三十八章
「さてインカ。何を食べる?」
「……お肉」
あの布団事件から三十分。俺はインカと共に酒臭い食堂で夕食を食べに来ていた。勿論サラはこの場にいない。
あの後サラは顔を手で隠しながら部屋を出ていった。……俺は後で筋肉モリモリの人に路地裏へ呼び出されるに違いない。サラに告白した青年が翌日告白を取り消した、なんていう噂を聞いたことがあるし。
そりゃあ確認もせずに布団の中に引きずり込んだ俺が悪いんだが、不慮の事故ってことを少しは理解して欲しい。そんな俺の様子を見て神が腹を抱えて笑ってる、なんて想像しちゃって少しイラッとした。
文字の羅列が並ぶメニューを開いて自分のとインカの料理を決めてウエイトレスを呼ぶ。それにしても今日は酒臭いな。スコーピオンが攻めてくるのによくそんなに活気があるもんだ。
「ランチセットの一番に、インカは三番で大丈夫だよな?」
「お肉!」
「フフッ。失礼しました。ランチセットの一番と三番でよろしいですか?」
「……あー、はい。お願いします」
軽く口に手を当てながら微笑んだウエイトレスにそう言って、お肉と叫んだインカの頭を指で小突く。俺が小突いた意味を理解出来なかったのか首を傾げているインカ。
「お肉じゃなくてランチセットの三番だろ」
「……わかってたし」
「これでもう三回目なんだけどな」
「ていっ!」
何も言い返せなかったのかインカが自分の傍にあったお手拭きを顔面に投げつけてきた。それを難なくキャッチして折り畳んで机の真ん中に置く。サラといる時はこんなことしないのにな。軽くうぜぇ。
インカは無邪気に笑いながら俺が畳んだお手拭きを再度投げつけてきて、それからランチセットが来るまで一方的なお手拭きのキャッチボールが始まった。
しばらくしてウエイトレスがこちらへ料理を運んでくるのが見えたのでお手拭きを自分のポケットにしまい、インカに静かにするようジェスチャーで伝える。俺が使ったお手拭きを投げてきた。うぜぇ。
「ランチセットの一番と三番になります。……サラを無理矢理布団に引き込んだシュウトさん?」
机に置かれた湯気の出ているランチセットを横目に、後半の囁きで思わず顔が上がる。黒いバンダナをした案内娘が向日葵のように爽やかな笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。相変わらず表情と言動が一致してねぇ!
俺が言い返す前に案内娘はバンダナを取って俺の隣に座り、俺のランチセットのポタージュに入ってる肉団子を一つ口の中へ運んだ。せめてスプーンを使ってくれ。
「オイ。つーかサラの件についてはだな……」
「この前シュウトさんと喧嘩した後のサラを介抱するのは大変だったなー。それに、サラのファンへ情報流しちゃってもいいのよ? シュウトさんの誠意次第で何とかなるかも……ね?」
「……はぁ、わかったよ。好きな物を頼めばいいさ」
「やったー! それじゃあ私は”黒の旅人特性スーパウルトラダイナミックパフェ”を頼むねー」
その言葉に席から立って遠くのキッチンを見ると、黒いローブを着た怪しい人が中華鍋を奮って料理を作っていた。少し目眩を感じながら席に座る。
とりあえず冷めない内にランチセット、とろみのある具沢山のポタージュと焼きたてらしいパンを頂くことにする。案内娘がいつの間にかスプーンで俺のポタージュから具をつまんでいたが、あまり目くじらをたてると後が怖いので止めておく。
少し経ってウエイトレスが二人がかりで持ってきた馬鹿デカいパフェが案内娘の頼んだ物らしい。インカの姿が見えないくらい大きいパフェの前で目を輝かせる案内娘。これを三分で作った荒瀬さんは一体どんな動きをしていたのか是非とも見てみたいもんだな!
これまた俺の腕より長いスプーンでパフェを崩しにかかる案内娘。その表情は子供のように無邪気でつい笑ってしまった。甘い物どれだけ好きなんだコイツは。
それにさっきまで俺のランチセット食ってたよな? デザートは別腹……ってこれは主食よりも量がありすぎるわ! 別腹どころじゃねぇよ!
