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「つっかれた……」
フィフィはお腹を抱えて歩いていた。時刻は昼過ぎ。普通なら昼食をとって倦怠感ある時間帯だが、フィフィのお腹は呻いていた。つまり、ろくに食べれていない。
「鬼だ……あの人は鬼だ……」
元々、フィフィの勉強時間は朝だった。朝起きてまず、クルスに教えを乞う。だが、フィフィがあまりに集中出来ないため、昼に時間を変更された。昼食をとりながらやりましょう、というので楽しそうだとわくわくしていたのだーーが。
『言葉使いを間違えられた時点で、昼食は没収いたしますから、充分注意なさって下さいね。』
にっこり笑ってそう言い渡された。それが始まってまだ五日。いつも夕食までお腹を空かせるようになってしまった。言葉遣いは、慣れない。
「くそ……どっか…なんか食べるもんないかな…」
「フィー?」
幼い声が聞こえて振り返ると、驚いた様子で走ってくるユンファがいた。
「よお、ユン。一人か?」
「はい!今お昼をいただいて、きゅうけいもいただいているところです。」
「昼…そうか…」
うらやましい。
「どうしたんですか?具合でもわるいんですか?」
心底心配してくれるユンファに感動しつつ、フィフィはここぞとばかりに詰め寄った。
「なあ、どっか食べ物分けてくれるようなとこ、ないか?」
「えっ……食べるものですか?」
きょとんとしている。フィフィはこくこくと頷いた。
「腹減ってて……」
「アス様はお昼をくださらないんですか…?」
そんなのひどい、とばかりに心配してくれる。フィフィは首を振った。
「そうじゃないけど…まあ、ちょっと事情があってな。なあ、知らないか?」
「そうですね……あ、たんれんじょうのしょくどうなら、あるかもしれません!」
「鍛錬場の食堂…ね。サンキュ。」
手を振って別れる。ユンファはまだ心配そうにこちらを見ていてくれた。安心させるようにもう一度手を振って、フィフィは鍛錬場に向かう。
(飯……とにかく、飯!!)
もう、表情が怖い。通りかかった官が避けている。そんな状態のフィフィに、果敢にも声をかけるものがいた。
「フィアニス様?」
聞き慣れない、穏やかな声。フィフィは空腹による機嫌の悪さを忘れて声の主を探す。すると、濃い緑の瞳の、凛々しい青年が側へ歩いてきた。その青年の名を思い出し、誰かを思い出してフィフィは首を傾げた。
「ルキセオード様?」
呼ばれて微笑むと、通りかかった女官や侍女達が悩殺されているのを見た。本人は全く気付かないのか、興味がないのか、至って平然とフィフィに話しかける。
「どうされましたか?怖いお顔をされてますよ。」
そう言って笑うが、気遣ってくれているのが分かる。フィフィは事情を説明した。
「昼食があんまり食べれなくて…鍛錬場の食堂ならまだ食べれるんじゃないかって聞いたので、そこに行こうかと。」
「…昼食ですか…」
これはまたアシュリーが疑われているな、と思ったが、ルキセオードはにこやかに案内を申し出た。
「では御一緒致しましょう。私も鍛錬場へ行くところでしたので。」
「あー…助かります。」
並んで歩き出す。フィフィはふと思いついて訊いてみた。
「…ルキセオード様は、従騎なんですよね?」
「ええ。…私にそのようなお言葉遣いをして頂かなくても、結構ですよ。」
「え?でも…」
戸惑うフィフィに、ルキセオードは穏やかに笑う。
「立場的には、似た様なものですので。」
「…………」
フィフィはまじまじとルキセオードを見つめてしまった。従騎と、大魔術師の助手は同じくらいの位置にある、と初めて知った。
「どうされました?」
長く見つめるフィフィに驚いた様子で、ルキセオードは若干緊張した様子で訊く。すると、フィフィは真剣な顔で答えた。
「…実は、俺は今言葉遣いを習ってるんですよ。それで俺の先生が、言葉遣いを間違えたら昼食を没収するんです。」
「………それは…手厳しい方ですね…………それで空腹なのですか。」
「そうなんです。で、そうまでして言葉遣いを直せと言われてるので、ルキセオード様にどんな言葉遣いをしようか悩んでます。」
「…………………」
今度は、ルキセオードがフィフィを見つめる番だった。そして、笑い出した。
