六十七章
「ここか」
太陽が真上で殺人的な暑さを振りまいている時間に俺は貴族が住んでいる建物に訪れた。熊みたいな門番が二人、この暑い中で仁王立ちしている。
「お仕事ご苦労様。交代するよ」
範囲内では身体が痺れて何も出来なくなるような結界を、数分前に屋敷を覆うようにかけた。創造するのに十分かかりその間は魔法が簡単な物しか使えないが、そこまでした価値はあった。目だけ動かしてこっちを睨んでくる門番の肩を掴んでそのまま屋敷内に侵入する。
屋敷の内装はあの図面の通りだったので途中倒れている人を一瞥しながらスラスラと進む。半泣きで倒れているメイドに少しそそられながらもサラが捕らえられているリビングの扉に到着した。
少し覚悟を決めながら扉を開けると、突然水で象られた矢が顔面に飛んできた。
恐ろしい勢いで飛んできた水の矢を腰の剣で危なげなくも弾き飛ばす。水の矢は地面に当たるとその形状を崩して床が水に濡れた。普段は魔法で反射神経とか強化しているからか、かなり反応が遅れて危なかった。
(生身で魔法を弾き飛ばすことがまずおかしいと思うんだけどね)
(化物待ったなし!)
百人は入れそうな広々した装飾の施されたリビング。そしてふかふかしてそうなソファーの前に立つ青髪のおっちゃんと青年。おっちゃんの手に媒体紙があるからあの矢はおっさんが飛ばしたんだろう。……詠唱が聞こえなかった気がしたんだが、気のせいだろうか? それに貴族らしくもない。本当にそこらにいるおっちゃんと変わらないぞあの人。
日中からコソ泥に入られるとは思ってもみなかったんだろう。青年の整った顔がかなり間抜けなことになっている。父親の方はただ黙ってこちらを見ている。随分と冷静だな。
「貴様は……」
「あ、お前は見覚えあるぞ。確かサラと結婚したいとか言ってたイケメンだな」
ここに飛ばされた直後の時に色々と馬鹿にされた貴族だ。あの時の俺はクールに去ったけどその後受付娘にブチ切れてた記憶がある。あの時はストレスで頭おかしかったわ。
「これは貴様がやったのか?」
「そうだ」
「……貴様はサラを奪いに来たんだな?」
「良くわかったな」
「……お父様。ここは私に任せてください」
青年が腰の剣を抜刀して一歩前に出ると、隣にいたおっちゃんは何も言わずにソファーにどっかりと座り込んだ。……随分と余裕じゃないか。今は障壁に意識を割いて簡単な魔法しか使えないとはいえ、不死身の俺に負け目はない。最悪障壁を弱めて強い魔法も使える。
「キルティーナ・アベスの名にかけて! サラ・ベントスを守るために私は戦う!」
「随分と気合入ってんなぁ……」
周りに水を纏わせて何やら貴族流の演出をしている奴を横目に、ひょっこりとソファーの影から顔を覗かせているサラの様子を伺う。彼女は水を纏わせているアベスをしばらく見ていたが、俺と目が合うと彼女は長い金髪を揺らしてソファーの影に隠れた。……何やってんだアイツ。
「よそ見とは余裕だな! お手伝いが!」
「お前こそ戦闘の前に曲芸とは随分と余裕だな」
わざわざ剣で切り伏せようとしてくるので、剣の切れ味を最大にしてから貴族の剣を受け止める。するとアベスの剣は何の抵抗もなくすっぱりと切れた。
アベスは綺麗に切られた剣を見て少し動きを止めたが、すぐに俺から離れて媒体紙を取り出した。
「水の竜よ、目の前の敵を飲み込まん!」
短縮された詠唱に少し驚きながらも水で象られた竜の突進を大きく横に飛んで躱す。しかし貴族が媒体紙を横に動かすと、その竜も方向を変えてまた俺に突進してきた。
また考えもなく突進してきた竜を紙一重で避け、その横腹に剣を突き立てると竜の形が崩れて床が水浸しになった。あーあ、片付け大変そうだな。
濡れた剣の水滴を払ってアベスに向き直る。彼はこの状況で尚、不敵に口角を釣り上げていた。もしかして自分が勝つと思っているんだろうか。殺してやろうか。まぁ、この世界に来て人を永眠させたことはまだないけれども。
「おめでとう。君は竜を倒した。これから竜殺しとでも名乗るが良い」
アベスは不敵な笑みを浮かべながら俺に拍手を送っていた。……これだから貴族は。この世界の貴族は戦いを格好良くやりたがる。
ポタリと、後ろから水滴の落ちる音が聞こえる。その音は徐々に音量を上げていく。
「――だが、竜は死なない」
後ろを向くと大口を開けた水竜が今も俺を食わんとしていた。上に飛んでそれを避けると竜は顔から床に突っ込んで少し形態が崩れた。そのまま重力に身を任せて頭に剣を突き刺すと、竜は完全に形態を崩して水になった。
しかし数秒後にはまた床の水が徐々に宙へ上がって行き、また竜の姿を象った。面倒臭いな。魔法も障壁に意識割いてるから水を全て蒸発させるほどの魔法も使えねぇし。
なら魔術師をさっさと倒せばいい。単純なことだ。竜が再生している間にアベスへ近づくが、彼は片手で器用に媒体紙を取り出してこちらに向けた。
「愚かな獲物を巻き殺せ、大海蛇」
媒体紙から滝のように水が流れ落ち、その水は蛇の形を象って俺の前を塞いだ。前方には馬鹿デカい蛇。後方には馬鹿デカい竜。参ったねこりゃ。
「精々あがいてみせろ!」
「嫌なこった」
流石に水の中に捕らわれると面倒なので異次元袋から煙幕玉を取り出し、床に叩きつける。すると水が沸騰するような音と共に煙幕が部屋中に撒き散らされる。
アベスは水蛇と水竜を自分の方に集めて防御を固めている。空気が漏れるのは扉しかないので煙幕が晴れるのは充分に時間がある。その内に結界のイメージを固め、一時的に他の魔法を多少使えるようにしておく。恐らく今の想像力じゃ三分も持たないだろう。宇宙戦士もビックリ!
