七十七章
顔を直すのはかなり簡単な方だ。最初から全て作り直すのは労力がいるが、顔が全部無くなった奴は見たことがない。火傷の場合はまず皮膚を再生させ、その後に輪廻に沿って微調整をするだけで基本的には終わる。
輪廻に沿って皮膚を治して焼けた瞳を再生させた後、次は両腕の治療に入る。といっても両腕は完全に焼き焦げていて真っ黒だ。
「両腕の感覚はあるのか?」
「ん、無いよ」
「今から腕を触っていくから、感覚のあるところがあったら声をかけてくれ」
「わかった」
再生したての真っ黒な目をキョロキョロと動かしながらモセカの父は可愛らしく笑った。そう、再生させて気づいたがこの男、モセカの父親なのにやけに子供っぽい顔だった。もしかして間違えたか?
「モセカ。顔はこんな感じで大丈夫なのか?」
「……えぇ。寸分狂わず父の顔です」
今にも抱きつきたそうにウズウズしているモセカを横目に、父の方に振り返ると彼は
口から小さい二つの牙の先をこちらへ向けていた。
「……これは威嚇してるのか?」
「牙を見せるのは威嚇行為ですが、牙の先を見せるのは親愛の証です」
「そりゃどうも」
ジト目で見てくるモセカへ首を振りながらも、彼の焼け焦げた腕を慎重に触っていく。そして感覚の無い場所を大体把握したので剣を覆ってる布を取る。
「今から両腕を斬ってから再生させる。痛いだろうからこれを噛んでおいてくれ」
「うん。怖いなぁ」
「悪いね。こんな荒い治療方法で」
「ううん! 治してくれるだけで感謝だよ!」
何でこんな良い奴からモセカが生まれたのかを心底疑問に思いながらも、布を噛ませてモセカに父の身体を抑えてもらう。そして腕を斬ってからすぐに彼の両腕を再生させる。骨が切断部分から生え、その骨を覆うように神経や肉が付けられていく。そして切断部分に神経が入り込む。
この神経が入り込む時に痛みを感じる人がたまにいるが、今回は特に無かったようだ。完全に再生した腕を触って神経が通ってるか確かめる。
「感覚はあるか?」
「少しくすぐったいな」
「良かった。それなら一時間くらい経ったら動かしても大丈夫だ。八年動かしてないって聞いたからリハビリは必要だろうけどな。何か問題が出来たらまた対処するから呼んでくれ」
「ありがとう」
軽く会釈をしてから次は荒瀬さんに呪いをかけられたらしい女性。巨大な蜘蛛の身体の上に女性の上半身を付けたような見た目の女性だ。その不自然な姿と体から発する腐臭に思わず顔を顰めながらも、ゆっくりと彼女に近づく。
「……貴方がこの呪いを解いてくれるの?」
「悪いが約束は出来ない。見るからに強力な呪いだし、俺自身が呪いを解いたことはあまり無いんでな」
「そう。もうこの体にはうんざりなの。もし解けなかったらさっさと殺して頂戴」
ぼろ布の服を揺らしながら汚れた顔をこちらに向けて彼女は言った。口から覗く歯は茶色く薄汚れていて、目も土にまみれたようだった。
一先ず蜘蛛の身体に触れようとするとモセカに止められた。直接触ると手が腐り落ちるらしい。モセカが包帯を変えるときは全身を分厚い糸で覆ってからやるそうだ。
俺はどうせ再生するのでそのまま直接蜘蛛の身体に手を触れると、俺の手が微生物にでも分解されているみたいにみるみるとボロボロになっていく。一分間くらい触っていたら手の感覚がなくなり、茶色く変色した両手が地面に落ちた。これはひどいな。
すぐに再生した両手で蜘蛛の身体をくまなく調べると、お腹の下に魔法陣のような物を発見した。次に人間の上半身部分、心臓と首に一つずつ。それと蜘蛛の胴体部分にも二つある。
あとお腹の下に潜った時にはモセカにはしたないと言われた。いや、お前一回お腹の下に潜ってこいよ。全身が腐っていくのは流石に初体験だったからキツかったぞ。
にしてもローブに再生機能があってよかった。無かったら服を借りるハメになってたわ。だが呪われている場所は特定できた。
