七十章
亜人同士の騙し合いの中で残ってくれたモセカ、ワニ亜人、トカゲ亜人、不死身少女。修斗はその四人と一緒にワニの国へと向かった。そしてほぼ襲撃に近い状態でワニの国に入ってワニ亜人の兄と出会い、何とか城に案内してもらうことになった。
石造りのコケにまみれた壁と兵士に囲まれながら黙々と鎧に包まれた兵士の後ろに続く。前ではワニ亜人とその兄が楽しげに話しながら歩いている。
ワニ亜人が俺の目的を代わりに話してくれているらしいが、あの楽しげの様子から不安が募ってきた。ワニ亜人は馬鹿っぽいがもしあれが演技だとしたら、そういう考えも湧いてくるので神経を尖らせながら歩かなければいけない。
ピリピリした空気の中で前の二人の談笑の声だけが響く。その何とも言えない空気にじっとりと汗をかきながら進んでいると、前の兵士が鎧の擦れる音を鳴らして足を止めた。
前には五メートルほどある大きい扉があり、前から二メートル超はある巨体を揺らしながら兄が兵士の間を縫って出てきた。肉食獣のような風貌と相まってかなり迫力があったが、今は何故か情けない風貌になっていた。
「……戦う準備だけはしておいてくれ」
諦めているような言葉を一方的に告げて兄は前の扉を開けた。少し困惑気味になりながらも扉を潜るとワニ亜人がそそくさとこちらに寄り添ってきてウインクした。
上手くいったのかとホッとしていたらワニ亜人が俺を引きずるように部屋の中へ躍り出た。中は少し華美な内装で、前のソファーでは巨体の男と女が戯れていた。
するとワニ亜人が勝手に前へ出るので俺も慌てて前に進むと、彼女は突拍子に叫んだ。
「父よ! 私はこの男に惚れたので決闘を申し込みたい!」
「……ちょっと待て」
そういうや否や俺の手を離してワニ亜人は巨体の男に突っ込んでいった。おいおいおいおい。わけがわからんぞ。
「やはり生きていたか。しかし男を連れてくるとは思わなかったぞ!」
「人間に捕らえられて飯も満足に食えないところを、こいつは助けてくれた! だから認めろ!」
「ふん! 俺の見合い相手をことごとく捨てたお前が、ぬけぬけと!」
いきなり親子で殴り合いをしていることに思わず呆気に取られていると、後ろから大きい手が俺の肩を優しく叩いた。ワニ亜人の兄だ。
「あいつらはあぁしないと対話出来ないんだよ」
「……もしかして毎回あんな感じですか? 国が傾きそうなんですけど」
「一応国として認められているぞ。貿易や他の国との立ち回りは俺が引き受けているが、八割方は母のおかげだ」
兄の視線の方へ目を向けるとこれまた巨体の女性が緑の大きい尻尾を振ってこちらへ来るように手招き――尾招きしていた。
何か相撲みたいなことをしているワニ亜人を冷めた目で見てから、ワニ亜人の母にソファーへ座っていいか確認を取ると母はケラケラと笑った。
「人間は相変わらず面倒な生き物ね。勝手に座ればいいじゃないか」
「そりゃどうも。それであれは一体どういうことなんでしょう?」
「文化が違うだけだわ。ほら、男の甲斐性の見せ所だよ?」
「流石にあれを身内に置く甲斐性はないです」
「軟弱だね。あと喋り方も軟弱だわ。身体も軟弱そうね」
「…………」
人間とバレていたので無言でフードを取りながら引きつった笑顔を見せると、母は鱗に包まれた頬を緩ませてニッコリと笑った。
「顔も軟弱そうね。私は軟弱な男は嫌いなのさ」
「人を軟弱軟弱言いやがって……。何なら腕相撲で勝負するか?」
「恥をかくだけだと思うけど?」
言葉に気を使うのも馬鹿らしくなったので多少乱暴な言葉を使いながら机に肘を置くと、彼女も緑色の鱗に包まれた太い腕を露わにしてから肘を置いた。
いくらワニ亜人といえども身体強化も最大にしたので絶対に負けない。机に拳をぶつけさせてひいこら言わせてやるぞコラァ! と自棄糞になりながらも、お互いに目配せしてから腕に力を入れる。
しかし彼女の腕は少し傾いた程度でそこから先は動かない。その想定外の事態に情けない声が出そうになったが、しかし相手も余裕というわけでもないようだ。爬虫類のような目を驚きに見開きながらもこちらの手を握り直して力を込めてくる。
しばらくその状態が続いて母の隣に立っていた兄が愕然とした様子で口をあんぐりと開けていた。そのことに焦ったのか母はいきなりこちらを睨んできた。
「チッ。人間がァ! さっさと倒れろ軟弱者ッ!」
「黙れワニ! てめぇこそさっさと倒れろ!」
お互い罵声と暴言を浴びせかけながらも腕に力を込める。しかし全く腕は傾かない。いや、本当に倒れないぞコイツ! こちとら今まで力で負けたことなんて荒瀬さんくらいしかいねぇぞ!
