第35話 「死者の告発と、聖女の『上書き』」
【王都・最下層 闇診療所】
施設から逃げ帰った俺は、泥と脂汗にまみれたまま、椅子に座り込んでいた。
ノアたちは救えなかった。
だが、ただ泣き寝入りして、あの子たちが「英雄の踏み台」として消費されるのだけは、絶対に許せなかった。
「……何か、手はあるはずだ」
俺は机の上の録音魔石を再生した。
『グォォォォ……!』というガーゴイルの咆哮が響く。
ふと、机の上の水桶が目に入った。
咆哮の振動で、水面に細かい波紋が広がっている。
「……ん?」
俺は何気なく、指で水面を突っついた。
パシャリ。
俺が作った波と、咆哮で作られた波がぶつかり合う。
すると、波同士がぶつかった場所だけ、一瞬水面が平らになった。
「……波と波がぶつかって、消えた?」
【 スキル発動:『一般常識』 】
【 現象解析:「相殺」を確認 】
【 強い力に対し、真逆から同じ力をぶつければ、力はゼロになります 】
当たり前の理屈だ。
右から押されたら、左から押し返せば動かない。
なら、このうるさい咆哮にも、真逆の音をぶつければ……?
「……ルミナス。ちょっといいか」
俺は腕輪を擦った。
『なによ。湿っぽい顔して』
「お前、この魔石の音……魔物の咆哮の部分だけ、真逆の魔力をぶつけて消すことってできるか?」
『は? アンタ何言ってんの?』
ルミナスが呆れた顔をする。
「原理は水面の波と同じだ。……俺には無理だが、始源精霊の能力なら、音に合わせてリアルタイムで打ち消す音を出せるんじゃないか?」
俺の無茶振りに、ルミナスは少し考え込み、ニヤリと笑った。
『……理論上は可能よ。要は、邪魔な皮を魔力で引っぱがせばいいんでしょ?』
「そうだ。中の子供の声だけを残してな」
「……おいおい、正気か?」
話を聞いていたジャックが口を挟む。
「そんなことしたら、中身(子供の断末魔)が丸聞こえになるぞ。……広場にいる英雄はどうなる?」
ジャックは俺の顔を覗き込んだ。
「あいつは真っ直ぐすぎる。自分が子供を斬っていたなんて知ったら……精神が壊れちまうぞ」
「……ああ。壊れるだろうな」
俺は視線を落とし、手元のスピーカーを強く握りしめた。
想像するだけで胸が痛む。
信じていた正義が裏返り、自分の手で守るべきものを殺していたと知る絶望。それは、死ぬよりも辛いかもしれない。
「……だが、ジャック。このまま何も知らずに子供を殺し続けるのと、どっちが地獄だ?」
「っ……それは……」
ジャックが言葉を詰まらせる。
「あいつは今、システムに見せられたいい夢の中で、笑顔で汚れ仕事をやらされてる。……このままじゃ、あいつは英雄なんかじゃない。ただのよく出来た殺人人形になっちまう」
俺は顔を上げた。
その目にもう、冷酷な光はない。あるのは、友を救うために泥を被る覚悟だけだ。
「俺はあいつに、一生消えない傷を負わせてでも……人間に戻してやりたいんだ」
夢から覚めるのは痛い。
真実を知るのは残酷だ。
それでも、操り人形のまま終わるよりはずっといい。
「……行くぞ。これが、俺なりのあいつへの教育だ」
俺はスピーカーを懐に入れ、勢いよく診療所を飛び出した。
嫌われ役は慣れている。
カイルが真実を知って俺を恨むなら、それもまた上等だ。
俺が夜の闇を駆けていく中、腕輪の奥で、ルミナスが小さく溜息をついた気がした。
『……ホント、おせっかいな奴』
風切り音に紛れて、彼女の声がボソリと響く。
それは俺に向けたものではなく、独り言のような、冷たい予言のような響きだった。
『……いつかその優しさで、取り返しのつかないものを壊さなきゃいいけど』
「……あ? なんか言ったか?」
俺は走りながら腕輪に聞いた。
『……なーんにも。さっさと行きなさいよ、一般人』
「へいへい」
***
【同日・王都中央広場】
建国記念祭の後夜祭として、残存魔物の掃討ショーが開催されていた。
広場には透明な結界が張られ、その中に数体の白きガーゴイルが放たれている。
昨日の生き残り――いや、変わり果てたノアたちだ。
「さあ! 我らが希望、英雄カイル様の登場です!」
司会者の煽りに合わせ、カイルが颯爽と現れる。
黄金の髪をなびかせ、大剣を構えるその姿は、絵に描いたような英雄だ。
彼の瞳に迷いはない。彼に見えているのは、倒すべき邪悪な魔物だけだ。
【広場の隅・マンホールの下】
俺は鉄パイプを改造したアンテナを、隙間から地上へ伸ばしていた。
手元には、ルミナスと接続した魔導スピーカーがある。
「……準備いいか、ルミナス」
『いつでもいいわよ。……本当にやるのね?』
「やるさ。……これが俺の、最後の手向けだ」
俺は隙間から、ガーゴイルを見つめた。
右端にいる、一番小さな個体。……あれがノアだ。
カイルが剣を振り上げ、その個体に向かって踏み込む。
「はああああッ!!」
英雄の一撃が、ガーゴイルの翼を斬り飛ばした。
その瞬間、俺はスイッチを押した。
「――現実に帰れ、カイル!!」
キィィィィィィィィン……!!
