第24話 「敗北と、裏口の行列」
【王都グラン・ロイヤル・正門前】
「……王都の騎士様は『例外』がおっかないのか?」
俺は精一杯の虚勢を張って、そう言った。
言葉のナイフで、相手のプライドを突き刺す。いつものやり方だ。
挑発に乗ってくれれば、議論に持ち込める。言葉の殴り合いなら、俺にも勝機はある。
だが、ジェイドは眉一つ動かさなかった。
怒りもしない。焦りもしない。
ただ、少しだけ残念そうに溜め息をついた。
「……君は、勘違いをしているようだ」
カツン、と。
ジェイドがたった一歩、前に踏み出した。
ドッッッ!!
「――っ!?」
それだけで、世界が反転した。
重力が増したかのように、体が地面に縫い付けられる。
魔力による『威圧』ではない。もっと根源的な、生物としての「格」の違いを、本能に直接叩き込まれる感覚。
心臓が早鐘を打つ。
肺が空気を吸うのを拒絶する。
レベル1の俺の生存本能が、頭の中でサイレンを鳴らして絶叫している。
『逆らうな。死ぬぞ。首が飛ぶぞ』と。
俺はパイプを構えようとしたが、指先が震えて力が入らない。
ジェイドは剣の柄に手をかけてすらいない。ただ立っているだけだ。
それなのに、俺の首元にはすでに、不可視の刃が突きつけられているような錯覚があった。
「我々は例外を恐れているのではない。『秩序』を守っているのだ」
ジェイドは静かに、諭すように言った。
「君がワイバーンを倒した? 素晴らしい。だが、それは『個人の武勇』だ。この門を通る資格は『公的な身分』と『厳正な数値』にある。……ルールとは、例外を許さないからこそ美しい。君一人のために門を開けば、秩序は崩壊する」
正論だ。
反論できない。いや、口が震えて言葉が出ない。
これが王都の騎士団長クラス。屁理屈やハッタリが通じる相手じゃない。
物理的な暴力よりも、その「揺るぎない正しさ」が、俺を圧倒していた。
「……おい! 何しやがる!」
異変を察知したカイルが、大剣に手をかけて戻ってこようとする。
「……ん。レイをいじめるな」
ルナも杖を構え、魔力を練り始める。
一触即発。
このままでは、カイルたちが騎士団と衝突してしまう。
「……やめろ、カイル!!」
俺は裏返った声で叫び、震える手で彼らを制した。
「あ!? でもよぉ! コイツ、お前に殺気を……!」
「ここで騒ぎを起こしたら、お前らの『英雄候補』の資格が剥奪されるぞ……。せっかくここまで来たのに、水の泡だ」
俺は脂汗を拭いながら、力なく笑った。
これ以上、俺のためにあいつらの足を引っ張るわけにはいかない。
「……俺の負けだ。ジェイドさんの言う通りだよ。ルールはルールだ」
勝負にすらならなかった。
俺はパイプを下ろし、両手を上げた。
完全な敗北宣言だ。
「……賢明な判断です」
ジェイドが威圧を解く。
ふわりと空気が軽くなり、彼はまた爽やかな「親切な騎士」の顔に戻った。
「分かっていただけて嬉しいですよ。……さあ、英雄候補の皆様はあちらへ。君は一般列へ。中でまた会えるでしょう」
◇
【VIP専用ゲート】
ゲートをくぐった瞬間、そこは別世界だった。
心地よい風が吹き抜け、花の香りが漂う。
待機していた着飾ったメイドたちが、冷たい果実水を持って駆け寄ってくる。
「ようこそ、英雄候補の皆様! 長旅お疲れ様でした!」
「さあ、こちらへ! 汗をお拭きください!」
「キャーッ! 見て、剣聖候補様よ! 素敵!」
圧倒的な歓待。
カイルは渡されたグラスを戸惑いながら受け取る。
「……おい、なんか納得いかねぇぞ。なんでレイだけ仲間外れなんだよ」
カイルが不満げに振り返る。
だが、分厚い鉄格子と魔法障壁が、すでに後方の景色を遮断し始めていた。
「仕方ありません。これが王都の『ルール』ですから」
シリウスが冷たいグラスの水滴を拭いながら言う。その表情は硬い。
「……計算外でした。これほど明確に『選別』されるとは。彼らは私たちを分断し、個別に管理するつもりです」
「……レイ、大丈夫かな」
ルナが心配そうに呟く。
遥か後方。
鉄格子の隙間から、砂埃の舞う一般列の最後尾に、小さくなったレイの背中が一瞬だけ見えた。
薄汚れた服で、長い列に並び直すその姿は、あまりにも惨めに見えた。
「……心配ないわよ」
リリィが前を向いたまま言った。
彼女はメイドから渡された高級なハンカチで、優雅に額を拭っている。
「あいつは雑草みたいに図太いもの。……それに、悔しかったら這い上がってくるでしょ」
