五十八章
17Bの授業を終え、カルサとカタワのレベルの違いに驚きながらも翌日。
14Cの授業に不安を覚えながらも宿屋で就寝した。
翌日の朝。少しストレッチをした後に宿を出て、表通りで水を撒いている学生をよそ目に学校へ向かう。石で固められた街道を歩きながら腕を上に伸ばす。うん、今日もいい天気だ。
そしていきなり冷水が浴びせられ、頭に何かが乗っかった。取ってみるとバケツだった。
「す、すみません!」
「……いや、気にしなくていい。俺の不注意だ」
どうやら水を撒いていた学生がバケツを持ったまま足を滑らせ、その放り出されたバケツが俺の頭へすっぽりと重なったようだ。朝からついてないなと思いながらも、学生に一言いってそそくさと立ち去る。
今日は14Cの授業を受け持つことになっている。これが終われば三日間休みだ。そして一週間に一回ある学年演習に向かう。一ヶ月はこの繰り返しだ。まぁ一ヶ月ならすぐ終わるだろう。
門から学校の敷地に入ってから人目のない場所で風を吹かせて濡れた服を乾かし、青くて丸っこい目玉カメラを鬱陶しく思いながら校舎内に入る。
職員室で机に荷物を置いて周りの先生に挨拶を済ませ、14Cの教室を再度確認して職員室を出た。
(厄介事が起きなければいいんだが)
(んふ、上の教室から魔力を感じるよ。何が起きているのかなー?)
不吉な剣の忠告に耳を傾けながらも二階に上がると何やら尋常ではない騒ぎ声が聞こえる。それが14Cの教室だということにげんなりしながらも教室の扉を開く。
扉を開いた瞬間にむわっとした臭いが出迎えてきた。籠ったように生臭い、血の臭いだ。
教室では何やら人の円が出来ていた。生徒の顔は引きつった笑顔なので多分中心でナニかやっているんだろうと思い、周りにいる生徒を軽く押しのけながら中心へ向かう。
すると男子生徒が女子生徒に跨っていた。地面に広がる血と女子生徒の顔面が腫れ上がっているのが見えたので急いで止める。
「何をやっている!」
男子生徒を無理矢理引きはがす。その際に赤い雫がポタポタと床に落ちた。その赤い雫が一瞬何なのかわからなかったが、血しかないことがわかって息が止まった。
男子生徒は血に濡れたナイフを持っていた。女子生徒の腹はナイフで掻き回されたのか内臓がぐちゃぐちゃで、床には引きちぎられた腸のような物が無造作に置かれていた。それも念入りに切り刻まれている。
「あっ……あー……」
「…………」
虚ろな目で天井を見上げて掠れた声を上げる金髪の少女を見てから一回深呼吸を挟み、心を落ち着ける。まずは状況確認だ。男子生徒が女子生徒を刺した。これは間違いない。しかし、何のためだ? それに周りに生徒が集まっていること自体が異常だ。普通だったら逃げるなり先生を呼ぶなりするはず。
少女を今更保健室などに連れていっても手遅れなのはもう分かっている。だが俺は治療が出来るのでまだ間に合う。応急処置に腹へ包帯を急いで巻いてから少女の腹をなるべく動かさないように首と膝裏を持って抱え、教室を出た。
生徒は何も言わずに俺が教室を出るのを真顔でじっと見ていた。このクラスは、異常だ。頭がおかしい。何故人の内蔵を掻き回しているのを笑顔で見ているのだろうか。
ナイフを持った男が切り取った臓器を他人に見せびらかしているのを見て、このクラスは駄目だと思った。
――▽▽――
一先ず学校を出て宿屋に戻ってベッドに新しいスーツを敷いてから少女を寝かせ、腹の包帯を取って治療魔法をかけるための準備をする。学校の保健室でも良かったが治療魔法を使えるのがバレたら不味そうだし、あのナイフの男子生徒を見た後に学校にいるのは御免だった。
少女は言葉も喋らなくなり気絶していたので時間はあまりないだろう。急いで回復ポーションと魔力ポーションを取り出した後に少女の包帯をゆっくりと外す。すると彼女の内臓がうぞうぞと蠢いていた。思わず包帯を解いていた手が止まる。
「何だ……コレ?」
ちぎれた臓器が不自然なほど脈動している。そして少しずつだが臓器が膨張と縮小を繰り返して治っているのが確認できた。
この少女……亜人か? しかし自己再生出来る亜人はそんなにいない。しかもその亜人は脱皮などで半年かけて再生するトカゲ系の亜人だ。こんな急速に再生する亜人はいただろうか? 確か神本には……。
「やっぱり書いてないな」
自己再生で神本に念を送ってもトカゲ科の亜人しか目次は出てこない。もしかすると……。
(シュウトと同じ感じの人かな?)
