三十三章
馬車は案外頑丈だったようでそのまま突き抜けて砂漠に放り出されたりはしなかった。いやー、死ぬかと思ったね。死なないけど。
だがここは敵の馬車の中。すぐに体制を立て直して周囲の状況を確認し、武器を抜こうとしたリザードマンの顔面に鎌鼬を纏わせている剣を突き刺す。瞬間の頭はミキサーにかけられたようにバラバラになってしまった。
馬車の中に血飛沫が飛び散って非常に精神衛生上よろしくない。顔を苦めながらも周囲を見回すが、馬車の中にはもう敵は見当たらなかった。産着っぽい何かに包まれたリザードマンの赤子と、インカと同じくらいの背丈の子供にその母親らしきリザードマン。それに手錠をされている奴隷らしき人間が三名いる。
確かここらは人間の奴隷制度が認められていなかったはずだが……まぁ今は別にどうでもいい。それよりもこの状況をどうするかだ。
多分俺が殺したのはこの親子の父親だろう。子供は嗄れた声で泣いているし、母親も首無し死体に手を伸ばしながら泣いている。人間の奴隷達は耐性が無かったのか吐いている始末だ。
そのおかげで罪悪感が半端なくて見逃すなんて選択肢を取りたくなるが、ここで見逃してもこの親子はどうやってこの砂漠を生き残れるんだろうか。それこそ残酷すぎやしないか?
(魔物相手に何悩んでんのシュウト。さっさと殺しなよ)
(……そうだな)
剣に力を込めて親子の前に立つ。まるで震えている子供を庇うようにこちらに背を向けているリザードマン。そんな母親の背中も子供と同様に震えていた。剣を持つ右手が自然と震える。カタカタと。
――先に仕掛けてきたのはこいつらだろう? 脳裏でそんな言葉が過ぎる。確かにそうだ。俺はあっちから来なきゃ襲うつもりは無かった。だからこいつらが悪いんだ。それに俺を笑ってたリザードマン達も殺すんだろう? ならいっそ親子共々楽にしてやった方がいいじゃないか。
思考が頭の中でグルグルと回っていたが、やがて単純なことに気づく。最初にリザードマンを殺した時に思った、もの凄く単純なことだった。
(……本当にくっだらないことで悩んでるなぁ、俺は)
震える右手に力を込める。力を込めて――俺は剣を下げた。
(……何やってるのシュウト)
(コイツらを見逃すんだよ)
(家族の父親殺しといてよくそんな台詞が吐けるね?)
確かに罪悪感を和らげるだけかもしれない。自己満足、偽善。そんな言葉が浮かんでくる。だけど――
(こういう葛藤はもう飽きたんだよ。お前は自己満足と思ってればいいさ)
(……あっそ。まぁ僕は別に構わないけどね。精々見逃した連中に闇討ちされて死ねばいいさ)
そう拗ねたように言って剣は黙った。あーだこーだ言って悩むのはもう沢山だ。どうせ俺はもう魔物を数百と殺しているし、助けようが助けまいが罪は変わらない。五十歩百歩と言うやつだ。勿論目的も無く殺戮するつもりは無いけどさ。
「そこの吐いてる人達、言葉は通じるよな?」
「……えぇ」
唯一あの光景を見ても平気な顔をしていた七三分けの叔父さんがそう答えた。身なりや顔は汚れていて詳しい容姿はわからなかったが、中々ダンディーなおっさんだなと思った。だがとてつもなく臭かったのであまり近寄りたくはない。
「……何故魔物を殺さないんですか?」
「敵意の無い生き物は殺さない主義なんでねー。俺の哲学はどうでも良いとして――お、あったあった」
机の引き出しを漁って手錠の鍵らしき物を手に入れ、彼らの手錠を外す。窓をチラリと見るとリザードマンが焦った様子でこちらに走ってきていた。どうやらボーッとしている暇は無さそうだ。
「あいつらがすぐそこに迫ってきているから早く逃げて下さいー。吐いてる暇は無いですよー」
まだ吐いている女性と男性を引っ張り上げて馬車から追い出すと、リザードマンがご丁寧に武器を構えてお出迎えしてくれた。
取り敢えず母親のリザードマンの首を優しく掴み、こちらへ手繰り寄せる。気分は銀行強盗です。優しくしたにも関わらず泣いているようですが知ったこっちゃありません。
「武器を捨てろ! じゃないとこいつを殺すぞ!」
剣を母親リザードマンの首元にあてがいながら低い声で言い放つ。こんな悪役っぽい台詞を吐くことが人生にあるとは思わなかった。言葉は通じないから意味ないだろうけど。
しかし行動の意味は通じたようでリザードマン達は武器を構えながらも、どうしていいのかわからないと言った具合に動揺している。ただ、その内の一人はこちらを凄い形相で睨みつけてきていた。……あれ? あの人がこいつの夫なんじゃね?
