第8話 「英雄という名の呪い」
【地下遺跡『クレイドル』・管理定義】
『英雄とは、迷わぬ者である』
『英雄とは、立ち止まらぬ者である』
『英雄とは、痛みに屈せぬ者である』
――故に、心を持つ者は英雄に非ず。
ここは古代遺跡クレイドル。
人の身を捨て、神の尖兵へと至るための、聖なる培養槽。
***
ヒュンッ、ザシュゥゥ……。
剣が空を切る音と共に、黒い霧が霧散していく。
「……美しい」
シリウスが、うっとりとした声で呟く。
「物理無効の『高位悪霊』に対し、魔力付与のロスが0.01秒以下。……ああ、素晴らしいですよ皆さん。全てが『黄金比』だ」
彼らの周囲には、数多の悪霊の残骸――消えゆく怨念の煙だけが漂っていた。
カイルは無言で剣を振るい、刀身に残った霊気を払った。
「回復は必要ありませんね? 精神汚染度(マインド値)、正常。……ふふ、お化けなんて怖くないですね」
リリィが微笑む。その瞳は、壊れた人形のような、歪んだ陶酔の色だ。
「……ん。見えてきた。次が、分岐点」
ルナが杖で先を指し示す。
通路の奥に、威圧的な「巨大な黒い扉」がそびえ立っていた。
扉には3つの不気味なレリーフが刻まれている。
この先に待つ『3つの試練』。それを超えれば、二度とここには戻れない――不可逆のゲート。
「行きましょう。この扉の向こうに、さらなる進化が待っています」
シリウスが、いつもの癖で眼鏡のブリッジを上げようとして――指が空を切った。
「……?」
シリウスの動きが止まる。
カイルも、リリィも、ルナも、一斉に足を止めた。
「どうしました、シリウス?」
リリィが問う。シリウスは自分の震える指先を見つめていた。
「おかしいですね。……計算は完璧だ。障害は排除した。方程式は美しい。なのに」
シリウスが、焦ったようにこめかみを押さえる。
「なぜ、『静かすぎる』と感じるんでしょうか」
――『おいシリウス、そこ段差あるぞ! 眼鏡割れるぞ!』
シリウスの脳内に、ありもしない「声」がノイズのように走った。
そうだ。いつも計算外の場所で躓く自分を、呆れた声で指摘する雑音がいたはずだ。
「……ん。私も、変」
ルナがぼんやりと杖を抱きしめた。
「魔力は充填されてる。温かいはず。……なのに、背中が寒い」
――『ほらルナ、寝て歩くなよ。背中押してやるから』
背中に残る、ゴツゴツした手のひらの感触。
それが消えた今、完璧な魔力循環さえも、ただの冷たいエネルギーの奔流にしか感じられない。
「……私もです」
リリィの笑顔が引きつる。
「誰も怪我をしない。誰も痛がらない。……なんて退屈で、無機質な世界なんでしょう」
――『ひっ、リリィこっち見んな! 目が怖いって!』
あの怯えた顔。情けない悲鳴。
それが私の「正気」を保っていたというのですか?
「…………戻るぞ」
カイルの低い声が、決定的にその場の空気を変えた。
彼は扉に背を向け、来た道を睨みつけていた。
「カイル……」
「ここじゃない。……俺たちが進むべきは、こっちじゃない」
カイルは胸を鷲掴みにした。
心臓に空いた穴。そこから吹き抜ける風が、痛いほどに告げている。
「あいつが……レイがいないと、ダメなんだ」
「俺たちだけじゃ、英雄になんてなれねぇ。」
カイルの叫びに、シリウスがふっと自嘲気味に笑った。
「……非合理的だ。計算上、ありえない選択だ」
彼は空を切った指で、エア眼鏡を押し上げる仕草をした。
「ですが……今の『完璧な退屈』よりは、あの騒がしい計算エラーの方が、研究のしがいがあるかもしれませんね」
「……ん。迎えに行く。枕がいないと、よく眠れない」
「仕方ありませんねぇ。怪我人がいないなら、探しに行くしかありませんわ」
全員の瞳に、狂気とは違う――「人間らしい意志の光」が戻る。
システムによる洗脳すらも、「あいつへの執着」が上回った瞬間だった。
***
【遺跡管理室・上層】
モニター越しにその光景を見ていたヴァリウスの手の中で、ワイングラスが粉々に砕け散った。
赤い液体が、血のように滴り落ちる。
「……愚かな」
端正な顔立ちが、激しい憎悪で歪む。
実験動物が、檻を食い破ろうとした時の科学者の顔だ。
「カイルだけではない……全員だと?」
「『不純物』は排除したはずだ。凡人など、記憶に残る価値もないはずだ!」
「なぜ、お前たちはそこまでして『弱さ』に固執する!?」
手元のデータが全てエラー(赤)に染まる。
彼らの結束は、システムが定義する「英雄」のものではない。もっと泥臭く、非合理で、強固な鎖だ。
「……いいでしょう。そこまでして『人間』であり続けたいなら」
「その足掻きごと、瓦礫の下に埋もれなさい」
ヴァリウスは乱暴にパネルを叩いた。
『遺跡防衛システム:レベル4』を起動。
対象:カイルたちの背後の空間。
「起動せよ。――古代守護像」
ズズズズズズズッ……!!
カイルたちの背後、戻るべき通路の天井が崩落した。
立ち込める土煙の向こうから、重苦しい駆動音が響く。
現れたのは、通路を完全に塞ぐほどの巨体を持つ、岩の巨人だった。
「グルルルルル……」
その体は、魔法を弾く特殊鉱石を含んだ岩塊でできている。
システムによって召喚された、意思なき殺戮兵器。
「なっ……ゴーレム!?」
シリウスが叫ぶ。
「カイル、下がってください! コイツは魔法耐性が――」
ドォォォォォンッ!!
ゴーレムの巨大な腕が振り下ろされる。
カイルは剣で受け止めようとしたが、あまりの重量に膝が折れかけた。
「ぐぅッ……!?」
「カイル!」
ルナが炎の魔法を放つが、ゴーレムの表面で霧散する。
リリィが支援魔法をかけようとするが、瓦礫に阻まれて射線が通らない。
(……くそっ、動きが悪い!)
カイルは歯噛みした。
いつもなら、レイが岩陰から石を投げて注意を引いてくれた。
レイが「右から来るぞ!」と死角を教えてくれた。
レイがアイテム袋から、瞬時に最適な道具を取り出してくれた。
今は、レイがいない。
背中を守る者がいない恐怖が、鉛のように体にのしかかる。
「ガアアアアアッ!!」
ゴーレムの咆哮が轟く。
レイを取り戻すための道は、絶望的な壁によって塞がれた。




