第40話 「悪役の仮面と、小さな共犯者たち」
【時計塔・最上階】
魔物の王は倒した。だが、本当の地獄はここからだった。
ドカドカドカッ!!
階段から、血走った目の市民たちが雪崩れ込んできた。
魔物の群れを突破し、俺の首を取りに来た「暴徒」たちだ。
「いたぞ!! 悪魔だ!!」
「殺せ! 家族の仇だ! 俺の店を返せ!」
数十人の大人が、武器を構えて俺を取り囲む。
彼らの目には、俺が国を滅ぼそうとした「諸悪の根源」にしか見えていない。
「……へっ」
俺はパイプを杖にして立ち上がり、口元の血を拭った。満身創痍だ。もう指一本動かせない。
「……遅かったな。掃除は終わったぞ」
俺はわざとらしく首を晒す。
「さあ、やれよ。……早い者勝ちだ」
抵抗する気はない。ここで俺が死ねば、全て丸く収まる。
先頭の男が、巨大な斧を振り上げた。
「死ねぇぇぇッ!!」
――ガキンッ!!
硬い音が響き、衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けた俺の視界に飛び込んできたのは、あまりにも小さく、頼りない背中だった。
「……させる、もんかッ!!」
スラム街で見かけた、あの金髪の少年だった。
服は泥だらけ。手には錆びついた果物ナイフ。
その細い腕はガタガタと震えている。それでも、少年は俺を背に隠し、一歩も引かなかった。
その後ろから、さらに数人の子供たちが駆け上がり、俺と暴徒の間に「人間の壁」を作った。
「どけガキ! そいつは悪魔だぞ!」
「お前たち、洗脳されているのか!?」
大人たちが怒号を上げる。子供相手に斧を振るうのをためらい、苛立ちが充満する。
「違う!!」
少年が、喉が裂けんばかりの声で叫び返した。
その目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
「洗脳されてたのは……僕たちの方だったんだ!!」
「……なに?」
「あの時……地下施設で、この人は僕たちを助けに来てくれた! 僕たちが魔物にされるのを止めに来てくれた! ……なのに!」
少年は悔しそうに顔を歪め、地面を踏みつけた。
あの日。腐った地下室で差し伸べられた手を振り払い、石を投げつけ、「出ていけ」と罵った自分たちの愚かな記憶。
「僕たちは、この人に石を投げたんだ! 助けてくれたのに、酷いことを言って追い出したんだ!」
「それなのに……! この人はまた戻ってきてくれた! さっき、騎士様たちが逃げ出した魔物の群れから、僕たちを逃がすために……一人で囮になってくれたんだ!」
少年は振り返り、血まみれの俺を見た。
その瞳にあったのは、単なる感謝ではない。
取り返しのつかない過ちを、命がけで償おうとする「贖罪」の光だった。
「僕たちのために血だらけになってる人を……なんで大人は殺そうとするんだよォ!!」
「今度は、僕たちが守るんだ! ……もう二度と、石なんて投げさせない!!」
悲痛な叫びが、時計塔の冷たい空気を震わせた。
大人たちが息を呑む。斧を持つ手が下がる。
彼らの知る「極悪非道のテロリスト」と、目の前で「子供たちが命がけで守ろうとする恩人」。その矛盾が、彼らの単純な正義感を揺らがせていた。
このままなら、あるいは誤解は解けるかもしれない。
だが――それではダメなのだ。
『……レイ』
ルミナスの静かな声が、残酷な現実を告げる。
『このままだと、あの子たちは「テロリストの協力者」として処罰されるわ』
ハッとした。
ゼクスなら、間違いなく子供すら見せしめにするだろう。
彼らを守る方法は、たった一つ。俺が、彼らとの繋がりを断ち切ることだけ。
(……ああ。分かってるよ)
俺は奥歯が砕けるほど噛み締め、胸の奥で血の涙を流しながら――口元を歪めた。
「――ククッ、カハハハハハハ!!」
静まり返るフロアに、狂ったような高笑いを響かせる。精一杯の、悪役の演技。
「……あーあ。つまんねぇの」
俺は少年の肩を乱暴に掴み、横へと突き飛ばした。
ドサッ。
「いってぇな……。邪魔だぞ、ゴミ屑」
「……え? お、お兄ちゃん……?」
俺は、今までで一番冷酷な目で、子供たちを見下ろした。
「勘違いすんなよ。『助けた』? 笑わせるな。……俺がお前らを生かしたのは、優秀な『実験材料』だったからだ」
「……う、そだ……」
「それに、今みたいに『大人の同情を誘う盾』にもなるしな。……役に立ったぜ、クソガキども」
少年の瞳から光が消え、絶望が浮かぶ。
それでいい。俺を憎め。そうすれば、お前たちは「被害者」に戻れる。
「おい、金亡者ども! 俺の首が欲しいならくれてやる! ……捕まえられればなッ!」
俺は『煙幕弾』を足元に叩きつけた。
ボンッ!!
紫煙が広がる中、俺はその隙に、突き飛ばした少年のポケットへ――一枚の金貨とメモをねじ込んだ。
誰にも見られないように。ほんの一瞬の、指先の接触。
「……ごめんな」
音にならない声で呟き、俺はワイヤーを使って夜空へと飛び出した。
風が頬を叩く。
遠ざかる時計塔。
俺の心臓は、まだ痛いくらいに脈打っていた。
『……バカな男』
腕輪の中で、ルミナスが震える声で囁いた。
『あんな嘘、聞いてるこっちが泣きそうになったわよ』
「……うるせぇな。名演技だったろ?」
俺は強がって見せるが、声が震えているのが自分でも分かった。
『ええ。……誰も知らなくても、私だけはわかってるわ。』
ルミナスの言葉が、冷え切った心に染み込んでいく。
世界中が敵になっても、こいつだけは分かってくれている。それだけで、俺はまだ立っていられる気がした。
◇
紫の煙が、風に流れて消えていく。
時計塔の最上階には、静寂だけが残された。
暴徒たちは、逃げた悪魔を追おうとはしなかった。
いや、動けなかった。
崩れた柱に、べっとりと残された「大量の血痕」。
それが、ここでたった一人、死線を彷徨いながら戦っていた男の痕跡だと、誰もが本能で理解してしまったからだ。
カラン、コロン……。
乾いた音が、静寂を破る。
呆然と立ち尽くす少年のポケットから、何かが転がり落ちた音だった。
くしゃくしゃになったメモと、一枚の金貨。
少年は震える手でそれを拾い上げ、胸に抱きしめて――音もなく泣き崩れた。
その背中が、全てを物語っていた。
男たちが握りしめていた斧や剣が、重力に負けたように下ろされていく。
放送された「極悪人」の像。
目の前に残された、痛々しいほどの「献身」の跡。
誰も言葉を発しなかった。
ただ、この夜に生まれた“違和感”だけが、棘のように彼らの胸に深く突き刺さったまま、夜が明けようとしていた。




