第36話 「波の相殺と、深夜の告解」
【王都・最下層 闇診療所】
深夜。
ジャックが、王都の広場で配られていた一枚の羊皮紙を机に叩きつけた。
「……やりやがったな、上層部の連中。仕事が早えよ」
俺はそのビラを手に取った。
そこには、王家の紋章とともに、デカデカとこう書かれていた。
【 緊急告知:明日の正午、中央大聖堂にて『大追悼式』を執り行う 】
【 歌姫セラによる『鎮魂の歌』が、魔物の精神攻撃で傷ついた人々の心を癒やします 】
「……『大追悼式』だと?」
俺は鼻で笑った。
「昨日の今日でこれか。……俺が流した『子供の断末魔』を、全部『魔物の精神攻撃』だったことにして、それを癒やすためのマッチポンプ・イベントってわけか」
「ああ。昨日の放送事故で、市民やカイルたちの心には少なからず『疑念』が残っちまったからな」
ジャックが忌々しそうに煙草に火をつける。
「それを、歌姫の歌で一気にリセットするつもりだ。……この式典が終われば、今度こそ王都中の人間が完全に洗脳完了だ」
「……なるほどな。わざわざ敵の親玉が出てきてくれるわけだ」
俺はビラを握りつぶし、作業机に向き直った。
むしろ好都合だ。
国中が注目し、セラが最も無防備に喉を晒す瞬間。そこが俺たちの戦場になる。
「……いいか、ルミナス。作戦は決まった」
俺は羊皮紙に描いた波形の図を指差した。机の上には、昨日のスピーカーの残骸と、新たにジャックが用意した高出力魔石が転がっている。
「明日の正午。セラが歌い出した瞬間、お前はこの魔石を使って、彼女の歌声を消す」
『消す? どうやってよ』
ルミナスが怪訝な顔で浮かび上がる。
『相手はあの聖女よ? 正面から魔力をぶつけたって、出力負けして吹き飛ばされるのがオチよ』
「まともにぶつかり合えばな。……だが、やり方はある」
俺は机の上の水桶を指差した。
「さっき見せたろ? 波と波がぶつかると消える現象だ。……彼女の歌声を光だとするなら、こっちはその影(鏡写し)をぶつけるんだ」
「鏡写し……?」
ジャックが首を傾げる。
「ああ。山には谷を、右には左を。……セラの歌と真逆の形をした音を同時に流せば、プラスとマイナスでゼロになる。……つまり、『無音』になる」
「……なるほど、理屈は分かった」
ジャックが腕を組んで唸る。
「だが、やっぱり出力の問題があるぞ。聖女の歌声は王都中に響くんだ。ちっぽけな魔石一個じゃ、打ち消しきれずにかき消されるのがオチだ」
「……そうだな。そこが問題だ」
俺は顎に手を当てた。
ルミナスの演算能力は高くても、それを出力する「スピーカー(魔石)」が貧弱では意味がない。
「なぁ先生。明日の会場……『中央大聖堂』ってのは、どんな構造なんだ?」
俺は王都の地図を指差して聞いた。
「俺は中に入ったことがない。……歌声を遠くまで届けるための、特別な仕掛けでもあるのか?」
「ああ、あるぜ」
ジャックが煙草の煙を吐き出しながら答えた。
「聖堂の奥には、バカでかい『魔導パイプオルガン』が鎮座してる。建国当初に作られた年代物だが、風の魔石を動力にして、音を増幅させて響かせる怪物だ」
「……音を、増幅させる?」
「おうよ。あいつが伴奏を始めると、聖堂全体がビリビリ震えるんだ。その反響を利用して、聖女様の声を王都全体に届けるって寸法さ」
「……へぇ」
俺の口元が、自然とニヤリと歪んだ。
決まりだ。勝機が見えた。
「おい、なんだその悪い顔は」
「感謝するぜジャック。……あんたのおかげで、最高の『拡声器』が見つかった」
「拡声器……?」
「そのオルガンだよ。……仕組みはやまびこが響く洞窟と同じだ」
俺は羊皮紙にオルガンの略図を描き込んだ。
「その『洞窟の入り口』……つまり共鳴管の中に、この魔石を仕込んだらどうなると思う?」
『……あ!』
話を聞いていたルミナスが手を叩く。
『そうか! オルガンが勝手に、アタシたちの「消す音」まで増幅してくれるってこと!?』
「ご名答。……敵の設備(武器)を、そのままこっちの増幅装置として利用させてもらう」
俺は完成した『静寂の魔石』をポケットに入れた。
これなら勝てる。
どれだけ巨大な聖女の歌声も、それを響かせる「喉」自体に毒を盛れば、声は出ない。
「行ってくる。……もし戻らなかったら、この魔石代、踏み倒させてもらうぜ」
「……ふざけんな。地獄の果てまで取り立てに行くからな」
ジャックの憎まれ口のような激励を背に、俺は夜の闇へと消えた。
◇
【王都・中央区画 大神殿】
巨大なステンドグラスから、青白い月光が差し込んでいる。
俺は聖堂の屋根裏にある通気口から、礼拝堂へと侵入していた。
眼下には、数百人は座れるであろう長椅子が並び、祭壇の奥には巨大なパイプオルガンが鎮座している。
(……警備兵はいない。狙い通りだ)
俺は梁の上を音もなく移動し、パイプオルガンの真上へと降り立った。
目的は、一番太い共鳴管の中に、この魔石を設置すること。
