第21話 「英雄を消費する街(グラン・ロイヤル)」
第1章では、「理不尽なシステムに抗う側」を描きました。
第2章では、その逆――
正しさそのものが、人を追い詰める世界を描いていきます。
第2章、開幕です。
【王都グラン・ロイヤル・中央広場】
そこは、世界で最も美しい街である。
そこは、世界で最も清らかな街である。
そこは、世界で最も正しい街である。
雲を突く白亜の城壁は、いかなる邪悪も寄せ付けない絶対の守護を約束している。
鏡のように磨き上げられた石畳は、一点の穢れも許さない潔癖な規律を象徴している。
広場の中央には、この国の繁栄を象徴する**『聖火の炉』が鎮座し、決して消えることのない炎が揺らめいている。
その光に照らされ、行き交う人々は皆、幸福そうに微笑んでいた。
彼らの服には綻びひとつなく、彼らの表情には陰りひとつなく、彼らの心には疑いひとつない。
ここは、人類の到達点。
ここは、文明の極致。
ここは、『英雄』という輝かしい太陽に照らされた、常春の楽園。
王都グラン・ロイヤル。
誰もが憧れ、誰もが目指し、誰もが夢見る、約束の地。
◇
◇
『聖火の炉』の前で、一人の歌姫が竪琴を奏でていた。
透き通るような歌声。
今、歌姫の歌声が、合図のように広場へ行き渡る。
それは白い石畳に反射し、人々の微笑みの裏側まで染み込んでいく。
『――闇は去りぬ、暁は来たりて』
『獅子の咆哮、邪悪を砕く』
『剣は閃き、光は癒やす』
『ああ、五つの星よ。我らが守護神よ』
それは、この国の礎となった伝説『暁の五英雄』を讃える賛美歌。
足を止めた市民たちは、うっとりとした表情でその歌声に聞き入っている。
ある老人は、胸に手を当てて涙を流す。
ある母親は、赤子をあやすようにリズムを刻む。
ある恋人たちは、互いの手を握りしめ、その歌詞を反芻する。
彼らは知っている。
この歌が真実であることを。
彼らは信じている。
この歌が永遠であることを。
彼らは疑わない。
この歌にある通り、英雄とは「常に強く」、「常に正しく」、「常に勝利する」存在であることを。
だから、彼らは微笑む。
英雄がいる限り、自分たちは傷つかない。
英雄がいる限り、自分たちは迷わない。
英雄がいる限り、自分たちは思考する必要すらない。
それは、あまりにも幸福な光景。
それは、あまりにも完成された平穏。
◇
そんな広場の片隅で、一人の少年が木の枝を振っていた。
あどけない顔立ちに、輝くような金色の瞳。
ノアという名の、どこにでもいる8歳の少年。
「えいっ! やぁっ! ……僕は、負けないぞ!」
彼は戦っている。
目の前にいるのは、歌姫が歌う物語の中に登場する、恐ろしい魔獣だ。
だが、少年の顔に恐怖はない。
あるはずがない。
だって、「英雄は絶対に負けない」のだから。
彼は木の枝を高く掲げた。
それは彼の想像の中で、伝説の聖剣へと変わる。
「喰らえ! 必殺の……英雄スラッシュ!」
ふわり、と風が吹いた。
見えない魔獣は消滅し、少年は勝利のポーズを決める。
周囲の大人が、それを見て温かく微笑んだ。
「おや、強い英雄様がいるな」
「将来は獅子王様みたいになれるわよ」
「頑張れ、未来の守護者よ」
少年は頬を赤らめ、誇らしげに王城の尖塔を見上げた。
その頂には、この国の象徴である『獅子王』がいるはずだ。
「うん! 大きくなったら、僕もなるんだ!」
少年の声が弾む。
「強くて、優しくて、みんなを守る……『英雄』に!」
「怪我をしても泣かない『英雄』に!」
「どんな敵も一撃で倒す『英雄』に!」
そして、少年は無邪気に言った。
「英雄なら……みんなを、がっかりさせないよね?」
その言葉は、あまりにも純粋で。
その瞳には、一点の曇りもない。
純粋培養された憧れ。
研磨されたダイヤモンドのような夢。
少年は、微塵も疑っていない。
英雄が痛みを感じることを。
英雄が孤独であることを。
英雄が、時に期待に応えられない夜があることを。
そんな「物語にないこと」は、この街の「常識」には存在しない。
英雄とは、光なのだ。
影などあってはならないのだ。
ただ輝き、ただ照らし、ただ人々を幸福にするための役目だ。
だから少年は、無邪気に笑う。
その笑顔は、この街で最も美しく、最も正しい。
◇
この街には、三つの「正しさ」がある。
一つ。
