第十七章
自然と震える体を抑えながら武者震いだと心の中で復唱する。失敗したらそれこそ絶望しか無い。今も自分の吐息が相手にバレてしまうんじゃないかと根も葉もないことを想像してしまっている。出来る限り浅く呼吸してるし俯せだからバレないとは思うけどかなり怖い。
そしてジェスという奴の靴が俺の目の前までやってきた。俯せのままなるべく息を殺してバレないように様子を確認する。
ジェスは何かの道具を持ちながら目の前でしゃがみこんでいるようだ。今が絶好のチャンスだ。何回も反復した虫食いだらけの作戦をもう一度頭に刻み込んで行動に移す。
まずは土の初級魔法、ソイルを自分の右手を覆うようにイメージして発動する。次に雷の初級魔法、サンダーをこれまた自分の右手を覆うようにイメージする。魔法を詠唱無しで出来るか不安だったが成功したようだ。証拠に自分の右手には針を何本も突き刺されたような痛みが走っている。
手に初級ではあれ雷を纏わせたらどうなるかは一応想像は出来ていたが、如何せん覚悟が足りなかったようだ。悲鳴が漏れそうになったが歯を食いしばって何とか痛みに耐える。土の魔法で手を保護していなかったら絶対に悲鳴を上げていただろう。
この痛みから早く解放されたいがためか、おくびょう風が吹いていた心が瞬時に晴れ渡った。素早く顔を上げてジェスの手を思いっきり掴む。ガスマスクらしき物を被ってるから表情は見えないがジェスは相当驚いただろう。
手を掴んだ瞬間にジェスの体は釣り上げられた魚みたいに激しく跳ねた後、意識が無くなったのかこちらに倒れ込んできた。すかさず抱きとめて音をたてないようにゆっくりと地面に下ろす。前の二人には子供の方に集中していることも相まって気づかれなかったみたいだ。
次は前の二人だ。まずは背後からの奇襲で一人を行動不能にして、二人目は道具を使って足止め。その隙にあの子供を背負って逃げる予定だ。大丈夫だ。きっと上手くいくはずだ。
後ろからそっと近づいていく。抜き足差し足忍び足っといったところか。友人が名前の由来は武術の歩法からきているとか何とか言ってた気がするなぁ。
何だかんだで一人の目の前に来た。とりあえず異次元袋から外気に触れると光る粉が入った袋を三袋ほど取り出しておいて、更に右手に纏っている魔法が切れないように重ねがけする。よし、準備は万全だ。
右手を暗殺者の首元に添える瞬間だった。
「ゲレス! 跳び退け!」
後ろの暗殺者は人間味のある声でそう叫んでいた。さっきの奴は気絶なんかしていなかった。いや、気絶はしていたはずだ。あ……気絶した時の特徴を確認していない。ガスマスクを被っていたから白目になっていたかなんてわかるはずがないじゃないか。
「チッ!」
目の前の暗殺者の対応は早かった。すぐに横へ跳び退いて地面を一回転してギラリと光るナイフを構える。取り残されていた一人もすぐに対応して子供を視界に置きながらもこちらを警戒している。
「おいおい。ゲレスがしくじるなんて明日は雨でも降るんじゃないかな?」
「いや、確かに殺った感触はあったんだが……クソッ。暗殺を失敗したのは新人以来だぜ」
「二人共、いつ声帯を戻していいと言った? それと世間話は後にしろ。今は目の前の邪魔者を消すのが優先だ」
「へいへい。全く我らのリーダー様はお堅いこって」
自分の奇襲を避けたゲレスはケラケラと笑いながらもこちらに煮えたぎるマグマのような殺気を送ってくる。暗殺を失敗したのが悔しかったのだろう。狼と立ち会った時よりはマシだがあくまでマシなだけだ。ひしひしと伝わってくる殺気に足が震えそうになる。
「あー。マスクが暑苦しいな。リーダー? 取っていい? どうせ声もバレちまったんだしさ。もう顔なんか隠さなくてもよくない?」
「好きにしろ。俺は任務が成功出来れば構わない。ただし生きて帰すなよ」
「わかってますってぇ。素顔見せるんだから生きて返すわけないでしょう?」
ゲレスはまたケラケラと笑いながらガスマスクを片手で乱暴に取り外した。まるで彼の気持ちを表すような真っ赤な長い髪。ってこの人……。
「女性だったのか……。道理で声が高いと思った」
「ハッ。男が私の顔を見たのはお前で二人目だ。私の初めてを奪えなくて残念だったなぁ?」
ケラケラと壊れた人形みたいに笑う彼女。何処か頭のネジが外れているような印象を受けた。顔は整っていて綺麗なのに少し勿体ない気がする。
「おら、じゃあさっさと死ねや!」
いきなり笑うのを止めたかと思ったらいきなり赤い目を大きく見開き、ナイフを振り上げてこちらに向かってきた。大きく横に飛び退いて銀の斬線を描くナイフを避ける。
どうやら他の二人は手出ししないらしい。こっちとしてはかなり助かる。三人も相手にしたら勝機は確実に無かった。
(シュウト? 結局戦うことになってるけど? 僕は力貸さなくていいよね?)
