六十五章
アグネスを出発してから二週間が経ち、亜人たちも身体の調子が戻って元気になったのかそこらの魔物には苦戦しなくなってきた。その有り余った元気を昼夜関わらずにぶつけてくる奴らもいるが、思いっきりボコボコにしたらそれも無くなった。
朝は必ず鈍い痛みから始まり、昼夜問わずに後ろから殺されていたが、亜人にまで迫害されてはたまらないので我慢していた。
しかしコムリに舐められているからうんたらかんたらと説教されたので、ナイフで刺そうとしてきた白梟、ワニ、鷲の亜人三人を吊るし上げてボコボコにしたところ、一先ず手を出されることは無くなった。
ちなみに白梟の亜人は二人いるので今回ボコボコにしたのはこの前蹴られた奴ではない。その親だ。
ワニはすぐに緑のゴツゴツした尻尾を振って従順になったが、白梟と鷲はプライドが高いのか全く従順にならなかった。その二人は偵察などに使えそうだったが、面倒なので放っておいた。偵察は蝙蝠亜人が行ってくれるから問題ないしな。
「あっちぃー」
乾燥した空気を吸い込みながら額に浮き出る汗を拭う。後ろを見ると虫の亜人が身体に氷を当てながら死にそうな顔をしていた。獣の亜人も暑さと足場の悪さにうんざりした顔をしている。不死身少女と歩いているアルマジロトカゲの亜人だけはニコニコしている。
現在は人が開拓していないルートでシロさんのいるサンドラを目指している。途中で他の都市に寄った時にはまだ指名手配などはされていなかった。サンドラは物資が届くのが遅いので指名手配の連絡も遅れているといいが。
そしてそろそろサンドラに着く頃だ。懐かしのスコーピオンの塔が見える。サンドラに着いたら亜人たちは一先ずスコーピオンの塔に行かせて俺はシロさんと話してこよう。聞きたいことは亜人が何処に捕らえられているかだ。亜人を奴隷から救っているシロさんならわかるはずだ。
情報が手に入らなかった場合は大きい都市を色々回って見るしかない。一応ミジュカという大都市で奴隷が出回っていたので、そこで奴隷を買い戻す作業でも……でもその頃にはもう指名手配されてそうだよなぁ。闇市場とか都合の良いシステムないかな。ないですよねー。
「休憩しませんか? そろそろ倒れそうです」
「わかった。身体を冷やしたい奴らは並んでくれ」
「休憩か」
隣を歩いているモセカの提案に俺は足を止め、コムリのしなびた狐耳に惹かれながらも人がすっぽり入るくらいの水球を複数創造しておく。
「その長い黒髪は切らないのか?」
「顔が見えない分人間受けが良いでしょう? シュウト様もそう思うでしょう?」
「……あー」
モセカは俺を虫の国の将軍に勧誘してきた日から、かなり人間受けを気にするようになった。もしかして俺を狙っているんだろうか。正直ゾッとしかしない。
コムリとその他獣亜人は水球に入って身体を冷やし、外に出て髪の毛や毛をプルプルと震わせて水を飛ばしていた。服のまま入ってるけど気持ち悪くないのだろうか。まぁ歩いてればすぐ乾くから別にいいけどさ。ラッキースケベなんて期待してるわけないだろ!