「すみません。…ああ、でも、改まった物言いをされますと……隔たりを感じます。特にフィアニス様は外から参られた。ですから無理さなる必要はないと思いますよ。」
言われて、フィフィはほっとした。そう。本当に性に合わない話し方なのだ。
「良かった!慣れないんですよ、ほんと。口が回らなくなってくる…」
「どうか楽にお話下さい。ありのままで結構ですから。」
「ありのまま…ですか……」
少し考え、フィフィはルキセオードに訊いた。
「俺とルキセオード様ってどれくらい差があるんですか?」
「フィアニス様。ユンファにされていたような話し方で結構ですよ。」
「…………」
聞いていたのか。
「じゃあ聞くけど、どっちが偉い?」
くすくすと笑いながら、ルキセオードは答える。
「どちらが…そうですね…本当に同じくらいの地位なのですよ。」
「…………」
にや、とフィフィは笑った。
「じゃ、ルキセオード様も話し方変えて下さい。でないと隔たりを感じます。」
「………」
虚をつかれたらしく、ルキセオードは一瞬固まった。
「…なかなか手強い。では、俺のことはルキ、と呼んで下さい。」
「ルキ様?」
「隔たりが。」
「ルキ。」
「はい。」
「その話し方はクセ?」
「ですね。いくら気をつけてもこうなってしまうので。」
「ふーん…」
「そちらはどう呼んだら?」
先程とは少し違う、何か悪戯を楽しむかのような笑みに驚きつつ、フィフィは答える。
「好きに呼べばいいけど。」
「好きに…ですか。」
少し考え、ルキセオードは頷いて言った。
「では、フィースと呼びます。」
「フィース?」
「ええ。」
フィフィは記憶をまさぐる。
「…あんま呼ばれたことないな。」
「そうですか?」
それもそうか。とフィフィは考える。元々名前はフィフィ、なのだから、どう考えたって“ス”は入らないのだ。
「新鮮だな…」
「気に入ってもらえたようですね。」
そう言ったルキセオードは楽しそうだ。フィフィは笑い返した。
鍛錬場へ着くと、ルキセオードはフィフィを食堂へ案内した。通りかかる兵士達は皆ルキセオードに敬礼し、不思議そうにフィフィを見ていた。
食堂へ入ると、皆一斉に立ち上がり、大きな声でルキセオードに挨拶する。ルキセオードが軽く返し、楽にしろ、と言うと途端にもとの騒がしさが戻った。
騒がしいといっても、すでにほとんどの者は昼食を終えているらしく、人はまばらだった。それでも元気が溢れているから、昼食時はもっと騒がしいのだろう。
「さ、フィース。好きなものを選んで下さい。」
ルキセオードが並んだ料理を示して言う。選ぶ前に、フィフィは首を傾げた。
「ルキはもう食べたんじゃないのか?俺に付き合う必要なんかないぞ。」
そう言うと、ルキセオードは微笑んで答える。
「いえ、フィースの昼食に付き合うくらいの時間はあります。それに、少し話してみたいと思っていましたから。」
「……ならいいけど。」
言いながらもう料理を選び出している。
一通り見て、大きな肉がごろごろ入っているものを選んだ。
「これ、なんの肉?」
給仕の若者に聞くと、元気よく答えてくれた。
「牛ですよ!一番人気!」
「だよなぁ。うまそーだもんな。」
それだけで満足そうに皿に盛り、ルキセオードと向かい合わせで席に着き、もくもくと食べ始めた。その様子を見ていたルキセオードだが、ふとフィフィがしている耳飾りに目を留め、眺める。
「ん?」
気付いたフィフィが訊ねると、ルキセオードは不思議そうに訊いてきた。
「あ…その耳飾りはアシュリー様のものでは?見た事があります。」
フィフィはもぐもぐと咀嚼してから答える。
「そうそう。この間…その先生が付く時に、無理矢理つけろって言われて…。多分ウィスペルがなんか言ったんじゃねーかな。」
「……ウィスペルというと、アシュリー様の使い魔の?」
「…やっぱり知ってんだ?そう。俺には鈴の音にしか聞こえないけどな。鳴らなくても耳を傾けてるような時もあるから、やっぱなんか、魔術の一種で会話してんのかな。」
ルキセオードはますます不思議そうに、興味深そうに耳飾りを見つめる。
「俺も詳しくは知りませんが、その耳飾りの石は瑠璃石という宝石で、数ある瑠璃石の中でも妖精が宿る石だそうですよ。そういうものを、魔術師は“精石”と呼ぶようですが…」
