03レクサスでうきうきドライブデート
翌朝、
俺は目を覚ますなり、
真っ先にレクサスの燃料メーターを確認するため外へ飛び出した。
――あれが動くかどうかが、俺の今後を左右する。
昨夜、アンナに言われたことが頭から離れない。
――魔力は一晩で回復する。
自分の体に意識を向ける。
確かに、昨日のような脱力感はない。
体の奥に、何かが満ちている感覚がある。
俺の魔力は回復している。
理屈はわからないが、はっきりとそう感じ取れた。
これは期待が持てる。
少しだけ、気が楽になった。
家の前には、朝日を浴びてレクサスが静かに鎮座している。
まるで何事もなかったかのように。
アンナも様子を見に、後ろからついてきていた。
運転席のドアに手をかけたとき、ふと違和感に気づく。
車体に、斜めに走る複数の引っかき傷。
昨日、三ツ目狼に襲われたときについたものだ。
そのときは必死で、気にする余裕などなかった。
だが、改めて見ると――ひどい。
まだ納車されたばかり。
ローンもたっぷり残っている。
正直、へこむ。
新車のボディに初傷をつけたときの、あの胃が縮むような感覚だ。
「大丈夫?」
アンナが心配そうに顔を覗き込む。
どうやら、よほど情けない表情をしていたらしい。
「……うん、大丈夫」
そう答えながらも、胸の奥がずきりと痛む。
気を取り直し、ドアを開けて運転席に座る。
アンナも当然のように助手席へ滑り込んだ。
「じゃあ、試してみて」
「うん」
深呼吸をひとつ。
そして、スタートボタンを押した。
ボタンが点灯し、
静かにエンジンが目を覚ます。
思わず、安堵のため息が漏れた。
――動いた。
恐る恐る、燃料メーターに目を向ける。
二目盛。
確かに回復している。
「よっし……」
だが。
たった二目盛。
期待していたほどではない。
喜びと不安が同時に押し寄せ、複雑な気分になる。
そんな俺の顔色を見て、アンナが言った。
「魔力を効率よく魔道具に付与するには、コツが必要なの。慣れと鍛錬がいるわ」
「慣れと鍛錬?」
思わず聞き返す。
「そう。
魔道具にはそれぞれに特色があるから、
それに合わせた魔力の流し方を覚える必要があるの。
基本的な訓練法もあるから、あとで教えてあげる」
「それはありがたい」
希望が見えた気がした。
胸の奥に、少しだけ元気が戻る。
「せっかくだし……少しだけドライブしないか?」
勢いで口に出していた。
「ドライブ?」
「ああ、レクサスに乗って散歩することだよ」
アンナの顔がぱっと明るくなる。
「いいわね。行きましょう」
目がきらきらしていた。
シートベルトの締め方を教え、ゆっくりと発進する。
朝の空気は澄んでいて、遠くまで見通せる。
草原が朝日に輝いていた。
隣にはアンナ。
――これは、いわゆるドライブデートというやつではなかろうか。
ひとり、妙にテンションが上がる。
とはいえ、魔力には限度がある。
十分ほど走ったところで、平原に立つ大きな木の下に車を停めた。
エンジンを切ると、静寂が戻る。
「改めて……すごいわ」
アンナが感嘆の声を漏らした。
そして、少し遠慮がちに続ける。
「ねえ。私も、レクサスを動かせるか試してみてもいい?」
なるほど。
彼女は魔法が使える。
ならば、同じ“魔力”で動くなら、自分にも操作できるはずだと考えたのだろう。
「いいよ。やってみなよ」
アンナは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
かわいい。
アンナは運転席に乗り込む。
「えっと……まずはこのボタンを押すのよね」
さっき、俺がやったことを、ちゃんと見て学習している。
少し感心する。
アンナは深呼吸をし、慎重にスタートボタンを押した。
しん。
何も起こらない。
エンジンは沈黙したままだ。
アンナはそのままの姿勢で固まり、やがてゆっくりと手を離した。
「やっぱり……魔力を流し込む感覚がつかめない」
悔しそうにつぶやく。
「今のところ、これを動かせるのはタカセだけみたいね」
なるほど。
魔道具には、それぞれ固有の操作法がある。
単純に魔力があれば動く、というわけではないらしい。
◇
俺たちは牧場に戻り、そのまま朝食をごちそうになった。
焼きたてのパンに、温かいスープ、そして新鮮なミルク。
素朴だが、体に染みわたる味だ。
そういえば、
こうして誰かと食卓を囲むのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
コンビニ飯や一人の夕食に慣れきっていたせいか、
胸の奥がじんわり温かくなった。
その日は、牧場の仕事を手伝った。
牛舎の掃除、餌やり、水の補充、柵の点検。
のんびりした田園風景とは裏腹に、作業はひたすら重労働だった。