耳をつんざくハウリング音が広場に響く。
装置が魔力のフィルターを剥ぎ取り、隠されていた真実の音を吐き出した。
『……いたい、よぉ……』
『カイル……さま……たす、け……て……』
ピタリ。
カイルの剣が、寸前で止まった。
世界から、音が消えた。
さっきまで鳴り止まなかった拍手と歓声が、断ち切られたように止む。
司会者がマイクを取り落とし、ゴトッという無機質な音が響く。
誰も言葉を発しない。
ただ、広場の中央で、魔物と呼ばれた生き物が、頭を抱えて小さく震えている音だけが聞こえる。
「……え?」
カイルが引きつった顔で呟く。
「な、なんだ今の声……? 子供……?」
彼は剣を握る手が震え出すのを感じていた。
目の前のガーゴイルが、攻撃してこない。ただ怯え、泣いている。
その姿が、急に違うものに見えてくる。
「おい……こいつ、なんで泣いてんだ? 魔物って泣くのか……?」
動揺したのは、彼だけではない。
背後で支援していた仲間たちにも、冷たい疑念が走っていた。
「……計算が合いません」
弓聖シリウスが、眉間に深い皺を刻んで弓を降ろした。
「ターゲットの挙動、音声パターン、骨格の反響音……すべてがガーゴイルのデータと乖離しています」
彼は眼鏡の位置を直し、冷や汗を拭った。
「確率は低いですが……まるで人間の子供のような反応です。……カイル、攻撃を中止してください。エラーの原因を確認します」
「……ん。変な臭い」
大魔導士ルナが、鼻をヒクつかせて杖を下げる。
「獣の臭いがしない。……スラムの、泥とミルクの臭いがする」
彼女は首を傾げた。
「……これ、燃やしていいの? ……敵じゃ、ないかも」
「……不気味ですわ」
聖女リリィが、困惑した表情で杖を握りしめた。
「この魂の波長……魔物特有の穢れを感じません。……むしろ、怯えているような……」
彼女は攻撃支援の手を止めた。
「わたくし、無抵抗なものを浄化するのは趣味じゃありませんの。……少し、様子を見ましょう」
三者三様の「迷い」。
観客たちもざわめき始めている。「おい、なんか変だぞ」「子供の声がしたよな?」と不安が伝染していく。
完全に、ショーの空気は止まった。
俺は拳を握りしめた。
いける。このまま英雄ショーを中止に追い込めば、ノアの命だけは助かるかもしれない!
あと一押しだ、気づけカイル!
