第十五章
前回のあらすじ:主人公はシロさんと色々話した後、日が登ってるのに何故かベッドで寝ました。
湧き出る眠気を堪えながらベッドから起きて顔を洗いにいく。少し薄汚れている鏡を見ると酷い顔だった。ダランと垂れた頼りなさそうな目に笑顔の欠片も見せようとしない表情筋。
引き篭りたい。お金はあるんだ。それに時間も十年もあるじゃないか。しかもまだ一ヶ月しか経ってない。あと百十回は月が来ないと阿鼻叫喚なんて起きやしない。戦争は起こらない。まだ余裕はあるんだ。少しくらい休んだっていいんじゃないのか?
そう鏡に写ってる自分が問いかけてきていた。
……自分の妄想なのか?やっぱり疲れているらしい。そんな鏡の自分に心の中で言い返す。
また昔に逆戻りするのか?ただ布団の上で無気力に時間を過ごしたあの時のように。
辛いことからはすぐにでも逃げ出したい。けど逃げたって結局はその場しのぎにしかならない。導火線に火が点いている爆弾を持っているようなものだ。その導火線は引っ張るだけで伸び続ける魔法の導火線だが、いつかは伸びなくなってしまう。勇気を出して導火線の火を手で握ってでも消さなければ、取り返しのつかないことになってしまうのだ。
俺はもう伸びなくなってしまった導火線を他人に手伝って貰って消すことが出来た。俺は本当に幸運だった。だけど幸運はそう簡単には起きない。もう二度目なんて無いんだよ。
だけど世界を平和にするなんてどうやってすればいい?この先も理不尽な不幸に耐えられるのか?自分に不幸を与えた神様は本当に自分を返してくれるのか?と鏡の自分は迷子の子供みたいな泣き顔でそう言ってきた。
確かにこの先の不安はある。未来の問題なんて考えればいくらでも出てくる。だけど今はそれはあえて深くは考えない。頭の片隅に置いとくような感じが丁度いいんだ。友人に会って最初に教えて貰ったことだろ?未来と過去なんて考えすぎても無駄、なんて言われたっけ。
まだ、やれるはずだ。俺はまだくじけてなんかいない。ポジティブな考え方なんて未だ完璧になんて出来やしないが、ポジティブって言葉を思い出すことが大事なんだ。
鏡に写ってる泣き顔の自分はどうやら満足したらしい。満面、とまではいかないがぎこちない半面の笑みを浮かべていた。
(シュウト。ポジティブってどういう意味なの?)
(前向きな考え方って意味かな)
(へぇ。じゃあシュウトには是非ともポジティブになって欲しいね。いつも暗いし)
うるせーぞと文句を返して布に巻かれた剣を手に取り叩いておく。痛いなんて声が聞こえてくるが無視する。毎晩研いでやってるのにこの言い草は許さないぞ!
剣を一通り虐め抜いた後お腹がすいてきたので食堂に行くことにした。時刻もそろそろ十二時を回る頃だし、軽い手荷物を持って部屋を出る。
「あら、シュウトさん。いいタイミングで出てきましたね」
扉を開けると目の前に案内娘がいた。相変わらず変わらない白いTシャツに黒いジーパンらしきズボン。目に少しかかるくらいの茶色いショートカットの彼女は案外ここでは古参で偉いらしい。この宿は本当にこんなんで経営していけてるのだろうか。
「ちょっと受付でトラブルが起きちゃってねー。今度はギルドランクも無いただのチンピラだからちょっとお願いできないー?」
「何で俺なんですか。というか用心棒なんかはここにはいないんですか?」
「用心棒に頼んでもいいんだけどね。ほら、君はあの時逃げちゃったじゃない? だからサラが落ち込んじゃってさー。君も最近サラ見てないでしょ?」
確かにここ最近は見ていない。受付も他の子がやっていたし自分の朝と夜の食事の時も乱入してこなくなった。まぁ自分が絡まれてるのに見捨てられたら印象悪くはなるだろう。自分もある程度は覚悟はしていたし。
「大変だったんだからねー。サラがいないと水が提供出来なくなっちゃうし。今は何とか立ち直らせたけどしぼんだ花みたいな笑顔しか見せないし。私も悪かったけど君も悪いんだから今日は協力しなさいよー?」
そう言って俺の腕をむんずと掴んでそのまま受付へ向かおうとする案内娘。早速のトラブルに俺は頭を悩ませながらもどうチンピラを追い払うのか考えるのであった。
案内娘に連れられて受付までやってきた。目の前には子犬みたいに縮こまっているサラに、スキンヘッドのおっさんが怒鳴り声みたいな口説き文句を並べている姿。そんな歳にもなってナンパってどんだけ女好きなんですか。しかも見た目中学生の人を口説くか普通?