なら都合が良い。これであっちは多分身動きが取れないだろう。まずはあの奴隷達を遠くに逃がしてから人質を開放して、自分もその隙にずらかるとするか。
叔父さんに目線を向けると彼は頷き、後の二人を連れながら砂漠を走っていた。察しが良くて助かるわ。
(魔物を殺すために来たのに何でわざわざ時間を無駄にするのかね? じゃあ最初から殺さなきゃいいじゃん)
(俺が気にいった魔物は殺さない。それ以外の魔物は殺す)
(暴論だね。傲慢だね。我儘だね)
(うっさいなぁ。ぶっちゃけこの世界で良いことしても俺に大して得が無いんだよ。神様の不幸補正だかなんだか知らないが、良いことしようがしまいが勝手に不幸が降ってくるんだぞ?)
何故かフラフラとこちらに武器を持ったまま近づこうとして、大慌てで仲間に止められているリザードマンを軽く睨みつける。人質が取られているのに不容易にこっちへ近づくほど奴らは馬鹿そうには見えない。装備は整ってるし馬車も使えるリザードマンだ。言語が伝わらないだけで知能は人間と変わらないだろう。
だが現に一人は理に叶っていない行動をしている。神の不幸補正による洗脳らしきもの。これだ。これがあるから俺は報われない。だからこの世界では良いことなんてしないと不貞腐れた考えも浮かんだことがあった。
(だから決めたんだ。この世界では”自分の出来る範囲”で良いことするってな)
奴隷達が見えない所まで逃げたのを横目で確認しながらも剣にそう返す。いや、最近こいつ本当に俺のやることにケチばっかつけてくるんだよな。わけわからん。
取り敢えずリザードマン達に武器を降ろすようジェスチャーで問いかける。般若のような顔をしている奴はすぐに察したのか、まだこちらに向かおうとしている奴の頭を剣の柄で殴りつけた。
すると殴られた奴は叩かれた衝撃で神の補正が切れたのか、急に辺りをキョロキョロとしだした。……衝撃を与えると神の補正の洗脳は解けるのか? それとも他に何かあるのか?
考えている間に周りの奴らもそれに応じて武器を降ろしていき、俺の反応を伺うようにこちらを見てきている。おぉう。今日は皆がすぐに俺の気持ちを察してくれるな。悪い方向ばっかだけど。
全員ちゃんと武器を下ろしたのを確認した後、リザードマンを解放しようと腕の力を緩めた時だった。背中に激痛が走った。何か鋭利な物で背中を刺されたような激痛。
歯を食い縛りながら解放しかけたリザードマンの首を強く引き寄せて後ろを振り返ると、血に濡れた果物ナイフのような物を両手に持っているリザードマンの子供が一人。その両手は震えているから勢いでつい、といったところか。
後ろで砂を踏み締めるような音が聞こえたのですぐに振り返り、人質の首に剣を当てながら父親らしきリザードマンに睨みを効かせて動きを止める。いやー、面倒くさくなってきたなー。全員ぶっ殺した方が良い気がしてきたわ。
取り敢えずナイフを持ちながら震えている子供の前に立つ。殺されるとでも思ったのか、下を向いて震えながら両目を閉じているリザードマンの子供。
しばらくそのままでいると子供は何もして来ないと思ったのか、恐る恐る緑色の半目で俺を見上げてきた。
「んの糞野郎がぁ!」
そこにすかさず怒りを込めた右足で子供の腹を蹴り上げる。思いのほか綺麗に爪先が鳩尾に入り、息が詰まったような悲鳴を上げながら子供は蹲ってしまった。
(……性格悪いね)
(背中刺されて何もしない奴がいたら俺は少し呆れるけどな)
追撃として目の前にある頭に踵落としでもしてやりたい気分だが、今でさえ隣の母親が泣き喚いて五月蝿いのでここらで止めておく。背中の痛みも消えたことだし、これ以上長引くと殺してしまいそうなのでさっさと母親を解放することに。
母親をパッと解放するとこちらを一見することもなく蹲ってる子供に向かい、そのまま抱きしめて介抱し始めた。集団の方は不可解な行動に警戒しているようだが襲いかかってくる気配はないので、そのまま奴隷っぽい人達が走っていった方向に向かって走る。