――だが。
『――惑わされてはいけません』
凛とした声が、広場に響き渡った。
その声は、迷い始めた英雄たちの心に、甘い蜜のように染み渡った。
「……誰だ?」
俺がモニターを向ける。
群衆をかき分け、一人の少女が静かに歩み出た。
雪のような白い髪に、純白の修道服。そして、閉ざされた瞳。
王都の象徴、歌姫セラだ。
「皆様、恐れることはありません。……あれは魔物の最期の罠です。英雄様の心を折るための、卑劣な精神攻撃なのです」
彼女が歌い始めた。
あの時と同じ、透き通るような美しい声。
『――光よ、あれ。穢れを焼き、正しき姿を映せ』
その歌声が響いた瞬間、空気が変わった。
カイルたちが抱いた疑念というノイズが、きれいに拭い去られていく。
「……ッ!」
リリィがハッとして顔を上げた。真っ先に反応したのは、彼女の潔癖なプライドだ。
「……そう、だわ。これは罠。慈悲深い私たちを惑わせ、攻撃をためらわせるための……卑劣な心理戦ですわ!」
彼女の瞳から「迷い」が消え、燃えるような「使命感」に戻る。
「危ないところでした。……穢れた魔物に情けをかけるなんて、聖女にあるまじき失態ですわね!」
「……ん。わかった」
続いて、ルナが杖を構え直す。単純な彼女は、答えを与えられれば早い。
「……嘘の臭いだった。私を騙そうとした。……悪い子は、お仕置き」
だが、シリウスだけは違った。
彼の「論理」が、歌の「強制力」に抵抗し、一瞬のノイズを生む。
「……ま、待ってください。罠だとしても……物理的な質量が……」
シリウスの目が泳ぐ。
彼の脳内で、「歌が示す真実」と「目の前のデータ」が衝突している。
「計算が……合いません。これは……人間……」
その時、セラがシリウスに向けて、優しく歌声を強めた。
まるで、少し出来の悪い子供を諭すように。
「……っ、あ……」
シリウスの瞳から、理性の光がすぅっと消えた。
カチャリ、と何かがハマる音がしたようだった。
「……なるほど。音声偽装による精神干渉だけでなく、データ改竄まで行うとは」
シリウスが、納得したように頷いた。
「私の計算を狂わせるとは、レア個体ですね。……ですが、タネが割れればただの的です」
彼は再び矢をつがえ、冷静に狙いを定めた。
終わった。
最後の砦だった「論理」さえも、都合のいい解釈に書き換えられた。
「……なんだ、そうか!」
カイルの表情が、一瞬でパッと明るくなった。
さっきまでの恐怖や動揺が嘘のように、爽やかな笑顔が戻る。
「び、ビビらせやがって! 子供の声マネなんかして、俺を油断させる気だったのかよ!」
「へっ! 俺の正義の剣は、そんな小細工じゃ止まらねぇぜ!」
彼は剣を握り直した。
そこに葛藤はない。あるのは騙されなくてよかったという安堵と、歪んだ正義感だけだ。
「……嘘だろ」
俺はガタガタと震える手で、モニターを掴んだ。
静寂も、動揺も、論理的な抵抗も。
すべてが彼女の歌一つで、魔物の卑劣な罠という物語に変換され、飲み込まれてしまった。
「うぉぉぉぉぉッ!! 成敗ッ!!」
カイルが全力で踏み込む。
ズバァッ!!
躊躇のない一撃が、ガーゴイルの首を跳ね飛ばした。
カイルは勝利のポーズを取り、仲間たちとハイタッチを交わしている。
殺した相手が何だったのか、微塵も疑うことなく。
俺の仕掛けた命がけの告発は、彼らをより輝かせるための「演出」として消費され、終わった。
「……ハハッ。……マジかよ、イカれてやがる。」
俺はスピーカーを投げ捨て、頭を抱えた。
あんな、風が吹けば飛びそうな儚い少女が。
あんなに綺麗で、優しそうな顔をした歌姫が。
この地獄を肯定し、強固にしていたのか。
「……勝てねぇよ、こんなの」
無力感が、鉛のように重くのしかかる。
物理的な暴力なら策もある。だが、あの女は世界そのものを味方につけている。
だが。
腹の底から、冷たい炎が湧き上がってきた。
敵の正体が分かったなら、やりようはある。
(……待てよ。あいつの歌がすべてを上書きするなら……)
俺はジャックを見た。
「ジャック。……あいつの歌、録音できるか?」
「あ? 魔導録音機ならあるが……何に使うんだ」
「逆転の発想だ」
俺の口元が、自然と歪んだ。
さっきの実験で分かったことがある。
音は、波だ。強い波には、逆の波をぶつければ消える。
「あいつの歌が市民を洗脳する『毒』なら、それを逆流させれば猛毒になる。……次に狙うのはカイルじゃない。あの歌姫だ」
俺は立ち上がった。
黒幕は別にいるかもしれない。だが、今この狂った世界を回している心臓部はあの女だ。
王都が誇る「歌姫」から、その最強の武器(歌)を奪い取る。
それが、次の俺の仕事だ。