しばらく力を入れても本当に動かないので、拳から風を思いっきり噴射して力を増大させる。すると彼女はふざけるなと言わんばかりに唾を飛ばしてきた。
「……魔法かっ!? 何故詠唱もしていないのにっ!?」
「残念だったなぁ! 人間は魔法が使えるんですぅ!」
「ずる賢い! だが私にもまだ手はある!」
そう言うと彼女の力がいきなり強まった。こっちも負けじと風の噴射を更に強める。お互いに叫びながらも相手をねじ伏せようと一気に力を入れた。
するといきなり肘をつけていた机が砕け散り、バランスが崩れて前に仰け反った。そして彼女の頭にそのままぶつかった。
「いっつ! ……あー、これはどうなるんだ?」
前には真っ二つに砕け散った木の机がもの悲しげに鎮座していた。前の母は面白そうに引き笑いしながらその机を見ていた。
「身体が軟弱と言ったのは訂正しようじゃないか」
「他のも訂正しろよ」
「嫌だね。それよりあっちも決着したみたいだぞ」
つんと顔を逸らしながら母は言った。そちらを見ると父が仰向けに倒れていて、ワニ亜人がこちらへガッツポーズしてきた。勝ったのかよ。
「情けない。あんたは最近だらだらしてるからだ! 全く、人間の方が強いじゃないか!」
「うぬぅ」
母に引きづられていく父を見送りながらも兄に視線を送ると、彼は気まずそうに視線を逸らした。……お前が国を動かしてるんじゃないかな、うん。
――▽▽――
ワニ亜人の親父さんに何やら変な話をされたり他の兵士からちょっかいを出されたりもしたが、何とかワニの国には認められたみたいだった。外で待っていた三人を連れてワニの国でたっぷり一日休んでから俺たちはまた出発した。
国を出るときにワニの兄が書状を書いてくれたが、これが役に立つといいが……そんなことを思いながら赤いバイクのアクセルを捻る。後ろに乗っているトカゲ亜人が驚いたのか抱きついてきたが……うむ。全くないな!