そこまで言って、ルキセオードはフィフィがきょとんとしているのに気付いた。
「?…どうしました?」
「……いや、ルキって自分の事、俺って言うんだ?ほんとは。」
「ああ…そうですよ。私、というのも半分クセですが……」
「ふぅん…」
再びもぐもぐと食べ出したフィフィに、ルキセオードは訊ねた。
「アシュリー様は、何故ウィスペルを貴方に?」
「自分で呼びに行くのが面倒臭いからだよ、あの人は。ウィスペルが連絡役を買ってくれたんだよなー?」
呼びかけるように言うと、耳元でちりん、と鈴の音が答えた。その様子に、ルキセオードは感心した面持ちだ。
「…すっかり懐いていますね。」
「そうなのか?なんか、始めからこんな感じだけどな。」
「…それは……なんとも珍しい…」
「あ、そーだ。俺も訊きたい事があるんだけどさ。」
「はい、なんですか?」
「エウェラって誰か知ってるか?」
フィフィはあの、ヴィルジウスとの対戦を思い出しながら訊いた。
「…エウェラ……。時の大魔女ですね。彼女の何を知りたいんですか?」
「俺さ、ニル様にこんなの描かれたんだけど、なんか凄い事になってるらしくて。どいう事になってるか分かるか?」
差し出されたフィフィの手をとり、ルキセオードはまじまじと見つめた。
「……エウェラの図形…」
「なんか、皆が言うからそれは分かったんだけどさ。オルクス様は樹力が混ぜてあるっていうし…そもそもどんな意味があるのかと思って。」
「…殿下の体勢を崩す事が出来たのは、これがあったからなのですね…。」
ルキセオードは真剣な面持ちで図形を見つめていた。その真剣さに、フィフィは少し不安を感じる。
「……ルキ…?」
「……エウェラは、ヴォルテール王の時代からイルジス王の時代にかけて存在していた大魔女です。」
「え、それってつまり、いつ?」
慌てて問いかけるフィフィに、ルキセオードはくすりと笑った。
「我らが王、ウルセデイ陛下の四代前に当たる王の時代に生きていました。」
「ん…それならなんとなく分かる…かな。」
難しそうに頷くフィフィに、ルキセオードはなるべく簡潔に話す。
「エウェラは他に類を見ない程の魔力の持ち主で、魔術の使い手でした。時を経るごとに外見も中身も衰えるのが人ですが、エウェラは身体的には何ひとつ衰えず、魔力、魔術に関してはますます強大になっていった。」
「…つまり、見た目はもう、どっかで止まってた…?」
「そうです。そして…はっきりとした時期は分かりませんが、彼女は人でなくなっていた。」
「……?えっと…不老は人のうちに入るのか?」
心底納得出来ない様子で言うフィフィに、ルキセオードは軽く笑った。
「肉体があるので、一応は。エウェラは今や“大精霊”です。世界の気脈に身を置き、契約によって人に力を貸す。普通、大精霊ともなれば簡単に接触は出来ないのですが、エウェラは元が人であったからなのか、案外気楽に人と関わっているようですね。」
「気楽……」
呆れたように言うと、ルキセオードは再びフィフィの手にある図形に視線を落とした。
「…エウェラは特に、魔女に力を貸すのが好きなようですね。エウェラと契約出来るのは女性が多いようですから。…そして、貴方にも興味がおありのようだ。」
「え、俺に?」
「エウェラは例え契約者の言葉であろうと、気に入らない相手にはわずかの力も貸さないようなので、まず、貴方に興味があると考えていいでしょう。」
「………………」
不思議だ。仕事上、魔術師と関わる事はあっても、それはほとんどの場合、味方ではなかった。魔術師のように魔術に携わり、精霊や妖精や神と力を共有したり、そういう存在を尊いと思った事すらないのに。何故、エウェラという大精霊はフィフィに力を貸すのだろう。フィフィはまじまじと図形を見つめた。
「樹力ってのは?」
「……対象のものを“成長”させる力だと聞いています。」
「成長?」
訊ねるフィフィに、ルキセオードは若干困ったように首を傾げた。
「…これ以上は俺には……」
「ああ…武人だもんな。魔術の事は魔術師様に聞いた方がいいか…」
とは言っても、主であるアシュリーは面倒臭がって説明してくれない事は確実だし、ニルもにこりと笑ってはぐらかしそうだ。
「ま、先生にでも聞いてみるか。」
「そうして下さい。」
苦笑しながらルキセオードがそう言って、フィフィはそれを見て笑った。