第25話 「白い街の違和感と、歌姫の呪い」
【王都グラン・ロイヤル・一般区画】
「……なぁ、ルミナス。お前さっき『王都の裏側は吐き気がする』って言ってたよな?」
一般ゲートを抜け、街の中を歩きながら俺は呟いた。
『ええ。言ったわよ。見た目が白いだけよ。中身は掃き溜め。匂いがしないぶん、余計に腐ってる』
「……どこがだよ」
俺は周囲を見渡した。
そこは、驚くほど「白い」世界だった。
道端にはゴミ一つ落ちていない。
建物はどれも新築のように白く塗られ、窓ガラスはピカピカに磨かれている。
行き交う人々も、小綺麗な服を着て、穏やかに微笑み合っている。
「めちゃくちゃ綺麗じゃねぇか。ノービスの路地裏なんて、生ゴミと酔っ払いの死体(みたいに寝てる奴)だらけだぞ」
『……アンタ、目が節穴なの?』
脳内でルミナスが呆れたように鼻を鳴らす。
『綺麗すぎるのよ。……生活感がない。まるで「汚いものは全て見えない場所に隠しました」って言いたげな白さじゃない』
「潔癖症かよ」
『いいえ、隠蔽よ。この街は、汚れを許容していない。……見てみなさい、あの店主の目を』
俺はルミナスに言われ、近くの果物屋台に目を向けた。
人の良さそうな爺さんが、真っ赤なリンゴを磨いている。
「おい、そこの兄ちゃん!」
爺さんが俺に気づいて声をかけてきた。
「見ない顔だな。田舎から来たのか? 記念祭を見にかい?」
「ええ、まあ。……すごい活気ですね。みんな楽しそうで」
「当たり前さ!あと3日で『建国記念祭』だからな! 新しい英雄様が誕生するんだ、こんなめでたいことはないよ!」
「3日……そんなに近いんですか」
爺さんは誇らしげに胸を張る。
俺はリンゴを一つ買いながら、さりげなく聞いてみた。
「でも、入り口でかなり待たされましたよ。なんか『英雄候補』と『一般人』で、扱いが全然違うっていうか……」
「ん? 何を言ってるんだ?」
爺さんは、きょとんとした顔をした。
「英雄様は、俺たちを守ってくださる尊い方だぞ? 最高の待遇でお迎えするのは、市民の義務だろう?」
「いや、でも俺たちも同じ人間だし……」
「人間?」
爺さんは少しだけ声を落とし、諭すように言った。
「兄ちゃん。人間には『役割』があるんだ。英雄様は戦う役割。俺たちはそれを支え、感謝する役割。……役割が違うのに、同じ扱いを求めるなんて、それはわがままってもんだよ」
「……わがまま、ですか」
「そうさ。自分の分を弁える。
それがこの街の『平和』の秘訣なんだよ」
爺さんはニッコリと笑った。
その笑顔には、悪意の一欠片もない。純度100%の善意だ。
(……うわ、話が通じねぇ)
俺は曖昧に笑ってその場を離れた。
背筋が薄ら寒くなる。
『分かったでしょ?』
ルミナスが冷ややかな声を出す。
『ここでは「差別」なんて言葉は存在しない。あるのは「正しい区別」と「感謝」だけ。……反吐が出るほど健全な狂気ね』
◇
街の中央広場に差し掛かると、美しい歌声が聞こえてきた。
広場の噴水前に、一人の少女が立っている。
雪のような白い髪に、薄い青のドレス。その瞳は閉ざされている。
『……ふーん。魔力波長が独特ね。歌声に精神干渉系の術式が混じってるわ』
「おいおい、危険な奴か?」
『いいえ、無害よ。ただの「癒やし」の魔法。……でも、歌詞が気に入らないわ』
少女――歌姫セラは、天を仰いで歌い上げる。
『――英雄は光、我らは影』
『影は光を支え、光は影を導く』
『痛みは喜びに、犠牲は栄光に』
周囲の市民たちは、うっとりと聞き入っている。
まるで、その歌声が彼らの「思考」を溶かしているようだ。
「……すごい人気だな」
「当たり前よ。セラ様はこの街の『声』なんだから」
隣にいたおばさんが教えてくれた。
「彼女の歌を聞くと、自分が何のために生きてるのか分かるの。……『英雄様のために生きる』ってね」
(……完全に宗教じゃねぇか)
歌が終わり、セラが優雅にお辞儀をする。
割れんばかりの拍手。
俺だけが拍手をせず、ポケットに手を突っ込んで立っていた。
その時。
ふと、セラの顔がこちらを向いた気がした。
見えないはずの瞳が、雑踏の中で俺だけを捉えたような――。
『……レイ、行きなさい。あの女、ちょっと勘が鋭いわ』
「……だな。関わると面倒そうだ」
俺は逃げるように広場を後にした。
◇
夜になり、俺は宿を探して裏通りを歩いていた。
表通りは高級ホテルばかりで、俺の懐事情じゃとても泊まれない。
結局、少し薄汚れた(それでもノービスよりはマシな)路地裏に迷い込んだ。
「……えいっ! とおっ! 英雄キック!」
路地の奥から、子供の声が聞こえた。
見ると、8歳くらいの金髪の少年が一人で木の枝を振り回している。
「……何やってんだ、あいつ」
『「ごっこ遊び」でしょ。……平和なこと』
少年は、壁に描かれた落書きの怪獣に向かって、必死に枝を突き出していた。
俺が通りかかると、少年はハッとして動きを止めた。
「あ……」
少年が俺を見る。
そして、俺が背負っている鉄パイプに目が釘付けになった。
