆、困った様子でアシュリーの動向を見守っている。それを感じ取ってはいるものの、アシュリーは案内の従業員以外に目を移す事はなかった。
「支配人のフォルクローゼがウィルレイユ様をお待ちしております。どうぞこちらへ」
不安気な従業員に軽く頷き、アシュリーはただ付いていく。そんなアシュリーを、あまたの視線が追いかけた。
噂に違わずサファイアは美しい建物だった。その造形もさる事ながら、目の前には白い砂浜にエメラルドブルーの海が広がり、プライベートビーチを囲う緑も見事なまでに計算されて配置され、サファイアの敷地全体、どこを眺めても美しかった。
だがしかし、海へ続く砂浜には今、大量の花が咲き乱れていた。青から紫へ花弁の色が変わっているその花はかなり美しい。が、海へ近づけない程広がっている様子から、これが人工的に植え付けられたものではない事を物語っていた。加えて、よく見れば波が被るところにさえ花が咲き乱れており、これがこの花の異常さを感じさせた。
「嵐が止んだと思ったらこれです。」
気がつくとすぐ横に、銀色の髪の青年が立っていた。その目は深い碧色で、美しいこの海を連想させる。
「私が気付いた時はまだ埋め尽くされてはいなかったんですよ。ウィルレイユ様をお待ちしている間に、こんなにも広がってしまいました。」
ああ、では、と思って青年を見ると、目が合って微笑まれた。
「お初にお目にかかります。私がサファイアの支配人であり、ウィルレイユ様に知らせを送った、フォルクローゼ=ルセと申します。」
そういうと丁寧に礼をする。まるで洗練された動きは、上流貴族を思わせた。
「………ルセ?」
「はい。どうご覧になりますか?この植物を。」
ひっかかりが疑問にかわる前に質問を投げかけられ、アシュリーは目線を花に戻した。指で花弁をそっとなぞるようにすると、花は逆らわず、ふわりと揺れた。
「………害はない。」
「それは良い知らせです。お客様になにかあっては大変ですので。」
「……………」
少し考え込むアシュリーを見て、フォルクローゼは口を開いた。
「…実はお待ちしている間に、少しでもなんとか出来ないかと、色々試してみたのですよ。」
「試した?」
怪訝な表情のアシュリーに気付かないのか、フォルクローゼは話しを続ける。
「ええ。まず、引っこ抜いてしまおうとやってみたのですが、雑草よりも強固な根の持ち主のようで、誰がどれだけやろうとも抜けません。ならばと思って切ってしまおうと思ったのですが、茎が裂けることがあっても、繊維が切りきれないのですよ。これも、どんな道具を使おうが駄目でした。」
(どんな道具を使ったんだ…?)
思ったものの口に出せず、その合間にもフォルクローゼは話しを続ける。
「最後の手段と思って燃やそうとやってみたのですが、海に守られているかのようで、どれだけ炙ろうとも焦げ跡すらつかないのです。我々では、どうすることも出来ず、ますますウィルレイユ様のお力に頼る他ないと思って心待ちにしておりました。」
最後ににこりと笑ってさりげなくプレッシャーをかけた。そこに一瞬、ニルを見たような気がして、アシュリーにとってフォルクローゼは要注意人物となった。が、まだ恐るるに値しない。むしろ無茶無謀が目につく。
「………ルセ。忠告しておく。」
「はい。」
「…命が惜しくば、自然の摂理から外れているものに触れるな。」
「………肝に銘じます。」
忠告に返す目はとても真摯だった。その態度は、やはりどこか一般人らしからぬところがあるように感じる。
さておき、とアシュリーは植物の解析にかかった。これが自然の摂理から外れた、あるべきでない植物だというのは分かる。だが、その異常さはどこからきているのか。それが分からなければ対処が難しい。
(この植物は…報告書によれば“嵐の度に”世界に広がっているものだな。浜辺…しかも海水の被るところに生え、見る間に増殖していく…。嵐自体が月の満ち欠けに従って起こっているから、“嵐は何かに起こされている”事になる…。
植物は“嵐に乗って”広がっている…前回の嵐でこの植物が現れたのはレシテ…レシテからの距離が、嵐が影響を及ぼせる範囲と考えていいな…。植物はどんな状態で運ばれるのか…。何を糧に生長しているのか…)
そこまで考えたところで、にわかに騒がしい事に気付いて顔を上げる。と、フィフィがやってくるのが見えた。一度兵士に止められるが、顔見知りだったのか、お互い笑って言葉を交わしている。
(………この短い間に、もう顔見知りがいるのか…)
若干驚きつつも、フィフィが近付いてくるのを黙って見ていた。しかし、フィフィは思いがけない人物に止められた。
「フィー、こんなところで何を?私に用があるなら、悪いが今は取り込み中だから、サファイアで待っていてくれないか?」
「はあ?」
(は?)