いつ指名手配されるか分からないので街でゆっくり出来ず、色々と我慢しなければいけなくなったので、正直辛い。そりゃあもう色々と。
亜人たちの身体を冷やして水分補給を済ました後に出発する。それを繰り返して夜にはサンドラ付近に到着した。ちらほらと他の冒険者の明かりが見えるが、距離は取ってあるので見つかりはしないだろう。
「じゃあお前たちはあの塔で待機していてくれ」
「ふん。大人しく待機していると思うか?」
上に設置してある灯り用の炎に照らされながら鷲の亜人が鋭い目でこちらを睨み、羽の付いた手をばさつかせた。そうだな、どうせだし帰れそうな奴はもう離しちゃってもいいかもな。全員帰られるのは困るから目立つ奴は残しとくけど。
「あぁ。今更だが人間に捕まらずに自力で帰れる奴は先に帰ってもいいぞ。もう魔物に負けることは無いだろ。ただ目立つ奴はダメだからな。特に虫と蛇は駄目」
「いや、私たちも人間の形にはなれるぞ?」
蛇の亜人が子供と一緒に胴体を器用に丸めて二本足を作った。隣の子供が出来た! と両手を上げて喜んでいるのは凄い可愛いが、如何せんその歩みは遅い。視界の隅でムカデの亜人も同じことをしていた。
「本当に形だけだろうが! 服がはだけたら一瞬でバレるじゃん!? それに歩くのも遅いだろうが!」
「でも私。早いよ」
「遅いからな!? 亀といい勝負だよ! せめて人間といい勝負出来るようになって言ってくれ!」
ムカデの亜人は細かい足がある分蛇の亜人より早いと豪語していたが、見た限りじゃ速度あんまり変わんねぇわ! むしろ気持ち悪さがある分不利まである。
「はぁ。じゃあ今から亜人の国に向かう奴らは手を上げてくれ」
約半数が手を上げた。子供のいる亜人以外はほとんどだが、獣系の亜人の少数は残る奴もいた。コムリが手を上げなかったのが意外だったのでコムリに目を向けると、彼女は嫌そうにこちらを見返した。
「勘違いするな。貴様は亜人の国に入りたいらしいから、助けられた恩で協力してあげているだけだ」
「いや、凄い助かる。流石もふもふしているだけはあるな」
「何だそれは!?」
尻尾を静かに振っているコムリを微笑ましく思いながらも、ここで離脱する亜人を集める。十八名か。その中にこの前蹴られた白梟がいないことにまた驚く。白梟の亜人は二人いる。俺にボコボコにされた白梟は離脱組にいるが、もう一方はいない。残っている白梟の方を見ると小首を傾げていた。
「コムリさんと同じ理由だ。勘違いするな」
「あざっす!」
「……もう話しかけるな」
両目を閉じてそっぽを向いた白梟に感謝しながらも離脱組に持てるだけ保存食を渡す。食料を貰えるとは思っていなかったのか、バッタの亜人が手を上げて喜んでいた。獣の亜人は微妙そうな顔をしている。
「……感謝はせんぞ」
「そう言う台詞は一回でも感謝してから言えや。捕まるなよ」
「チッ」
鷲の亜人は俺を一睨みしてから夜の砂漠を飛んでいった。白梟もそれに続き、飛べない者はこっちに手を振りながら去っていった。
「さて、トカゲとリスは何で残ったんだ?」
「飯が美味いからかのぉ。それにこの同族の匂いが仄かに香る少女も気になるしの」
「働かないでもご飯が食べれるなんてここだけです!」
トカゲはゴツゴツした尻尾を揺らしながら隣の不死身少女の頭を撫で、リスは黒い鼻をヒクヒクと動かしながらはしゃいでいた。というか飯が美味いってなんだよ。確かに解凍したもので毎日料理はしてるが、ただ煮込んだり焼いたりしてるだけだから大して美味くねぇぞ。多分。
「まぁ良いけどよ、今日はあそこで泊まってもらうから飯は作れねぇぞ?」
「帰っていいですか? すみません! 嘘です! 冗談です!」
リスの亜人を軽く睨むと彼女はすぐに変わり身してトカゲの後ろに隠れた。ある意味たくましいな、オイ。
「じゃあ悪いけどモセカ、コムリ。皆を連れてあの塔で待機してくれ。これが灯りな。あと、冒険者がいるかもしれないが、出来れば殺さずに撃退してくれ。二日後には戻るからそれまでよろしくな」
「了解しました」
「わかった」
灯りを五個ほど渡すとモセカとコムリは頷いて明かりを受け取った。
――▽▽――
「久々に一人になったな」
やたら光って自己主張してくる剣を無視してサンドラに侵入する手立てを考える。もしかしたら手配状は出回っているかもしれないので、門から入るのは避けたい。いっそのこと瞬間移動でも試してみるか? 一応目に見える範囲に移動するのは大丈夫だが、目の見えない範囲はまだ試したことがない。
目を閉じて印象の強い裏路地に瞬間移動するように念じると、身体が浮くような感覚の後に舐めまわすような空気が絡みついてきた。どうやら成功したようだ。試してみるもんだね。
(ここは……あぁ、ここか。ならそこから出ればすぐギルドだな)