……よし。
「あのー。受付での口説きはご遠慮して貰えますか? ここより外で口説いた方が出会える確率もあると思いますよ」
「何だてめぇ! 邪魔するんじゃねぇ!」
おっさんは聞く耳を持たずに待ってましたと言わんばかりに自分の胸ぐらを掴んで顔に唾のシャワーを浴びせてくる。アルコール臭いし酔った勢いでサラを口説いていたのかな?まぁどっちにしろ俺はたまったもんじゃないが。
話し合いで解決は出来なさそうだ。強行手段に出るか?鍛え抜かれた筋肉がちらほらと目立つが胸ぐらを掴むあたり実は戦いのプロでした、なんてこともなさそうだし。
とりあえず胸ぐらを掴んでいるゴツゴツした手を離させようと手首を握って引き剥がした。少し強めに握っただけなのに面白いくらいに痛がってすぐに離してくれた。
そういや前の世界と比べると力上がってるんだよな。今まで人と争う機会があまり無かったから実感していなかったし、自分の力を知れるいい機会かもしれない。いや、おっさんには悪いけれども。
ゴツい手首にうっすらと黒い痣が残っているところを見ると相当痛そうだ。しかしおっさんはそんなことではへこたれなかったようだ。奇声を上げながら俺に突進してくる。
俺は半歩横に動いて突進を避けて軽く握った拳をおっさんの鳩尾に叩き込む。当たりどころが良かったのかおっさんは苦しげにお腹を抑えてその場に屈みこんでしまった。
随分あっさりと倒れてしまったおっさんに自分がびっくりした。普通もっと抵抗してくるよな?
「……案内娘。この人の介抱よろしくね」
「別に外に放り投げといてもいいんじゃない? 自業自得だし」
「いいから。お酒の勢いでやっちゃっただけなんだから許してやれよ」
本音は俺のせいでこんなことになってしまった可能性もあるからだけど。不自然な点が結構あったし、もし俺の神様補正のせいで操られているとしたら不敏でならない。
しかし今回は驚くほど冷静にあっさりとトラブルを回避することが出来た。頭の中でやろうとしていたことが思い通りに出来たし、かなり良かったんじゃないか?
「え……。う……」
何やら困惑しているのかサラが何か言おうとしているのか口を開いているが、内容がしどろもどろで何が言いたいかわからない。餌を求めるウーパールーパーみたいな顔をしている。
「大丈夫か? 今度から気をつけろよ」
「えっと……うん」
「んじゃ俺は行くからな」
食堂で食事を済ましたかったがニヤニヤしている案内娘にイラついたので外で済ませることにした。貯めてたお金も装備と道具でほとんど使ってしまったし、ヘルスコーピオンの報酬も貰えてないし正直財布は潤いが無い。まさに砂漠です。オアシスが恋しいです。
「あれ、シュウトさん何処に行くの?」
「外で昼食を楽しみたいんだ。悪いかよ」
「悪くないよー? まぁ夕食はここで食べるだろうしねー? 楽しみだなー!」
うししと笑う意味わからん案内娘を無視して俺は宿屋を出た。案内娘マジでうぜぇ。
賑わう露天をぶらぶらと歩きながらお手頃価格の肉と野菜の串焼きを二本買って、色んな声が飛び交っている商店街を歩き回っていると裏路地で何か怪しい光景が見えた。
見覚えのある小さい子供が全身黒服のフードを被った怪しい人の足元に抱きついていた。あの黒服は荒瀬さんなのか?どちらにせよかなり困っている様子だしちょっと行ってくるか。
「あのー。荒瀬さんですか?」
「おぉ。シュウトか。丁度いいところにきたな」
俺の姿を見るなり反発する磁石みたいに逃げようとする子供の汚れた服を、荒瀬さんは口元をニヤけさせながらガッチリと掴んでいた。わたわたと手を振って子供は子犬みたいに暴れていたが無駄だと悟ったのかすぐに大人しくなった。
「こいつはお前のことを色々嗅ぎ回っていたから捕まえてみたんだ。それでな……痛っ!」
子供が荒瀬さんの手を抓りながら首をぶんぶんと横に振っていた。まるで壊れた人形みたいだ。あ、何か荒瀬さんがしたようで子供がいきなり大人しくなった。
「こいつはお前に助けられたからお礼がしたいそうだ。だけど人見知りなのか声をかけられじまいの所を俺に捕まったってわけ」
さぞ楽しそうに語っている隣で子供はプルプル震えながら茹でダコみたいに真っ赤になっていた。いや俺的にその気持ちは嬉しいんだけど子供が少し可哀想だ。荒瀬さんはドSすぎやしませんかね?敵には絶対回したくないタイプだ。
「それとシュウト。自信を持て。お前なら出来る。諦めんなよ!」
「……? 何がですか?」
「んー。まぁ何というかアレですよ。べ、別にアンタのためにヒントをあげようとしてるんじゃないんだからね! みたいな感じですよ」
「……えーと。荒瀬さん?」
「とりあえずこの子供は頼んだ。ちゃんと面倒みてやれよ。お兄さんとの約束だぞっ」
そう言うと否や荒瀬さんは裏路地に走り去ってしまった。何か言ってることが支離滅裂だったが何だったんだろうか?
くいっと袖を子供に引っ張られる。所々破れているつぎはぎの服に泥を被ったような顔は見ていて気分が悪かった。子供がこんな惨めな生活をしてるなんて日本では見たことがないし、見ていて面白いものではない。
だけど自分はこの子を一回見捨てた。自分が困るから、面倒だからと言って目を背けたんだ。同情するだけして面倒をみないんだったらこの子が可哀想だし、同情せずに無視していた方が自分も罪悪感に苛まれずに済むだろうと思っていた。
「僕……面倒みてもらうため、近づいたわけじゃない。困らせてごめんなさい」
子供はそう言って頭を下げるとサッと裏路地に向かって走って行ってしまった。暗くてジメジメした裏路地に。
「……どうすっかなぁ」
追いかけるか否か。田舎に住んでる爺さんは何してんだろう。すっげぇどうでもいいけどさ。