現在はトカゲの国に向かう途中でモセカは不死身少女を抱えながら後ろで木々を縫うように進んでいて、ワニ亜人はただ後ろを走っている。
この森を抜けると亜人の領土で最も広い土地を占める国、犬の国に着く。犬の国に行く目的は移動手段を調達するためだ。トカゲ亜人は言うには犬車という物があるらしい。トカゲ亜人は一般兵士のくせに何かと博識だ。
森から抜けると目に見えるところに街道があったのでバイクから降りて異次元袋に仕舞う。人間とバレていいことなんてないからな。
「そういえば犬車ってどのくらい速いの?」
「犬車は速いぞ。お主のカラクリ車と同じくらいの速度が出るのじゃ」
「俺はバイクあるからいいが、四人も乗れんのか?」
「大きい犬なら三匹。普通のなら二十匹いれば引けるんじゃないかの。大きいのはもう馬と変わらんくらい大きいし希少価値が高いから値段も高いが」
「私に任せろ。金ならある」
「ワニさん大金持ち! 肩揉みますよ!」
「む、気が利くな」
ワニ亜人の露出した肩を揉むと汗でヌメった鱗の感触がした。獲れたての魚みたいだな、と失礼なことを思いながらワニ亜人の肩を揉みほぐす。
「な、何か身体が溶けているみたいだ」
「軽く電気流してるからな。これ結構評判良いんだよ」
目を細めているワニ亜人の肩を軽く叩いてマッサージを止めると、ワニ亜人は残念そうに肩を落とした。ここからは亜人たちに徒歩で犬の国へ向かってもらう。俺は外でお留守番だ。
不死身少女も見かけは人間と変わらないがトカゲの匂いがするらしいので、一緒に行かせることにした。俺が言ったら匂いでバレそうだしな。
「……私もお金ありますよ」
「お前は利子つけてきそうだし」
「……私、糸出すの疲れるんですよ? 私にもあのマッサージとやらを受ける権利があると思うのですが」
モセカは露出している肌色のお腹を叩きながら不満を言ってくる。糸はへそから出るのでモセカは現在へそ出しの服を着ている。へそから出るってなんか間抜けだよな。流石に言ってやらないけど。
「ま。俺はここで野宿して待ってるわ」
「すぐに帰ってくる」
ワニ亜人たちに手を振って見送り、俺は野営の準備をするためにワニの国で買った野営道具を次々と異次元袋から出して地面に並べた。魔法で野営する方が楽だが目立つのであまり亜人の国ではやりたくないからな。
テントを張るのだけ少し手間取ったがそれ以外は大したこともなく、日が沈む頃には野営の準備が完了した。適当に塩と野菜と肉を入れてスープを作り、森で鳴いている虫の音に耳を傾けながら夜を過ごす。
(良くも悪くも普通の味だね。それと肉の油が凄い)
(褒めてるのかけなしてるのかはっきりしろ)
細長い瓶にスープを詰めてそこに剣を入れると、凄い微妙な褒め方をされて喜んでいいのかわからなくなった。
剣は固体の物は食えないが液体状の物は食べれる。まぁ味覚を刺激してるだけらしいのでスープの量は減らないが。
あとかなり前にはコーンスープを飲ませたことがあったが、あれは全身を漬けたのでかなり怒られた。まぁ俺もスープに包まれながら食事するのは嫌だしな、と自己完結した後にあの細長い瓶を買った。週に一回くらいは食事を求めてくるので買ってよかったわ。
(ごちそうさま)
(あいよ)
ぶっきらぼうに言ってから剣を引き抜いて油まみれの刀身を拭く。あ、ついでに研いでおくか。
異次元袋から研ぎ石と油を出すと剣が微かに光を帯びた。剣はたまに無意識で光ったりどんよりしたオーラを出したりするので気持ちが分かりやすい。
だが剣自信は私そんな軽い女じゃないの、と言うようにふふんと偉そうに鼻を鳴らしながら俺に命令してくる。
(鞘の底に水が溜まって気持ち悪いよ。拭いて!)
(はいはい)
(剣先の研ぎが甘いよ! もっと研いで!)
(はいはい)
忙しい時以外は毎日研いでいたので剣の研ぎ方はあらかたわかっている。まぁ研いでも削れないから他の剣と同じようにやるともっと強くとは言われるが。
油を払って綺麗な布で剣を巻いて床に置く。油の場合はこの方が良いらしい。まぁ本当のところはわからんが。
(あいつら帰ってこないんじゃないの?)
(あのワニ亜人が裏切るとは思えないがな……)
(というかあの蜘蛛はなんなの? 凄い気持ち悪いんだけど)
(モセカは……まぁ計算高くて油断できない奴だな)
適当に剣と雑談しながら夜を明かすと朝一番に犬車がこちらに向かってきた。朝日を眩しく思いながら手を振ると犬車は目の前で止まった。