サンドラには何だかんだで二年くらいはいたので大体道は把握している。湿った裏路地を抜けて表に出たので、灰色のフードを深く被ってギルドを一直線に目指す。
相変わらず一軒家に近いギルドに苦笑いしながらも扉を押して一応警戒しながらギルドに入る。
ギルド内を慎重に見回したが怪しい者は見当たらない。ホッとしたのも束の間壁に貼ってある手配書に思わず顔をしかめる。
手配書には俺の顔そっくりの人相に事細かな詳細も記されていた。受付は多少目立つので
多分バレる。それに馴染みの冒険者に顔も知れてるから、ここに居ては不味そうだ。
途中で立ち寄った都市では手配書なんて見なかったので油断していた。静かに冒険者ギルドを出てそのまま街を見て回ったが、手配書はギルド以外に見かけなかった。だがギルドは一般の人も立ち寄るので一応庶民らしい服に影で着替え、何処か泊まれるところがないか探す。
サンという宿屋に行こうと思ったが、あそこも顔なじみが多い。そういやサラって店主いたな。今まで奢った飯の分徴収にでも行ってやろうか。丁度金欠だし。いや、行かねぇけど。
(どうしたもんかね)
「見つけた!」
表通りの端っこを存在感を消しながら歩いていると、いきなり痛いほど腕を掴まれたので反射的に腕を引いた。すると頬の痩せこけた薄気味悪い女がこちらに倒れてきた。服装もかなり汚いので多分乞食だろう。ミジュカにはわんさかいたが、ここにも出るようになったのか。
その身体は異様に軽かったので何とか受け止めたが、民衆から思わぬ注目を浴びてしまったのですぐに女を突き放して路地裏へ逃げ込む。
すると女もおぼつかない足取りで追ってきた。しつこいので地面を滑るようにして女を転ばせて逃げようとしたが、彼女は足を滑らせて肘や膝を強く地面にぶつけながら必死に付いてくるので、面倒くさい気持ちを抑えながら足を止めた。
「何だお前……」
「……たすけて」
ひしゃげたような声を上げながら地面に座り込んで悲願してくる女の顔を覗き込む。声は婆さんみたいだが……誰だ? 脂ぎった細い青髪に顔は骸骨みたいに痩せこけている。そんな奴は知り合いに居ないし、知り合いたくもない。
「お前は誰だ。目的はなんだ。乞食ならさっさと消えろ。今は金欠だ」
「サラが……貴族に誘拐された! 助けて! 私ひとりじゃ出来ない! たすけて!」
「お前……あー、案内娘か? サラの宿屋の」
しかしあいつは確か茶髪だったはずだ。染めたのか? ……いや髪染めは貴族くらいしかしないはずだ。何より費用が高いので庶民はしないだろ。
「……サラか。水の魔法使えたからか?」
「サラは光の魔法も使えたの。だから連れ去られた。お願い助けて!」
正直な話、あまり関わり合いたくはない。まだ民衆に顔は広まってないにせよ、サラを助けるのは絶対に目立つだろう。それに亜人には二日で戻ると伝えている。
虫の亜人のために身体を冷やす氷は渡してあるが、この暑さじゃすぐになくなってしまう。それにもしかしたら冒険者があの塔を探索するかもしれない。塔に滞在させるのはやはり二日辺りが限界だろう。シロさんの所へ辿り着くまでで一日。サラを助けるので一日。……無理だ。ただの平民なら取り返して終わりだが、相手は貴族。恨みを買ったらその後に金と地位の力で押しつぶされる。助けてもその後また攫われるだけだ。サラだけに。
「俺はここに二日しか居れない。一日だけなら力を貸せるが、相手は貴族だろ?」
「大丈夫! サラと私は逃げ場所がある! 良かった! よかった! ありがとう!」
俺の逃げ場所はどうした? とは言いづらいほど案内娘は俺の手を握って喜んでいた。あの小生意気でよく人をからかうような性格だった昔の案内娘とはとても思えなかった。ちょっと身じろぐと案内娘はしおれた林檎のような顔で笑いながら俺の手を引っ張った。
「取り敢えず私の宿に来て! 作戦を教えるから!」
「いや、俺にもやることあるから」
「いいから来てよ! 早く!」
「……黙れ」
顔を真っ赤にして喚き散らしている案内娘から距離を取る。どうやら案内娘は余裕が無いらしい。このまま付いていってもあまり良い結果になるとも思えなかったので、半目で睨みながら一歩ずつ下がっていく。
「今のお前は余裕が無さすぎる。飯食って寝てから出直せ」
「……たすけてょぉ。もう貴方しか頼れないの!」
「……何なんだお前。取り敢えず明日の昼にまたここで待ち合わせだ。じゃあな」
膝から崩れ落ちている案内娘を置いていそいそとその場を立ち去る。置いていくことには少し同情心が揺れたが、今の案内娘に海で溺れている人と同じように見える。手を貸したら慌ててしがみつかれてそのまま道連れ、なんてことになりそうだ。
(今日は寝なくていいか)
(あの女。怖かったね)
(お前も負けず劣らずだよ)
夜の路地裏でじっとして異次元袋の整理をしていたら、もう朝になっていた。