七十六章
ミーセが裏切ったが立ち止まってる暇はないので、シュウトはモセカの国へ向かった
木の中に家が作れるんじゃないかと思えるくらいに幹が大きい木々が生えている森の中、テーブルを挟んで俺の前に座っているモセカが石のテーブルに並べられている料理を食べるように勧めた。
「どうぞ。料理人が腕によりをかけて作った料理です」
「おぉ! 美味そうだな!」
「…………」
隣に座っている不死身少女は、内臓を引きちぎられている時よりも悲痛な表情で俺の袖をつまみながらも半泣きになっている。いや、それはおかしいだろ。
(シュウトもだけどね)
(そうでした!)
軽く引き笑いしながらも石のテーブルに置かれている葉っぱの皿に乗った料理を眺める。芋虫の香葉蒸し焼き、うじとダンゴムシっぽい虫のスープ。ミミズの踊り食い。
トカゲの国を出た後にモセカの国に向かったわけだが、今はこんな感じで歓迎されている。
蜘蛛亜人は得物を口の中で溶かしながら食べるので、普段は滅多に料理はしないらしい。なのでこういう料理が出てくると。
モセカは高慢ちきで嫌な奴だが、今は自分の誕生日会にでもいるみたいにうきうきしている雰囲気を醸し出している。
「……いやぁ。生憎俺とこいつはさっき食べたんでな」
「シュウト。貴方は朝から何も食べていないでしょう? ――あ、そういうことですか。すぐ持ってきますね」
正面に座っているモセカは何か思いついたように後ろの料理人に耳打ちで何かを伝え、料理人は納得したように真っ黒な目を輝かせて何処かへ行った。あいつだけならとっくの昔にテーブルをひっくり返していたが、料理人がいるのでそれも出来そうになかった。
それに今までの国と違って待遇が明らかに違った。モセカが国に帰ると太い木の枝にぶら下がっていた門番が慌てたように起き上がってそそくさと消え、少ししたらモセカにここへ案内された。
それに俺がフードを外しているのに蜘蛛亜人は何も言わなかった。だが内心は嫌っているのか俺の前に皿を置くときに手が震えていた。今までに無い対応が逆に不気味だった。
人間の憎悪を抑えてまで俺を国に案内する理由は何なのか。うねうね動いているミミズを啜るようにして食べているワニ亜人を見ながら思案していると、俺の前に削られた木の棒が二本置かれた。これは……箸か?
俺の前に箸を置いた蜘蛛亜人は怯えるようにそそくさと俺の元を離れ、モセカの後ろに控えた。
「はい。シュウトはいつも何かを食べる時にそれを使っていましたからね。使っていいですよ、うふふ」
(ぶん殴っていいかなコイツ)
コイツの上から口調にここまでイラついたことはない。取り敢えず空腹以外で虫料理なんて食べたくもないので適当にはぐらかすことにした。
「モセカ。そういえばお前顔を変えれるんじゃなかったのか?」
「えぇ。他の亜人と関わる蜘蛛は人間の顔の方が便利らしいですからね」
「それってやっぱ弊害とかあるのか?」
「そこまで無いそうですよ。最初は少し息苦しいとは聞きましたが」
「お、なら付けてみてくれよ。ついでに食事の練習でもしたらいい」
「後でいいんじゃないでしょうか」
「出来れば今見たいんだ。頼むモセカ!」
絶対に虫料理を食べたくないので自然とでまかせがすらすら出てくる。手を合わせてお願いするとモセカも満更でもなさそうに髪を揺らした。よし、今の内に全部食い尽くすんだワニ亜人!
「実はここに来た時には頼んであったんです。夜に付けて驚かそうと思ったのですが……そこまで言われたら仕方ないですね、すぐ付けてきます」
「わぁ、楽しみだなー」
上機嫌に料理人と共に席を外したモセカを笑顔で見送り、姿が見えなくなった途端に安堵の息を静かに吐く。
「はい、ワニ亜人もっと食べていいよー。はい食べてねー」
「いいのか? む、少女もか?」
全力で頷いている不死身少女に思わず吹き出しながらも、ワニ亜人の口の中に箸で挟んだ虫をどんどん放り込んでいく。ワニ亜人は若干照れながらもばくばく虫を食べていく。流石ワニ亜人。虫だろうが何でも食べるぜ!
