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クルス視点です。
アシュリー=ウィルレイユ。
その名はすでに城へ上がっていた、十五の美しい大魔術師よりも有名になった。彼が城へ上がったのはわずか十の時。幼い少年を、国王陛下自ら隊を組んで迎えに行ったという。
クルスの祖母は、その様子を遠巻きに見たと話してくれた。
小さな家の前に皆が跪き、陛下が中から少年を連れて出てきた。少年は驚いた様子で隊を見ていたが、怖がる様子も、興奮する様子もなかったという。陛下が何事か囁かれると、少し面倒くさそうに顔をしかめ、それを見て陛下は笑っていたらしい。隊は歓声を上げて小さな大魔術師を祝福した。
当時、アシュリー=ウィルレイユという名は知られていなかった。というか、誰も知らなかったのだ。クルス達貴族でさえ聞いた事がなかった。それくらい、無名だったのだ。
だが、陛下自ら迎えに行ったことで、その名は大きく知れ渡った。それならば、とどれだけ聞いて回っても、やはりアシュリー=ウィルレイユを知る者には出会えなかった。城の中でも不審がられていたと聞いている。それが神秘的だと貴族達は喜んでいた。滅多に人前に出ない事も、神秘性を高めていた。
そんな彼を、ヴィルジウス殿下がとても気に入っている、という噂が流れた。どこへ行くにも連れていくのだとか。
殿下と行動するようになってから、アシュリー=ウィルレイユは人間味が増した、と祖母は話していた。気難しく、何事にも興味が薄い。しかし殿下にだけは信頼を寄せている、と関係者は口々に言った。
そんな彼を直に見たのは、殿下の二十歳の祝いの席だった。
殿下の側に控え、他の者のように浮かれた様子もなく、ただ静かに側にいた。あまり見た事のない、明るい灰色の髪。深い群青色の瞳。精霊か何かかと思った。ニルヴァーナ=ハディエスを見た時も思ったが、こちらはまた違う性質の神秘さがあった。何か、とても惹かれた。
その日から、クルスは他の貴族の娘達と遊ばなくなった。お茶会も社交辞令。美容も最低限。他は全て勉強に費やした。別に、アシュリーの部下になりたいとは思っていない。ただ、同じところで働きたいと思っていた。あの人と同じ場所で、生きていけたらと思った。だから、官になろうと思っていたのだ。
そうやって勉学に勤しんでいたクルスに、ニルから声がかけられた。あのアシュリーに助手が出来、その人に色々な作法を教えろというのだ。これは、クルスにとってとても嬉しい申し出だった。と同時に、何か物悲しかった。嫉妬かも知れなかった。けれど、あの人の役に少しでも立つならと思って引き受けたのだ。
その助手はひどかった。ニルから聞いてはいたのだが、男か女か分からないような出で立ち、態度、言葉遣い。おまけに主人であるアシュリーにぞんざいな振る舞いをする。
始めは我慢していたのだが、すぐに堪忍袋の緒が切れた。元来、気の長い方ではない。
怒ると、助手は一瞬きょとんとした後、意外にも素直に謝り、態度を改めた。そうはいっても、とても礼儀にかなうものではなかったけれど。
この人にその気があるのなら、アシュリーの為に自分が教育しようと思えた。その後間近で見たアシュリーはとても冷たく思えたが、助手とのやりとりを聞いていると、案外子供みたいな人かも知れないと思った。その直後、大声で怒鳴り合う声が聞こえたけれど。
これは後できっちりとお灸を据えてやらねばならない。
「ー聞いていらっしゃいます?フィアニス様?」
「んー…はっ。え、ええと、どこでしたっけ?」
クルスは毎度の事だと思いながら睨みつけた。フィフィは肩を小さくしてお説教に備えている。
「わたくしは今、言葉遣いをお教えしたばかりですわね?」
「あ……すみません、どこまでやったでしょうか?」
フィフィは反省している。
が、何度同じ事があっただろうか。クルスはにこりと笑みを貼付けて言った。
「朝は苦手なようですわね。」
そう言われて、フィフィはほっとしたように首を縦に振った。
「はい、苦手です。というか頭使うの苦手なんですけど。」
「では時間帯を変えて頂きましょう。」
「え、いいんですか?」
期待している。こうした無邪気な様子を見ると、わずかに女性に見える。
「ええ、明日からは昼食の時にいたしましょう。ウィルレイユ様にそう伺って頂けますか?」
「昼かぁ、いいですね!」
「こちらで昼食を取って良ければ、こちらに運んで頂くようにもお伺いして下さいね」
優しく念を押すと、快く頷いた。それを見て苦笑してしまう。
やはり、これは嫉妬だと思う。
だから、フィフィが気を抜いているとつい意地悪したくなってしまうのだ。
(けれど、こちらが真面目にやっていますのに、この方が居眠りなどしているのですもの。これくらいは覚悟して頂かなくては—)
フィフィには、もう少し真面目に取り組めるようにしてあげるつもりだ。クルスはそう決めて、楽しそうに微笑んだ。
(—わたくしの気が晴れませんわ。)
うきうきしているフィフィを眺め、クルスはぐぐっと首をもたげそうになった苛立ちを押さえつけた。