七十八章
モセカの親を治した後はワニ亜人たちのところに戻って地面に作られた繭の家で一夜を過ごした。といっても三時間くらいしたら目が覚めたので俺は外で異次元袋の中身をチェックしていた。
真っ暗闇の中薄い照明をつけながら作業をしていたので見回りの蜘蛛亜人に怪しまれたが、彼の複眼が異次元袋から出したある物を追いかけていることに気づく。
「食うか?」
「……人間から物を貰うものか」
干したトカゲを手にとって差し出したが、彼は持っていた照明を勢い良く振って早足で去っていった。素直に貰っとけばいいのに。その後違う見回りが三回ほど来て、干したトカゲは二匹無くなった。
そして周りが明るくなってきたので異次元袋に全て収納して整理を終え、繭家から出てきた不死身少女に目を向ける。まだ寝ぼけているのか足元がおぼついていない。
そして顔を洗いたそうにしていたので桶に水を創造して手渡す。不死身少女は眠そうに薄目で首を傾げながら桶を持ってとてとてと繭家の裏に歩いていった。
「私にもくれますか?」
「……あぁ」
いきなり後ろから地面を蹴るような音がしたので振り返ると、人形みたいに真っ白な肌色のモセカがいたので水の入った桶を渡す。
「親の方は問題ないか?」
「はい。久々に素肌で母と触れ合えました」
桶を地面に置き、母の感触でも思い出してるのか指先を動かしながら微笑むモセカ。そしていきなりこっちに振り向いて動かしていた指先で俺の手を絡め取るように握った。
「正直に話すと、貴方が母を治すのは期待していませんでした。亜人の名医者でも母の病気は治らないと言われていたので、希望が無かったのです」
「そりゃあ人間がかけた呪いだからな。亜人じゃ解くのは難しいだろ」
「でも貴方が解いてくれました。流石私が最初に目を付けた男です。良くやってくれました」
「何でそこで上から目線になるんだよ……」
うんうんと頷いているモセカにうんざりしながらも、後ろから地面を滑ってきた桶を拾う。滑ってきた先を見ると繭家の影から不死身少女が半身を出してこちらを伺っていた。何やってんだアイツは。
「そういえば他に重傷者はいないのか? 流石に病気は無理だが」
「治してくれるのですか? 一人、片足を失った老人がいます」
「そうか。ただ一回切らなきゃいけないからかなり痛いし、本人の同意が必要だが」
「あの麻痺薬を使えばいいではないですか。何故父に使わなかったのです」
いきなり俺の手の甲に爪を食い込ませながら、ギョロリと真っ黒な瞳を向けてくるモセカにげんなりしながらも答える。
「麻痺薬はもう手に入る目処が無い上にもう半分も無い。お前の母親の時みたいに腹の中掻き回す時ならいいが、腕を切るくらいで使ってたらすぐに無くなっちまう」
「……いや、腕を切るのも凄い痛いですよ。シュウトは痛覚がイカれてるのではないですか?」
「それは否定出来ないな。じゃあ飯食ったら案内してくれ」
「あぁ。朝ご飯なら父が作って――」
「いや! 自分で作るよ!」
「そうは言っても準備はもう出来てます。昨日と同じ繭家に来てくださいね」
そう言い残して無情にも木に糸を付けて飛んでいったモセカを死んだ目で見送り、ぐーすか寝ているワニ亜人を起こしにいく。早くこの国出た方がいいかもな……。精神的に消耗するわ。
「おい。さっさと起きろ」
薄いインナー姿のワニ亜人からふわふわの糸で編まれた毛布を剥ぎ取ると、ワニ亜人は寒そうに自分をかき抱いてまた寝ようとした。
腰辺りから生えている緑の尻尾を掴んでビタンビタンすると、ワニ亜人は俺を一度見てからまた寝ようとした。ため息を吐いた後に一言。
