第十六章
今俺は子供を背負いながら裏路地を命を削る勢いで、と言っても不死なんだけどさ。まぁ一生懸命走っています。後ろには黒服にガスマスクらしき物を被っている刃物を持った追っ手三人付き。どう見ても暗殺者か何かです。本当に神様が憎いです。追われる理由は詳しくはわからないがとりあえず一時間前くらいを遡ってみる。
――▽▽――
あの後俺はこれだけ露骨に見捨てるのは気分が悪いし荒瀬さんに面倒見ろと言われたし、と自分を正当化しながら裏路地であの子を走りながら探していた。
一キロくらいなら息切れもせずに走れる自信があったしすぐに見つかるだろーと楽観視していたのが間違いだった。もう同じ景色を三回は見たのにまだ見つからない。あの子は隠れんぼのプロだと汗を流しながら思った。裏路地は商店街より広くはないもののその分道が入り組んでいたり、ゴミ箱やら家具やらがあって隠れるところも沢山あるから厄介だ。
もうここが街のどこかもわからないし諦めようかと酸素不足の脳でぼんやりと考えていたら、天罰なのかものの見事につまずいてコケた。しかも目の先には薄汚れた水たまり。おかげで灰色の服がびしょ濡れになって気分は最悪。
というか何で雨も降らないのに裏路地には水たまりがあるんだろう。もうここに来て一ヶ月近く経つが雨どころか雲さえもあまり見えない。
濡れた灰色のローブを鬱陶しく思いながらも両手を使って起きようとした時、前にあるゴミ箱から物音がした。ん? ゴミ箱の間に何かいるぞ?
「……はぁ」
不幸中の幸いといったところか。転ばなかったら絶対に気づかなそうな場所に子供はいた。木製の黒ずんだ二つのゴミ箱の間に丸まってすっぽりと隠れている。上には大きいゴミが乗っかっているから注意深く見ないとわからないし、危うく素通りしてしまうところだった。
子供はこちらに背を向けて丸まっているので気づいていない。脅かしてやろうかと思ったが犯罪者と間違われそうだから止めておく。悲鳴でも上げられたらたまったもんじゃない。
「あー、君。ちょっと話があるんだけど」
そう俺がゴミ箱の前でそう言った途端に子供は肩を小動物みたいにピクリと跳ねさせてゆっくりとこちらを向いた。そんなに買ったばかりのペットみたいに怖がられても俺はかなり困るんだが。
(暗い裏路地で子供に声をかける灰色のコートを着た人……丸っきり変質者だねシュウト)
(お前最近俺に遠慮ってものが無いよな)
最近剣は研げだの風呂に入れろだのうるさいったらありゃしない。飯を食わせろって言ってきた時はどうするか本気で悩んだ結果、スープを入れた桶に突っ込んでおいたら寝る時にギャーギャー騒がれるという有様になった。ってそんなことはいいんだよ。
「んーとさ。君の面倒をみたいんだけどさ。大丈夫?」
子供のこちらを見る目は怯えている小動物のようだった。そりゃいきなり面倒みたいなんて言われても怪しまれるだろうけどさ。
「悪いようにはしないって言っても信用出来ないよねー。うーんどうしよ――」
瞬間、背中にドンッとボールを当てられたような衝撃。倒れるような衝撃では無かったのに俺は何故か倒れてしまった。
立ち上がろうとしたが力が入らない。俺はそのまま汚い地面に這い蹲る(はいつくば)ことしか出来なかった。前にいる子供は幽霊でも見たような顔でこちらを見ている。
お腹辺りに感じる生暖かい液体で大体想像がついた。俺は背中を誰かに刃物で刺されたか魔法を打たれたらしい。銃なんてものは多分無いだろうし多分血の量からして刃物か何かだろう。鈍器だったら血は出ないだろうし。
俺の横を誰かが通った。黒い靴が見える。数からして三人くらいか?