「……お兄ちゃん、それ、武器?」
少年が目を輝かせて駆け寄ってきた。
「すっげー! 銀色だ! 強そう!」
「ん? ああ、まあな。……これでもミスリル製だ」
「ミスリル!? 伝説の金属じゃん!」
少年――ノアは興奮して鼻息を荒くした。
「ねえねえ、お兄ちゃんも冒険者? もしかして、英雄候補の人?」
「……っ」
痛いところを突かれた。
俺は苦笑いして、首を横に振った。
「いや……俺は違うよ。俺はレベル1だ。英雄候補の……なんていうか、荷物持ちみたいなもんだ」
自虐混じりに言う。
すると、ノアは「ふーん」と首を傾げ、意外なことを言った。
「そっか! じゃあ、英雄様を支える人なんだね!」
「……は?」
「だって、英雄様は一人じゃ戦えないもん! ご飯作る人も、荷物持つ人も、応援する人も必要なんだよ! お兄ちゃんは『縁の下の力持ち』なんだね! カッコいい!」
ノアの瞳は、一点の曇りもなく輝いていた。
純粋な尊敬。純粋な肯定。
門番のジェイドや、さっきの爺さんと同じだ。
「支える役割も素晴らしい」と、本気で信じている。
「……お前、いい子だな」
「えへへ。僕もね、大きくなったら英雄になるんだ!」
ノアは木の枝を高く掲げた。
「強くて、優しくて、絶対に負けない英雄に!」
「……絶対に、か?」
「うん! だって英雄だもん! 負けちゃダメだし、間違っちゃダメなんだ!」
その無邪気な言葉が、小さな棘のように俺の胸に刺さった。
「……もし、負けたら?」
「え?」
「もし英雄が……辛くて、泣きごとを言ったり、逃げ出したりしたら?」
俺が意地悪な質問をすると、ノアはきょとんとして、即答した。
「そんなの、英雄じゃないよ」
残酷なまでの断言。
「英雄は強いから英雄なんでしょ? 弱かったら、ただの人じゃん」
「…………」
俺は何も言えなくなった。
この子は悪くない。ただ、この街の「常識」を真っ直ぐに育っただけだ。
でも、だからこそ怖い。
この純粋な期待が、いつか誰かを――例えばカイルたちを、追い詰めることになるんじゃないか。
『……行きましょ、レイ。子供相手にムキになっても仕方ないわ』
「……ああ」
俺はノアの頭をポンと撫でた。
「頑張れよ、未来の英雄様。……挫折すんなよ」
「うん! お兄ちゃんも荷物持ち頑張ってね!」
ノアの笑顔に見送られ、俺は安宿の看板をくぐった。
◇
【安宿・一室】
俺は硬いベッドに倒れ込んだ。
壁は薄く、隣の部屋のいびきが聞こえてくる。
「……あと3日か」
建国記念祭まで3日。
それまでにカイルたちと合流して、今後のことを話し合わないといけない。
だが、通信魔道具は圏外のままだ。完全に遮断されている。
「……ルミナス」
『なによ』
「この街、なんか息苦しいな」
『……ええ。綺麗すぎて、酸素が薄いみたい』
ルミナスが俺の隣にホログラムで現れ、天井を見上げた。
『誰もが自分の役割を演じてる。……アンタみたいな「台本にないノイズ」が、これからどうなるか見ものね』
「……お手柔らかに頼むぜ」
俺は目を閉じた。
明日からは、この白すぎる街で、自分の居場所を探さなきゃならない。
◇
【王都・中枢区画 大神殿】
深夜。
ステンドグラスから月光が差し込む礼拝堂に、二つの影があった。
一人は、仮面の男ゼクス。
もう一人は、祭壇の前で祈りを捧げる少女、歌姫セラだ。
「……ご苦労でしたね、セラ。今日の歌も素晴らしかった」
ゼクスが優しく声をかけると、セラはゆっくりと振り返った。
その瞳は閉じたままだが、彼女には「世界」が見えている。
「ゼクス様。……今日、広場に『ノイズ』が混じっていました」
セラの声は鈴のように美しいが、感情の色が薄い。
「私の歌が届かない、冷たい心の持ち主。……あれは、危険です。この街の『調和』を乱します」
「おや、気づきましたか」
ゼクスは愉快そうに笑った。
「ええ、知っていますよ。彼はレイ・ノーム。今回の記念祭の……そうですね、『余興』のようなものです」
「余興……?」
「彼をどう思いますか? 排除しますか?」
セラは首を横に振った。
「いいえ。……かわいそうな人です。光を知らない、哀れな影。……私が歌で導いてあげなくては。彼が『正しい役割』を理解できるように」
彼女の言葉には、微塵の悪意もない。
あるのは、狂気じみた慈愛と、洗脳に近い使命感だけ。
彼女もまた、このシステムが生み出した「被害者」であり「加害者」なのだ。
「フフッ……そうですか。ならば、放っておきなさい」
ゼクスは窓の外、レイがいるであろう下町の方角を見下ろした。
「あと3日。……彼にはまだ、何も手出しをしてはいけませんよ」
「なぜですか?」
「苦しみは、これから始まるからです」
ゼクスの仮面の下で、唇が歪む。
「孤独。疎外感。無力感。……この街の空気が、じわじわと彼の心を腐らせるのを待ちましょう。彼が自ら『自分は不要だ』と認める、その瞬間まで」
セラは静かに頷き、再び祈りを捧げ始めた。
舞台は整った。
役者は揃った。
あとは、残酷な祭りの幕開けを待つだけだ。