ゲテモノでもタコみたいな食べ物だったら食えるんだがな。虫は流石にハードルが高かった。あぁ、お寿司食べたい。
ワニ亜人が料理を食べ尽くした十分後くらいに、モセカとお付きが現れた。髪を後ろに一纏めしているモセカは俺の前の席にまた座り、机の上の料理を見て驚いていた。
「おや、もう食べてしまったんですか? そんなにお腹が減ってるならもっと持ってきますよ?」
「もうお腹いっぱいだからいいです」
「美味だったぞ!」
ワニ亜人の口の端に付いている虫の破片に顔を引きつらせながらも、人間の仮面を付けたモセカの顔を見る。長い髪を後ろに束ねたモセカの顔は確かに人間の顔と大差なかった。目が真っ黒なのがホラーだが、遠目から見たらただの人にしか見えないだろう。
「お前はこれでも食ってろ」
異次元袋から赤い果実を取ってモセカに投げ渡すと、彼女はそれを受け止めて口に運んだ。口に入れた途端に果実はずぶずぶと口の中へ入っていった。……まぁ以前よりはマシか。
「それで、ここまで俺をもてなす理由は何だ?」
「客人をもてなすのは当然のことです」
「今更いい子ぶられても薄ら寒いんだよ。俺に何をさせたいんだ?」
「……流石シュウト。察しがいいですね」
ちゃんと喋る時に口が動いていることに少し驚いていると、モセカの後ろに控えていた料理人が慌てたようにモセカへ詰め寄った。
「お嬢様。正気ですか?」
「ただ指を咥えて見ていた役立たずよりは正気です。私が帰る間、貴方は何かしたのですか?」
「……いえ、いらぬことを申し上げました。お許し下さい」
黒い体毛に覆われた頭を下げた料理人が後ろに下がると、モセカは色白な顔をぱあっと輝かせながらこっちを見た。表情も動くのか。どうやって動かしてるんだ?
「私の母と父は先の戦争で重傷を負っています。父は身体が爛れて両腕が使えない状況です。母は他の亜人の医者もお手上げで、後は衰弱死するしかないと言っています」
「……ふーん。それで?」
「貴方は治療魔術なるものを会得している。それを使って私の親を助けてほしいのです。勿論お礼は用意しています。蜘蛛の諜報部隊は亜人の中で最高の部隊です。その部隊を四人貴方に差し上げます。美味しい料理も差し上げます。寝床も差し上げます」
「……容態を見なきゃ治せるかわからん。一回見せて貰えるか?」
「勿論です! さぁこちらへ!」
ワニ亜人に不死身少女の世話を頼んでからモセカの後に付いていく。っておい糸を使って飛んでいくんじゃねぇ。面倒だろうが。木の太い枝に飛び移りながらモセカを追いかける。
にしても蜘蛛亜人の家が独特だな。一軒家と大きさが変わらない真っ白な繭がいくつも太い木に貼り付いている。扉のようなものは見当たらない。自分で破って自分で直しているんだろうか。
「あの白いのは家か?」
「そうですね」
「出入り口が見当たらないが」
「上を見ればわかりますよ」
お腹から出ている糸を器用に頭上の枝に貼り付けてモセカが真上に移動したので、俺も背中から空気砲みたいに空気を押し出して上へ移動する。
すると上にも繭があり、その繭の真下に人が一人潜れそうな穴があった。あそこから出入りしてるのか。
「今からあそこに入ります。連れていきましょうか?」
「出来れば頼む。空中制御はあんまり自信がない」
「しょうがないですねぇ。じゃあ私に捕まって下さい」
「よし! やっぱ自分で上がるからいいわ!」
「出来るんですか? まぁ出来なかったら私が抱えてあげますので」
余裕たっぷりで真っ黒な目を細めながらモセカが先に真上の繭に糸を飛ばし、それを伝うように繭の穴に向かった。
そして貴方に出来ますか、みたいな顔でこちらを見ている。ムカついたので手の平から闇の触手を創造し、モセカの足に括りつけてそのまま腕の力でよじ登っていく。
よじ登っている最中に上を見るとモセカがこちらを呆れ顔で見下ろしていた。そしてモセカのお腹から飛ばされた糸が俺の胸に付着し、そのまま釣られるように真上へ持ち上げられた。魚の気持ちが分かった気がした。
「重いです」