(……すまん)
(本当に馬鹿。シュウトのバカッ! あれだけ言ったのに言うこと聞かないからこんなことになったんだよ!? もうっ!)
(……わかった。これは俺の責任だ。剣は手出ししなくていい)
(ちょっと!? まだ話は――)
剣との会話を打ち切る。考え事をしながら凌げるほど俺は強くもないしな。
とまぁ剣に大口を叩いてみたわけだが、次々と繰り出されるナイフの乱舞に俺は反撃の術を見つけることが出来なかった。道具を取り出すどころかナイフを避けながら呼吸を整えるだけで精一杯だ。魔法も無詠唱で出来たのは落ち着いていたからだと思うしあまり期待は出来ない。
「アハハッ! ちょこちょこと逃げる虫だなぁ! ほらっ! このまま避けてても私には勝てないよ!?」
返す言葉もない。というか返せない。こっちは命懸けでナイフ避けてるから精神的にもよろしくないんだよっ!
若干大振りの攻撃を避けて体制が崩れたところにすかさず蹴りを放つが、彼女は海を泳ぐ海蛇みたいに躱していく。しかし後方に少し退いたので右手に雷。左手に氷の魔法を無詠唱で纏わせる。勿論土属性魔法を先に纏わせることを忘れない。上手くいってかなりホッとした。俺は案外本番に強いタイプらしい。
とりあえず次に来たナイフにあわせて左手で受け止めて右手で感電させる即興で思いついた作戦を実行する。果たして上手くいくだろうか?
「どんな小細工したって私には勝てないよぉ? さっきは何をやったかは知らないが……いい加減死ねっ!」
さっきよりも大振りの攻撃だ。これなら止められる。左手の手の平でナイフの刃先を掴む。若干ナイフがめり込んできて肉が切れたが騒ぐほどの傷ではない。
「なっ!」
ナイフは止まった。それどころか氷の魔法はナイフを伝わって彼女の右手に侵食していっている。これは嬉しい誤算だ。このまま右手を彼女に叩き込んでやる。
持っていたナイフを離して今度は右手で彼女の肩を掴んだ。瞬間、彼女の体は大きく跳ねて五メートルほど後ろに吹っ飛んだ。いや、彼女がわざと後ろに跳んだのか。初級とはいえ普通の人間が食らったら気絶するほどのショックなのによく耐えられるもんだ。こいつらは化け物か。
「……フフッ。アーッハッハッハ! ヒャハハッ!」
少し前でしゃがみこんでいる彼女はいきなり狂ったように笑い出した。あれはもう目の焦点が合ってない。目が怖いくらい開いてるから瞳孔も開いてるだろう。何か不気味だ。電気で脳でも狂ってしまったのだろうか。
「いいねぇ! いいねぇ! まさか餓鬼にこれだけやられちまうとは思いもしなかったよ! ヒッヒッャハハハハハ!! 笑いが止まらねぇよ! しかも魔法か? 無詠唱で使う餓鬼なんか生で見たことねぇよ!」
どうやら無詠唱で魔法を使ったことに驚いているらしい。頭を両手で抑えてヒィヒィ笑って汚い地面を転がる始末だ。あれとは正直関わりたくないな。頭おかしいだろあいつ。怖えーよ。
「面白いもん見させて貰った礼だ。気づかぬ間に殺してやる」
狂ったように笑ってた彼女がいきなり笑いを止めてナイフを横に投げ捨てた。……何だ? まるで傀儡人形みたいに力を抜いているように見えるが。それに何故わざわざ武器を捨てたんだ?
「シね」
俺が瞬きする間にはもう目の前に彼女はいた。ずぶりと胸の中に彼女の手が入っていくのが見える。ニヤリと口角を三日月のように歪める彼女。
痛いなんてものじゃ無かった。意識を丸々削がれるような激痛。爪でこのコートを貫いたのか? かなり丈夫なはずなんだけどなぁ。
ふらっと目眩がして意識が消えそうになったその時だった。
子供の顔が彼女の後ろから見えた。恐怖しながらも悲しそうで、何もかも諦めたような表情をしていた。まるで死んだ魚のような目。あの目は……前の俺と同じ目だ。何もかもやる前から諦めて言い訳ばかり口にしていた自分にそっくりだ。
言ってやりたかった。救ってやる。その底なし沼から俺が引きずり出して救ってやると言ってやりたかった。
「うおぉぉおおぉぉォおおオぉぉ!!」
痛みなんて感じない。目眩も……しない!
惚けた顔をしている彼女の腹を蹴り飛ばす。途中彼女の右腕が抜けて胸から血が大量に溢れ出したが気にはしない。不意打ちの攻撃には対応出来なかったのかしゃがみこんでいる彼女の腕を掴んで、固まっている二人の方へぶん投げた。
ここぞとばかりに光の粉を辺り一面にぶちまける。まるで天の川を間近で見ているような素晴らしい光景だったが、出来れば胸に穴が空いていない時にみたかったもんだ。これで少なくとも目眩まし程度にはなるはずだ。
まるで鶏が空を飛んでいるのを目の当たりにしたような顔をしている子供を抱えて裏路地を走る。とにかく明るい方向へと。外を目指して。