アシュリーも驚いた。フィフィを止めたのはフォルクローゼだ。それも、親し気な態度で話しかけている。
「俺はアシュリー様に用があるから、フォンは気にしなくていいよ。」
(知り合い………?)
アシュリーは小さく首を傾げる。それに気付いたフォルクローゼが、アシュリーに疑わしげに訊ねた。
「ウィルレイユ様。この娘とお知り合いなのですか?」
娘、という言葉に違和感を感じる。そう言えば近くにいた兵士も驚きに目を見開いている。これは少し厄介か、と考えながらも自分にとってはどうでもいい事だと思い直し、アシュリーは肯定した。
するとフォルクローゼは驚き、フィフィに向かって問い質し始めた。
「一体どうして、どういう経緯で?」
「いやあ、安定収入を目指してたら、たまたま城の仕事があったんだよ。それで。」
「安定収入?一体どうしてそんな考えを?」
笑いながらそう聞いている態度を見ると、フィフィはこれまで長い間、ギルドの仕事を自ら選んでやってきたのだろう。その考え方が変わった事が、フォルクローゼには可笑しいらしい。
「まあ……なんとなく。悪人面ばっかり追っかけるのにも疲れたっていうか…」
「へえ…?それで、城では何を?まさか侍女だなんて言わないだろうな?」
これも大いに笑って言う。フィフィは呆れた様子で言葉を返す。慣れているようだ。
「助手だよ。」
助手、という言葉に、フォルクローゼは笑いを引っ込めた。
「助手?」
真剣な表情で聞き返す。すると、今度はフィフィが可笑しそうに笑って言った。
「そ。助手。正確には、助手兼護衛。」
「……それは、どなたの?」
聞かれたフィフィは、教え込まれた言葉遣いで答えた。
「こちらにいらっしゃるアシュリー様が、私の主人です。」
示されたアシュリーは、なんの感慨もない目でちらりとフィフィを見た。正直、フィフィがこんな言葉遣いをすると、違和感を感じる。フォルクローゼはフィフィとアシュリーを交互に見ると、悩まし気にアシュリーに訊ねた。
「本当のようですが、何故フィフィを選ばれたのか、お伺いしてもよろしいですか?」
聞かれたアシュリーは大して考えもせず、ただこう答えた。
「上の策略と陰謀。俺には必要ない。」
「ちょっと…」
げんなりするフィフィを横目に、アシュリーは淡々と言った。
「それで、話がしたいなら離れて。邪魔だから。」
「………大変失礼致しました。我々に出来る事があればなんなりとお申し付け下さい。そこへ連絡係の者を置きますから、御用の際はあれにお伝え下さい。」
フォルクローゼが深々と礼をするのも最後まで見ず、返事すらしないでアシュリーは植物の解析に移った。その横に、フィフィも佇む。顔を上げたファルクローゼはしばらくそんなフィフィを眺めていたが、一つ首を傾げてサファイアへ戻っていった。
解析には半日かかった。昼を過ぎる頃までアシュリーは植物の生えている端から端までを歩き回っていたが、納得した様子で中央へ戻った。そしてフィフィは、初めてアシュリーの魔術を目にすることとなったのだ。
「——汝は我に住まう動かぬ時。我の吐息に道を繋ぎ、彼のものの生命の時を固く封じ給え——」
聞いた事のあるような呪文だが、耳飾りをつけられた時とは異なる言葉が続いている。アシュリーは続けて紡いだ。歌うようになめらかで、囁くように優しい声音だ。
「——汝は我が僕。風に住まうもの。我が吐息に力を与え給え——」
アシュリーが差し出した両手に誘われるように、植物を囲うように風が吹き始めた。
「——汝は我が僕。海に住まうもの。我が名、アシュリー=ウィルレイユにおいて、誓約を果たす事を命ず——」
アシュリーが深く呼吸をする度に、風は高く大きくなり、植物は完全に風に覆われた。
「——汝、誇り高き光。その御名において我と誓約を結ぶものの罪を罰し給え——」
そう言い終えると、アシュリーは手を下ろした。風は先程より弱くなっているものの、相変わらず植物の周りだけに吹いていた。明らかに自然の風でない事は分かる。それを確認すると、アシュリーはくるりと踵を返して歩き出した。
「え…」
慌ててフィフィも後を追う。
「終わりですか?」
「終わった。」
「あれ、どうなったんですか?」
フィフィに答えず、アシュリーは待機していた従業員に言った。
「あの植物には決して近寄らず、触れないように。あれが消えるのには少し時間がかかる。」
「は、はい!」
そう返事が返ってくると、アシュリーは従業員を通り過ぎ、明らかに馬車へ向かっていく。
「え、待って下さい!」
フィフィが言うも、止まる筈がない。