市民は、英雄を『信じる』こと。
それは権利であり、義務であり、絶対の幸福である。
英雄を信じれば、夜は怖くない。
英雄を信じれば、明日は約束される。
だから彼らは、心の底から英雄を肯定する。
全霊をもって、英雄に依存する。
二つ。
市民は、英雄を『待ち望む』こと。
退屈な日常には、彩りが必要だ。
平坦な人生には、昂揚が必要だ。
だから彼らは、英雄の活躍を求める。
もっと強い敵を。もっと派手な魔法を。もっと劇的な勝利を。
彼らにとって、英雄の戦いとは、命のやり取りではない。
それは、最高級の娯楽であり、聖なる儀式なのだ。
三つ。
そして何より、市民は英雄を『消費する』こと。
守ってもらって当たり前である。
勝って当たり前である。
清廉潔白で当たり前である。
彼らは、英雄という名の薪をくべる。
繁栄という名の暖炉を燃やすために。
彼らは、英雄という名の美酒を飲む。
安心という名の酔いに浸るために。
彼らは、英雄という名の神輿を担ぐ。
責任という名の重荷を背負わせるために。
そこに悪意はない。
そこに搾取の意図はない。
ただ、それが「正しい」からだ。
それが、この世界の「理」だからだ。
広場の中央で燃え盛る『聖火の炉』。
あれこそが、この街の本質。
これほど美しく、これほど残酷に回り続ける炉は、他にない。
英雄は人々のためにある。
人々は英雄のために祈る。
なんと美しい相互関係。
なんと完成された生態系。
ここは、正しさだけが許される、白亜の楽園。
ここは、汚れなき祈りが満ちる、聖なる神殿。
ここは、善意が善意として機能する、理想郷。
英雄を消費する街、王都グラン・ロイヤル。
白い街は笑っている。
炉の火は、今日もよく燃えている。
◇
【王都・時計塔の頂】
眼下に広がるその完璧な光景を、仮面の男が指揮者のように見下ろしていた。
『蛇の目』を束ねる【深淵の策士】ゼクスである。
「……素晴らしい」
彼は陶酔したように溜め息を漏らした。
風に乗って聞こえてくるのは、歌姫の賛美歌と、それに唱和する市民たちの声。
広場では、ノアという少年がまだ見ぬ英雄を夢見て、見えない敵と戦っている。
ゼクスの背後で、空間が陽炎のように揺らぐ。
【視る者】ソフィアのホログラムが、冷ややかな笑みを浮かべて現れる。
『……ええ。本当に美しいわ。一点の穢れもなく、狂っている』
「狂う? まさか。これが正常ですよ、ソフィア様。……彼らはただ、正しく英雄を愛しているだけです。少しばかり、その愛が重すぎて、熱すぎて、相手を焼き尽くしてしまうとしても」
ゼクスは嗤った。
仮面の奥の瞳が、残酷な愉悦に歪む。
「魔王など必要ありません。邪悪な怪物も不要です。……あの少年の『純粋な期待』。市民たちの『無垢な信仰』。それだけで十分だ」
悪意はいらない。
善意だけで、人は壊れる。
「英雄」という座を用意すれば、そこにいた「人間」は死ぬのですから。
「さあ、おいでなさい、レイ・ノーム。……ここには君の倒すべき敵はいない」
あるのは、君が守ろうとしている「善良な市民」と、彼らが信じる「絶対的な正義」だけ。
彼らの期待に応えられなければ、君は「無能」だ。
彼らの理想通りでなければ、君は「異端」だ。
彼らの物語を邪魔すれば、君は「悪」だ。
「君のそのちっぽけな『常識』で、この街の『信仰』に勝てるかな?」
◇
【ノービス街道】
そんな王都の昏い欲望などつゆ知らず。
一台の馬車が、乾いた土煙を上げて街道を駆けていた。
御者台で鼻歌を歌う、筋肉質の剣士。
地図と時計を睨みつける、眼鏡の弓使い。
荷台でお菓子を頬張る、無表情な少女。
優雅に紅茶をすする、腹黒い聖女。
そして、空を見上げ、期待に胸を膨らませる黒髪の少年。
彼らはまだ知らない。
その道の先にあるのが、栄光のゴールなどではなく――
「善意」という名の地獄であることを。
憧れは、時に人を殺す。
歌は、時に呪いに変わる。
正しさは、時に牙を剥く。
物語は加速する。
第2章『王都動乱編』。
――ようこそ。美しき英雄たちの墓場へ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
今回は、レイたちがまだ登場しない回でした。
それでも――
「この街そのもの」が敵になる予感を、感じてもらえていたら嬉しいです。




