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和やかな雰囲気のところへ、何やらばたばたと兵士達が駆け込んできた。見れば雨に降られてしまったようだ。皆一様に外を見て怪訝そうな顔をしている。
「どうした?」
思わずルキセオードがそう訊ねると、兵士達は顔を見合わせてから言った。
「それが………突然空が妖しくなったと思ったら、急に大雨が降り出したんですよ。」
少し耳を澄ませば、外がかなりの雨に降られているのが分かる。
「…今日はそんなに天気悪かったっけ?」
フィフィが首を傾げると、兵士が即答した。
「いえ、先程までは晴れていたんですよ。晴天、とまではいきませんでしたが。」
なおも不思議そうに兵士は続けた。
「それに、急に曇ったというよりは、急に雲が渦巻いたんです。」
「雲が渦巻いた?」
ルキセオードが若干の緊張をもって言うと同時に、ちりん、とウィスペルが鳴いた。
「ん?」
なんとなく、アシュリーが呼んでいるような気がして、フィフィは席を立つ。
「…アシュリー様から呼ばれましたか?」
ルキセオードが思慮深い目を向けて聞いてくる。フィフィは若干驚きつつも、食堂の入り口へ向けて歩き出す。
「そうみたいだな。ルキ、今日はありがとな。」
「ええ、また時間があればお付き合い下さい。」
「ああ!」
笑顔で手を振って食堂を出る。建物にそって造ってある廊下は、外側の壁はなく、柱で天井が支えられている。その廊下は決して長くはなかったが、そこを早足で歩いている間にも、風が急に強くなっていっているのを感じた。
「………嵐か…?」
呟いて扉まで走る。雨に濡れたり、強風に煽られるのはごめんだ。
扉を開けると官達の足取りが忙しそうだった。早く扉を閉めるように促され、扉を閉めるとフィフィも急ぎ足でアシュリーの元へ向かう。官達は歩き回り、時に廊下の端へ寄って話し合い、何か緊張したような面持ちだった。
(……そう言えばさっきルキもあんな顔してたな…。天気と関係あるのか?)
思いつつも、急ぐ足はだんだんと速度を上げて、いつの間にか走り出していた。
アシュリーは自室で書類を熱心に読んでいた。ここ数日で報告された出来事の中に、気になる事があったのだ。それに、陛下からも知っておくように言い渡されていた。
(陛下が知っておけと仰る時は、厄介事を調べろと仰っているのと一緒だ。)
あの人はいつもああだ、とアシュリーは思った。大事な事を何でも無い事のように言って、アシュリーにそれを計るように促す。そうやってはっきりしない物言いがアシュリーは嫌いだったが、あの人はわざにそうする。難しい事はさも簡単そうに言う。しかし目は有弁で、態度や物言いより遥かに多くの事を語って——いや、押し付けてくる。
ふと、外の空気が急速に変わるのを感じた。外、というのも城の外だ。
(—あり得ない。)
アシュリーは外を探る。状況が分かれば分かる程、アシュリーは首を傾げた。
(これは…どういう事だ?)