パフェを楽しそうに崩している案内娘は放っておき、自分もパンとポタージュを胃に詰め込む。インカが飯を食べ終わって欠伸をしてるのを見て和みながらも俺は軽い嘘を吐く。
「インカ。サラが後で部屋に行くから先に戻ってな」
「……うん!」
嬉しそうに椅子から飛び降りてとてとてと食堂の出口へ向かうインカを見送り、異次元袋から黒い袋を取り出していたら案内娘に長いスプーンで頭を叩かれた。汚ぇな。
「サラにも言われてうんざりだとは思うけど、子供にはもう少し優しく接してあげなさい。それと嘘は絶対に駄目。子供は嘘に凄い敏感なんだから」
「……うっせー。時間が――」
「それとサラについてなんだけど、あの子が何故あんなに怒ったのかは不思議に思わなかったの? サラが滅多に怒らないのは近くで見ていてわかるでしょ?」
随分と説教臭いことを言われて思わず反論したくなって口を開いたら、案内娘はスプーンですくったフルーツを直接口の中へ突っ込んできた。甘酸っぱい味と共に軽く咳き込む。
「あの子の親は最低のクズでさ。サラが魔法を使えると分かったら貴族に売ろうとしたんだ」
「…………」
「だけど貴族に奴隷契約を持ちかける前日。親は死体で発見された。犯人は金銭目的で殺したらしくて捕まったけど、私は感謝したいくらいだったね」
「……そういう話は他人がベラベラと話したら良くないだろ」
例え自分の親が最低だったとしても死体で発見されたらショックだろうし、多分この話題は本人が隠していることだろう。サラの立場からすれば怒りが沸いてもおかしくない。
「もう広まってるからシュウトさんが知っても関係ないよ。……まぁそういうわけでさ、サラは親の愛を知らずに生きてきたんだよ」
「……言いたいことは分かった。サラについては考えとくよ。それと俺からもお前に言いたいことがある」
少し重い黒の袋を案内娘に渡す。さくらんぼを口に含みながら中身を覗き込んだ案内娘は、いきなり実の付いたさくらんぼを吹き矢みたいにこちらへ飛ばしてきた。
「何この大金。夜のお世話でもしろってこと?」
「違うわ。もし俺が帰って来なかったらインカに渡して欲しい。あの黒い人にお願いして面倒は見てもらうつもりだけど、保険でお前に渡しとく」
飛んできたさくらんぼのヘタを指で摘んでキャッチし、クルクルと回しながらそう返す。すると案内娘はパフェを食べる手を止めて小悪魔のような笑みを浮かべ、机に肘をついてこっちを見てきた。探るような目付き。
「……ふーん。随分と私のことを買い被ってるみたいだけど」
「頼んだ。パフェ代はそこから出しとけよっ!」
あと十分くらいで集合時間になる。指先で弄ってたさくらんぼを仕返しとばかりに案内娘のニヤニヤした口元に突っ込んでフードを被り、食堂を後にして外へ出る。フードの隙間から入ってくる風が肌寒い。
これから始まるであろう防衛戦に緊張してきたのか、何だか体がムズムズしてきた。門へ向かって大声でも出しながら走りたい気分だった。いや、歩きましたけどね。早く着いてもやることないし。
――▽▽――
門の前へ到着した。火の魔法で所々に光源が作られているので夜なのに明るく、周りの冒険者達の様子が良く見える。
気を紛らわすためか忙しなく仲間に話しかけている冒険者や、武器の手入れをしている者と皆それぞれ何かをして緊張を紛らわしているように見えた。俺も緊張しているが周りも同じ。そう思うと肩の力が抜けた。
それにしてもこんなに冒険者多かったか? と思いながら周りの人を良く観察したら、一般人と思われる人達もたくさん見かけた。冒険者達の家族が見送りにでもきたのだろうか。
「皆さん。今から冒険者の人数を確認します。冒険者はギルドカードを持って青い光の場所へ集まるようお願いします」
透き通るような声が聞こえた直後、目の前から細長い青の光が打ち上がって花火のように夜空へ弾けた。周りから驚きの歓声が上がる。……絶対荒瀬さんがやったな、十中八九。
俺は一応旅人という扱いなので冒険者の手続きはすっ飛ばせる。ずらっとした行列へ並ばずに済んでホッとしていると、後ろから俺の名前を呼ぶ大きい声が聞こえてきた。
「よぉ! シュウトじゃんか! 並ばないのかー?」
振り返るとこんな状況でもあっけらかんとしている金髪のキースがこちらに走ってきていて、少し後ろでは呆れ顔の三人が見えた。キースうっせぇ。ちょ、肩組んでくるな!