流石に生身で貴族に勝つことは厳しいらしい。いや、いけると思ってたんだが、詠唱短縮に詠唱破棄、複数の魔法を同時に使われるとは思ってもみなかった。少し前の貴族はやってこなかったことをあの貴族たちはしている。それが厄介だ。
全ての身体強化をかけ直してちゃんと作用しているかを確認し、アベスに向かって創造した炎をレーザーのようにぶつけた。炭酸が弾けるような音の後に俺はアベスの近くに駆けた。
炎の影から出てアベスに突進する。彼は媒体紙を構えたがそれを剣で真っ二つにし、そのまま胸ぐらを掴んで思いっきりソファーへ転がすように投げ飛ばす。
背後にいた竜と蛇が音を立てて崩れ、うっすらと見えるアベルを確認しながらも温い水蒸気を払うように風を起こし、煙幕を飛ばしながらも彼を投げ飛ばした方向へ向かう。
「終わりだな」
煙幕が晴れて薄く水が貼っている地面に転がっているアベスの姿が現れる。彼の右手首は変な方向に曲がっていて、恐らく足首も複雑骨折しているだろう。むしろ首の骨が折れていないことに驚いた。上手く受身でも取ったんだろうか。
彼はうつ伏せの身体を何とか仰向けにしたが、虚しく水しぶきが舞っただけだった。どうやら限界のようだ。後ろで座っているアベスの父親らしきおっさんに視線を向ける。しかしおっさんは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。
「うぎぎっぎぎぃ!」
その直後に地獄から悪魔が這い上がってくるような声が聞こえた。驚く事にアベスは手を地面につけて立ち上がろうとしていた。ズレている骨が擦れているのかアベスは苦渋の声を上げたが、それでも彼は手に力を込めた。
「うああぁあぁあ!!」
「わお」
骨が砕けるような音を響かせながらアベスは立ち上がった。足元には赤い水がじんわりと広がっている。複雑骨折とか気絶してもおかしくない痛みのはずだが……痛覚鈍ってる俺が言っても説得力ねぇけど。
その後ろで座っているおっさんは眉をピクリとも動かさない。そろそろ介入してくると思ったんだが、その気配は微塵も無い。父親だと思うんだが……違うのか?