(……いや、金髪に金の瞳なんて日本にいない。あー、外人か? それだったら有り得るかも)
蠢く内蔵を見ながら包帯を巻くかどうか悩み、再生した時に包帯が挟まらないように巻いて様子を見る。
一時間ぐらいだろうか。少女が唐突にベッドから起き上がってお腹をさすった。椅子に座りながら神本を読んでいたので若干驚きながらも遠目から声をかける。
「えーっと、怪我は大丈夫か?」
「あー」
「……ん?」
「あ」
確か神がこの世界の言語はわかるようにしてくれた筈だ。だから言語が通じないということは多分有り得ない。でも学校に通ってるんだから言語は習得しているとは思う。
少女に近づいて指を近づけるが、少女の視線は壁に固定されている。肩を叩いてみたり腕を抓ってみたが大した反応は無い。これは、駄目かもしれない。
(……この子はどうするか。このまま学校に戻してもな)
多分あの生徒はこの子を再生する亜人だと分かっていて内蔵を引きずり出し、顔面を殴ってストレス解消でもしていたんだろう。同じ人間だと思うと寒気がする。
ただ俺が今更何か言っても生徒は耳を傾けもしないだろう。この世界は大体の人間が亜人を敵と認識している。男も女も子供も老人も同じだ。この惨状を正して世界を平和にするなんて出来る気がしない。
「取り敢えず君はここにいなさい」
「あー」
「ちゃんと待っているんだよ」
「あああ」
少女を見て思わずため息が出そうになるのを抑え、念のため部屋に剣を置いて学校に向かう。もし何かあったら剣が知らせてくれるだろう。
道中を走りながら校舎内に入って教室の扉を開けると子供達は机をくっつけて雑談していた。深呼吸してから教壇に向かって生徒に呼びかけて席に座らせる。
「これから一ヶ月君達の臨時講師をすることになった修斗だ」
「先生ー。俺達の玩具は?」
「……玩具とは何だ?」
男子生徒はえー、と無邪気に笑いながら答えた。
「あの亜人だよ。あ、先生も遊びたいの? でもあれはウチのクラスの玩具だからさー。独り占めはずるいよー」
「そうだよー。早く返してよ。まだ僕の番来てないからさー」
「でも最近何も言わなくてつまんない。最初は五月蝿かったのにねー」
「ねー」
席に座っている子供は無邪気な笑顔を浮かべながらおぞましいことを楽しそうに話していた。あの少女の様子を見て怒りが沸いていたので子供の内蔵も掻き回してやろうと思っていたが、子供はさも当然のように少女を玩具と言っている。
むしろおかしいのは俺ではないかと錯覚すら覚えた。そのくらいこの子供達は自然だった。
「そういえば最近”あ”しか言わないねあの玩具。壊れちゃったのかな」
「あ! それ私達がちゃんと調教したからだよ! いやー大変だったわよ」
「カミサちゃんがやったのかー。あ、放課後してたやつか。じゃあ今度は”い”にしてみない?」
「いいね!それじゃあ――」
思わず反射で教卓を右手で叩く。木製の教卓が砕け散ってその破片が手の平に刺さった。
突然の大きな音に驚いたのか子供達は黙りこくった。震える手を握りながら極力笑顔を作り。
「ご、ごめんな。虫がいたんだ。ちょっと力入れすぎちゃったわー」
「……何だ、びっくりしたなー」
「すげー! 教卓壊れちゃったよ!」
ドッと子供達が笑って砕けた教卓に近寄ってくる。俺はちっとも笑えない。子供達は悪くない。多分幼少の頃から亜人のことを虫のように見ろと教育されていたんだろう。