呪いを解く方法は二つ。術者を殺すか、魔方陣の痕跡を消すこと。多分正規の方法ではないが俺の知る呪いの解き方はこれだけだ。
なので蜘蛛の下腹にある魔方陣を切り取ってその部分を俺が再生させれば呪いは解けるだろう。だが俺は蜘蛛の身体を治す想像がまだ出来ない。だから現状ではこの呪いを解くことは不可能だった。蜘蛛の身体の構造を理解する必要がある。
とは言っても蜘蛛の身体を完全に理解しなくても恐らく治せる。今も人の身体にはそこまで詳しくないが人は治せるしな。蜘蛛の身体に詳しい書物などがあればすぐに何とかなるだろう。
にしても荒瀬さん。この人凄い恨んでるよな。人間の急所に呪いの魔方陣を作るのは常識だが、五つも付ける念入りさ。恐れ入るわ。
「モセカ。この人と同じ体型の亜人はいるのか?」
「いません。母のみです」
「……じゃあ彼女の身体に詳しい人はいるか?」
「母の専属の医者は父です」
「そりゃ好都合だな」
専属の医者に恋してそこから結婚か?ロマンティックだな、オイ。
ベッドで安静にしているモセカの父に彼女の身体について色々と聞く。どうやらお腹の下は局部だったらしく父は顔を赤くしながら話していた。四十を超えてるおっさんに可愛いという感想を生きているうちに抱くとは思わなかった。いや、顔は子供そのものだけどさ。
「彼女のお腹の中はどんな感じです?」
「えっと……言わなきゃ駄目ですか?」
「えぇ」
「凄い……気持ち良い、です」
「……そっちじゃなくて、臓器とか骨の構造とかの話ですよ。その他に胴体部分も聞きたいです」
「…………」
「…………」
「聞き方が紛らわしいのが悪いです。わざとでしょう? シュウト」
「俺のせいかよ」
そんな気まずい雰囲気になったものの、それ以降はスムーズに事が運び、母親の身体の構造は大体把握した。ちゃんと身体の構造の図面があり臓器の名称もわかったが大きかった。これなら再生は順調にいくだろう。
多分大丈夫な気はするが、失敗するかもしれないので一応モセカと父親に危ない橋を渡ることを告げておく。それと五ヶ所を斬ることを言うとやはり難色を示した。治療するのに身体を傷つけるのはこの世界では抵抗感が強い。だがさっきの父親のことを見た後もあり、説得するのは容易だった。まぁこれ以外で助ける方法がないしな。
異次元袋から手袋やマスクを出して準備していると。モセカの父が顔を泣き腫らせながらも俺に提案してきた。
「僕も手伝います。何年も彼女の医者をしてきました。と言っても健康診査や熱を出した時の看病ぐらいしかしてないけど……何か出来ることはありませんか!?」
「彼女を近くで励ましてほしいが、腐食の対策はあるのか?」
「はい。モセカに糸でぐるぐる巻きにして貰えれば五分は持ちます」
「……そうか。ならお願いする」
父は彼女の専属医者をしていたし、何より彼女の心の励みになるのでそれを承諾し、手袋とゴワゴワしたマスクを取り出して装着する。
「それじゃあ、これから五つの魔法陣の部位を摘出する。モセカ、まずはこれを飲ませてくれ」
「これは?」
「麻痺薬。これである程度痛みを遮断出来る」
これは荒瀬さんから貰った異次元袋に入っていた物だ。正直在庫が少ないからあまり使いたくはないが、流石に五つの部位を切り取ったらショック死するかもしれないので飲ませておく。
「効果が出るのは十五分経ってから。効果時間は一時間だ。それまでに全て終わらせないといけない」
異次元袋から砂時計を取り出して逆さに置き、その間にまた蜘蛛の身体の図面を確認しておく。十五分経って痛みが無くなっていることを確認してから剣を片手に持つ。
まずは慣れている人間の部分。首の部分をまずは薄く切断する。たまに皮だけに魔方陣を刻む奴もいるが、荒瀬さんはそういうミスはしていなかった。しっかりとどす黒い針が肉に深く刺さっていて魔方陣の形を刻んでいた。