そう強がる彼女の手は、ドレスの裾を強く握りしめていた。
だが、周囲の歓声と快適な待遇は、確実に彼女たちの心を「英雄側」へと引きずり込んでいく。
◇
【一般入場ゲート・待機列】
「……あー、クソ。暑い」
俺は深いため息をついた。
レッドカーペットとは天と地の差だ。
周りは汗だくの観光客や、大きな荷物を背負った行商人だらけ。土埃と体臭、そして家畜の匂いが充満している。
太陽がジリジリと照りつける中、列は遅々として進まない。
もう2時間は待っているだろうか。
『……ねえ、レイ。退屈なんだけど』
脳内に、気だるげな声が響いた。
俺の左腕、銀の腕輪が微かに発光している。
始源精霊ルミナスだ。
「……文句言うなよ。俺だって退屈で死にそうだ」
『景色も最悪ね。汗臭い男、欲にまみれた商人、うるさい子供。……王都の裏側って感じがして吐き気がするわ』
ルミナスはホログラムとしては姿を現さず、声だけで悪態をつく。
どうやら人混みが嫌いらしい。
その時、前の列に並んでいた太った商人たちが、大声で話し始めた。
「おい見たか? さっきのVIPゲート」
「ああ、見た見た! 凄かったなぁ、あのパーティ!」
「特にあの剣士! いい体してたぜぇ。あれぞ英雄って感じだ」
カイルのことだ。
俺は少しだけ誇らしい気持ちになる。あいつらはやっぱり、どこに行っても目立つ。
「でもよ、一人だけ変なのがいなかったか?」
「ああ、あの一緒にいた黒髪のガキか?」
ピクリ、と俺の肩が震えた。
「そうそう。鉄パイプなんか担いでさ。みすぼらしい格好で」
「ありゃ荷物持ちだろ。英雄様の金魚のフンだよ」
「だよなぁ。あそこで弾かれてざまぁねぇよ。勘違いした一般人が、英雄気取りで紛れ込もうなんて」
ガハハ、と下卑た笑い声が響く。
「…………」
俺は唇を噛み締め、パイプを握る手に力を込めた。
反論したい。
『俺だって戦ったんだ』と叫びたい。
でも、今の俺にはそれを証明するものが何もない。
レベル1。実績なし。それが俺の現実だ。
『……ふん。愚かね』
ルミナスが鼻で笑った。
『目に見える数字と、着飾った服でしか価値を測れない。……人間の目は、いつからあんなに曇ってしまったのかしら』
「……慰めてんのか?」
俺が小声で返すと、彼女は心外だと言わんばかりに声を尖らせた。
『勘違いしないで。私は事実を言っただけよ。……あのトカゲの口を塞いだ時のアンタの悪知恵、あれは見ものだったわ』
「悪知恵って言うな」
『褒めてるのよ。……少なくとも、力任せに剣を振るうだけの脳筋よりは、見ていて飽きないわ』
彼女なりのフォローらしい。
素直じゃないが、こんな状況だとその憎まれ口が少しだけ救いになる。
ふと、広場に設置された巨大な魔導スクリーンが光った。
王都のニュース映像だ。
『速報です! ノービスより有望な英雄候補パーティが到着しました!』
画面に映し出されたのは、煌びやかな応接室で笑顔を見せるカイル、リリィ、ルナ、シリウスの姿。
彼らはすでに綺麗に身支度を整えられ、王侯貴族のような扱いを受けている。
そこに、俺の姿はない。
最初から「いなかったこと」にされている。
『……華やかね。光が強ければ強いほど、影は濃くなる』
ルミナスの声が、少しだけ優しく――いや、共感を含んだ響きに変わる。
『悔しい? 置いていかれて』
「……そりゃな」
『でも、覚えときなさいレイ。……光の中にいると、足元が見えなくなるものよ』
彼女の声が、直接心臓に触れるように響く。
『アンタは影に落ちた。……でも、だからこそ「見上げること」ができる。この歪な街の底から、本当の正体を見定めることができるのよ』
「……また随分と哲学的なことで」
『感謝しなさい。私が話し相手になってあげてるんだから』
ふっ、と俺は小さく笑った。
独りぼっちかと思ったが、どうやら一番性格の悪い相棒が残っていたようだ。
「……分かってるよ。見てろ、ルミナス」
俺は砂埃を払い、画面から目を逸らした。
誰も俺を見ない。誰も俺に期待しない。
ここは英雄の街。英雄じゃない奴は、ただの背景だ。
なら、背景らしく、足元からひっくり返してやる。
「いつか絶対、あの正門を正面から突破してやる」
負け惜しみのような誓いを胸に、俺は一般人の群れに埋もれながら、一歩ずつ進んだ。
こうして、俺たちのパーティは分断された。
輝かしい表舞台を行く4人と。
薄汚い裏通りを行く俺と。
この「格差」こそが、王都が仕掛けた最初の罠だとも知らずに。