特に、干し草の束。
見た目以上に重い。
運動不足の俺には拷問に近い。
だが、
アンナが軽々と持ち上げているのを見ると、弱音など吐けるはずもない。
情けないところは見せられない。
歯を食いしばって頑張った結果――
昼過ぎには腕が震え、足は棒のようになっていた。
アンナはそんな俺を見て、くすっと笑う。
「無理しなくていいのに」
いや、それを言われると余計に頑張ってしまうのだが。
◇
夕方。
作業が一段落したころ、アンナが言った。
「じゃあ、約束通り、魔力の基本練習を教えてあげる」
俺は草地に座り、彼女の指示に従った。
背筋を伸ばし、目を閉じ、ゆっくり呼吸する。
空気が体に入り、体の奥まで満ちていくイメージ。
そして、内側にある“何か”を感じ取る。
集中。
静寂。
――確かに、座禅に似ているかもしれない。
呼吸の仕方。
意識の向け方。
魔力を巡らせるイメージ。
アンナの説明は相変わらず簡潔で分かりやすい。
よし。
この訓練、毎日続けてみよう。
そう思った、そのとき。
「おーい!」
遠くから女性の声が聞こえた。
顔を上げると、二人の男女が牧場の方へ歩いてくるのが見える。
「ただいまー!」
再び女性の声。
それを聞いた瞬間、アンナの顔がぱっと明るくなった。
「母さん! 父さん! おかえりー!」
そう叫び、彼女は勢いよく駆け出した。
――ご両親か。
俺も慌てて立ち上がる。
挨拶をしなければ。
◇
近づいてきた二人を見て、俺は思わず息をのんだ。
女性は黒いローブをまとい、手には杖。
いかにも魔術師という姿だ。
そして――アンナによく似ている。
落ち着いた雰囲気の、美しい人だった。
一方、男性は――でかい。
皮の鎧を身に着け、背には大剣。
筋肉の塊のような体躯。
顔つきもいかつく、歴戦の戦士という風格がある。
正直、かなり怖い。
◇
二人はアンナと抱き合い、無事を確かめるように言葉を交わしたあと、
アンナ越しにこちらへ目を向けた。
「アンナ、そちらの方は?」
母親らしき女性が穏やかに問いかける。
来た。
俺は慌てて姿勢を正した。
「はじめまして。僕は高瀬匠です。昨日からお世話になっています」
自分でもわかるほど声が硬い。
ガチガチだ。
それを見て、アンナがくすっと笑う。
そして、昨日からの経緯を手短に説明してくれた。
レクサスのこと。
転移してきたこと。
牧場に泊めてもらっていること。
「転移者!?」
母親――エルザが素っ頓狂な声を上げた。
目を丸くし、ずいっと顔を近づけてくる。
近い。
かなり近い。
思わず後ずさりそうになる。
「本当に? 珍しいわね……」
まじまじと観察され、妙に照れてしまう。
「ほう」
一方、父親――ハインツは表情を変えず、短くうなった。
腕を組み、俺をじっと見つめる。
値踏みされているようで、背中に冷たい汗が流れた。
怖い。
とても怖い。
◇
すると、家の方から声が響いた。
「ハインツ、エルザ、おかえりー!」
マルタばあさんだ。
「ごはん、もうすぐできるよー。入っておいで」
◇
夕食の席。
木のテーブルの上には、湯気の立つ料理が所狭しと並んでいた。
シチュー、焼いた肉、採れたての野菜、香ばしいパン。
牧場の食卓は、温かくて、豪勢だ。
料理をいただきながら、アンナは昨日の出来事を両親に詳しく話していた。
エルザは話を聞くたびに、いちいち感嘆の声を上げる。
「まあ!」「信じられないわ」「すごいじゃない」
表情がくるくる変わって、見ていて飽きない。
一方、ハインツは――
黙っている。
腕を組み、時折うなずきながら、ただ俺をじっと見ている。
……怖い。
蛇に睨まれた蛙とは、まさにこのことだ。
特に――いや、やはりというべきか。
レクサスの話になると、視線が一段と鋭くなる。
◇
「レクサスはね!」
アンナが身を乗り出し、得意げに説明を始めた。
昨日、俺が夜遅くまで語った内容だ。
静かで速いこと。
雨風を完全に防ぐこと。
重い荷物を楽に運べること。
魔力で動いているらしいこと。
どれも正確で、よく覚えている。
俺は内心、少し感心していた。
エルザは目を輝かせる。
「まあ……素晴らしいわ」
そしてアンナの方へ向き直り、にっこり微笑んだ。
「アンナ、あなた詳しいのね」
「昨日、夜遅くまでタカセに教えてもらったの!」
――言うな、それは。
「ほう……夜遅くまで?」
ハインツの目が、ぎらりと光った。
空気が一瞬で冷える。
「い、いえ! はい! あの、話をしていただけです! 本当です!」
俺は思わず早口で弁明した。
なぜだろう。
何も悪いことはしていないのに、命の危険を感じる。
しかしエルザは、そんなやりとりなど気にした様子もなく、楽しげに続ける。
「レクサス……とても興味深いわ。後でゆっくり見せてもらえるかしら?」
