第37話 「沈黙の大聖堂と、英雄の絶叫」
【正午・中央大聖堂】
その日、大聖堂は数千人の市民と貴族、そして騎士団で埋め尽くされていた。
天井まで届くステンドグラスから、色とりどりの光が降り注ぐ。
祭壇には献花がなされ、英雄カイルたちと、歌姫セラが並んでいた。
彼らの表情には、どこか「必死さ」が滲んでいた。
昨日の「子供の声」というノイズ。それを「魔物の罠だった」と信じ込むために、彼らは今日の式典という「答え合わせ」を渇望していたのだ。
「――皆さま。恐れることはありません」
セラがパイプオルガンの前に立ち、鈴のような声を響かせる。
「昨日の『不気味な幻聴』は、魔物が最期に残した呪い……。ですが、私の歌がすべてを浄化します」
ジャァァァァァァァン……!
荘厳なパイプオルガンの音色が響き渡る。
カイルたちが、すがるような目でセラを見つめる。
市民たちも、涙を流して手を合わせる。
早く、早く歌ってくれ。この胸のモヤモヤを、罪悪感を消してくれ、と。
『――光よ、あれ。悲しみを喜びへ、痛みを愛へ』
セラが息を吸い込み、歌い出した。
その瞬間、大聖堂の空気が甘く痺れるような魔力に満たされかける。
昨日の疑念が、再び「美しい物語」へと塗り固められようとした――その時。
【大聖堂・梁の上】
俺は懐中時計を見つめ、指を鳴らした。
「……時間だ。現実に帰れ、思考停止した信者ども」
◇
『――ひか…………』
プツン。
世界から、音が消えた。
セラが口を開いている。喉は震えている。
背後のパイプオルガンは、全力で空気を送り出している。
だが、何も聞こえない。
俺とルミナスが仕掛けた『静寂の魔石』が、オルガンの増幅機能を利用して、セラの歌声と完全に「逆位相の波」を聖堂全体に叩きつけたのだ。
大聖堂を包みかけていた、心地よい「陶酔」のヴェールが、中途半端に引き剥がされる。
シン……と静まり返る空間。
麻酔が切れかかった患者のように、人々が呆然とする。
「……?」
最初は、誰も動かなかった。
ただ、歌が止まったことへの困惑だけが広がった。
だが、その数秒の静寂が、彼らの脳に「考える時間」を与えてしまった。
「歌」という鎮痛剤が切れた瞬間、昨日から押し殺していた「記憶の激痛」が、じわじわと滲み出し始めたのだ。
「……あ、あれ?」
最前列にいた貴族の男が、祭壇に飾られた「輝く戦利品(魔石)」を見て、ふと眼鏡の位置を直した。
さっきまでは「英雄がもたらした聖なる石」に見えていた。
だが、歌の魔法が解けた今、彼の脳裏に「昨日の映像」がノイズのように走る。
『……いたい、よぉ……』
かき消されたはずの、昨日の悲鳴。
あの時、英雄の剣が「魔物」を切り裂き、そこからこの魔石を取り出した。
その断面から見えたのは、魔物の核じゃない。
……真っ赤な、人間の心臓だったんじゃないか?
「……ひっ」
男の喉が鳴る。
目の前の美しい魔石が、急に「子供の命の塊」に見え始めた。
「……嘘、だろ……」
他の参列者たちも、頭を押さえ始めた。
耳の奥で、自分の鼓膜が拾っていたはずの「音」が再生される。
『たすけて』『ママ』。
あれは、紛れもない人間の悲鳴だった。
「……私たち、あの子が殺されるのを見て……手を叩いて喜んでたの……?」
「人殺しを……英雄だって……?」
理解が追いつく。
美しい香油の匂いが、脳内で再生された「血の臭い」にかき消されていく。
彼らは実物を見たわけではない。自分たちの想像力と記憶によって、勝手に地獄を見出し始めたのだ。
「う……うぅ……ッ」
一人の婦人が口元を押さえた。
それを合図にしたかのように、会場のあちこちから生理的な音が響いた。
「オォォォェェッ!!」
嘔吐。
自分たちが何を称賛し、何に祈っていたのかを理解した瞬間、体が拒絶反応を起こしたのだ。
そして、その真実を最も受け入れたくない当事者たち(英雄)が、限界を迎えた。
「……やっぱり」
カイルが、ガタガタと震えながら自分の両手を見つめていた。
白い手袋をしている。汚れなんてない。
だが、彼には「幻覚の赤」が見えていた。
「やっぱり……あれは、罠じゃなかったんだ……」
昨日の「子供の声」。
セラに「罠だ」と言われて無理やり納得したが、心のどこかで感じていた違和感。
剣が肉を断つ感触。骨が砕ける音。
それらが全て繋がり、「正解」を突きつけてくる。
「……嘘だろ……。俺は、本当に……」
カイルの瞳から、光が消える。