「そんな俺がぶら下がってもびくともしないお前は一体何キロなんだろうな」
「落としますよ?」
「それは結構怖いから止めて下さい」
三十メートル近くある高さから背中を向けたまま落ちるのは流石に怖い。大人しくしているとモセカが繭の中に入り、俺も続くように引き込まれた。
巨大な繭の中は綺麗に切り揃えられた木で構成された普通の内装だった。うん。中も繭かと思ったんだが案外暖かみがあってびっくりだわ。身体に巻きついて糸を適当に解いてモセカの後に続く。
モセカが木の扉を開けるとむせ返るような腐臭が顔面に襲いかかってきた。思わず鼻に手を当てながらも前を見ると包帯をぐるぐる巻きに巻かれた人間がベッドで横になっていた。近づいてみるとこの人は身体も顔の形も蜘蛛っぽくなかった。少し高めの鼻に口が包帯の隙間から確認出来る。
そしてそのベッドの隣には体長四メートルほどの巨大な蜘蛛が死んだように地面へへばっていた。ただこの蜘蛛の包帯は酷く汚れていて、その蜘蛛の周りの地面の木も変な色をしていた。
「大きい方が母で、ベッドにいるのが父です」
「わかった。あ、取り敢えず換気していいか?」
「どうぞ」
モセカはそう言った後、父に近づいて小声で何かを話している。別に怪しい雰囲気も感じなかったので部屋の空気を回して扉から外へ逃がし、外の新鮮な空気をこっちへ持ってくる。
これで少しはマシになったが、やはり腐臭の原因の大きな蜘蛛がいる限り臭いは取れない。その大きな蜘蛛を遠目から観察する。
身体が完全に蜘蛛の形なので一瞬亜人じゃないのかと思ったが、蜘蛛の背中に女性の上半身らしきものが付いてることが確認できた。
そしてその上半身がむくりと起き上がってこちらを探るように見てきた。何か包帯の汚れ具合も相まって本当のミイラみたいだな。
「モセカ。この人の包帯は変えていないのか?」
「母の包帯は一日に三回変えていますが、すぐあのようになってしまいます。母曰く、黒い人間に呪いをかけられて、触れた物が腐る呪いをかけられたそうです」
「……お前の母親は前回の戦争で呪いをかけられたのか?」
「正確には戦争の始まる直前らしいですが、詳しいことは私には」
モセカが母親に近づいて耳打ちする。……よくあれに耳打ち出来るほど近づけるな。家族だからか? 正直俺の親があんな風になったら世話する自信は沸かない。
黒い人間は恐らく荒瀬さんだろうが、確か荒瀬さんって五年前に……いや、確か黒歴史がどうとかで嘘をついていて、本当は十年前に来たんだっけ。だが荒瀬さんは亜人との戦争で一騎当千の活躍をしていたはずだ。殺したのなら納得出来るが、呪いをかける意味がない。
戦争前にこちらに来ていて色々工作をしていたのか? ……あぁ。確か亜人の国に和平交渉しに行ったとか言ってたな。それが断られたので怒って人間側に加担して戦争に参加した。じゃあこの呪いはその腹いせか?
……解いてもいいんだろうか。この呪い。でも戦争から今まで八年は経っている。そのくらい経てば流石にいいんじゃないかという気持ちがある。いや、そもそも荒瀬さんの呪いが解けるかわからんし、これは後回しでいいか。
「母が話したいそうです。大きな声が出せないので申し訳ないですが、こちらへ」
「その前に治せるかどうか試してみたいんだが、いいか?」
「えぇ。是非お願いします」
「多分父は確実に治せるが、母はわからんぞ。多分この呪い、相当強いからな」
「えぇ。お願いします」
まずはベッドに横たわっている父の包帯を一言断ってからモセカに全て剥ぎ取らせる。恐らく処置が遅かったのか八年経った今でも顔が醜く爛れていた。服を脱がさせて頭から足まで全て見てみる。
どうやら酷いのは顔と両腕か。多分両腕は今も動かせないのだろう。神経が全て焼き切れてしまったのだろうか? 服を脱ぐときもモセカが手伝っていたしな。
下半身は中度の火傷だったらしく、少し痕が残っているがそこまで問題はなさそうだ。
「顔はかなり直したことあるから何とかなる。だが腕はこのままじゃ治療しづらい。ちょっと荒療治になるが、いいか?」
「えぇ。父に伝えます」
「頼んだ」