「飯抜きにするぞ」
「ややっ! いい朝だな!」
「またお前に活躍してもらうことになる。着替えてこい」
「そうか! すぐ準備するから外で待っててくれ!」
相変わらず変わり身の早い奴だと呆れながらも、繭の扉を開ける。木の上にある家にも扉付けられねぇのかな。下から入るの凄い面倒なんだけど。
そう考えているうちにワニ亜人が着替え終わったので、モセカの両親の家へ向かう。不死身少女をおぶりながら木の太い枝を蹴って登っていく。周りで枝に糸を付着させて昇り降りしている蜘蛛亜人を余所目に、枝を蹴り上げて空中に光の床を創造してさらに飛び上がる。
俺の肩に手を乗せている不死身少女はもうこういうことには慣れたのか悲鳴一つ漏らさない。慣れって怖いな。
やっと登りきったので創造していた光の床を消す。やっぱモセカの両親は一番偉いから頂上にあるんだろうか。立地最悪だと思うが。
繭家を見上げるとモセカが気を利かせたのか、入口から白いロープみたいな物が垂れていた。不死身少女に一声かけてかれそれを掴んでぐいぐい登っていく。ワニ亜人も一緒に登ってきたので切れないかヒヤヒヤしたが、ただ揺れが激しいだけだった。多分これも糸を編んで作ったのだろう。丈夫だな。
家の中に入って不死身少女を背中から下ろすと、何やら美味しそうな匂いが漂ってくる。俺は昨日から何も食べていないので涎が出てきた。しかし前回こんな良い匂いはしなかったんだが……。いや、無駄な期待はよそう。
不死身少女が急かしてくる中扉を開けると、大きい丸テーブルに大きいお皿が綺麗に並べられていた。その中身に虫は見当たらず、野菜炒めや焼いた肉類が中心だった。その料理の数々に目を奪われていると、右の扉から飲み物とグラスを器用に持ったモセカの父が出てきた。
「あ、もう来たんだね。おかげで彼女の体調も安定したよ! 今度改めて公式の場でお礼するけど、その前に腹ごしらえしなきゃね!」
「……これは貴方が作ったんですか?」
「そうだよ。ここの料理って他の種族から見るとゲテモノ扱いされることが多いからね。僕は旅をしていたから他の種族の料理を作ってみたんだけど……虫の方が良かったかい?」
「感謝します! いや、本当に!」
グラスと飲み物を受け取って机に置いてからモセカの父と握手する。俺の目が必死だからか若干引き気味に彼は笑ってから席に着いた。
すると右の扉からモセカも姿を現して席に座り、モセカの父が一言言ってから食べ始めたので俺も手を合わせてから箸を持つ。この箸は昨日モセカが用意した物で多分そこら辺の枝を削っただけの物で使いにくいが、他のを使ったら文句を言うのでこれを使っておく。
まずは色とりどりの野菜炒めに箸を伸ばし、口に入れる。しんなりとした緑の野菜にしゃきしゃきしたもやしのような野菜。それにこの口から鼻に広がるような香りは……胡麻だろうか? それに塩胡椒などの香辛料などもささやかだが感じられる。
次に一口サイズに切られた肉を挟み、口に運ぶ。筋の下処理がされているのかすぐに噛みきれ、柔らかい。あ、普通に美味いっす。
隣に座っている不死身少女はもちゅもちゅと肉食獣のように肉を喰らっていた。昨日おれが上げたお菓子しか食ってなかったもんな。少し汚いが注意しないでおこう。
ワニ亜人は相変わらずがつがつと食っていて、モセカと父は不死身少女を見ながら談笑していた。俺も不死身少女と同じく無言で箸を動かす。お、この煮込んだ肉柔らかっ! 口の中で溶けたぞオイ! これはコーンスープか? 美味い!