報告書にもう一度目を通す。そして、睨みつけた。
と同時に。
自室の扉が荒々しく開かれた。
一瞬、嵐で壊れたのかと思った。
「えーっと…お呼びでしょうか?」
扉を開け放った乱暴さとは全く逆の、どこか能天気さを伴う声でフィフィは言った。アシュリーは一瞬扉に視線を映したが、すぐに声をかけた。
「遅い。」
「………」
青筋がたちそうになったが、抑えた。
「これでも走ってきたんですけどね。何かあったんですか?」
言い返しつつも、それ以上アシュリーの言葉が続かないように先に言葉を紡ぐ。企み通り、アシュリーは反撃するよりも後の言葉に意識を持っていかれた。
「これを読んでおいて。嵐が収まったら調査に行かないといけないと思う。」
言うだけ言って書類を押し渡そうとして—押しとどめて、フィフィに触れるか触れないかの距離まで書類を顔に突きつけた。フィフィは押しのけるようにして書類を受け取ると、首を傾げて聞いた。
「調査って、どこかへ出かけるんですか?」
アシュリーはもう目線を別の書類へ移していた。
「出かける時は付いてくるんじゃなかったの?」
さらりと皮肉を言われるも、出かける為にわざわざ呼ばれた事に驚いた。あれほど助手は要らない、邪魔だと言っていたのに、フィフィに仕事をさせようというのだ。
「………」
お礼の一つも言おうと思ったが、気難しいアシュリーの事だ。そのやり取りだけで気が変わるという事もありそうで、ぐっと我慢した。
(お礼もろくに言えないなんて、変な相手に仕える事になったなぁ…)
「…これ、読んでおけばいいんですか?」
そう聞くと、アシュリーはじっとフィフィの顔を見て言った。
「…君は、俺の何?」
言われてフィフィは一瞬考えた。
「助手です。」
「…その間は何…」
ぼそりとアシュリーが突っ込むが、フィフィは聞こえないふりをした。
「助手なら、それらしくして。」
それだけ言ってまた視線を机の上に戻す。フィフィはしばらくアシュリーを眺めた後、一応、一礼をしてアシュリーの部屋を出た。部屋でゆっくり読む事にしたのだ。
——激しい雨と風は三日三晩続いた。
その間アシュリーは一度も部屋を出た様子はなかったし、誰も部屋へ入れなかった。フィフィはする事がなかったので、クルスの部屋へ招いてもらい、礼儀作法などを教わっていた。おかげでなかなか上達したようだ。
城内をうろついていても皆声を抑えて話していて、誰かが通りかかると去っていく。
フィフィは一人状況が分からず、皆が外を眺めては何か話している様子から、嵐が何か関係ありそうだとは思ったが、話してくれる人はいなかった。少しの期待を持って鍛錬場へ行ってみるものの、ルキセオードはいなかったし、兵士達に聞いても状況は分からないようだった。
ならばと思って書庫へ行って天候関連の書を探して読んでみるも、二、三ページ読むだけで意識が逸れていってしまうので諦めた。ただ、その書は魔術と天候に関わる書のようで、ちらっと見た限りでは、魔術によって天候に影響を与える事が出来るのかも知れない、とは考えられた。
それでやっとアシュリーに貰った(預かった?)書類の存在を思い出して、慌てて部屋へ戻って読んだ。
書類には、ここ一年で起こったある出来事が報告されていた。海辺のとある国のとある場所からの変化。それはある現象によって場所を移し、徐々にクライストに迫っていた。
(ん………?)
フィフィは思わず眉をひそめた。それから書類を読み直して、最初に変化があった場所では、今も変化が拡大しているという事が分かった。その後に変化があった場所でも、同様に変化が拡大していっているようだ。それは決して急速ではなかったが、誰も手出し出来ないようだった。変化を運んでいるとある現象とは、“嵐”だった。
(こんなに頻繁に…しかも定期的に起こるもんか?嵐って…)
大きな窓を見やると、豪雨で景色がひどく歪んでいる。大きな木が風で煽られているのがなんとなく分かった。
(…これでもし、クライストでも他と同じ様な変化があったら……)
自然な現象とはとても思えない。あまりに不自然な嵐だ。この世界に何かが起こっている—その証拠となるだろう現象だ。
フィフィはふと、自分が身を置いていた世界を思い出していた。こんな風と雨では、無事では済まないだろう。
(城は丈夫だよな…やっぱり。)
これだけの雨風にもびくともしない。雨漏りも無ければ風の衝撃も感じない。まるで、窓の向こうに別世界が広がっているように感じた。それは奇妙な感覚で、しかし、ほっと出来る事だった。
(あたしは今、城で働いてるんだな…)
そう、何故か感慨深く感じた。