濡れた青髪を揺らしながらふらふらと向かってくるアベス。武器も媒体紙も無い状況で一体何をしようというのかは、彼の固く握った拳を見て理解した。
彼の左手から放たれた拳は魔法で強化された目では止まって見える。拳を手の平で受け止めてそのまま後ろに突き飛ばすと、アベスは受身も取らずに頭から床に転んで小さな水しぶきを上げた。
顔は涙と水で濡れて酷いことになっている。しかしアベスは懲りずにまだ立ち上がってくる。荒瀬さんも特訓している時はこんな気持ちだったのかな、と思いながら彼の拳を躱してまた転ばせる。
骨が軋んで痛いだろうに、アベスはまだ立ち上がる素振りを見せた。面倒だったので地面に倒れているアベスの足を掴み、てこの原理を利用して骨をポッキリと折った。
「い、ぎゃあぁああ!!」
続いて二本目。
「ぎぃぃいぃ!!」
「シュウト!」
「……しつこいんだよお前は。後で治すの面倒なんだから安静にしてろ」
喚くアベスの前髪を掴んでそう言った後に手を離して、アベスの手首と足首の治療を開始する。よくもまぁこれで動けたもんだなと、皮膚から突き出ている骨を見ながら思う。突き出た骨を抜き出してから治療を開始する。
途中で割り込もうとしてきたサラはおっちゃんが抑えていた。察しの良いおっさんで助かる
複雑骨折の位置把握に少し手こずって十分くらい治療に費やしたが、何とか治すことが出来た。だけど全部治すとまた挑まれそうなので、さっき綺麗に折った骨は完全には直さなかった。骨は繋げたからしばらくすれば勝手に治るだろうが。
「アベス!」
おっさんに掴まれていた手を振り払ってサラがアベスに駆け寄った。跳ねる水をものともせずにびしょ濡れのドレスでしゃがみ、アベスの手を掴んだ。
「サラ……」
「大丈夫!?」
「すまない……。負けてしまったよ」
アベスが顔に手を当ててむせび泣いた。その手をサラは握りしめて首を必死に振っている。
「ううん! アベスは負けてないよ! 私はシュウトに付いていかないもん! 確かに昔は」
「相変わらずだな。うぜぇんだけど」
「いじぇじぇじぇじぇ!」
何やら勘違いをしているサラのほっぺたを後ろから掴み、しばらく抓った後に離す。この展開は少し予想していたが、実際にやられるとかなりウザい。
「俺は案内娘に頼まれて来ただけだ。別にお前をどうこうするわけじゃないんだよ。だからアベスは安心して寝てろ」
「どういうこと!?」
「いや、俺が聞きてぇよ。サラが無理矢理貴族に連れ去られたーって聞いたから来てみたものの、何か茶番見せられただけだぜ?」
おどけて見せるとサラとアベスは顔を真っ赤にして俯いた。そんな馬鹿二人を置いて俺はおっちゃんの方に足を進める。
「何かすいませんでした!」
「……気にせずとも、予想通りだ」
おっちゃんは神妙に頷きながら俺に白い紙を手渡してきた。請求書だぁ! わーい!
「あ、請求ですか。今金欠なんでちょっと待ってもらっていいですか?」
「そんなわけないだろう。それは黒の旅人から預かっていたものだ。アベスの婚約者を取り返しに来る者に渡せと言われたのでね。まさか本当に来るとは」
おっちゃんが不器用そうに笑顔を浮かべて俺の肩を叩いた。……荒瀬さんか。やっぱり生きていやがったのか、まったく。
無言でその手紙を異次元袋にしまい、後ろでジェスと言い争っているサラを見る。次第にヒートアップしていく口論の中心にいるアベルが俺に助けてほしそうな目を向けてくるが、ざまぁみろと機敏に反復横飛びを送っておいた。
「シュウトぉ! こっちに来なさい!」
「……うぇえ?」
ぷんぷん怒ってるサラに引きずられて俺もアベルと一緒に座って縮こまることになった。
――▽▽――
「ありがとう。心のモヤが晴れた気分よ!」
「そりゃ良かったでございますね。俺は一時間水浸しの床で正座していたがな!」
「私もだ!」
「ごめんね? 二人共ごめんね?」
おどおどしているサラを横目で見ながらもびちょびちょになったリビングをモップで掃除する。正直俺が一人でやった方が早いが、何かみんなやってるのでよしとした。
「おらアベル。足治してやったんだからキリキリ働け」
「私の扱い酷くないか!? でも君には申し訳ないことをした! 悪かった!」
「素直! この人すごい素直! ジェスも見習えやコラ! というかお前全部妄想だったとか頭おかしいどころじゃねぇぞ!?」
「うるさいうるさい! ばーかシュウトのばーか!」
「ばーかばーか!」
「てめぇは便乗してんじゃねぇぞコラ」
「いでででで!!」
ジェスに便乗したサラにアイアンクローをかまし、それをアベスが遠慮気に止める。そんなことをしている内にリビングの掃除は終わった。
「あ、お世話になりました」
「またいつでも来るが良い。歓迎するぞ」
「そりゃありがたいね」
アベスとサラに見送られて屋敷を出る。門番の人は微妙そうな顔をしていた。そりゃそうだ。
「で、お前はどうするの?」
「どうもしないわよ。組織に戻るわ」
「あっそ。じゃあ買い物して帰るわ」
手をひらひらと振ってジェスと別れて買い物をする。……何故か後ろをつけてくるジェスを無視して買い物を続け、人気のない場所で外に瞬間移動した。
砂漠で一息つきながらもスコーピオンの塔を目指す。バイクは亜人に運んでもらっているので、久々の歩きだ。柔らかい砂を踏みしめながら早くも額に滲んできた汗を拭う。
「荒瀬さんの手紙か……。何年ぶりだっけか」
異次元袋から手紙を取り出してしみじみと呟く。一体内容はなんだろうか。まぁ荒瀬さんのことだから内容は無いような文章が多いと思うが。