セットして、明日の指定時間に起動するようにタイマーを合わせれば完了だ。
「……ここだな」
俺がパイプの隙間に手を伸ばそうとした、その時。
「……迷える子羊が、こんな高いところで何をしていますか?」
下から、鈴のような声が響いた。
心臓が跳ね上がる。
ギクリとして見下ろすと、祭壇の前に歌姫セラが立っていた。
誰もいないはずの礼拝堂。
彼女は振り返りもせず、祭壇に祈りを捧げたまま、正確に俺が潜んでいる天井を見上げていた。
あの目は見えていないはずなのに。
「……バレてんのかよ」
俺は舌打ちをした。
隠れても無駄だ。あいつには「気配(魂)」が見えている。
俺は覚悟を決め、梁から飛び降りた。
タンッ。
祭壇から少し離れた場所に着地する。
俺は即座に腰の『ミスリルの鉄パイプ』に手をかけたが、セラは動じなかった。
むしろ、その美しい顔に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて近づいてくる。
「……迷子、ですか?」
彼女は小首を傾げた。
敵意がない。警戒心すらない。
まるで、夜道で迷った子供に話しかけるような声色だ。
「……出口が分からなくてな。ただの通りすがりだ」
俺は警戒を解かずに答える。
「貴方は……ああ、分かりますわ」
セラは俺の言葉を無視し、俺の胸のあたりをうっとりと見つめた。
「貴方の魂は、傷だらけで血を流している。……昨日の広場で、怖い思いをしたのですね?」
「……は?」
「かわいそうに。……『魔物の罠』に惑わされ、信じるべきものを見失ってしまったのですね」
彼女は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
その全身から放たれるのは、圧倒的な「善意」のオーラ。
昨日の広場で、カイルたちの絶望を塗りつぶしたのと同じ光だ。
「怖がることはありません。全ては神の導き。……痛みも悲しみも、迷いも、私の歌がすべて消してあげます」
彼女が手を伸ばしてくる。
その白く細い手は、ノアたちを「処理」し、英雄たちを「狂気」へ誘った手だ。
なのに、どうしようもなく温かそうで、優しそうで――。
『……レイ、逃げなさい! 取り込まれるわよ!』
ルミナスの警告が脳内に響く。
「……触るな」
俺は反射的に、彼女の手をパシッと払いのけた。
「……あら?」
セラがきょとんとする。
拒絶されたことが理解できない。そんな経験、生まれて一度もなかったのだろう。
彼女にとって「救済(洗脳)」は、呼吸するのと同じ絶対的な正義なのだ。
「……アンタの歌なんていらない。俺の痛みは、俺だけのモンだ」
俺は低い声で唸った。
「でも……痛いでしょう? 辛いでしょう? 楽になった方が……」
「それが余計なお世話だって言ってんだよ!」
俺は叫んだ。
彼女はビクリと肩を震わせ、悲しそうに眉を下げた。
通じない。この女には、俺の怒りの「理由」が理解できていない。
彼女は本気で、俺を「救おう」としている。
――ああ、こいつは。
悪人じゃない。「純粋すぎる怪物」だ。
「……貴方は、可哀想な人。光を受け入れられない、哀れな影なのですね」
セラは憐れむように呟いた。
「ああ、そうだよ。俺は影だ」
俺は後ずさりながら、背中の手でこっそりと魔石をパイプオルガンの隙間に放り込んだ。
カラン。
小さな音がしたが、セラは気づかない。彼女は俺の「魂」しか見ていないからだ。
セット完了。
「だから、アンタの光を消してやる。……明日の式典、楽しみにしてな」
俺はポケットから「煙幕キノコの粉」を取り出し、地面に叩きつけた。
ボンッ!
紫色の濃い煙が広がり、視界を遮る。
「……待ってください、貴方のお名前は……?」
煙の向こうで、セラの声がした。
俺は振り返らずに、聖堂の扉を蹴破りながら答えた。
「……通りすがりの、一般人だ」
◇
【大聖堂・礼拝堂】
レイの気配が完全に消えた後。
紫色の煙が晴れていく静寂の中で、セラは一人、クスクスと笑った。
「……ふふっ。通りすがり、ですか」
彼女は閉じた瞳で、レイが去っていった虚空を見つめる。
その表情からは、先ほどまでの「慈愛」とは違う、どこか無邪気で残酷な色が滲み出ていた。
「嘘つきですね。……レイ様」
彼女は知っていた。
同志であるゼクスから報告を受けていた、あの「システムに抗う少年」であることを。
そして、彼が今、自分に牙を剥こうとしていることさえも。
「でも、いいのです。……貴方がどんなに足掻いても、明日の式典ですべて救われますから」
セラはパイプオルガンに向き直り、愛おしそうに鍵盤を撫でた。
その奥深くに、レイが仕掛けた『静寂の魔石』が眠っている。
彼女はそれに気づいているのか、いないのか。
「楽しみですね。……貴方の絶望が、どんな色に染まるのか」
聖女の唇が、三日月のように歪んだ。
明日の正午。
この国から「音」が消えるか、それとも俺たちが消されるか。
最後の賭けが始まる。