四人分の荷物を持っていたらしいジンが地面にそれを降ろした。ガシャンと金属の塊でも落ちたような音を不思議に思いながらもジンに軽く一礼する。
「ミーサとジンは先に並んで来るのです~。お手伝いさん、その間キースをよろしくお願いします~」
「えぇ!? ちょっとジンさーん?」
随分と間延びのある口調が特徴的なミーサは、ジンの手を引いてさっさと先に行ってしまった。ジンは俺へすまなそうに目配せし、行列へ足を進めていった。
「何時まで肩組んでるのよアンタは!」
「いじぇじぇじぇっ!」
首までの長さに切り揃えられている青髪の彼女が、後ろからキースのほっぺたを握って俺から引き剥がしてくれた。名前は……何だっけ。……ラーメン?
「すみませんシュウトさん。この馬鹿が迷惑をかけて……」
「はぁ!? 馬鹿じゃねぇし。ラーヌは本当口うるせぇなぁ」
「なっ! アンタが馬鹿だからいつも私がっ!」
「あーうるさい。シュウトからも何か言ってやってくれよ。うるさいってさ」
……オイ、俺が名前を思い出している内に何で不穏な空気が流れてるんだ。それにキースは何故そこで俺に振ったし。ラーヌさんに何か言えってか? 頼むから自分で言ってくれ。そして叩かれろ。
俺の言葉を待ってるのかこっちを凝視してくるキースに、何を言われるのか不安なのかこちらの覗き込むように視線を向けてくるラーヌ。いや、勘弁してくれ。お前ら喧嘩するなら俺を巻き込まないでくれよ。
ジンが帰ってくるまでこの沈黙の空気が持つとも思えない。取り敢えずどっちの悪口もオブラートに包んで伝えて納得してもらおうと、二人に言う内容を考える。五月蝿いは良い意味だと面倒見が良い、馬鹿は純水、明るいとかか? よしこれで行こう。
「キース。確かにお前は馬鹿だし、しつこい所もある」
「シュウトまでかよ……」
「だけどだ。お前の明るさは目を見張る物がある。お前はムードメーカって奴だ。これからもそのままの方がいいんじゃないか?」
「……おぉ!? その”むーどめーかー”は何かわからんが俺ってもしかして褒められた!?」
少し褒めただけでこのテンションの上がりよう。うん。コイツは馬鹿だ、いい意味で。
「それからラーヌさん。貴方は少し言い過ぎな所があるかもしれません。それにほっぺた引っ張られるのって結構痛いですし」
「ラーヌ怒られてやんのー」
「……まぁキースは別ですけどね。他の人にもその口調でしたら、少し抑えた方がいいです」
茶々を入れてくる小学生のようなキースを軽く蹴飛ばしながらもラーヌさんにそう言い聞かす。ラーヌさんは思いのほか真剣な目でこっちを見ているので下手なことは言えない。つーか何で俺がコイツらの良い所探してるんだろ。わけわからんぞ。
「人の振り見て我が振り直せ、の言葉を忘れないで下さいね。それを覚えていればラーヌさんは素晴らしい人物になると思いますよ」
「ひ、ひとのふりめてわがふりなめせ?」
「……つまりは他人のやっている動作や態度が嫌だと感じたら、その相手を注意する前に自分は他人に対して同じようなことをしていないか考える、という意味です」
「……素晴らしいお考えを持っているのですね。えっと……」
ことわざはやはり聞いたことがないのかすぐには言えないようで、ラーヌは宙を見上げながら思い出そうと不思議な動きをしていた。真面目に考えながらその動きはないだろ? 何だそのイソギンチャクみたいな動き。
「人の振り見て我が振り直せ」
「それです! もう私は忘れませんよ」
言葉を繰り返しながら笑っているラーヌを微笑ましく思いながらも、異次元袋から高級砥石を取り出して剣に巻かれている布を取り払う。
黒い刀身が青い光を反射して剣が妖しい光を帯びる。また俺の魔力使って遊んでるのかと思いつつも、少し薄めの砥石を刃の表面に滑らせる。金属が擦れ合うような耳障りの良い音が響く。
(少し軽いよ。もう少し強めで、刃先は慎重にね)
(はいはい。要求が多いね、全く)
生憎剣なんて研いだ経験は無いので随分と適当だが、剣の指示通りやればいいので気楽に出来る。最初は指を落としそうで怖かったが、剣は切れ味を調節出来るらしいのでそんな心配はない。
剣を研ぎながらキースとラーヌを見ると、彼らもジンが下ろした袋から防具や武器を取り出して整備をし始めていた。キースは長い槍と盾、ラーヌは手甲や足甲などの防具を整備している。
(こら、研ぐのに集中してよ。切れ味上げるよ?)
(勘弁してくれ)
そう言ってる割に声は随分とご機嫌そうな剣にそう返し、剣を研ぐのに集中した。冒険者の行列は随分減ってきている。そろそろ人数の確認が終わるのかな?