一つずつ取るのも面倒なので一気にそこの部分だけを切り取ってすぐに再生させる。人間の身体は慣れているので手短に終わらせなければいけないからな。
針の刺さっている肉塊を地面に投げ捨てて次は心臓部分。こちらも同じように切り取って再生させる。三秒くらいで再生させたので血液の失血はほぼ無い。順調だ。
次に真っ黒な体毛に包まれた蜘蛛の胴体部分。ここからは慎重に行かねばならない。蜘蛛の身体から飛び降りて下に潜り込み、仰向けになりながらも魔法陣ごと薄皮を剥ぐ。こっちは肉を切り取ると再生出来ないのかもしれないので、丁寧に針を一本一本抜いていき、再生させていく。
全身が腐っていくのを自覚しながら作業するのは久々に苦しさを感じたが、その成果は目に見えてわかった。
「よし、腐臭が消えてきてる」
胴体部分から這い出てどす黒い針を外に追いやり、変な液体だらけの顔をモセカから貰ったタオルで拭う。上で糸でぐるぐる巻きになりながらも彼女を励ましている父も、慌てた様子はない。
最初のゲロを固めたような臭いもかなり薄まってきている。あと一息と気を引き締めながらも今度はお腹の部分に潜り込む。
胴体部分と同様にまず薄皮を剥いで針を露出させ、その針を摘出する。だが針を引き抜こうとしても何かに引っ掛かって抜けそうになかった。
(ここに来て、性格悪いなっ!)
今まで素直に抜けていた針が抜けない。釣り針のように何処かへ引っ掛けているのだろうか? 一回外に出て父にそのことを伝えてから戻り、深呼吸を挟んでから剣で針の間を割り開くように切り裂く。
赤黒い液体が顔面に降りかかってきて肌が腐っていき吐きそうになるが、それを我慢しながら切り開き、自分のおでこ辺りに照明を創造する。すると肉塊に引っかかっている針が奥の方で確認出来た。指先から闇の触手を創造して奥に滑り込ませ、一本一本肉から針を外していく。
全て外したのを確認してから今度は熱を秘めた火の触手を奥に侵入させる。周りの肉壁に当たらないように慎重に潜り込ませ、くねっている鉄の部分を焼き切り、落ちた部分を闇の触手で絡め取って回収する。
「顔色が悪い! 多分体液が足りないんだ! 早くして下さい!」
上から悲鳴のような声が飛んでくる。どうやら体液が思いのほか溢れているのでまずは奥のほうを先に再生させ、失血を止める。それから慎重に針を引き抜いていく。何処か一本でも引っかかったらまた切り開かねばならない。そうなったら多分出血多量で死ぬ。
さっき火の触手でくねっている場所が一つでも切れてなかったらアウトだ。全部、切り取ったはずだ。大丈夫、と自分を励ましながら一本、二本と抜いていく。額の証明がチカチカと不安そうに弱まる。
残りは一本。息が荒くなるのを何とか抑えて最後の針を手に持ち、ゆっくりと引く。
スルリと針が抜け……た!
針を全て抜き終えた後に安堵の息を吐いてから傷口を再生する。それと同時に俺の肌が腐らないことを確認してからお腹の下から這い出る。
口の端から入った謎の液体を地面に吐き出しながらも取った針を地面に落とす。そして上にいる父に確認を取ると、彼女は大丈夫だった。安静にする必要はあるだろうが。
前から心配そうにタオルを渡してくるモセカにガッツポーズすると、モセカはタオルを渡した後母に駆け寄っていった。
その後に父も上から降りてこちらに駆け寄ってきて、真っ黒な目を忙しなく動かして狼狽しながら聞いてくる。
「どうですか!?」
「魔方陣を描いていた針は全て摘出した。後は貴方に任せる。現状で何か問題は?」
「少し脈拍が弱いですが栄養を取れば何とか持ち直せそうです……」
「そりゃ良かった」
「ありがとうございました! 本当に!」
絡みついている白い糸を払いながら頭を下げる父に手を振りながらも、新しいタオルを貰って身体を拭く。久々に心底嫌な思いしたわ。もう呪い解きたくねぇ。