第38話 「三流脚本家の誤算と、悪役の初舞台」
【王都・最下層 闇診療所】
俺は地下室の椅子に崩れ落ちたまま、震えが止まらなかった。
指先が冷たい。
カイルたちの絶叫よりも、市民の阿鼻叫喚よりも……最後の歌姫の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「……ありえねぇよ」
俺はガチガチと歯を鳴らした。
「あいつ、笑ってやがった。……自分が信者たちを洗脳してたことも、英雄を壊したことも、全部ひっくるめて『素敵な伴奏』だって言いやがった」
あれは、俺の想像を超える怪物だ。
俺の命がけの告発すらも、彼女にとっては「物語を盛り上げるための演出」でしかなかった。
「……レイ。お前がやったことは、成功した。だが……成功しすぎたかもしれん」
ジャックが深刻な声で告げる。
「街はパニックだ。騎士団も機能不全。……何より、『心の支え』を失った市民の暴動が始まってる」
真実を知った市民たちが、騙されていた怒りと恐怖で、教会や役所を襲撃し始めているらしい。
俺が望んだ「デバッグ」の結果だ。
だが、その混沌すらも、あいつらにとっては「次の脚本」への布石だった。
『……レイ、見て』
ルミナスが壁の「魔導スクリーン」を指差す。
王都の緊急放送だ。
◇
【緊急魔導放送】
画面にノイズが走り、一人の男が映し出された。
純白のスーツに、不気味な仮面。
「……誰だ?」
俺は眉をひそめた。見たことのない男だ。
だが、その立ち居振る舞いからは、隠しきれない支配者のオーラが漂っている。
『――愛する王都の皆さま。まずは、自己紹介を』
男は優雅に一礼した。
『私はゼクス。この王都の運営と管理を任されている、執政官です』
「……ゼクス」
俺はその名を口の中で転がした。
こいつか。こいつが、この狂ったシステムを回している演出家か。
『本日の悲劇、心よりお悔やみ申し上げます』
ゼクスの声は、荒れ狂う市民たちを鎮めるような、不思議な響きを持っていた。
『大聖堂での惨劇。英雄カイル様の錯乱、そして皆様を襲った吐き気や幻覚……。恐ろしかったでしょう』
彼は優雅に手袋を直し、こう断言した。
『ですが、ご安心ください。……あれは全て、「悪質なテロリズム」によるものです』
「……は?」
俺は画面を睨みつけた。
『何者かが大聖堂の音響設備をジャックし、皆様の脳に「集団幻覚魔法」をかけたのです。……「魔物が子供に見える」「血の臭いがする」といった偽りの記憶を植え付け、精神を汚染したのです』
「……ッ、ふざけんな!」
俺は叫んだ。
逆だ。俺が見せたのは「真実」だ。それを「幻覚」だとすり替えやがった!
だが、画面の向こうの市民たちは、その甘い嘘に飛びついた。
「自分たちは子供殺しを称賛していた」という地獄の事実より、「悪い魔法使いに騙されて、幻覚を見せられていただけだ」という嘘の方が、遥かに受け入れやすいからだ。
『英雄カイル様たちは、その精神攻撃を正面から受け、心に深い傷を負われました。……なんと痛ましいことでしょう』
ゼクスが大げさに嘆いてみせる。
『ですが、犯人は特定されています』
パチン、と指が鳴らされる。
画面に一枚の似顔絵が表示された。
黒髪に、黒い瞳。ミスリルの鉄パイプを背負った、目つきの悪い青年の顔。
『この男は、古の禁術を操る「異端の魔術師」レイ・ノーム。……英雄たちの心を壊し、王都の平和を乱した大罪人です』
俺の顔だ。
いつ撮られた? ……いや、考えれば分かることだ。
この王都のメインストリートや大聖堂には、防犯用の『魔導監視石』が無数に埋め込まれている。
俺が王都に入った瞬間から、奴らの「目」はずっと俺を記録していたんだ。
『彼の首には、賞金として白金貨100枚を支払います。……見つけ次第、殺しても構いません。彼は「王都の敵」です』
白金貨100枚。
それは小国の国家予算にも匹敵する、とんでもない額だ。
その瞬間。
画面の向こうの空気が、変わっていくのが分かった。
最初は、小さなざわめきだった。
「あいつのせいか」「俺たちは悪くないんだ」という、安堵の混じった声。
次に、それはドス黒い囁きに変わった。
「あいつさえいなければ」「許せない」「金をよこせ」という欲望と殺意。
そして――それらは一気に爆発し、熱狂的な怒号へと変貌した。
『さあ、怒りを燃やしなさい。……正義のために、この「悪魔」を狩るのです!』
ワァァァァァァッ!!
地響きのような歓声。
矛先が変わった。
自分たちの罪から目を逸らすための、格好の「生贄」が用意されたからだ。
◇
【闇診療所】
「……ハハッ」
俺は乾いた笑いを漏らした。
一夜にして英雄を壊した男は、一夜にして歴史的な大罪人になった。
「……上手いもんだな、ゼクスとやらは」
俺は理解した。セラの言葉の意味を。
あいつらにとって、俺の妨害すらも、「市民の信仰心をより強固にするためのスパイス」だったんだ。
一度地獄を見せてから救い上げることで、英雄と聖女への依存度は以前より増すだろう。
「レイ、どうする? ここにいるのもヤバいぞ」
ジャックが医療器具をまとめ始める。
「……ああ。逃げなきゃな」
だが、どこへ?
街中が敵だ。英雄たちは使い物にならなくなったが、その代わりに数万人の市民が、正義という名の暴力を振るうために俺を探している。
その時。
ズズズズズ……ッ!!