「おかわりはいるかい?」
「あるのでしたら、是非!」
――▽▽――
食事を終えて少し休んだ後ワニ亜人とモセカの父に不死身少女をお願いして、今は片足の老人を治すためにモセカの後についていっている。足を切断することについては事前にモセカと相談したので問題は起きないだろう。
しばらく移動していると前のモセカが木に糸を巻きつけて止まったので、俺も頭上にある枝に闇の触手を巻きつけてその場にぶら下がって止まる。モセカは止まりながら少し年季の入った繭家に小さく丸められた糸を投げつけた。
「何やってんだ?」
「家にいるかの確認ですよ。かすかな揺れでも自分の家が揺れたら異変に気づきます」
「くっついたあれ、取るの面倒くさそうだな」
「何を言っているのです。私の糸を家に付けられるのはとても名誉なことなのですよ?」
何か豪語しているモセカを胡散臭く思いながら繭家を観察していると、すぐに下の穴から這うように人が現れた。モセカが手を振ると出てきた人は器用に背中を繭家に貼りつけながら、茶色い産毛に包まれた顔でこちらを見た後で慌てたようにお辞儀した。
その繭家に近づくと彼は俺を見て身構えたが、モセカが前に出ると肩の力を抜いた。蜘蛛の複眼をくりくり動かしながら尋ねてくる。
「おや、モセカさん。顔を付けたのかい? 良く似合っているよ」
「ありがとうございます」
「隣のは……長を助けてくれた人間か? まだ信用したわけじゃないが、長を助けたのも事実。私は感謝するが、常に背後には気をつけた方がいい。ここには生きの良い奴らがいるからね」
「ご忠告どうも」
干したトカゲを思い出しながらも軽く一礼した後、モセカに連れられて繭家に入る。結構年月が経っているのか中の木は少し黒っぽかった。席を勧められたのでそこに座る。
「それで、何か用か?」
「はい。この隣のがおじさんの足も治せるそうなので、ついでに治してあげようと思いまして」
「はっはっは。長のついでかい?」
「はい」
「なら頼んでもいいかな? このままじゃ少し不便でね」
おじさんは頭を掻きながら右足をひょいと上げ、ズボンを捲りあげた。足首から先が無かった。それを見て頷いてからおじさんの目を見る。いや、細かい目が八個あるからどれを見ればいいか戸惑ったが、それでも俺はおじさんの目を見た。
「人間と同じ部分なら容易に治せる。ベッドはあるか?」
「あぁ。こっちだ」
寝室に案内されたのでベッドに敷かれている毛布を取り除いて、異次元袋から安物の麻の布を代わりに敷いておじさんを寝かせる。
「これを耳につけて下さい。……あぁ。耳栓出来ないのか。じゃあこれを、こうしてっ」
耳栓して貰おうと思ったが耳が無かったので、闇で膜を張って音を吸収する特性を持たせ、それを上半身が被るくらいの範囲で被せる。中にはモセカがいるので多少は安心してるだろう。
モセカが左手で合図を送ってきたので剣の布をとっぱらって足に狙いをつけ、一気に先端を切断する。そしてすぐに切断部分から再生させていく。
再生が終わったので闇のスライムを創造して床一面にぶちまける。一分くらい経ってからそれを消すと、地面に飛び散った血痕と肉塊は綺麗さっぱり消えていた。
麻の布も回収し血の掃除も終わったのでモセカの足を爪先でつつき、闇の膜を解除する。中でおじさんが複眼を細めて痛そうにしていたが、自分の足を見たのか痛く動揺していた。
「本当に足が治るとは……」
「感覚を確認します。大丈夫ですか?」
「あぁ。まだ痺れている感覚だが、確かに手の感触を感じる」
「一週間くらいは慣れるのに苦労すると思います。歩く分には問題ないですが、激しい運動は出来るだけ避けて下さい」
「わかった。しかし痛かったな。足を剣で切られたと思ったぞ」
「はっはっは。そんな真似するわけがないじゃないですかー」
おじさんに笑顔で対応しつつも後はモセカに任せて俺はワニ亜人の元に戻り、モセカの父と適当に話していたらその日は終わった。