「……ノアを、斬ったのか……?」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
カイルはその場に崩れ落ち、床をかきむしって絶叫した。
「やめろ! 見るな! 俺を見るなぁぁぁッ!!」
「……計算が、合ってしまった」
参謀のシリウスは、青ざめた顔でブツブツと呟いていた。
彼は震える手で眼鏡を外す。
「昨日の『子供の声』という変数。……それを『真実』として再計算すると……すべての辻褄が合ってしまう……」
論理的すぎる彼だからこそ、逃げ場がない。
自分が導き出した最適解が、「最も効率的な子供の殺戮」だったという結論に行き着いてしまった。
「オォォォェェッ!!」
彼は祭壇の上で、胃液を吐き出した。
「……臭い。焦げた臭いがする」
魔導師のルナが、自分のローブの袖を嗅いでいる。
昨日、彼女が「悪い魔物」だと思って焼いた相手。
「……お肉の臭いじゃない。……髪の毛と、服が焼ける臭いだ」
彼女は自分の腕を、皮がめくれるほど爪で掻きむしり始めた。
「……とれない。私が焼いたの? ……あの子、生きたまま……真っ黒に?」
彼女の目に、炎に包まれてのたうち回る子供の姿が焼き付く。
自分が放った炎が、魔物ではなく人間を炭にした感覚。
「あぁぁぁ……ごめんなさい……熱いよね……ごめんなさい……」
「いやぁぁぁッ! 汚い、汚いわぁッ!!」
聖女リリィは、ドレスの裾を持ち上げて泣き叫んでいた。
自分の体に浴びたと思い込んでいる返り血が、魔物のものではなく、罪のない子供のものだと理解した瞬間、彼女の潔癖な精神は崩壊した。
「私を触らないで! みんな汚い! 私も汚い! 殺してぇぇッ!!」
彼女は白目を剥いて、その場に卒倒した。
カイルは発狂。シリウスは嘔吐。ルナは自傷。リリィは気絶。
そして市民たちはパニックになり、我先にと出口へ殺到する。
大聖堂は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
◇
【梁の上】
「……ハハッ」
俺は梁の上で、膝を抱えて乾いた笑いを漏らした。
胸の奥が、重い鉛を飲み込んだように苦しい。
「……ざまぁみろ」
その言葉は、誰に向けたものか自分でも分からなかった。
これが、お前たちが消費してきた「綺麗な物語」の正体だ。
魔法が解けたら、そこにあるのはただの殺戮の記録だけだ。
だが。
その混乱の中心で、ただ一人だけ、静かなままの人物がいた。
歌姫セラだ。
彼女はパイプオルガンの前に立ったまま、動かない。
歌声は封じられている。
焦っているか? 絶望しているか?
俺はオペラグラスで、彼女の表情を覗いた。
「……ッ!?」
背筋が凍りついた。
セラは、笑っていた。
カイルが発狂し、仲間たちが壊れていく、この地獄のような光景の中で。
彼女だけが、聖母のように穏やかに、慈愛に満ちた顔で微笑んでいた。
まるで、「この混沌さえも、美しい演出の一部」だとでも言うように。
『……レイ、逃げなさい』
ルミナスが震える声で告げる。
『今すぐ逃げて。……あいつ、この状況を楽しんでるわ』
「……マジかよ」
俺の計算では、彼女も動揺するはずだった。
だが、彼女の狂気は、俺の想像を遥かに超えている。
セラがゆっくりと顔を上げ、梁の上にいる俺を見つけた。
声(音)は出ない。
だが、その唇の動きは、はっきりとこう告げていた。
『 素 敵 な 伴 奏 を 、 あ り が と う 』
ゾクリ、と悪寒が走る。
こいつ……自分の「歌」を殺されたことすら、余興として受け入れてやがるのか。
自分の信者たちがゲロを吐き、英雄が壊れる様を見て、「美しい」と感じているのか。
「……化け物め」
俺はミスリルの鉄パイプを背負い直した。
ダメだ。今は戦えない。
この「理解できない狂気」を相手に長居したら、俺の方が飲み込まれる。
「……撤退だ、ルミナス! 全力で走るぞ!」
俺は梁の上を蹴った。
パニックになっている聖堂内なら、誰も天井裏のネズミになんて気づかない。
俺は高窓を蹴破り、屋根へと飛び出した。
背後からは、まだカイルたちの絶叫と、市民たちの怒号が響いている。
それを置き去りにして、俺は王都の屋根を無様に転がるように駆け抜けた。
振り返ってはいけない気がした。
あの聖女の笑顔が、背中に張り付いているような気がしてならなかったからだ。
こうして。
最悪の「建国記念祭」は、幕を閉じた。




