幕間 「紫の観測者と深淵の策士」
【座標不明・『境界の狭間』】
白一色で塗りつぶされた、無機質な空間。
そこに、傷ついた体を引きずり、一人の男が跪いていた。
クレイドル遺跡の管理者、ヴァリウスだ。
「――申し訳ございません。……まさか、遺跡の防衛機構があのような形で……小僧たちに破壊されるとは……」
彼の声は震えていた。
本来なら絶対的な戦力差があるはずのガーディアンが、物理法則を突きつけられて倒されたのだ。管理者として、これ以上の屈辱はない。
「――ええ、知っているわ」
報告を遮り、鈴を転がすような艶やかな声が響く。
虚空に浮かぶモニターを優雅に眺めていたのは、波打つ紫色の髪に、純白のローブを纏った女性。
『理の観測者』第二席、【視る者】ソフィアだ。
「全部、見ていたもの。……あの子が『常識』なんていうふざけた理屈で、私たちが作ったシステムを破壊する様をね」
「は、はい……! それに、脱出時には『獅子王』まで現れて……私の手では手出しができませんでした」
「獅子王グレイド?」
ソフィアはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「彼のことなんてどうでもいいわ。……彼は『成功作(正解)』だもの」
「は……?」
「彼は私たちが構築した『英雄システム』の頂点。正しい手順でレベルを上げ、正しく強くなった優等生よ。」
ソフィアはうっとりとした目で、モニターの別ウィンドウに映る獅子王のデータログを撫でた。
「英雄が強くなるのは良いことよ。世界の均衡を保つための『抑止力』として機能してくれるなら、大歓迎だわ」
彼女はくるりと振り返った。
その美貌には、妖艶な笑みが浮かんでいる。だが、瞳の奥だけは凍てつくように冷たい。
「問題なのは……『正解』じゃないあの子。レイよ」
モニターに、レイの姿が大きく映し出される。
「レベル1のまま、システムの裏をかいて勝利した。……私の眼でも読めない『文字化け(エラー)』。許しておけば、いつか世界そのものをおかしくさせるわ」
さらに画面が拡大され、レイの右腕に輝く銀色の腕輪――『始原精霊ルミナス』が映し出される。
「それに……あれは、我らが主、始祖神ファネス様の最高傑作。私たち『観測者』ですら触れることを許されなかった聖遺物……」
ソフィアの声色が、一瞬にして低く、重くなった。
「許せないわね。……あんな薄汚い『一般人』が、ファネス様の寵愛を独り占めしているなんて」
それは、純粋すぎる信仰ゆえの、ドス黒い嫉妬だった。
彼女にとってレイは、神の愛を盗んだ「泥棒猫」なのだ。
「ヴァリウス。……貴方はもういいわ。下がって傷を癒やしなさい」
「は、はっ! ……し、しかし、王都には獅子王も戻っております。手出しをするのは危険では……」
「構わないわ。獅子王は“秩序に収まった存在”。
人間同士の小競り合いなら手は出さないでしょう。そのためにふさわしい『闇』がいるでしょう。」
ソフィアは空中に指を走らせ、新たな通信ウインドウを開いた。
ノイズの向こうから、深淵のような低い声が響く。
『――お呼びでしょうか。ソフィア様』
「ええ。聞こえていて? 『蛇の目』第一席、ゼクス」
ウインドウに映し出されたのは、フードを目深に被り、不気味な仮面をつけた男の姿だった。
下部組織『蛇の目・五蛇将』を束ねるリーダー、【深淵の策士】ゼクス。
「ターゲットは、この少年レイ・ノーム。……建国記念祭に合わせて王都へ入るわ」
『ほう……。彼が、例の「特異点」ですか』
「ええ。少し……いえ、徹底的にイジメてあげなさい。獅子王が出てくる幕もないほどに、完膚なきまでにね」
ソフィアの命令に、ゼクスは恭しく一礼した。
『御意。……最高のシナリオを用意してお待ちしております。彼が絶望し、自ら死にたくなるような極上の悲劇を』
通信が切れる。
ソフィアは再びモニターに向き直り、愛おしそうに画面の中のレイを撫でた。
「ふふ。……楽しみね、レイ。貴方のその『常識』が、この“正しい世界”でどこまで生き残れるのかしら?」
白一色の空間に、彼女の愉悦に満ちた笑い声だけが響き渡った。