「消えるのに時間がかかるって…どういう事ですか?アシュリー様でも解決…」
いきなりアシュリーが振り返ったので、フィフィは思わず口を閉ざした。アシュリーはフィフィを睨みつつ、かなり面倒くさそうに言った。
「………馬車で話すから、黙って。」
「………………」
フィフィは大人しく従った。アシュリーから何かの説明がある、というのが珍しく、同時に説明しておかなければならない事態なのだろうと思ったからだ。それがどれ程重要な事態なのかは分からないが、とにかく国の大事に関わる事なのは確かだ。
サファイアのある浜辺を離れてしばらくは、アシュリーは書類に夢中になっていたので、フィフィは大人しく黙っていた。が、そんなに長い時間は我慢出来ず、結局はアシュリーの言葉を待たずに話しかけた。
「それでアシュリー様。一体どうなったんですか?アシュリー様でも解決出来ないような事態なんですか?」
最後の言葉に弾かれたようにアシュリーは顔を上げ、フィフィを睨んだ。
「……(なんですか)…?」
「君は、俺の助手?」
「……そうですよ。残念ながら。」
「なら、国民を不安に陥れる様な言葉を、安易に選んで使わないように。」
「…………」
フィフィはちょっと驚いた。アシュリーが普段嫌々仕事をしているという訳でないし、城下の人間を下賎の民などと言っているのを聞いていたわけでもない。しかし、人と関わりを持つのを面倒くさがる彼が、フィフィの軽率な言葉に怒るとは思わなかったのだ。
そんなフィフィを、一瞬前とは打って変わって不思議そうに眺めた後、アシュリーはあの植物について話し始めた。
「あの植物は、一年程前から報告に上がっていた、世界で起こっている変化と一緒のものだ思う。最初にあれが現れたのは、エイシャントの孤島に近い、フェルウェイル王国で、今回クライストで発生したような唐突な嵐の後に発見されたらしい。
その三ヶ月後にはイイェル国で嵐の後にあの植物が発見され、その二ヶ月後にはピスティル・オス共和国で。その後二、三ヶ月おきにラナス国、ハークヴェル帝国、レシテ国に嵐が起こり、その後に必ずあの植物が発見されている。」
「………じゃあ、あれは嵐に乗って広がっているんですか?」
「そう考えられる。それも、自然の摂理から外れた嵐だ。その嵐に乗って広がっているあの植物も、自然の摂理から外れてる。」
「えーっと…自然の嵐ではないとすると、魔術で嵐を起こしているって事ですか?」
そう言うと、アシュリーは僅かに考え込むような仕草をした。
「………魔力の溜まり場で稀にそういう事も起こるけど、定期的に月の満ち欠けに伴って起こってるとなると、人為的に起こされてると考えられる。あの植物も何かしら手を加えられている。」
フィフィもまた、少し考えてから言った。
「…誰かが定期的に嵐を起こしているって事ですよね?」
アシュリーが答える前に、フィフィは言葉を続ける。
「誰かが嵐を起こす。一ヶ所じゃなくてあちこちに。定期的に起こって、距離も等間隔。……なら、嵐であの植物を運んでいるって事ですか?それともあの植物はついで?」
「あの嵐は明らかに植物を運ぶ為に起こされてる。」
「なんでそう言い切れるんですか?だってさっき、害はないっておっしゃってましたよね?」
不思議に思ってそう聞くと、アシュリーは若干面倒くさそうに説明してくれた。
「……生き物に害はない。でも、精霊達には害がある。あの植物は力を糧にしてる。あんなのがずっといたら、この国から精霊が消え失せるだろうな。そうなれば魔術師は力を失う。」
「………誰かがそれを望んでいるって事ですか…」
「…血を流さずに国の力を削ぐのが目的なら…けど、呑気過ぎる。」
「……………?」
首を傾げるフィフィに、アシュリーはさも面倒臭そうに説明する。
「…例えばクライストの精霊を喰い尽くすなら、あのペースだと五年はかかる。どこの国の力を削ぐ気なのか分からないけど、悠長すぎるだろう。」
「……じゃあ…なんの為にこんな事…?」
「さあ。」
一言。あまりにも短く、あっさりとした一言に、フィフィは思わず突っ込んだ。
「“さあ”って…。国の一大事ですよね?」
するとアシュリーは淡々と答えた。
「…理由はどうでもいい。」
「は?」
国民を不安にさせるなと言っておいて、どうでもいいと言い放つ。若干憤るフィフィを前に、アシュリーはごく普通に答えた。
「…クライストを脅かすものは報復を受ける。必ず。」
それはフィフィが初めて聞く、“国の盾であり剣”と称される者の言葉だった。