結局襲われずにその場を離脱することが出来た。子供蹴ったし偽善どころか完璧な悪役っぽくなっちまった。まぁそれは後で考えるとしよう。
――▽▽――
奴隷達は街へ向かっただろうし、街の門辺りで会えるかなと思っていたらすぐに会えた。その内二人は倒れているという嫌な状況でなければ少しは喜べたんですけどねー。
「何かあったんですかー」
「……シン様は食べ物を妹に分け与えていたせいか倒れてしまいました。リン様は兄から離れたくないと大声で叫んでいたので……」
「気絶させた……まぁ妥当な判断ですね、魔物が寄ってきたら大変ですし。……少し危険ですけど軽く食事を摂りましょうか。貴方も少し休んだ方がいい」
そんな叔父さんの声も枯れていて苦しそうだったので周囲に魔物が居ないことを確認し、異次元袋から水筒を取り出して叔父さんに手渡す。弁当に買ったサンドイッチも解凍しておくか。
保冷剤っぽい物と一緒に入れてあるサンドイッチ六つを赤い紙で包み、地面に穴を掘ってそこに埋める。そして地面に手を当てて魔力を流し、蒸気が出てきたら解凍完了。
ダンディーな叔父さんの方を見ると意識が戻った二人に水をあげていた。普通の人だったらまず自分が飲んでから他人にあげると思うんだけどなぁ。まぁ口調からして叔父さんはこの人達に仕える執事っぽいからそうしたんだろうけど。
だがそのせいで水筒の中身がもう無くなってしまったらしい。市販の水はかなり高いのでもう少し大切に飲んで欲しかったが、死にかけの奴を責めてもしょうがない。
「今はもう美味しくない水しか無いんです。悪いですね」
「……水をくださるだけで充分です。本当に、感謝します」
一応水の魔法を使えば水を補給出来るが市販のより不味いんだよね。味わいがないというか、まぁ汚水よりはマシだと思うけどさ。
水筒の上から手の平を当てて水が出るように想像し、それを叔父さんに手渡す。すると叔父さんは五秒足らずでそれを飲み干してしまった。よっぽど喉が渇いていたんだろうな。
倒れていた二人はもう体を起こすことくらいは出来るらしい。男の方は見るからに酷い栄養失調で歩けなさそうだが、女の方は大丈夫そうなのが唯一の救いだ。サンドイッチを三人に二つずつ渡して男を背負って街へ向かって歩く。
「食事くらい止まって食べたいわ。そこの冴えない顔の男、今すぐ止まりなさい」
「リン様っ!」
「貴方、さっき私を殴ったでしょう? 帰ったらお父様に言いつけてもいいのよ?」
良く見ると案外顔が整っているくすんだ金髪の女は余裕が出来たとでも思っているのか、上から目線で文句を言ってきた。この態度からして元は貴族か何かだろうか。親を盾に物を言う娘。クズすぎて笑ってしまいそうだ。
「魔物が寄ってくる可能性が――」
「ハッ。その腰にある剣は飾りなの? 本当、笑っちゃうわね」
人の話を最後まで聞けや。ここまで来るといっそ清々しくすら感じる。どうしてこんなになるまで放っておいたんだよ親は。子は親に似る……まさか、な。
「わかりました。止まって食べましょうか」
「最初からそうすれば良いのよ平民」
相手は子供、俺は大人と自分に言い聞かせながらもため息をつき、周りを少し見回して男を叔父さんに預けて腰を下ろす。嗅覚に優れた魔物は砂漠地帯にはあまり居ないが、それでも砂漠のど真ん中で留まって食事なんて新参冒険者でもしないぞ。
凄い強い魔物でも現れないかな、なんて叶いそうもない願望を願いながらゆっくりとサンドイッチを食べている金髪の男に目を向ける。妹がこれじゃ兄の方の正確も期待出来そうにない。
目があったので「フンッ! 愚民が我を見るな!」なんて反応されるのかと半分諦めの入った考えをしていたが、普通に会釈された。うん? 兄は意外と……?
……我儘な妹を世話する兄。妹に食べ物あげてたって言ってたしそれが妥当かな。うわぁ可哀想。
何か変な拾い物しちゃったな。面倒くさい。ほら、我儘妹がこっちに来いと手招きしてやがりますよ。マジで白い警報機でも現れないかな。あっちを相手にする方が百倍マシだわ。皮肉抜きでな。
次回の次回には急展開になるかもね。