そりゃあここは兵隊を育てる学校だから敵国の亜人はゴミと同じと教育されている。そのことが教卓を叩いた時に頭によぎってその後は笑って誤魔化すしかなかった。
正直な話、このクラスで授業なんて御免だ。亜人も人間のように痛みを感じるんだと声高々に言ってやりたい。
だがそうしたらインカは間違いなく教師達に白い目で見られることになる。一ヶ月間、我慢するしかない。幸いにも17Bは当たりだったんだ。まだマシだ。
「ごめんな、あの玩具はもう壊れちゃったんだ」
「えー!!まだ半月しか遊んでないよー」
「……また代わりがくるかもしれないだろ?」
「また一位取らなきゃねー。次の玩具には”い”しか言わないようにしようね!」
「うん!」
何とも言えない不気味さを堪えながらも生徒と話し続け、魔法の授業だけをして今日の授業を終えた。みんな魔力切れを一回も起こしたことが無いらしくて動けなくなったので、五、六限は無しになった。
「そんなわけで今は保健室に休ませています」
「……君は魔力切れがどれほど危険なものか分かっているのか?」
「一割残しておけば身体に異常は出ませんよ。まぁ倦怠感は起こりますけど」
「黒の旅人も確かにそうは言っていたが……。それに私も限界まで魔法を打ったことがあるが、酷い頭痛がしたぞ」
「いや、そのくらい我慢しないと魔力上がりませんよ?」
「……まぁ、いい。だがくれぐれも生徒を死なせないように頼むよ」
「はい。じゃあ失礼します」
元師に生徒のことを話したら呆れられたが、こっちも結構呆れている。初級魔法一発でもう魔力切れ寸前とか使い物にならないと思うんだが。それに魔力は大人になったら保有量を上げるのは難しいと神本に書いてあったし。
校舎内でやることもなかったので宿屋に帰った。魚の丸焼きとパンを食べてもう一人分をトレイに乗っけて部屋に持っていく。
少女はベッドに横たわったままだった。トレイを机に置いて包帯を外すと傷は綺麗に治っていた。乾いた血でカピカピのシーツと包帯を獲物用の異次元袋に入れる。
「ほらご飯だよ」
「あ」
「もう普通に喋っていいんだよ?」
「あ」
少女はただ声を発して天井を見上げていた。ため息を堪えながら水を彼女の口元に持っていくが、まったく飲もうとしない。片手で無理矢理口を開いて水を流し込むと少女はむせて水を吐いた。
もしかしてこの少女は食事を必要としないのか? ただ俺と同じ能力なら空腹は感じるはずだ。食わなくても生きていけるが何か食べないとあまり力は出せない。
取り敢えず下に行って宿屋の女将にスープとパンを買い、スープでパンを柔らかくしてその間に魚の切り身を挟んで少女の口元に運ぶ。
最初は口元からダラダラとこぼしていたが、徐々にちゃんと咀嚼して食べるようになった。一先ず食事は大丈夫そうだな。
(ねぇ。まさか僕ずっとこの部屋でこの子見てなきゃ駄目?)
(研ぐから機嫌直してくれよ。それに夜は魔道具で結界張るし)
(シュウトはどうせ昼に僕以外の武器を使うんでしょ! 浮気もの! 女たらし!)
(いや、といってもお前の声ってちょっと男の子っぽいしな)
そう思った瞬間に剣が一言も喋らなくなって部屋の隅で粘性の闇を垂れ流すようになった。研いだら機嫌は治った。チョロすぎんな、オイ。