遠くで、重い地響きがした。
「……なんだ?」
俺とジャックが顔を見合わせる。
『……レイ! 魔力反応! それもデカいわよ!』
ルミナスが叫ぶ。
放送の画面が切り替わる。
王都の北門。その巨大な防壁が、内側からではなく、外側から破壊されていた。
『け、警報! 北の森より、高ランク魔獣の群れが接近中! 数は……ご、五百以上!?』
画面に映し出されたのは、作られた「イベント用」の綺麗な魔物じゃない。
泥にまみれ、飢え、狂い、血走った目をした野生の魔物の大群だった。
「……おい、嘘だろ」
俺は血の気が引いた。
いつもなら、カイルたちが出動して一掃するはずだ。
だが、今のカイルたちは?
発狂し、嘔吐し、幼児退行して、診療所のベッドに縛り付けられている。
「……守る奴が、いねぇ」
俺が英雄を壊したせいで。
王都の守備力が、ゼロになったタイミングで。
本物の厄災が来ちまった。
「……これも、ゼクスの脚本か?」
俺は呟いた。
だが、ジャックが首を横に振る。
「いや……おかしいぞ。いくらなんでもタイミングが良すぎる。防壁が壊れただけで、これほどの数が一直線に王都を目指すなんて異常だ。まるで『極上の餌』でも見つけたみたいにな」
「……餌?」
俺が首をかしげると、腕輪が激しく明滅した。
『……違うわ。これは「事故」よ』
ルミナスの冷徹な声が響く。
『原因はアンタよ、レイ』
「は? 俺?」
『セラの歌はね、ただ人々の心を操っていただけじゃないの。……王都全体を覆う「浄化フィルター」の役割も果たしていたのよ』
「……フィルター、だと?」
『そう。地下水路に捨てられた死体、ゴミ山に溜まった魔物の肉片……。王都が抱える「汚物」の臭いを、あの歌の魔力が常に浄化していた』
ルミナスは呆れたように続ける。
『それをアンタが「完全な静寂」で吹き飛ばしちゃった。……蓋が外れたのよ。中で熟成されていた濃厚な死臭が一気に外へ漏れ出したわ』
「……ッ」
『森の魔物たちにとってみれば、とびきりの「ご馳走の匂い」がしたでしょうね。……だから、一直線にここへ来たのよ』
俺は呆然とした。
皮肉な話だ。
俺が真実(死臭)を暴いたせいで、本物の怪物が「ご馳走」を求めてやってきた。
これは、ゼクスの脚本じゃない。
俺が招いた災厄だ。
「……どうする、レイ」
ジャックが俺を見る。
逃げるか?
俺は指名手配犯だ。市民がどうなろうと知ったことじゃない。
ざまぁみろ、勝手に食われろと言って逃げるのが「正解」だ。
でも。
俺の脳裏に、あのノアの声が蘇る。
『たすけて』
それだけじゃない。
さっき大聖堂で、子供のように泣きじゃくっていたカイルたちの顔も浮かんだ。
あいつらは今、俺のせいで心が壊れて、剣を握ることすらできない。
俺が「真実」なんて劇薬をぶちまけたせいで、あいつらは無防備な赤ん坊みたいになっちまった。
「……クソッ」
あいつらが、あんな悪夢の中で、わけも分からず食い殺されていいわけがない。
俺が「英雄」を壊した。
なら、その代わりを務めるのは俺しかいない。
もしここで逃げたら。
俺はあいつらを見殺しにした「システム」と同じになる。
「……クソッたれが!!」
俺は椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
逃げ道なんてない。
俺が壊した世界だ。
俺が責任を取るしかない。
「……おいレイ、どこへ行く気だ? 丸腰で死にに行くつもりか?」
ジャックが止める。
だが、俺はニヤリと笑い、腰に下げていた『無限収納鞄』を机の上にひっくり返した。
ガラガラガラッ!!
大量のガラクタが机に広がる。
鉱山発破用の『高純度発火魔石』。
ドラム缶ごとの『機械油ローション』。
そして、鼻が曲がりそうな刺激臭を放つ『激辛唐辛子パウダー』の樽。
「……なんだこれは。料理でも始める気か?」
ジャックが呆気にとられる。
「以前、ノービスの『ガラクタ堂』で仕入れておいた在庫だ。……いつか役に立つと思ってな」
俺は発火魔石を手に取った。
これはただの石じゃない。砕けば一瞬で視界を奪う「閃光玉」になり、詰め込めば岩盤すら砕く「爆弾」になる。
唐辛子は生物の呼吸器を焼く「毒ガス」になり、ローションは機動力を奪う「泥沼」になる。
どれも英雄が使うような聖なる武器じゃない。
卑怯で、陰湿で、えげつない――「弱者の兵器」だ。
「ジャック。あんたの知識と設備を貸してくれ」
俺はジャックを見た。
「こいつらを調合して……この王都を救うための『特効薬(劇薬)』を作る」
ジャックは机の上の「凶器」たちを見渡し、やがて短く鼻を鳴らした。
「……フン。患者(王都)を救うためなら、毒を使うのも僧侶の仕事か」
彼は白衣を翻し、棚から起爆剤や強化液を取り出した。
「いいだろう。……とびきり趣味の悪いやつを作ってやる」
「感謝するぜ」
俺はルミナスの腕輪をきつく握りしめた。愛用の鉄パイプを背負い直す。
今、この王都を守れる正義の味方はいない。
だったら――
「英雄がいないなら……指名手配犯が、その在庫で世界を救ってやるよ!」