こんな状況なのに自分が恐ろしく冷静なことに少し寒気を覚えた。自分じゃなくて他人を見ているような感覚。腕を喰いちぎられたりするのを体験すれば背中を刺されたくらいじゃ絶対に動揺しない、とは言い切れない。平和な日本で血なんてあまり見ない物だし。
だけど俺はパニックになって騒ぎ出すことは無かった。ボーッとゲームのディスプレイを見ているような感じだ。とにかく冷静だ。うん。
「目標を発見。俺とゲレスで確保する。ジェスはそこの死体を処理しろ」
何かの魔法なのか人間味のない機械みたいな声だった。そんなことはいい。ここからどうすればいい?どうやらこいつらの目的はあの子供らしい。前のおっさんみたいなショタコンにしては明らかに違いすぎる。声まで隠蔽する細かさに人を躊躇なく一撃で殺す残忍さ。あの子供はそんなに重要なのか?
(シュウト。相手は三人でしかも暗殺の手練だし、素直に逃げた方がいいと思うよ。今はジェスって奴が死体処理の準備してるから時間はあるし、後の二人もあの子供を狙ってるから何とかなると思うよ)
よく見えないがジェスは俺の持っている異次元袋と同じ物をいじっているようだ。確か生き物は入れられなかったはずだから何か死体処理の道具を探しているのだろう。火葬とかはまっぴらだ。
後の二人は何故か子供のことを警戒しているのか中々動かない。何で警戒してるのかはわからないがこっちには時間が出来て好都合だ。
(あの子を助けるぞ)
(馬鹿なの? ポジティブになったのはいいけど気持ちの問題でこれは解決出来ないよ? いくら頑張ったって今のシュウトじゃ歯が立たない)
(ただ突っ走っていくだけじゃ勝てないことはわかってる。作戦がある。勝算はあると思う)
馬鹿げた神から貰った能力と魔法と道具を使えば勝算はある。相手が暗殺の手練だろうが隙をつければこっちのものだろう。
(じゃあシュウトは――人を殺せるの?)
(…………)
(無理、だよね。サソリを殺したくらいで動揺してたもんね。シュウトに人は殺せない)
(別に人を殺さなくったってこの作戦には関係ない)
(そんな覚悟じゃ素人が玄人に勝つなんて無理だよ。ここは意気地にならずに逃げた方がいいよ。シュウトは落ち着けば頭が回るんだからわかるでしょ?)
確かにそうかもしれない。今ならただ走り出すだけでも逃げられるだろう。死体がまさか走るなんて予想はしてないだろうし、全力で明るい方に向かって走ればこの危機を脱出出来るだろう。
今回は仕方がなかった。しょうがなかった。これは戦術的な撤退なんだ。それにあの子は一回助けたじゃないか。命を張ってまで助けるなんてお人好しすぎやしないか? しかも自分の自己満足――
心に浮かんできたその言葉達を払拭する。言い訳するのはもう沢山だ。
(俺は人を殺せない。だけどあいつらを何とかしたい)
(それは色々求めすぎなんじゃないかな)
(俺は死なない。それに身体能力も上がってるし魔法も使える。道具も一応あるし作戦もある)
(痛覚はあるから怯むし身体能力はあっても使いこなす技量はない。魔法も初級魔法しか使えないから最初で最後。頼れるのは道具と作戦だけだよ)
(それでも……やってやる。ここで逃げるのが最善だったとしても、俺は逃げたら死ぬほど後悔すると思う。だから逃げない)
呆れたようなため息が返ってきた。俺だって若干自分の我儘加減に呆れているさ。
だけど子供一人救えないでどうやって世界を救うっていうんだ。戦争なんてどうやって止めるっていうんだ。
サラもあの子供も一回見捨てた。今度こそ、今度こそやってやる! 覚悟はもう決まった。
(……もう知らないっ)
ごめんな剣。男に生まれたらやっぱり引けないこともあるんだよ。俺みたいな奴でもな。
ジェスという男は準備を終えたのかこちらに近づいてきた。さぁ、失敗出来ない作戦の始まりだ。