「ぜ、ぜひ。どうぞ」
むしろ見てほしい。
というか、この場の空気から逃げたい。
◇
やがて話題は、俺がこの家に居候する件へと移った。
マルタばあさんが軽く説明すると、ハインツは短くうなずく。
「母さんが良いと言ったのなら、俺は構わない」
低く、ぶっきらぼうな声。
だが拒絶ではない。
少しだけ肩の力が抜ける。
「そうね。善良そうな青年だし」
エルザが柔らかく微笑む。
その言葉に、胸の奥がほっと温かくなった――
のも束の間。
「ただし」
ハインツが低く言った。
嫌な予感しかしない。
「アンナに手を出すなよ」
ぎろり、と睨まれる。
圧がすごい。
「はひっ」
背筋が勝手に伸び、変な返事が出た。
「いやだー、父さん! 何言ってるの!」
アンナが真っ赤になって抗議する。
「そうよ、ハインツ。アンナは並の冒険者より強いんだから、大丈夫よ」
エルザが軽く笑いながら助け舟を出す。
その通りだ。
三ツ目狼を瞬殺した炎を思い出す。
俺が手を出すどころか、返り討ち確定だ。
「もっとも――」
エルザが意味ありげに俺を見る。
「彼がアンナの“心”を掴んでしまったら、話は別だけれど」
いたずらっぽく微笑む。
その瞬間。
ハインツの視線が、さらに鋭くなった。
怖い。
本当に怖い。
「い、いや、そんな! ぼ、僕なんて、とんでもないです!」
俺は慌てて手を振る。
心臓がばくばくしている。
どきまぎどころではない。
この場から消えたい。
助けてほしい。
誰か。
◇
夕食の団らん?のあと。
夜気が心地よくなったころ、俺たちは庭へ出た。
星がよく見える。
街灯もネオンもない空は、こんなにも明るいのかと驚くほどだった。
その庭の真ん中に、俺のレクサスは静かに鎮座している。
俺は、ハインツとエルザに愛車を披露することになった。
ハインツは車体の周りをゆっくり歩き、手で触れ、軽く拳で叩く。
コン、コン。
「これは……鉄か?」
低く唸るような声。
「こんな見事な加工、見たこともない。継ぎ目もほとんどないじゃないか……」
今度はタイヤを押し、指でなぞる。
「しかもこの車輪……何だこの素材は。木でも鉄でもない。弾力がある……」
驚きと興奮が混ざった顔で俺を見る。
「いや、これはすごい。実にすごいぞ」
戦士というより、職人のような目になっていた。
◇
一方、エルザはボンネットにそっと手を置き、静かに目を閉じる。
まるで祈るような仕草だ。
しばらくして、眉をひそめる。
「……わからないわ」
困惑した声。
「魔力がどう流れているのか、まったくイメージできない。
普通の魔道具なら“核”があるはずなのに……何も感じないの」
俺も、何も感じない。
というか、そもそも魔力の感覚がまだよくわからない。
◇
「よ、よかったら……皆さん、乗ってみますか?」
せっかくなので、体験してもらうことにした。
配置はこうなった。
助手席にハインツ。
後部座席にエルザ、マルタ、アンナ。
ハインツが乗り込んだ瞬間、助手席がぎしっと軋んだ。
……大丈夫か、サスペンション。
「では、出発します」
スタートボタンを押す。
静かにエンジンが始動し、同時にヘッドライトが夜を切り裂いた。
「おお……!」
ハインツが思わず声を上げる。
「明るい……これはすごいな」
後ろからも声が飛ぶ。
「まあ! 昼間みたい!」
エルザだ。
「こんな光量、通常の魔法では出せないわよ!」
「でしょ? すごいでしょ、レクサス!」
なぜかアンナが胸を張っている。
◇
ゆっくりとアクセルを踏む。
レクサスは音もなく前へ滑り出した。
「おお……」
「動いた……!」
ハインツとエルザの声が重なる。
庭を出て、牧場の外れの道へ。
朝、アンナと来た大きな木のところまで走り、そこでUターンする。
夜の平原は、昼とはまったく別の顔をしていた。
星明かりとヘッドライトだけの世界。
「冷たい風がでてくるぞ」
ハインツがエアコンから流れ込む冷気に驚く。
「揺れないわね……本当に静か。馬車とはまるで違うわ」
エルザも感心しきりだ。
後ろではマルタが、ただ静かに頷いている。
「すごいでしょ? ね、すごいでしょ?」
アンナは終始得意顔だった。
◇
牧場に戻り、車を止める。
エンジンを切ると、夜の静けさが一気に戻ってきた。
全員が降りる。
するとハインツが、いきなり俺の手をがしっと掴んだ。
握力がやばい。
「タカセ君」
低い声だが、どこか嬉しそうだ。
「このレクサスがあれば、牧場の仕事は格段に楽になる。よろしく頼むぞ。」
にかっと笑う。
――怖い。
笑顔のほうが怖い。
「は、はひ。がんばりましゅ」
盛大に噛んだ。
緊張のあまり舌が回らない。
こうして。
俺のレクサスは、正式に――
牧場の戦力として期待されることになったのだった。




